第1話

文字数 1,999文字

「もう胸は懲り懲りだ、俺は脚フェチに移行しようと思う」
「馬鹿なこと。僕は君ほど乳房に拘る男を知らない」
「だが、それ故に俺は多くの被害を受けた。流石にまた全身の骨を折る羽目はごめん被る」

 神妙な面持ちの友人に男は同調を示す。六畳一間、男たちは過去を語り始めた。

「高校の頃から『デブの二の腕はおっぱいの感触らしい』などと言い出して、太った友人の腕で顔を挟んでもらうほど胸が好きだったではないか」
「苦い思い出だ。デブの脇の臭さを甘くみていた。あの酸い臭さは辛い」
「工学部紅一点に土下座で頼み込んで、胸のヤング率を調べてもらい、値を教えてもらったではないか」
「それを元に乳房の柔らかさを再現したゼリーは完成した。だが、俺が求めるサイズを型から出せば自重によって儚くも崩れた」
「『時速六十キロメートルで受け止める風はDカップ』という噂を聞いて二輪の免許を取得したではないか」
「だが全身でその柔らかさを感じるために、全裸でバイクから飛び降りたのはやり過ぎた」
「後悔はしていないだろう?」
「私を包み込む風は全てがおっぱいだった。サイズは正に無限大カップ。∞の記号は女性の乳房を模していると私は睨むよ」

 友人は肩を回す。折れた骨の治療が終わり、万全であることを示した。

「俺はおっぱいに対して盲信的過ぎた。自ら持たぬ乳房を求め、若さ故に走り過ぎなのだ。だから胸は卒業だ、脚に興味を移そうと考えている」

 男はなるほど、とは言えず煮え切らない態度だ。女性の乳房を求めるのは本能だろう、本能を捨てるなど不可能ではないか、と友人を訝しむ。

「故に、こういう物を準備してみた」

 友人が取り出したるはパッケージされた黒のニーソックス。そして──

「女子の制服ではないか! 君、まさか……」
「人聞きの悪いことだ。我が愚妹の夏服を拝借してきただけのこと」

 それも殆ど犯罪ではないか、と男は言いかけたが口を紡いで話を聞く。

「絶対領域、とやらを再現してみたくてな」
「ニーソックスとボトムスの間に生じる太もものこと、だったか?」
「その通り。絶対領域には豊かな乳房も必要ない。我々だけでも作り出すことが可能だ」
「おいまさか」
「幸いなことに、貴様は身長も低く華奢な男。是非頼む」

 男は面食らった様子を見せはしたが、年頃の女子が身に纏った薄布を着る機会などそうないことに気付き、了承した。

 まずスカートに手をつけた。足を通したとき、疑問が浮かぶ。

「スカートが長くないか? これでは領域が隠れてしまうぞ」

 男はスカートを上から折り畳んで短くしようと試みる。

「ええい馬鹿者。適当に折り込んでしまえばプリーツが台無しになってしまう。貴様のズボンのベルトを使うのだ」

 友人はスカートを高い位置に持ち上げて、ベルトで固定した。

「君、女子の制服事情に詳しすぎないか?」

 友人は答えず、ニーソックスを開封して男に手渡した。

「これは新品なのだな。妹君のニーソックスはないのか?」
「貴様、変態か? 制服はともかく靴下なぞ持ち出せば犯罪だろう」
「倫理観がわからない」

 ──

「おお……」

 友人は、男の姿を見て息を呑む。
 ニーソックスは濃い黒色。華奢とはいえ男である。女性用のニーソックスを履けばその太ももの圧迫は強く、溢れた足の肉は布の上に乗る。
 女子夏服はグレーのチェック。薄手の生地にもプリーツはピンと角が立ち、清潔感を思わせる。丈は膝上二十センチである。
 ベルトを白いシャツで隠せば、もはや清廉な女子高生が男やもめの部屋に現れるのであった。

「貴様の全身に制汗スプレーをかければ完璧だ」

 これもまた友人が準備したものであった。柑橘系の香りである。オレンジより甘くなく、グレープフルーツよりキレがない。爽やかな柚子の香りが広がった。

「しかし、いくら華奢とはいっても僕は大和をのこだ。女装をしてもなお、女々しくなどなれはしない」

 自らを客観視できない男はそう嘯くが、友人は限界であった。

「素晴らしい。貴様は、貴様の足は興奮するに十分値する」

 息荒く男に迫る。

「もう辛抱が堪らない。貴様の領域に顔を埋めるが構わないな?」

 それは構わないことでなかった。間近にかかる友人の吐息、顎に残る剃り残し、ズボンを脱ごうとする仕草、全てが構うことであった。

「まて、落ち着け」

 それでも友人は落ち着かない。その引き締まった足は男を追い詰めるだろう。その太い腕は男を押さえつけるだろう。そして。

 もはや友人を前にした男は、女であった。

「いやあああああああああ!」

 細く高い金切声は鼓膜を揺らし、今まさに男へ覆い被さらんとした身体をも揺らす。その隙を突いた男は着の身着のままに部屋から逃げ出した。逃げた男は、その服装故に深夜の公園で警官から補導を受ける羽目となる。

『脚フェチは懲り懲りだ』とは、今日の経験を省みた男の発言だ。

 画して、男たちの性的興奮は決して満たされることは無いのであった。
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