第1話 井戸端会議

文字数 1,100文字

 最悪のタイミングでクーラーが壊れた。
 扇風機はもはや、空気をかき混ぜるだけの装置と化した。えらいこっちゃ。

 一人暮らしなのをいいことに、素っ裸になってみる。
 さらにその状態で冷蔵庫を全開にして仁王立ちしてみる。
 考え得る限りの涙ぐましい努力は一通り試してみた。
 しかし人間、どうしたって裸以上に薄着になることはできない。
 冷蔵庫にしてみても、無理やり人体を冷却しようとすれば色々と不都合が生じるだろう。
 やめだ、ヤメ。

 暑さに耐えかね、財布片手に家を出た。
 幸いなことに、二百メートルも歩けばコンビニがある。
 この日のための好立地、と自分を褒め称えながら歩く。
 アイスの二、三個腹に入れれば、自ずと体も冷えるだろう……腹を壊すかもしれないが。

 ――で、アイスキャンデー二本の入ったビニール袋をぶら提げつつ、今度は家へと急いぐ。
 行きがけには気付かなかったが、街灯が一つ切れていた。
 なんとか荘というアパートの駐車場前だ。
 今頃の季節になると、近所の若者や親子連れが花火をしに訪れる。
 街灯がないとさすがに暗いので花火をしに来る者もいない……そう納得しかけたとき、何やら話し声が聞こえてきた。それも複数だ。

「こう暑いと、水ばっかり飲んじまうね」
「うちんトコは冷房が効き過ぎで困るヨ。夏だってのに、手先足先が冷えて冷えてネ」
「そう言えばお宅のお嬢さん、もうすぐ赤ちゃん生まれるんですってねぇ」
「あらー、お腹冷やさないようにしてあげないとー」
「俺の姪なんだがな、最近、どこの馬の骨かわからん男にちょっかい出されて困っとる」
「あの若造だろう? まだまだガキの癖に、生意気な態度だったな。ちょいとお灸を据えてやらんといかん」

 盗み聞きするつもりはなかったが、いつの間にか足を止めて聞き入っていた。
 内容から察するに、よくある井戸端会議のようだ。
 しかし、なぜこんな夜遅く、しかも暗闇で?
 日は沈んでいても、ヒートアイランド現象とかいうやつのせいで、外は腹立たしいほどに暑い。
 ましてやこの暗さだ。これでは目の前の話し相手の顔も判別できないだろうに。

 コンビニを出てから思いのほか時間が経ったのか、溶けかかったアイスキャンデーが動き、ビニール袋が音を立てた――その瞬間である。
 暗闇から一斉に向けられる、何十個もの光る目、目、目目目目目目……。
 呼吸を忘れた。逃げ出すなど、思いつきもしなかった。
 そんな状態で耳に届いたのは、野太い壮年男性の声だった。

「黙ってろよ」

 何度も頷いて、その場を立ち去ることしかできなかった。
〈終〉
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み