第4話

文字数 2,707文字

「なに、あと十日?」
「はい!」
 ガレの前でサリイは深々と腰を折り、お願いしますと繰り返した。
「今すぐには無理ですが、いつか必ずお礼はします!」
「俺はまあ、寝床を貸すぐらいどうという事はないけどよ」
「本当ですか!」
 サリイはぱっと顔を上げ、その嬉しそうな顔にガレはたじろいだ。
「いいけど、お前、いったいどうして、あと十日もこんな所にいたいって言うんだ? あんなに手ひどくやられたのを忘れたわけじゃないだろうな?」
 ガレの怪訝そうな顔に、今度はサリイがたじろぐ。
「いや、あの、それです。クロワに帰るには、どうにかして髪を染めなければならないんですが、そうすれば帰りの旅費がなくて」
「少しなら貸してやれるが」
 とんでもない、とサリイは首を打ち振った。
「ガレにはわからないでしょうけど、髪を染めるのは結構高いんです。これだけお世話になったうえに、そこまで甘えるわけには。あ、まあ、まだ寝床は、お借りするわけですが……髪を染めれば、それなりに、俺にも稼ぐあてはあるので……」
 ガレが何か考えるように押し黙ってしまい、サリイは所在なさげに首の後ろに手をやった。
「……まあ、好きにしろよ」
「ありがとうございます! ご迷惑はおかけしません! ちゃんと家の片付けもしますからね!」
「ばあさんみたいなことを言うんじゃねえよ」
 ガレが緩くサリイの頭を小突いてから部屋を出て行き、サリイは首尾よくいった事に胸をなで下ろした。
 もちろん、髪を染めれば旅費が足りなくなるのも確かだったが、ハルカの文字を、ある程度習得したサリイには、旅費を稼ぐぐらいのあてはあった。魔法使いが使う法印(タウ)を売ればいいのである。
 魔法使いが魔法を喚ぶために使う法印(タウ)も、個人でそれぞれに組む必要があり、それもまた面倒な作業なのだった。
 サリイはハルカの文字を収集する際に、持ち前の記憶力を生かして、魔法使いから聞き出した法印(タウ)も、ほぼ丸暗記してしまっていたのである。
 魔法使いの扱う法印(タウ)に、何故ハルカの文字が使われているのかは、今のところまだつかめていなかった。
(とにかく、ハルカの言葉を知ることが先だ)
 サリイはうきうきと、あてがわれた部屋に戻ると、ばふっと敷布に横たわった。自然と顔がにやけてしまう。こんなにも心が浮き立つのは、いつぶりだろうか。
 ここへ残るのは他でもない、ヘラにハルカの言葉を聞くためだった。


 髪を染めるための古代魔法石(ルミニス)をガレに手に入れてもらい、髪が元のように栗色に染まると、早速サリイは法印(タウ)売りと、ヘラへの取材とに勤しんだ。
 このヨギの町には、あまり魔法使いが住んでいないようで、法印(タウ)は思っていたほど売れなかったが、それでも二日目には髪を染めた代金ほどは回収できていた。
 ヘラは、朝ガレが仕事に出かけていくと共にやってきて、サリイにいろんな話をしてくれた。
 それは彼女が幼い頃に祖母から聞いた話だったり、母親が織っていたハルカの衣の話や子どもの遊びの話、台所で使っていた鍋の形や、春に行われていた祭の話など、雑多なものが多かったが、どれもサリイには宝物のような話だった。
 古の書物が、テサの手によって灰にされてしまったことは、血が沸き立つほど腹が立ったが、それでもこうしてハルカの言葉を、クガヒトから直に聞けることは何にも代えがたいことだった。
 書物は文字や知識を知らせてくれるが、正確な発音や話し方は教えてくれないのだ。
『へえ、それでその後はどうするの?』
『そりゃあ、みんなで食べるんだよ。神様と言ったって、お供え物を食うわけじゃないんだから』
 そりゃそうだ、とサリイが笑うと、ヘラも一緒になって笑った。
 今日はヘラの故郷で行われていた祭についての話を聞いている。
 ハルカと一言に言っても、昔のハルカは小さな国が寄り集まった連合国の様になっていたようで、地域ごとに違った習慣や祭があったらしい。ハルカとテサとの違いに比べれば、それほど大きな差はないが、それでもヘラの話は、居留地で聞いた話とは、また少し違った趣があった。
『あの社が壊された時は悲しかったねえ。私は別に神様なんて見たこともなかったけれど、もうあの祭はできないんだと思うとね』
『俺も見てみたかったな』
 想像してみようとしたが、社も祭も、いったいどんな形をしているのかサリイには全く想像できなかった。その社も、もうどこにも存在しないのが惜しまれる。
 テサには神というものをあがめる習慣があまりないのだが、ハルカには、神を祀るという風習があったらしい。カルムというテサの町では、未だに火の神をあがめているという話だが、ほとんどの場所では、祈りの対象は【星】である。
 【星】とは天にある星とはまた別のもので、大抵どこの町にもひとつはある《星の塔》に祀られているものである。
 建国史にある《六人の魔法使い》は、この【星】に戦いを挑んで、一度は負けたが、契約を結んで魔法使いの力を得たという。つまり、魔法使いの力の源が、この【星】であるらしいのだ。
 魔法使いの一族に生まれなければ、どんなに魔法を学んだとしても魔法使いにはなれない。そのために人々は、次は魔法使いの家に生まれるように、と願いを込めて祈るのだという。
 その他にも【星】は様々な願いを聞き届けてくれると信じられていて、人々は何か願い事があると、祈りを捧げるために《星の塔》へ足を運ぶ。
 【星】が何かの願いを叶えるなどと信じていないサリイは、【星】に祈ったことなど一度もなく、ほとんど興味がなかった。【星】が願いを叶えるなどということがあるのだとすれば、この世に戦はないだろうし、クガヒトもまた虐げられたりはしないだろう。
『祭の衣は、赤い色に染めてあってね、いろんな文様が染め抜いてあって、それを着た舞手が一斉に舞うのは、そりゃあ綺麗だった』
『染め抜く、ってどういう意味?』
『ああ、そうだね。テサでは文様は刺繍するものだものね。染め抜くというのは、染める前に、布を色々な形の木の板で両側から挟んで、紐できつく縛り付けておくんだよ。そうして染めれば、木の板で挟んだ所には染料がしみこまずに白く残るだろう? そういうのを染め抜くと言うんだよ。糸で縛る方法もあるけどねえ。それは、(くく)り染めと言うんだよ』
 へえ、と感嘆の声を上げながら、サリイはそれを細かく記録してゆく。ヘラの言葉を、一言一句書き漏らしたくなくて、紙が真っ黒に埋まっていった。どこかで紙を買い足さなければならない。
 サリイは細かなことまで質問し続けたが、ヘラはにこにこと丁寧にそれに答えてくれた。もう口に出すこともないと思っていた、ハルカの言葉で話すのが、楽しいらしかった。
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