第6話 代役不在

文字数 2,516文字

 不安で落ち着かない気持ちのまま夜を明かし、翌日すぐさま美香たちは顧問と話をした。
「仕方ないんだ、君たちも大変だろうけど…」
 厚木自身、自分が担当する部活動から立て続けに死者を出し、校内において非常に苦しい立場に置かれている。
 厚木とて雇われの身である以上、学園長の決定には逆らえなかった。
 佐々木紀子の家族は、紀子の身柄を引き取り次第、告別式を行うという。
 学校が紀子の死を発表するタイミングについては特に何も言ってきていないらしい。
 そもそも、はっきりとした死因さえまだ分からないのだ。
 しかし学校側は自殺と考えているようだった。
 厚木自身も、
「急な代役に決まって、佐々木も相当プレッシャーを感じていたのかも知れないな…」
 とため息をついている。
 しかしそんな中でも、文化祭の開催という状況は続いている。
 美香たちはなすすべもなく、茫然と立ち尽くしていた。

 放課後、練習前に厚木によって紀子の体調不良ということが告げられると、他の部員は驚いていた。
 何といってもヒロインの代役である。
 その代役がまた、劇に出られなくなった。
 さすがに部員たちは動揺し、不安げな面持ちで互いに顔を見合わせている。
 ヒロインの代役の代役が必要になるなどとは、誰一人考えていなかった。
 文化祭は明日である。
 今さら他の部員の誰かがセリフを覚えたり、稽古をしたりなどということは、不可能だった。
 玲子が、思い切ったように言った。
「わたしが、姫役やります」
 全員がいっせいに玲子を見た。
「わたしならずっと紀子先輩と一緒に稽古してきて、セリフもだいたい分かってるし」
「ええっ?だって、王子役はぁ?」
 朋美が間の抜けた声を上げた。
 そうだった。
 今度は王子役がいなくなる。
 しかも玲子よりも背が高く、セリフも覚えている人物となると、探し出すのは困難であった。
 いや。
 一人いた。
 全員が、ゆっくりと顧問のほうへ視線を送った。
「——え、お、おれ!?」
 厚木が面食らったように自分を指さした。
「先生、お願いします。他にいないんです」
 通常なら、教師が劇に出ることなどない。
 しかし、今は緊急事態であった。
 人手不足ここに極まれり、の状況であった。
 少女たちの必死の面持ちに、厚木はため息をつき、了承したのだった。

「はぁ…明日はなんとかなりそうね」
 前日の最終調整を大あわてで済ませ、みんなはもうくたくただった。
 厚木も急な王子役の代役に戸惑いつつも、最後の方にはようやく何とかおかしくない程度にはさまになっていた。
 美香たち三人も片づけを終えてやっと帰れるところだった。
 廊下を歩いていると、やはり昨日のことを思い出してしまう。
 朝来た時には、中庭の様子はすっかり元通りになり、そこで事故が起こったなどととうてい信じられない。
 下駄箱で靴を履き替えて外に出ると、
「あ、雨…」
 美香が手のひらを上に向けて空をあおいだ。
 ポツポツと小雨が降りかけていた。
 季節の変わり目のせいか、このところ天気がよく急変する。
「え~傘持ってきてないよぉ」
 朋美が頭を両手で覆った。
 玲子は折り畳み傘を鞄から取り出した。
「これでみんなでなんとか入っていこ」
「傘…」
 美香が呆然としたように、それを凝視した。
「なに?ないよりましでしょ」
 玲子が傘を開いて手招きした。
「雅美先輩のとき…傘、なかったよね…」
「え?」
 聞き返してから、察しのいい玲子ははっとした。
 あの時、美香と玲子は一緒に崖下を見下ろしていた。
 斜面に倒れている雅美の光景を思い出していた。
 その側に、傘などは見当たらなかった。
「ってことは…」
「やっぱり崖まで一緒に行った誰かがいたってことね」
 美香と玲子は蒼白になりながら顔を見合わせた。
「え、え…それってつまり」
 朋美が声を震わせた。
「雅美先輩の事故って、誰かが…」
 美香の脳裏に一人の人物が浮かんだ。
 やっぱり…あの高橋とかいう人の仕業なんだろうか?…
 美香は彼のことを、玲子たちに言おうか迷った。
 自分もまたいつあいつにつかまるか分からない。
 思い切って美香が顔を上げて玲子を見ると、玲子は玲子で、何事か考えているように深刻な表情をしている。
 その視線は、傘からはみ出てしまい雨に濡れている美香のスカートの裾に注がれていた。
「どうしたの…?玲子」
「…裾が、濡れてる」
「え?あ、ああそうね。やっぱりひとつの傘に三人入るのは…」
「そうじゃなくて…!」
 言いかけて、はっと口に手を当てた。
「…なんでもない、ごめん」
 急に声を落とし、目をそらした。
 三人は、なんとか押し合いへし合いしながら歩き出した。
「…そういえば昨日さ」
 しばらくみんな黙って歩いていると、朋美がふと、
「練習の後、紀子先輩、玲子のこと探してたでしょ」
「え?」
「あたしが片付け終えて玄関に行こうとしたら、紀子先輩が…」
「でもわたし会ってないわよ」
 玲子が訝し気に朋美を見た。
「え、でも…劇のことで話があるって…体育館とは反対の階段を上がって…」
「わたし、練習の後は教室で着替えてたわよ」
 その教室は、体育館を出て、まっすぐの廊下を行った先の3階にある。
 体育館の反対側にある階段を、最上階まで上がっていくとそこは——屋上だ。
「……ひっ!」
 朋美が真っ青な顔で口に手を当てた。
 つまり、紀子が死亡する直前に会ったのは、朋美というわけだ。
「う、うそぉ…」
 ショックを受けた声で、うつむいた。
 もしも紀子が自殺なら、と思うと……。
 どうにかして思いとどまらせられなかったのか。
「む、無理よ。まさか紀子先輩がそんなことになるなんて、知りようがないもの」
「でも、じゃあ紀子先輩は誰を探していたの?」
 玲子が言った。
「あるいは、最初から屋上に、その誰かに会いに行ったのか」
「……」
「もしかしたら…まさか…」
「一体何なのよ?」
 玲子がぶつぶつ一人つぶやいているので、不思議に思った美香が聞いた。
「ううん、なんでもない。ただ……」
 玲子がぎこちない笑顔を見せた。
「なんだか、明日、すごく嫌な予感がするわ」
 玲子がポツリと言い、美香と朋美は顔を見合わせた。
 いっそう強くなった雨の音がザーッと響いて、三人を取り囲んでいた。
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