第10話「迎え」

文字数 2,449文字

片付けの最中、密かに翠春が話し掛けてきた。
『まったく、弟君は…。こんなに大量の本を高い所に並べて、どうするんですか。この部屋にいて地震にでも遭ったら、本につぶされてしまうのでは?』

「ほう。それは、むしろ本望だねぇ。次は圧死というのも悪くないかな。」
妙な心配をするな、と可笑しくなってしまったので、笑いながらそう答えた。

『御冗談を。…奥方様を、また嘆かせるおつもりですか。』
翠春は真剣な様子でそう言ったが、内容が内容だけに、どちらが冗談を言っているのやら…とやはり笑ってしまう。

「…大丈夫だよ。少なくとも、棚が飛んでくるようなことにはならない。」
『壁ですからね、これ。』

「良い考えだろう?」
『いや…、でも、本が降ってきたらまずいでしょう。』

「その時は逃げるとしよう。…しかし、まさか圧死の心配をされるとはねぇ」
そういう、妙なところで神経質すぎるところは主に似ているのかな、と笑う。

『それにしても…本がお好きな割には、順番は気になさらないんですね?』
翠春は、一見無造作に見える本の並べ方に、疑問を覚えたらしかった。

「何を言う。箱に詰める所から、どう取り出してどう並べるかは計算済みだよ」
『…。』
そう言われてみれば確かに…と、翠春は頷いた。箱に書かれた番号順に取り出し、ただ並べているだけなのに、自然と整理された並びになっているのだ。

『相変わらず、几帳面ですねぇ』――翠春は感心を通り越して呆れている様だ。
「兄とは大違いだろう?」

『あの方の場合は、ただの神経質ですからねぇ』
――翠春自身もそうであることに気付いているのか否か、翠春は少し遠くを見て笑った。


そんな話をしているうちに、本の整理が終わった。
本の入っていた段ボール箱を崩し、玄関辺りに置く。

さあ、これで本当に終わった、と息を吐き、二人にも声を掛ける。
「お手伝い下さって有難うございました。お茶を――」
用意させます、と、つい言いそうになり。
「――淹れますので。此方へおかけください」
咄嗟に言い換えた。

「ありがとうございます。」
居間に入り、椅子に腰掛けながら、宵夢は微笑んだ。

『…。』
咄嗟に言い換えた言葉の裏にこちらの癖を感じ取ったのか、翠春はくすくすと笑いながら、茶を淹れる私をちらと見た…。

――と、不意にインターホンが鳴った。
何やら今日は、来客が多いな。

「おや。お客さんか。」――どうしたものかと僅かに戸惑った。
『あぁ、葉介さん。私が出ましょう』――その一瞬の間に、翠春は椅子から素早く立ち上がった。

「…。手が離せないので、恐縮だがお願いしよう」
『お気になさらず。身内のようなものと思ってくださいよっ』
ぴょんと飛び跳ねるように椅子から降り、妙に楽しげに玄関に向かう翠春。
――私はその様子に、どことなく不安を覚えた。


『ああ、やっぱり。…お帰りですか?』
『何故お前がいる。』
『荷解きのお手伝いをしていたんですよ。』
『そうか…。』

微かに洩れ聞こえる会話に、どうやら予感は的中したらしい――と私は密かに顔をしかめる。
…宵夢の手前、入れるなとは言えないし、帰れと言うにしても顔は合わせなければならないし。やれやれ、と息を吐き、ひとまず宵夢に茶と菓子を出した。

「――お待たせしました。…どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます。」

――そうしているうちに足音は近付き、居間の前で止まった。
刹那、躊躇うような間があったものの、何事もなかったかのように戸が開く。そこには――

『失礼する。…葉介、久しぶりだな』
見紛うかたなき兄である。…確か、剛史と呼ばれていたなと思い返す。

「…どうも。」――どうにか嫌悪感を押し隠し、笑みで繕った。
兄の傍らにいる翠春は、さも愉快そうに兄と私を見比べながら、からかうような笑みを浮かべている。

「…同じ名字だなぁと思っていたんですけど、もしかして、親族の方だったんですか?」
少し歪な雰囲気をものともせずに、宵夢は朗らかに微笑んだ。

『ええ、そうです。葉介は弟です』
相変わらずの仏頂面で、兄が答えた。

――兄の敬語など、初めて聞いた。長い物には巻かれろとでも言うのだろうか。
嫌悪感に耐えかね、思わず顔を伏せた。

『早速愚弟が世話になったようで。済みません。』
「いえ。お力になれたようで良かったです。またいつでも仰ってくださいね。」

――宵夢のことだから、恐らくはこの奇妙な雰囲気には気付いていないのだろう。
その証拠に、普段と何ら変わらぬ表情でこちらに微笑みかけるのだから。
「…ありがとうございます。」
やむなく顔を伏せたまま、僅かに会釈をし、声を絞り出した。

3人はそのまま各々で席に着くと、如何にも近所の知り合いらしく世間話を始める。
こちらは話すことなど何もない。形ばかりに茶を淹れ、(つい)でに食器を片付けた。――とにかく近付きたくない、その一心である。


そうしているうちに、気付けば夕方になっていた。
「――いけない、そろそろ遙をお迎えに行かなくちゃ」

帰ろうとする宵夢の言葉に同意するように、私も言った。
「ああ、私も晶を迎えに行かないと。」――ついでに帰ってくれれば良いのに。
そう思いつつ、睨むように兄を見た。

『ほう、迎えに行くのか。私も久しぶりに顔を見たいものだ』――ところが兄は、こちらの都合などお構いなしに厚かましくもそう言った。
――厳密に言えばほぼ初対面であるというのに、何とも白々しい言葉だ。

「せっかくですから皆でお迎えに行きますか?」
相変わらず噛み合わない雰囲気に気付くはずもなく、宵夢はふわりと言った。

『いいですね!』
翠春はその言葉に即答した。――何故か、すこし楽しそうに。

「…。では、行きましょうか」
これ以上ないくらい渋々と、けれどもそんな様子は微塵も見せぬように気をつけながら、私は頷いた。
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