海の家 1
文字数 17,496文字
[In Circle TALK 文化部]
2018年8月24日 夜勤山内、持田
・出稿 臨海清掃工場続報 咲野(社会部と)1社4段、12版~。注 今後は、男児の身柄を預かる児童相談所の動きが焦点。近々、DNA鑑定が行われるとの社会部情報あり。文化部としては、スラグアート作者への取材を咲野がつづける方向。
・TPP著作権関連で総務より「3面でまとめろ」との指示あり。政治部、社会部と調整してますが、向こうはいずれもやる気なし。いつものパターンで押しつけられそう。マジ立場弱い。じっと手を見る。
・北側壁の改修関係で編集管理より連絡。「配管交換にもうすこし時間がかかるので、工事完了までできるだけ窓を開けて換気につとめてください」とのこと。猛暑の熱波と汚水の悪臭。どっちを取るか迫られている。それとも会社による巧妙なリストラ策か。どこまでがまんできるか試されている?
・神保と依然連絡取れず。両親が本日、警視庁に捜索願提出。
一
廊下にある背の高い書棚には、連ドラの台本がぎっしり詰まっていた。
その前を通って持田晋哉は食堂に通された。レンガを積みあげたアーチ型の入り口の向こうには、本物の大理石を天板にしたアイランドキッチンがあり、その周囲にアジアンテイストの食器棚と二台の大きな冷蔵庫が並んでいる。
だが食堂にしては違和感がある。床一面が工事用のブルーシートに覆われているからだ。スリッパをとおして伝わる感触からして、フローリングかタイル張りのようだったが、シートのせいでわからない。それに棚も冷蔵庫もふくめ、四方の壁面には透明のビニールが張ってある。マンションの外装を塗りなおすときに、ペンキが飛ばないよう駐車場の車を覆うのとおなじ感じだった。それはアイランドキッチンをも覆っていた。水仕事をするなら、ビニールをめくる必要がありそうだ。
「ごめんなさいね。改装しているところなの。だけどすごくさくさくしたアップルパイがあってね。応接間のローテーブルだとぼろぼろこぼれて食べにくいかと思って」絹井野エミはもうしわけなさそうにいうと、手を広げてアイランドキッチンの前にある緑色の食卓――唯一、ビニールを張っていないものだった――に持田をうながした。「来週から工事に入る予定だったんだけど、急に業者が電話してきて、一週間早めてくれないかっていわれたの。あなたから電話をもらう前だったからどうしようもなかったのよ」
「いえ、おかまいなく」持田はナイロン製の黒いカメラバッグと資料を詰めたビジネスバッグを足もとに置き、いすを引いた。エアコンが心地いい。あちこちガタのきた中年の体にはこたえる外の酷暑とは大ちがいだった。「それにしても立派なお宅ですね」
「古いだけよ。いまじゃわたしだけだから広すぎるわ」エミは愛らしく微笑んだ。たしか六十六歳のはずだが、ジーンズと純白のTシャツのせいもあってずっと若く見えた。「まるで幽霊屋敷よ」
的を射た物言いだった。人気脚本家である絹井野啓の母、エミの実家は、大手鉄鋼メーカーの創業者一族の家系で、戦前から羽振りがよかったらしい。考えてみれば、その息子が演劇をはじめとする博打興行の道に進み、正業につかなかったことは一族にとって、いまなお不名誉なことなのかもしれない。たとえその道で大成功をおさめたとしても。
啓とは一時間前に会ってきたばかりだ。朝刊で連載を予定している彼のエッセーについて、持田はその母親にいくつか確認するためにやってきた。
彼の家族関係については頭にたたきこんである。父親の裕司は検察事務官だった。転勤族で、おもに南関東の区検をぐるぐるとまわり、啓が幼いころは、神奈川県内の区検が裕司の職場だった。それで一家は湘南にある裕司の実家に暮らしていた。その後、エミのほうの実家、つまり成城のこの屋敷に移り住んだ。裕司は啓が大学生のときに不慮の事故で亡くなり、やがて啓も一人立ちし――といっても四十二歳のいまなお独身貴族のままだが――以来、エミは独り暮らしというわけだ。
美味だというアップルパイをアイスティーといっしょに運んできた母親に、持田は訊ねた。「かなり改装されるみたいですね」壁ぎわには、つるはしやハンマー、さらに細々とした工具類がまとめて置かれ、セメントを詰めた大きな紙袋とそれを水と混ぜ合わせる巨大なバットもあった。
「二十年ぶりかしら。思いきって気分転換しようと考えてね。ところでそちらは――」エミはカメラバッグを指さした。「きょうは写真を撮るってお話でしたかしら。わたし、ろくにお化粧もしていないし、髪もこんなんじゃ」
心配そうに髪に手をやる母親に持田はいった。「だいじょうぶです。撮影はございません。新聞用のエッセーについて、お話をうかがえればと思っています」
わかっていたが持田は訊ねた。「啓さんは高校までこちらで暮らしていたんですよね」
「小学二年生のときに引っ越してきたんです。だけどついこないだ小学校を卒業したかと思ったら、あっというまに大きくなって、大学に入るなり出ていってしまった」
「光陰矢のごとしですか」
「信じられないわ。地球の自転が最近おかしくなっているんじゃないかって思うくらい」
「地球の自転ですか……。でも時の流れというのはたしかにおそろしい。わたしも日々戸惑ってばかりです」持田は作り笑いを浮かべた。
三十年か。
それを一瞬の出来事と感じる者もいれば、粘着シートにとらわれた昆虫のように身動き一つできぬまま、一日千秋の思いで過ごしてきた者もいる。そのあたりについて、これからじっくりと解きほぐしていかねばならない。こちらの技量が問われることになる。持田はわきあがる静かな興奮を抑えるべく、アイスティーをすすった。
二
海の家(1)
あの町がきらいだった。
湘南なんて幻想だ。きらめく海におしゃれな店。そんなのうそだ。ちょっと路地を入れば、学校帰りの子どもに唾を吐きかける連中がたむろする、まさに痰壺の底のような土地柄だ。その町にぼくが暮らしたのは、一九七二年、昭和四十七年に生まれてから、小学二年生、八歳のときまでだ。
海からすぐの浜ノ井地区にぼくの家はあった。
そこは巨大な怪物の背のようにあちこち隆起して小さな丘のようになり、雑木林がそれを覆いつくしていた。はじめて来た人は昼間でも迷子になる。家の裏手は高さ五メートルほどの崖になっており、崖下にうっそうと茂る木々の向こうにも似たような家々が並んで建っていた。下の住民からすれば、うちのことを三階建てと思った人もすくなからずいただろう。うちからしてみれば、崖の斜面を利用して地下にもうひと部屋設けたつもりなのだが、下からだとたしかに三階建てに見えなくもない。あのころでたしか築二十年ぐらいだったんじゃないかな。その家で、国家公務員の父と家庭を切り盛りしていた母、父の母親であるおばあちゃん、それに父の兄である話好きのおじさんと計五人で暮らしていた。一階をおばあちゃんと両親、二階をぼくとおじさんが使っており、地下室は物置がわりだった。
小学二年生のとき、父の転勤で成城の家に引っ越して以来、あの海の家は、夏休みに遊びに行く別荘となった。おじさんはペットクリニックに勤めながら、いつまでも独身を貫き、おばあちゃんと二人で暮らしていた。お盆のころに何日か遊びに行ったが、おじさんはそのたびにペットの犬や猫に関する話を聞かせてくれた。ときどき獣医さんの手伝いもするらしく、けがをした動物たちをどうやって治療するかなど専門的な話もしてくれた。ほかにも話題が豊富で、いつだってぼくの心をつかんではなさなかった。
父はクソまじめな人だった。
休日は、日がな一日、新聞を読み、ぼんやりとテレビを見て、あとは買い物に行く母を車に乗せていった。無口な人で、勉強のことでうるさくいわれたこともないぶん、自分の昔話なんかを聞いたおぼえもない。いたずらして怒られた記憶もない。そこは母もおなじだ。おぼえているかぎり二度ぐらいしかない。その意味では、ぼくはラッキーだった。
おじさんは映画好きだった。テレビでやる映画はほとんど録画してあった。あのころは高価だった映画のセルビデオもたくさん持っていて、なかには字幕のついていない輸入ものもたくさんあった。それに自分でも撮影していた。ごついVHSのビデオカメラでいろんなものを撮っていた。それをさわらせてもらうのはわくわくした。いつかそれを貸してもらって、なにか撮ってみたかった。だったらプロットとか脚本が必要だと感じた。だからぼくのなかに、表現者としての方向性が芽生えたのには、おじさんの影響がある。そう、おじさんがいなければ、いまのぼくは存在しない。それだけは断言できる。
そのころには地下倉庫は、おじさんによって“編集スタジオ”に改造されていた。撮影したビデオ映像の編集作業をするためにいろいろな機材を持ちこんだという。興味をひかれたが、台所のわきにある扉にはいつも南京錠がかかっていた。高い機材を買いこんだために、ぼくみたいなガキんちょにいじられたくなかったのだろう。
三
「昔のアルバムを眺めているようだわ」エミは持田から手渡されたエッセーの紙束から目をあげ、老眼鏡の奥から持田を見た。「三十年以上前のことなんてよくおぼえているものだわ。若いからまだ記憶力がいいんだわ」
「たしかにそうですね。わたしも三十年前のことなんて、浪人中で予備校に通っていたことしかおぼえていませんよ」
「あら、持田さん、失礼ですが、おいくつなの」
「四十九です」
エミは大げさに息をのんだ。「まぁ、見えないわ。でも浪人されていたって……ご出身はどちらでいらっしゃるのかしら」
「埼玉です」
「優秀だったんじゃないかしら」エミは老眼鏡を額のうえにずらし、値踏みするような目で持田を見た。
「ぜんぜんですよ」話を変えようとバッグから大学ノートを取りだした。そのときふと自分の足もとが目に入り、持田は眉をひそめた。水色のチノパンの右側の裾から五センチほど上の部分にごく小さな赤黒い染みがいくつか飛び散るようについていた。「これからいくつか質問をさせていただきます。よろしいでしょうか」
「どうぞ。わかる範囲でお答えいたしますわ」
「ではまず、息子さんのいう“海の家”ですが、いまはもうあの町へいくことはないのですか」
「こちらに越してきてからはほとんどいってませんね。もう義兄もおりませんから」
「もとはご主人のご実家だったのですよね」
「そうです」
「しかしあの家は取り壊されることになってしまった」
エミはすぐに反応した。「おぼえているわ。だんだんと人が増えてきて宅地造成の必要が出てきたの。うちがあった場所は道路にされてしまった」
「昭和六十三年、一九八八年のことですよね。区画整理が行われたときは、空き家だったのですよね」
「たしかそうだったのだと思います。そのころにはお義兄さんも引っ越してしまったんじゃなかったかしら。主人の母はもっと亡くなっております。あの子はなんて説明しているのかしら」
「おじさん、つまり絹井野信彦さんは沖縄に引っ越されたとか。新しい仕事の口を見つけられたのでしょうか」
「仕事の関係で沖縄にいきました。ちょうどバブル景気で浮かれはじめていたころで、ペンション経営がどうとかいっていたような」
「いまはもう音信不通ですか」
返事をするかわりにエミはきゃしゃな肩をすくめてみせた。
「息子さんのさまざまな作品と、このエッセーで語られているものとの関係ですが、どうも彼には“海の家”や、そこを包みこむ雑木林が大きな原体験としてその後の作品に影響しているような気がするのですが」
いつのまにか足もとに置いた黒いカメラバッグが横になっていた。なかに入れたもののバランスが崩れたのだ。持田は片手をのばし、バッグをもとにもどした。中身ががさりと音をたてた。
エミはちらりとそっちに目をやった。「どうかしら。たしかに子どものころは暮らしていたけれど、あの子が八歳のときまでですよ。その後は夏休みにちょっと顔をだす程度でしたからね」
「おっしゃることはよくわかります。しかし感受性が非常に高い時期のことですので」そこで持田は思いきってカードを切った。「一つうかがいますが、結城環佳子(わかこ)さんという名前にお心あたりはございませんでしょうか」
四
海の家(2)
六年生の夏休みにも海の家にいった。一九八四年、「ベストヒットUSA」のせいで洋楽に目ざめた年だった。
二日後にカナダのバンクーバーに短期留学することになっていた。残りの夏休み期間中、ホームステイしながら語学学校に通うものだ。当時通っていた成城の小学校の恒例行事だった。受け入れ先は日系人ばかりで、英語なんて話す必要は皆無だった。体のいい修学旅行のようなもので、胸が高鳴っていた。
それでもおばあちゃんの顔だけは見にいかないといけないと、めずらしく父親がいうものだから、一泊だけの日程で海の家にやって来ていた。
「今夜はバーベキューで壮行会だな」おじさんはちょっぴりさびしそうだったが、うまいものをつくってやるといって、いそいそと買いだしに出かけた。
ぼくは一人で海に散歩にいき、そこで一人の中年男を見かけた。サラリーマンが会社にはいていくようなスラックスに半袖のワイシャツ姿で、一心不乱に海水浴客の手にチラシを押しこんでいた。
「これ、見てくれるかな」
A4サイズの安っぽい紙に印刷されていた白黒写真がぼくの心をとらえた。リスのような目鼻だちは人気アニメのキャラクターのようで、ボブにした髪とあいまってとてもかわいらしかった。
娘を捜しています。
氏名 結城環佳子(当時17歳)
住所 埼玉県浦和市野見山1の3の1の110
昭和57年8月9日、西浜海岸に友人と遊びに来たまま行方不明に。同日午後3時40分ごろ、大曽根幼稚園近くを1人で駅方向に向かって歩いているところを目撃されています。その後の目撃情報なし。神奈川県警が捜査中。
行方不明時 私立浦和光星学園普通科2年
体格 159センチ、43キロ、痩せ型
髪型 肩までのショート
服装 白Tシャツ、胸に「1969 ALOHA COMMUNITY」とブルーのプリ ント、ひざ丈のジーンズ
持ち物 紺色リュックサック
「娘なんだ」チラシの末尾に連絡先として記された結城由一氏が目の前にいた。「もう二年になる」失踪時に十七歳なら、八四年当時は十九歳ということだ。つまりぼくより七つ上で、それを父親の年代にそっくりあてはめれば、結城氏もぼくの父より七歳ぐらい上ということなろう。しかしいくら陰気な父でも七年後にあそこまで老けこんでは見えまい。
「時間がたつと捜査も難しくなるし、マスコミも取りあげてくれない。警察も一生懸命やってると思うけど、父親としてなにもしないわけにいかなくてね」
子どもながらにわかったが、警察の捜査はうまくいってない。というか警察はあきらめてしまったようだった。だっていまよりずっと平和だったあのころだって、二年も失踪していたら、なんらかの犯罪に巻きこまれたって思うのがふつうだろう。たとえ後々になって犯人が捕まることはあっても、被害者が生きている可能性となるとかなり苦しい。
「大曽根幼稚園って、すぐそこですよね」ぼくは雑木林のほうに向かって手を広げた。海の家から歩いて五分もかからない。「うちの近くです。うちといってもいまは祖母の家ですけど」
「おばあさんのところに遊びに来ているの?」
「はい。夏休みはいつも」口にした途端、しまったと思ったが遅かった。
眼球がひっくり返ったんじゃないかと思うくらい、父親の目の色が変化していた。「二年前の夏もかな」
ぼくはもう一度チラシに目を落とした。八月九日か。「かもしれません。わかんないけど」そんなように答えたのだが、父親は許してくれなかった。怖いくらいだった。
「なにか見なかったかな。なんでもいいんだよ」
その一点張りで逃れるのに苦労した。家にもどったのは六時過ぎだった。おじさんがバーベキューの準備をしているときだった。薪に火がつくとおじさんは子どものようにはしゃいだ。それを見ていてぼくも気持ちが上向いた。
夜、肉をたらふく食べたぼくはぐっすり眠り、夢を見た。
そこに結城環佳子があらわれた。
五
「環佳子さんの父親は現在、郷里の栃木県鹿沼市に暮らしております。一人暮らしです。奥さまは二十五年前、つまり娘が失踪して九年後に自殺しました」持田は説明した。
エミは顔色を曇らせた。「そんな事件があっただなんて。本当に恐ろしいわ。あの子が四十歳を過ぎたいままで、そんな目にも遭ってこなかったことのほうが奇跡かもしれない。あの子のこと、いまでも心配なの。いつまでたっても子どもは子ども。体は大きくなっても、わたしにはまだ五歳の男の子にしか見えないもの。だけど――」エミはテーブルに置いたエッセーの紙束を人さし指でたたいた。「あの子がどういう事情でこの話を盛りこんだのか知らないけれど、不用意にあつかったりしないほうがいいんじゃないかしら」
「たしかにそうかもしれません」そこで持田はバッグに手を突っこみ、べつの紙束を取りだした。「ただ、こういうこともあると思うんです。それまでじっとだまっていた人が急に話しだす――」
六
海の家(3)
夢がさめたとき、朝の五時半だった。ぼくは一人で起きだし、こっそり玄関から外に出た。崖下に広がる雑木林に下りていき、下草をはらいながら奥へ奥へと進んでいった。
彼女のことが気になったのである。
結城環佳子が最後に目撃されたのは、大曽根幼稚園の近くだった。雑木林の向こう側だ。そのあたりを環佳子が通っていたのなら、彼女に目をつけた犯人は、そこへ連れこむにちがいない。
紙飛行機が飛んできたのはそのときだった。
なにかがこつんと後頭部にぶつかった。振り向くと、足もとに紙飛行機が落ちていた。裏が白紙のスーパーのチラシを折って作ったものだった。ぼくは即座にあたりを見まわし、それを投げつけてきた人物がどこに潜んでいるのかたしかめた。
林に人影はなかったが、この手のことをやるのはおじさんしかいない。そう思って紙飛行機を拾いあげようと腰をかがめたとき、ぼくはべつのものに気をひかれた。
缶ペンケースだった。
赤錆が広がっていたが、当時人気絶頂だったアイドル歌手・中林奈保子のヒットシングルのジャケットがプリントされていた。なかにはシャープペンとボールペン、それに短い鉛筆が何本か入っていた。ドイツ製の消しゴムは黒っぽく変色し、べたついて見えた。
ペンケースをもとの場所にもどし、紙飛行機を手に取ろうとしたが、チラシの裏面を見て手を引っこめた。赤黒く汚らしい筋がのたくり、触れるなかれと警告しているようだったのだ。ペンケースに覆いかぶさるように地面に落ちたチラシは「精肉セール」と大きく書かれた表面が上になっていた。あらためてぼくはそれをひっくり返そうと手をのばした。
妙な感覚に襲われた。
視線だ。
途端に怖くなってぼくは走りだした。その刹那、視界の端にとらえたもののことは、いまでもおぼえている。
崖だ。
真っ黒く腐敗したような土がむきだしになった垂直の絶壁だった。
そのうえにそびえていたのは、海の家だった。
七
「息子さんが発見したペンケースにプリントされていた歌手の中林奈保子ですが、女子高生の人気も高かった。結城環佳子さんもファンだったと父親が明かしてくれました。失踪当時の所持品のなかにあったペンケースも、中林奈保子のものであったと父親は話しています」
エミは困ったようにいった。「だけどあの家の裏の林で、行方不明の女の子が好きだったアイドル歌手の持ち物が見つかったからといって――」
「そのとおりです」持田のほうで答えを差しだした。「まさに絹井野少年の想像力の賜物という一面はあると思います」
「あら、いけない」エミは手を口にあてた。「お話に夢中になってしまって、パイをぜんぜんめしあがっていないですね。どうぞ、手をつけてくださいな」
小皿にのっていたのは、飴色に輝く大ぶりのパイだった。生クリームが渦を巻いている。持田はひと息ついてパイを口にはこんだ。「すごくおいしい」持田は本能のおもむくままに八分の一カットをぺろりとたいらげてしまった。
エミは立ちあがり、冷蔵庫から紙箱ごと持ってきた。箱には残りのホールが入っていた。「みんな食べてしまってくださいな」エミは包丁でパイを切り分け、持田の小皿にのせ、無造作に包丁を振りまわしながら話す。「どうせ年寄り一人じゃ食べきれなくて捨ててしまうんですから。あの子みたいにカメの餌にするわけにもいかないし」
「与之助ですね。水槽で飼ってる」
「ごぞんじでしたか」
包丁の切っ先で鼻を切りつけられそうになり、持田はのけぞった。「わたしも何度か餌をやらせてもらいましたよ。鶏肉だったかな」
「ぜいたくね、クサガメのくせに」
「癒されるっていってました。たしかメスですよね」
「人間のメスに興味を持ってくれればいいものを」
持田は話をつづけた。「留学のことなんですが、息子さんは予定より早く帰国されましたね。バンクーバーにいったのはいいが、一週間もしないうちに彼の祖母、つまりあなたの義母にあたる富美子さんが心筋梗塞で亡くなられた。それで彼は予定を早めて帰国した」
「おばあちゃんが」包丁を持つエミの手がとまる。「亡くなったのは……そう、あの子が六年生のときですわ。夏だったような気がします」
「葬儀のあと、息子さんはあなたに妙なことを訊ねたのではないでしょうか。留学に行く直前の出来事についてです」
エミは興味津々といったようすで話をうながした。しかし好奇心が旺盛であることをしめす目の奥に、どろりとしたものがうごめくのも持田は見逃さなかった。持田は包丁の位置に注意した。それはいま美味なるパイの箱の横に寝かせてある。
「結城環佳子さんのことです」エミの瞳から光が消えた。「そのことをあなたに訊ねたのではないですか。はっきりと」
八
海の家(4)
成城の家に到着したのは、午後十時を回っていた。バンクーバーからの強行軍、時差ぼけ、それに通夜と葬儀による睡眠不足のせいで、ぼくは肉体的な限界を超えていた。しかし精神的には、ある種の強烈な義務感に駆られて頭がさえざえとし、なんとしてもだれかにあのことを告げねばならないと思いつづけていた。風呂に入り、歯も磨いたあとで、台所に立つ母の背中に向かって、そのことを問いかけた。
「海の家の近くで女子高生が行方不明になった話を聞いたんだけど」裏の林で見つけたペンケースについて、自分なりの推理を披歴した。
母があれほど怒るのをそれまで見たことがなかった。
「知らない人からチラシなんてもらったらダメでしょ! ケイくんは探偵さんじゃないんだから。もうあそこにはいかないで。約束して。いいこと、絶対よ!」
二学期が始まって最初の日曜、ぼくは内緒で海の家を訪ねた。屋内からがさごそと音が聞こえてきたので、インターホンを押す前に庭にまわってのぞいてみた。おじさんは部屋の奥で脚立に乗って作業をしているところだった。ぼくははっとした。おじさんがいるのは、地下の“スタジオ”にいたるドアの向こうだったのだ。踊り場のようなところで、おじさんは天井をまさぐっていた。天板が外れて隙間ができている。天井裏だ。そこになにか白っぽいものをしまっているようだった。
その場で声をかけてもよかったが、いつもは南京錠で閉ざされているドアが開放されているのをのぞき見したように受け取られるのはいやだった。それでぼくは玄関にまわってインターホンを押した。おじさんは驚いた顔で出てきた。
それから二人で映画を見た。結城環佳子のことを訊ねてみるにはちょうどよかった。
おじさんは片方の手をあごにあてて首をかしげた。「うちに警察が来たこともあったよ」
「連れこまれたのかな、林のなかに」
「かもしれないね」おじさんはイタリアのホラー映画をデッキにかけながら話した。「いちばん怖いのは誘拐だよ。車に連れこまれてさらわれたらどうしようもないからね」
「ママにしかられちゃった。知らない人からチラシなんかもらっちゃだめだし、もうここに来てもだめだって」
「来てるじゃないか」おじさんはヒーロー映画の主人公のように目をすがめ、片方の口元をつりあげて微笑んだ。
映画がはじまった。いきなりエッチなシーンだ。おっぱいまるだしで、乳輪がやたら大きな女の人だった。でもその場面が終わるころには、ぼくはまた話をもどしていた。裏の林でひろったペンケースとか紙飛行機の話だ。
おじさんはコーヒーをすすり、じっと画面を見つめてしばらく考えてからいった。「警察にいったほうがいいのかなぁ……もし本当ならね」
「ペンケースはいまも残ってると思うよ。紙飛行機のほうはとけちゃってるかもね」
そのときビデオテープの白いケースが目に入った。セルビデオとはちがう、自分で録画したVHSテープのケースだ。それで気づいた。おじさんが天井裏に手をのばしていたのは、このテープのうちのどれかをしまっていたのだ。
ぼくはなにげなく台所のほうに目をやった。そのわきにぼくがまだ一度も招かれたことのない“スタジオ”にいたるドアがあり、半開きになっていた。ぼくの来訪に驚いたおじさんは、錠をかけるのを忘れたのだ。そっちをのぞいてみたい激しい衝動に駆られた。なにしろおじさんが撮ったビデオテープを編集し、こともあろうに隠匿する空間だ。その中身はイタリア娘のおっぱいどころでないにちがいない。
そのときおじさんが「ちょっとデカイの放ってくる」といって立ちあがった。
ぼくはいったんトイレのようすに耳をそばだててから、足音をしのばせて半開きのドアに接近した。
天井裏は閉じていた。脚立もしまわれている。下にのびる急階段の向こうにコンクリートを打ちっぱなしにした無機質な感じの灰色の壁が見えた。そこが“スタジオ”のようで、銀行強盗映画に出てくる巨大金庫を思わせる大きな把手が見えた。
脳裏に結城環佳子のことが浮かんだ。いや、そんなはずはない、と思えば思うほど、ばかな妄想が膨らんでいき、ついにぼくは吸い寄せられるようにしてドアの向こうに入りこみ、そのまま階段を一段ずつ下りていってしまった。
十五段ほど下りたところで板張りの廊下に踏みだした。遠くでトイレットペーパーを引きだすときのカラカラという金属音が聞こえた。ぼくは“スタジオ”に入る把手に手をかけて力をこめた。施錠されていなかった。よく油を差した金属がこすれる落ち着いた音がして、大きな扉が手前に動いた。
がらんどうだった。
「なにしてるんだ」声が降ってきた。おじさんはすでに階段を半分ほど下りてきていた。「どうした、ケイくん。そんなところで」
「ち……ちがうんだよ……」
「さぁ、こっちへ上がっといで」
居たたまれない気持ちになり、ぼくは海の家から辞去した。激しい後悔が胸に押しよせ、門から出たあと、怖くて振り返ることができなかった。
十月の終わりごろ、ぼくは母からおじさんが沖縄に引っ越したと聞かされた。沖縄の知人をたよってペンションの仕事を見つけたとのことだったが、半年が過ぎて中学に上がってからもおじさんの居場所ははっきりしなかった。父も音信不通のようだった。
そうなってくるとおじさんのことをこんどはちがう角度から考えるようになった。もしかするとどこか陰のようなものがあったのではないか。あの日、庭から家のなかをのぞいたときの光景にも首をひねった。おばあちゃんはもう死んでこの世におらず、あの家にはおじさんしか暮らしていないっていうのに、どうして天井裏にビデオを隠したりするのだろう。たとえそれがイタリア娘なんか目じゃないしろものだとしても、いったいだれの目を気にするというのだろう。
最終的にいきついたのは、やはり結城環佳子のことだった。
九
「先週、横浜にいってまいりました」持田は話を変えた。「おかあさまの従弟である桜井岳さんに会いにいったのです。青梅の渓流に親戚一同で遊びにいったときのことを訊ねるためです。昭和二十八年の夏の話です」持田はバッグからスクラップブックを取りだし、ページをめくった。「この記事です」
エミは庭先にあらわれたアオダイショウでも見るように怖々と黄ばんだ記事に目をやった。それは六歳の女児が岩から転落し、急流に流されて亡くなったことを淡々と伝える朝刊のベタ記事だった。女児の姉もいっしょに流されたが、かろうじてたすかったことが警察の副署長談話として載っていた。
「思いだしたくもないわ」
「おつらい体験だったと思います」
エミは記事から顔をそむけた。「キャンプ地の下流に大きな岩があって遊ぶにはもってこいの場所があったの。そこでサッちゃんと二人で遊んでいたら、いっしょに足を滑らせてしまって。あとはなにがなんだかわからなかった。わたしは川のまんなかへんに突きでた岩にしがみつくことができたんだけど、あの子は流されてしまった。父がわたしのところまできたときには、もうあの子の姿はなかった。見つかったのは一キロも下流よ。ずっと罪の意識にさいなまれたわ。あの岩場に妹を連れていったのは、わたしなんですから」
「いとこの岳さんは気になることをおっしゃっておりました」持田は上目づかいにエミの顔色をたしかめた。「彼はべつの場所で遊んでいたそうですが、事故が起きる前、二人の姉妹がすでに水につかって遊んでいるのが見えたということです。つまり岩から落ちたことがきっかけで流されたわけではなかったというのです。その点は記事と食いちがっています」
「記事のほうがまちがっているのよ。苔の生えた岩で二人して足を滑らせたんだから」
「ならば岳さんの勘違いなのでしょう。ただ、岳さんは『怖くてあのときはいえなかった』と前置きしてから話してくれました」
「どういうことかしら」
「岳さんは、エミさん、あなたのことが苦手だったらしいのです。年は一つ上なだけだったが、ものすごくおねえさんのように思えて、なにかにつけて怖かったというのです」
「そんなことはないわ」
「一方的な思いこみなのでしょう。だけど悲惨な体験から何十年もたって、ようやく他人に打ち明けられるようになるというのは、よく聞く話です」
「事実は変わらないわ。わたしたちが流されたのはまちがいないんだから」
「そうなのです」持田は人さし指を立てた。「岳さんは、あなたとサチヨさんが水のなかにつかって遊んでいるのを見た。ただそうおっしゃっているだけです。でもそれとはべつに妙なことも話してくれました。母親が妹ばかりかわいがる。それに嫉妬してエミさんは陰でサチヨさんを――」
「あなた、いったいなにがおっしゃりたいのかしら」
十
海の家(5)
母は庭いじりが趣味になった。それが大いにぼくを困らせた。
肥料である。
近くの園芸店で堆肥などの有機肥料を大量に購入して軒先に置いておくのだが、それが部屋のなかまでにおってきた。ときどき鶏糞の袋が破れて雨に濡れると、気温の上昇とともにいやなにおいが近所にまで漂いだす。だから訪問者があるとたいへんだった。一度だけガクちゃんがふらりと家にやって来たときもそうだった。母の従弟である。自動車ディーラーで営業をやっていて、土曜だったその日、ガクちゃんは母の不在中をねらって父のところへ新車の売りこみにやって来たのだった。信彦おじさんも陽気だったが、それとはちがう意味でガクちゃんはおしゃべりで、いちいちリアクションが大げさだった。
「だれだ、便所つまらせたの!」玄関で叫び声をあげた。「でっかいの出したんだろ!」
あとは一時間ほど弾丸のようにしゃべりつづけ、新車のパンフレットを大量に置いて帰っていった。車を買い替えるつもりなど父にはさらさらないとわかっているのに、よくもあそこまで話をつづけられるものだ。そんなガクちゃんだったが、唯一口が重くなるときがあった。ぼくが彼に会ったのは、記憶にあるかぎり生涯で三、四回しかないが、いずれも母の話になると巧妙に話題をそらしたり、顔をしかめてあからさまに話したくないという感じになった。だから母の不在時をねらって営業にやって来たのだ。
母がほかの母親たちとちょっとちがうかもしれないと思いはじめたのは、そのころからだった。そうした引っかかりは父もおなじだったように思う。恋愛結婚だったが、しだいに妻としての存在感が増してきたらしい。そのあたりを斟酌すると、父も結婚当初は、兄である信彦おじさんみたいにもっとおしゃべりで明るいタイプだったのかもしれない。それが結婚して変化していったのだろうか。いや、もしかするときっかけは結婚自体ではなく、その後の妊娠と出産、つまりぼくという存在がこの世に降りてきたことではないか。そんなふうに考えると、いろんなことのつじつまが合うような気もする。
父、絹井野裕司は、ぼくが大学四年の夏に亡くなった。
検察事務官でそのころは都内の区検勤務だった。八月、房総の海に夫婦で遊びに行き、酒を飲んだあとで海に入り、あっさり離岸流に持っていかれてしまったのだ。あまりにあっけない最期だった。通夜にやって来た職場の同僚たちから聞かされたのだが、父は仕事に関してはシャープで粘り強く、検事さんたちの絶大な信頼を得ていたとのことだった。なにより人を笑わせるのが得意だったという。
陰気で寡黙。家ではそんな印象しかなかったぶん、いい意味で衝撃的だった。まもなく社会に出るという年ごろのぼくは、その二面性の背景に家庭問題が横たわっていると考えた。じつは死の数か月前、父から告白を受けていたからだ。父は妻におびえていたのだ。そしてその引き金を引いたのが、あの海の家だったのだ。
それもぼくのせいで。
十一
「電話に出ないわ。でも折り返しかかってくるはずよ」エミは憤然といってのけた。母親を中傷するエッセーを本当に息子が書いたのか、たしかめるのは当然だった。「こんなもの公にできるわけないわ。あまりにもひどい内容よ」
「息子さんはじっさいにエッセーとして掲載される以上のことを書いてくれたのです。ですから大半が紙面化されない内容と思っていただいてけっこうです」
エミは感情を押し殺した口調でいった。「だったらそんなもの、わたしに読ませる必要があるのかしら。記事になるからチェックしろという話だったのでは?」
「はい、そのとおりです。ただ、これはわたしの個人的な判断で持参したしだいです。書かれた内容全体がとても興味深いのです」
エミはゆっくりとかぶりを振る。「どういうことかしら。うそばっかりの内容よ。こんなものあの子が書くわけがない。絶対にね」エミは身を乗りだしてテーブルを手のひらでたたいた。それでわれに返り、ふたたびいすに深く腰かけなおした。「ごめんなさいね。すこし感情的になってしまったわ」
「わたしのほうがいけないのです。こんなぶしつけなことをおねがいしたばかりに。ただ、彼にここまで書いていただくまでに、わたしも何年もかけて折衝をくりかえしてきたのです。その結果、ある種の信頼関係のようなものが構築されたと理解しております。それでとても口外できないような話まで打ち明けてくれるようにもなりました」
「口外できないって?」
「クスリのこととかです」
エミは絶句した。
持田はエミを無視してつづけた。「危険ドラッグです。これを見てください」持田はスマホを取りだし、一枚の写真を映しだした。絹井野啓とおぼしきキャップにサングラスの男が、暗がりでスクーターの男からなにか白っぽいものを受け取っている。「手元を拡大するとこうなります」持田は画面を広げた。啓の手に握られているのは、白色の物質を入れた小さな試験管のようなものだった。
エミは汚物から逃れるようにのけぞった。
「スクーターの男は危険ドラッグの配達人です。息子さんは常連客でした。撮影したのは、今年の二月です。自宅でクスリを発注したとき、わたしもそばにいたので、受け渡し場所で張りこむことができたのです。受け取っているのは、危険ドラッグのもとになる化学物質です。通常はそれを本物のハーブと混ぜて使うのですが、彼はそのままストレートに炙って吸っていた。わたしの目の前でもです。わたしへの信頼感もありますが、それ以上に欲求をおさえられなくなっていた。完全な中毒、ジャンキーですよ」
エミは凍りついていた。
「彼は舞台作品からはもう長いこと遠ざかっている。映画は声こそかかりますが、なかなか製作されない。テレビの連ドラも減ってきた。彼自身、創作活動に限界を感じていたんです。それで創作の原点を見つめなおすことにした」
「原点……?」
「少年時代の鮮烈な体験です。彼はそれをだれにもいえずにいるうちに、その原体験は意識の深層に沈みこみ、ひたすらもがくことだけが彼の生き方になってしまった。そこに演劇という手ごろなはけ口が見つかったので逃げこむようになった。だけどどんな作品を放とうと、原体験はずっと彼のなかに居座ったままだった。だからもうそろそろそれと正面から向き合うべきだと感じはじめていたのです」
十二
海の家(6)
高校一年の夏、道路整備のためについに海の家が取り壊された。解体業者がやって来る前日、ぼくは鍵を持ちだし、小田急線に飛び乗った。
空き家に到着するなり、問題の天井裏に手を突っこんでみた。指先が硬いものに触れた。つるっとした小箱のようだった。それがいくつかある。指先に力をいれ、そいつの角をつかんで引っ張りだした。
VHSのビデオテープだった。
ぜんぶで十三本が回収された。いずれも百二十分テープだった。どうしてそれらをおじさんが持ちださなかったのか疑問だったが、ことによると必要なものをキープしたあとの不要テープなのかもしれない。いずれにしろなにが録画されているか気になった。ぼくはそれらを抱え、逃げるようにして海の家をあとにした。
成城の家のぼくの部屋にはビデオデッキがあった。それに最初のテープを突っこんだときの興奮は忘れられない。最初の数本はポルノ映画がつづいたが、あまりにも唐突にそれはあらわれた。
映像は終始薄暗かった。
背景に見える壁は打ちっぱなしのコンクリートで、あの部屋で撮影されたことを連想させた。“スタジオ”だ。そのなかのようすを手持ちカメラがなめるように撮っている。
両手をうしろに回した裸の女が壁にもたれかかり、だらりと両脚をのばしている。頭に穀類を詰めるような麻袋をかぶせられ、体のあちこちに大小さまざまなかさぶたが見える。切り傷のようにも引っかき傷のようにも思えた。首には犬に使うような首輪がはめられ、太いリードが画面の端に向かってのびていた。
痩せこけてあばら骨が浮きあがり、鎖骨のくぼみもひどかった。なによりぼくの目をひきつけたのは股間だ。足を閉じているから全部見えたわけではないが、陰毛がすっかり剃られているようだった。
女の隣に茶色い素焼きの甕(ルビ、かめ)があった。キムチ作りに使うような大きなものだった。木蓋にコンクリートブロックがのせてある。
撮影者がレンズの前にあらわれた。
臙脂色の三角頭巾で顔を隠した人物――身に着けているのもくるぶしまで覆う赤い貫筒衣だった――で、それが白ずくめならアメリカのKKKをほうふつとさせた。撮影者は、人形のようにぐったりとした女のそばにより、その前にひざまずいた。そして両手で女の脚を左右に広げた。女は抵抗しない。両手がうしろで縛られているらしく、身動きできないのだ。女性器の赤黒い肉片が見えた。それまで目にしたことのない秘部で、ぼくは激しい興奮に駆られた。
撮影者はカメラに背中を向けたまま貫筒衣のすそをたくしあげた。毛むくじゃらの尻がまるだしになる。なにがはじまるか、まだ童貞だったぼくにだってわかった。
音声はきちんと録れていた。女の体に覆いかぶさり、床に押さえつける乱暴な音も、落ち着かぬ衣擦れも、肉が肉を打つ鈍くも性急な響きも、おじさんの押し殺した息づかいも。
ただ一つとらえられなかったのは、女の声だった。
女は体を震わせて背中をのけぞらせた。悲鳴も救いの懇願も聞こえない。麻袋のなかで口がふさがれているのだろう。
やがて撮影者は両手の拳で麻袋を殴りつけだした。袋が激しく反応し、赤い染みが鼻にあたる部分ににじんだ。それでも女の声は聞こえない。パンチを食らう瞬間の重苦しい響きと時折聞こえるミシッという骨に亀裂が入るような音、そして血に飢えた獣じみた男のうなり声が伝わってくるだけだった。
そのときぼくはべつの声をとらえた。
盛りのついた猫が喉をごろごろと鳴らすような声だった。
それに呼応するかのようにもう一つの声があがった。
女だった。
はじめて声をあげたのだ。それも似たような奇怪な声音だった。女は甕のほうに身をよじった。首のリードが張りつめる。
撮影者が立ちあがり、女を無視して甕に近づいた。女とはべつの声はそちらからあがっていた。撮影者はコンクリートブロックを持ちあげ、木蓋に手をかけた。大きな甲虫が一匹、転がりだし、甕の外側を下りていった。撮影者は甕のなかに手をのばした。ゴム手袋をはめている。
撮影者が取りだしたのは、黒光りする塊だった。ヘドロのドブに転落した黒猫といえなくもなかった。だがつぎの瞬間、ぼくはテレビの前で息をのんだ。薄暗い照明を反射していたのは、猫の黒毛ではなかった。先ほど脱走をとげた甲虫の仲間、さらに赤黒く長い体をくねらせる多足類が無数にたかっていたのだ。それらに喰らいつく爬虫類も見えた。
撮影者は、表面が波打つ黒い塊を慎重に持ちあげ、画面右のほうへ消えた。
水を流す音がした。シャワーのような音だった。その合間から猫の鳴き声がつづき、麻袋の女も輪唱するかのように声をあわせた。
しばらくして撮影者が画面にもどってきた。手にしていたものが変化していた。おぞましい連中が洗い落とされ、かわりに真っ白い肉の塊になっていた。その刹那、ぼくはすくみあがった。カメラのほうを見たような気がしたのだ。
その塊が。
2018年8月24日 夜勤山内、持田
・出稿 臨海清掃工場続報 咲野(社会部と)1社4段、12版~。注 今後は、男児の身柄を預かる児童相談所の動きが焦点。近々、DNA鑑定が行われるとの社会部情報あり。文化部としては、スラグアート作者への取材を咲野がつづける方向。
・TPP著作権関連で総務より「3面でまとめろ」との指示あり。政治部、社会部と調整してますが、向こうはいずれもやる気なし。いつものパターンで押しつけられそう。マジ立場弱い。じっと手を見る。
・北側壁の改修関係で編集管理より連絡。「配管交換にもうすこし時間がかかるので、工事完了までできるだけ窓を開けて換気につとめてください」とのこと。猛暑の熱波と汚水の悪臭。どっちを取るか迫られている。それとも会社による巧妙なリストラ策か。どこまでがまんできるか試されている?
・神保と依然連絡取れず。両親が本日、警視庁に捜索願提出。
一
廊下にある背の高い書棚には、連ドラの台本がぎっしり詰まっていた。
その前を通って持田晋哉は食堂に通された。レンガを積みあげたアーチ型の入り口の向こうには、本物の大理石を天板にしたアイランドキッチンがあり、その周囲にアジアンテイストの食器棚と二台の大きな冷蔵庫が並んでいる。
だが食堂にしては違和感がある。床一面が工事用のブルーシートに覆われているからだ。スリッパをとおして伝わる感触からして、フローリングかタイル張りのようだったが、シートのせいでわからない。それに棚も冷蔵庫もふくめ、四方の壁面には透明のビニールが張ってある。マンションの外装を塗りなおすときに、ペンキが飛ばないよう駐車場の車を覆うのとおなじ感じだった。それはアイランドキッチンをも覆っていた。水仕事をするなら、ビニールをめくる必要がありそうだ。
「ごめんなさいね。改装しているところなの。だけどすごくさくさくしたアップルパイがあってね。応接間のローテーブルだとぼろぼろこぼれて食べにくいかと思って」絹井野エミはもうしわけなさそうにいうと、手を広げてアイランドキッチンの前にある緑色の食卓――唯一、ビニールを張っていないものだった――に持田をうながした。「来週から工事に入る予定だったんだけど、急に業者が電話してきて、一週間早めてくれないかっていわれたの。あなたから電話をもらう前だったからどうしようもなかったのよ」
「いえ、おかまいなく」持田はナイロン製の黒いカメラバッグと資料を詰めたビジネスバッグを足もとに置き、いすを引いた。エアコンが心地いい。あちこちガタのきた中年の体にはこたえる外の酷暑とは大ちがいだった。「それにしても立派なお宅ですね」
「古いだけよ。いまじゃわたしだけだから広すぎるわ」エミは愛らしく微笑んだ。たしか六十六歳のはずだが、ジーンズと純白のTシャツのせいもあってずっと若く見えた。「まるで幽霊屋敷よ」
的を射た物言いだった。人気脚本家である絹井野啓の母、エミの実家は、大手鉄鋼メーカーの創業者一族の家系で、戦前から羽振りがよかったらしい。考えてみれば、その息子が演劇をはじめとする博打興行の道に進み、正業につかなかったことは一族にとって、いまなお不名誉なことなのかもしれない。たとえその道で大成功をおさめたとしても。
啓とは一時間前に会ってきたばかりだ。朝刊で連載を予定している彼のエッセーについて、持田はその母親にいくつか確認するためにやってきた。
彼の家族関係については頭にたたきこんである。父親の裕司は検察事務官だった。転勤族で、おもに南関東の区検をぐるぐるとまわり、啓が幼いころは、神奈川県内の区検が裕司の職場だった。それで一家は湘南にある裕司の実家に暮らしていた。その後、エミのほうの実家、つまり成城のこの屋敷に移り住んだ。裕司は啓が大学生のときに不慮の事故で亡くなり、やがて啓も一人立ちし――といっても四十二歳のいまなお独身貴族のままだが――以来、エミは独り暮らしというわけだ。
美味だというアップルパイをアイスティーといっしょに運んできた母親に、持田は訊ねた。「かなり改装されるみたいですね」壁ぎわには、つるはしやハンマー、さらに細々とした工具類がまとめて置かれ、セメントを詰めた大きな紙袋とそれを水と混ぜ合わせる巨大なバットもあった。
「二十年ぶりかしら。思いきって気分転換しようと考えてね。ところでそちらは――」エミはカメラバッグを指さした。「きょうは写真を撮るってお話でしたかしら。わたし、ろくにお化粧もしていないし、髪もこんなんじゃ」
心配そうに髪に手をやる母親に持田はいった。「だいじょうぶです。撮影はございません。新聞用のエッセーについて、お話をうかがえればと思っています」
わかっていたが持田は訊ねた。「啓さんは高校までこちらで暮らしていたんですよね」
「小学二年生のときに引っ越してきたんです。だけどついこないだ小学校を卒業したかと思ったら、あっというまに大きくなって、大学に入るなり出ていってしまった」
「光陰矢のごとしですか」
「信じられないわ。地球の自転が最近おかしくなっているんじゃないかって思うくらい」
「地球の自転ですか……。でも時の流れというのはたしかにおそろしい。わたしも日々戸惑ってばかりです」持田は作り笑いを浮かべた。
三十年か。
それを一瞬の出来事と感じる者もいれば、粘着シートにとらわれた昆虫のように身動き一つできぬまま、一日千秋の思いで過ごしてきた者もいる。そのあたりについて、これからじっくりと解きほぐしていかねばならない。こちらの技量が問われることになる。持田はわきあがる静かな興奮を抑えるべく、アイスティーをすすった。
二
海の家(1)
あの町がきらいだった。
湘南なんて幻想だ。きらめく海におしゃれな店。そんなのうそだ。ちょっと路地を入れば、学校帰りの子どもに唾を吐きかける連中がたむろする、まさに痰壺の底のような土地柄だ。その町にぼくが暮らしたのは、一九七二年、昭和四十七年に生まれてから、小学二年生、八歳のときまでだ。
海からすぐの浜ノ井地区にぼくの家はあった。
そこは巨大な怪物の背のようにあちこち隆起して小さな丘のようになり、雑木林がそれを覆いつくしていた。はじめて来た人は昼間でも迷子になる。家の裏手は高さ五メートルほどの崖になっており、崖下にうっそうと茂る木々の向こうにも似たような家々が並んで建っていた。下の住民からすれば、うちのことを三階建てと思った人もすくなからずいただろう。うちからしてみれば、崖の斜面を利用して地下にもうひと部屋設けたつもりなのだが、下からだとたしかに三階建てに見えなくもない。あのころでたしか築二十年ぐらいだったんじゃないかな。その家で、国家公務員の父と家庭を切り盛りしていた母、父の母親であるおばあちゃん、それに父の兄である話好きのおじさんと計五人で暮らしていた。一階をおばあちゃんと両親、二階をぼくとおじさんが使っており、地下室は物置がわりだった。
小学二年生のとき、父の転勤で成城の家に引っ越して以来、あの海の家は、夏休みに遊びに行く別荘となった。おじさんはペットクリニックに勤めながら、いつまでも独身を貫き、おばあちゃんと二人で暮らしていた。お盆のころに何日か遊びに行ったが、おじさんはそのたびにペットの犬や猫に関する話を聞かせてくれた。ときどき獣医さんの手伝いもするらしく、けがをした動物たちをどうやって治療するかなど専門的な話もしてくれた。ほかにも話題が豊富で、いつだってぼくの心をつかんではなさなかった。
父はクソまじめな人だった。
休日は、日がな一日、新聞を読み、ぼんやりとテレビを見て、あとは買い物に行く母を車に乗せていった。無口な人で、勉強のことでうるさくいわれたこともないぶん、自分の昔話なんかを聞いたおぼえもない。いたずらして怒られた記憶もない。そこは母もおなじだ。おぼえているかぎり二度ぐらいしかない。その意味では、ぼくはラッキーだった。
おじさんは映画好きだった。テレビでやる映画はほとんど録画してあった。あのころは高価だった映画のセルビデオもたくさん持っていて、なかには字幕のついていない輸入ものもたくさんあった。それに自分でも撮影していた。ごついVHSのビデオカメラでいろんなものを撮っていた。それをさわらせてもらうのはわくわくした。いつかそれを貸してもらって、なにか撮ってみたかった。だったらプロットとか脚本が必要だと感じた。だからぼくのなかに、表現者としての方向性が芽生えたのには、おじさんの影響がある。そう、おじさんがいなければ、いまのぼくは存在しない。それだけは断言できる。
そのころには地下倉庫は、おじさんによって“編集スタジオ”に改造されていた。撮影したビデオ映像の編集作業をするためにいろいろな機材を持ちこんだという。興味をひかれたが、台所のわきにある扉にはいつも南京錠がかかっていた。高い機材を買いこんだために、ぼくみたいなガキんちょにいじられたくなかったのだろう。
三
「昔のアルバムを眺めているようだわ」エミは持田から手渡されたエッセーの紙束から目をあげ、老眼鏡の奥から持田を見た。「三十年以上前のことなんてよくおぼえているものだわ。若いからまだ記憶力がいいんだわ」
「たしかにそうですね。わたしも三十年前のことなんて、浪人中で予備校に通っていたことしかおぼえていませんよ」
「あら、持田さん、失礼ですが、おいくつなの」
「四十九です」
エミは大げさに息をのんだ。「まぁ、見えないわ。でも浪人されていたって……ご出身はどちらでいらっしゃるのかしら」
「埼玉です」
「優秀だったんじゃないかしら」エミは老眼鏡を額のうえにずらし、値踏みするような目で持田を見た。
「ぜんぜんですよ」話を変えようとバッグから大学ノートを取りだした。そのときふと自分の足もとが目に入り、持田は眉をひそめた。水色のチノパンの右側の裾から五センチほど上の部分にごく小さな赤黒い染みがいくつか飛び散るようについていた。「これからいくつか質問をさせていただきます。よろしいでしょうか」
「どうぞ。わかる範囲でお答えいたしますわ」
「ではまず、息子さんのいう“海の家”ですが、いまはもうあの町へいくことはないのですか」
「こちらに越してきてからはほとんどいってませんね。もう義兄もおりませんから」
「もとはご主人のご実家だったのですよね」
「そうです」
「しかしあの家は取り壊されることになってしまった」
エミはすぐに反応した。「おぼえているわ。だんだんと人が増えてきて宅地造成の必要が出てきたの。うちがあった場所は道路にされてしまった」
「昭和六十三年、一九八八年のことですよね。区画整理が行われたときは、空き家だったのですよね」
「たしかそうだったのだと思います。そのころにはお義兄さんも引っ越してしまったんじゃなかったかしら。主人の母はもっと亡くなっております。あの子はなんて説明しているのかしら」
「おじさん、つまり絹井野信彦さんは沖縄に引っ越されたとか。新しい仕事の口を見つけられたのでしょうか」
「仕事の関係で沖縄にいきました。ちょうどバブル景気で浮かれはじめていたころで、ペンション経営がどうとかいっていたような」
「いまはもう音信不通ですか」
返事をするかわりにエミはきゃしゃな肩をすくめてみせた。
「息子さんのさまざまな作品と、このエッセーで語られているものとの関係ですが、どうも彼には“海の家”や、そこを包みこむ雑木林が大きな原体験としてその後の作品に影響しているような気がするのですが」
いつのまにか足もとに置いた黒いカメラバッグが横になっていた。なかに入れたもののバランスが崩れたのだ。持田は片手をのばし、バッグをもとにもどした。中身ががさりと音をたてた。
エミはちらりとそっちに目をやった。「どうかしら。たしかに子どものころは暮らしていたけれど、あの子が八歳のときまでですよ。その後は夏休みにちょっと顔をだす程度でしたからね」
「おっしゃることはよくわかります。しかし感受性が非常に高い時期のことですので」そこで持田は思いきってカードを切った。「一つうかがいますが、結城環佳子(わかこ)さんという名前にお心あたりはございませんでしょうか」
四
海の家(2)
六年生の夏休みにも海の家にいった。一九八四年、「ベストヒットUSA」のせいで洋楽に目ざめた年だった。
二日後にカナダのバンクーバーに短期留学することになっていた。残りの夏休み期間中、ホームステイしながら語学学校に通うものだ。当時通っていた成城の小学校の恒例行事だった。受け入れ先は日系人ばかりで、英語なんて話す必要は皆無だった。体のいい修学旅行のようなもので、胸が高鳴っていた。
それでもおばあちゃんの顔だけは見にいかないといけないと、めずらしく父親がいうものだから、一泊だけの日程で海の家にやって来ていた。
「今夜はバーベキューで壮行会だな」おじさんはちょっぴりさびしそうだったが、うまいものをつくってやるといって、いそいそと買いだしに出かけた。
ぼくは一人で海に散歩にいき、そこで一人の中年男を見かけた。サラリーマンが会社にはいていくようなスラックスに半袖のワイシャツ姿で、一心不乱に海水浴客の手にチラシを押しこんでいた。
「これ、見てくれるかな」
A4サイズの安っぽい紙に印刷されていた白黒写真がぼくの心をとらえた。リスのような目鼻だちは人気アニメのキャラクターのようで、ボブにした髪とあいまってとてもかわいらしかった。
娘を捜しています。
氏名 結城環佳子(当時17歳)
住所 埼玉県浦和市野見山1の3の1の110
昭和57年8月9日、西浜海岸に友人と遊びに来たまま行方不明に。同日午後3時40分ごろ、大曽根幼稚園近くを1人で駅方向に向かって歩いているところを目撃されています。その後の目撃情報なし。神奈川県警が捜査中。
行方不明時 私立浦和光星学園普通科2年
体格 159センチ、43キロ、痩せ型
髪型 肩までのショート
服装 白Tシャツ、胸に「1969 ALOHA COMMUNITY」とブルーのプリ ント、ひざ丈のジーンズ
持ち物 紺色リュックサック
「娘なんだ」チラシの末尾に連絡先として記された結城由一氏が目の前にいた。「もう二年になる」失踪時に十七歳なら、八四年当時は十九歳ということだ。つまりぼくより七つ上で、それを父親の年代にそっくりあてはめれば、結城氏もぼくの父より七歳ぐらい上ということなろう。しかしいくら陰気な父でも七年後にあそこまで老けこんでは見えまい。
「時間がたつと捜査も難しくなるし、マスコミも取りあげてくれない。警察も一生懸命やってると思うけど、父親としてなにもしないわけにいかなくてね」
子どもながらにわかったが、警察の捜査はうまくいってない。というか警察はあきらめてしまったようだった。だっていまよりずっと平和だったあのころだって、二年も失踪していたら、なんらかの犯罪に巻きこまれたって思うのがふつうだろう。たとえ後々になって犯人が捕まることはあっても、被害者が生きている可能性となるとかなり苦しい。
「大曽根幼稚園って、すぐそこですよね」ぼくは雑木林のほうに向かって手を広げた。海の家から歩いて五分もかからない。「うちの近くです。うちといってもいまは祖母の家ですけど」
「おばあさんのところに遊びに来ているの?」
「はい。夏休みはいつも」口にした途端、しまったと思ったが遅かった。
眼球がひっくり返ったんじゃないかと思うくらい、父親の目の色が変化していた。「二年前の夏もかな」
ぼくはもう一度チラシに目を落とした。八月九日か。「かもしれません。わかんないけど」そんなように答えたのだが、父親は許してくれなかった。怖いくらいだった。
「なにか見なかったかな。なんでもいいんだよ」
その一点張りで逃れるのに苦労した。家にもどったのは六時過ぎだった。おじさんがバーベキューの準備をしているときだった。薪に火がつくとおじさんは子どものようにはしゃいだ。それを見ていてぼくも気持ちが上向いた。
夜、肉をたらふく食べたぼくはぐっすり眠り、夢を見た。
そこに結城環佳子があらわれた。
五
「環佳子さんの父親は現在、郷里の栃木県鹿沼市に暮らしております。一人暮らしです。奥さまは二十五年前、つまり娘が失踪して九年後に自殺しました」持田は説明した。
エミは顔色を曇らせた。「そんな事件があっただなんて。本当に恐ろしいわ。あの子が四十歳を過ぎたいままで、そんな目にも遭ってこなかったことのほうが奇跡かもしれない。あの子のこと、いまでも心配なの。いつまでたっても子どもは子ども。体は大きくなっても、わたしにはまだ五歳の男の子にしか見えないもの。だけど――」エミはテーブルに置いたエッセーの紙束を人さし指でたたいた。「あの子がどういう事情でこの話を盛りこんだのか知らないけれど、不用意にあつかったりしないほうがいいんじゃないかしら」
「たしかにそうかもしれません」そこで持田はバッグに手を突っこみ、べつの紙束を取りだした。「ただ、こういうこともあると思うんです。それまでじっとだまっていた人が急に話しだす――」
六
海の家(3)
夢がさめたとき、朝の五時半だった。ぼくは一人で起きだし、こっそり玄関から外に出た。崖下に広がる雑木林に下りていき、下草をはらいながら奥へ奥へと進んでいった。
彼女のことが気になったのである。
結城環佳子が最後に目撃されたのは、大曽根幼稚園の近くだった。雑木林の向こう側だ。そのあたりを環佳子が通っていたのなら、彼女に目をつけた犯人は、そこへ連れこむにちがいない。
紙飛行機が飛んできたのはそのときだった。
なにかがこつんと後頭部にぶつかった。振り向くと、足もとに紙飛行機が落ちていた。裏が白紙のスーパーのチラシを折って作ったものだった。ぼくは即座にあたりを見まわし、それを投げつけてきた人物がどこに潜んでいるのかたしかめた。
林に人影はなかったが、この手のことをやるのはおじさんしかいない。そう思って紙飛行機を拾いあげようと腰をかがめたとき、ぼくはべつのものに気をひかれた。
缶ペンケースだった。
赤錆が広がっていたが、当時人気絶頂だったアイドル歌手・中林奈保子のヒットシングルのジャケットがプリントされていた。なかにはシャープペンとボールペン、それに短い鉛筆が何本か入っていた。ドイツ製の消しゴムは黒っぽく変色し、べたついて見えた。
ペンケースをもとの場所にもどし、紙飛行機を手に取ろうとしたが、チラシの裏面を見て手を引っこめた。赤黒く汚らしい筋がのたくり、触れるなかれと警告しているようだったのだ。ペンケースに覆いかぶさるように地面に落ちたチラシは「精肉セール」と大きく書かれた表面が上になっていた。あらためてぼくはそれをひっくり返そうと手をのばした。
妙な感覚に襲われた。
視線だ。
途端に怖くなってぼくは走りだした。その刹那、視界の端にとらえたもののことは、いまでもおぼえている。
崖だ。
真っ黒く腐敗したような土がむきだしになった垂直の絶壁だった。
そのうえにそびえていたのは、海の家だった。
七
「息子さんが発見したペンケースにプリントされていた歌手の中林奈保子ですが、女子高生の人気も高かった。結城環佳子さんもファンだったと父親が明かしてくれました。失踪当時の所持品のなかにあったペンケースも、中林奈保子のものであったと父親は話しています」
エミは困ったようにいった。「だけどあの家の裏の林で、行方不明の女の子が好きだったアイドル歌手の持ち物が見つかったからといって――」
「そのとおりです」持田のほうで答えを差しだした。「まさに絹井野少年の想像力の賜物という一面はあると思います」
「あら、いけない」エミは手を口にあてた。「お話に夢中になってしまって、パイをぜんぜんめしあがっていないですね。どうぞ、手をつけてくださいな」
小皿にのっていたのは、飴色に輝く大ぶりのパイだった。生クリームが渦を巻いている。持田はひと息ついてパイを口にはこんだ。「すごくおいしい」持田は本能のおもむくままに八分の一カットをぺろりとたいらげてしまった。
エミは立ちあがり、冷蔵庫から紙箱ごと持ってきた。箱には残りのホールが入っていた。「みんな食べてしまってくださいな」エミは包丁でパイを切り分け、持田の小皿にのせ、無造作に包丁を振りまわしながら話す。「どうせ年寄り一人じゃ食べきれなくて捨ててしまうんですから。あの子みたいにカメの餌にするわけにもいかないし」
「与之助ですね。水槽で飼ってる」
「ごぞんじでしたか」
包丁の切っ先で鼻を切りつけられそうになり、持田はのけぞった。「わたしも何度か餌をやらせてもらいましたよ。鶏肉だったかな」
「ぜいたくね、クサガメのくせに」
「癒されるっていってました。たしかメスですよね」
「人間のメスに興味を持ってくれればいいものを」
持田は話をつづけた。「留学のことなんですが、息子さんは予定より早く帰国されましたね。バンクーバーにいったのはいいが、一週間もしないうちに彼の祖母、つまりあなたの義母にあたる富美子さんが心筋梗塞で亡くなられた。それで彼は予定を早めて帰国した」
「おばあちゃんが」包丁を持つエミの手がとまる。「亡くなったのは……そう、あの子が六年生のときですわ。夏だったような気がします」
「葬儀のあと、息子さんはあなたに妙なことを訊ねたのではないでしょうか。留学に行く直前の出来事についてです」
エミは興味津々といったようすで話をうながした。しかし好奇心が旺盛であることをしめす目の奥に、どろりとしたものがうごめくのも持田は見逃さなかった。持田は包丁の位置に注意した。それはいま美味なるパイの箱の横に寝かせてある。
「結城環佳子さんのことです」エミの瞳から光が消えた。「そのことをあなたに訊ねたのではないですか。はっきりと」
八
海の家(4)
成城の家に到着したのは、午後十時を回っていた。バンクーバーからの強行軍、時差ぼけ、それに通夜と葬儀による睡眠不足のせいで、ぼくは肉体的な限界を超えていた。しかし精神的には、ある種の強烈な義務感に駆られて頭がさえざえとし、なんとしてもだれかにあのことを告げねばならないと思いつづけていた。風呂に入り、歯も磨いたあとで、台所に立つ母の背中に向かって、そのことを問いかけた。
「海の家の近くで女子高生が行方不明になった話を聞いたんだけど」裏の林で見つけたペンケースについて、自分なりの推理を披歴した。
母があれほど怒るのをそれまで見たことがなかった。
「知らない人からチラシなんてもらったらダメでしょ! ケイくんは探偵さんじゃないんだから。もうあそこにはいかないで。約束して。いいこと、絶対よ!」
二学期が始まって最初の日曜、ぼくは内緒で海の家を訪ねた。屋内からがさごそと音が聞こえてきたので、インターホンを押す前に庭にまわってのぞいてみた。おじさんは部屋の奥で脚立に乗って作業をしているところだった。ぼくははっとした。おじさんがいるのは、地下の“スタジオ”にいたるドアの向こうだったのだ。踊り場のようなところで、おじさんは天井をまさぐっていた。天板が外れて隙間ができている。天井裏だ。そこになにか白っぽいものをしまっているようだった。
その場で声をかけてもよかったが、いつもは南京錠で閉ざされているドアが開放されているのをのぞき見したように受け取られるのはいやだった。それでぼくは玄関にまわってインターホンを押した。おじさんは驚いた顔で出てきた。
それから二人で映画を見た。結城環佳子のことを訊ねてみるにはちょうどよかった。
おじさんは片方の手をあごにあてて首をかしげた。「うちに警察が来たこともあったよ」
「連れこまれたのかな、林のなかに」
「かもしれないね」おじさんはイタリアのホラー映画をデッキにかけながら話した。「いちばん怖いのは誘拐だよ。車に連れこまれてさらわれたらどうしようもないからね」
「ママにしかられちゃった。知らない人からチラシなんかもらっちゃだめだし、もうここに来てもだめだって」
「来てるじゃないか」おじさんはヒーロー映画の主人公のように目をすがめ、片方の口元をつりあげて微笑んだ。
映画がはじまった。いきなりエッチなシーンだ。おっぱいまるだしで、乳輪がやたら大きな女の人だった。でもその場面が終わるころには、ぼくはまた話をもどしていた。裏の林でひろったペンケースとか紙飛行機の話だ。
おじさんはコーヒーをすすり、じっと画面を見つめてしばらく考えてからいった。「警察にいったほうがいいのかなぁ……もし本当ならね」
「ペンケースはいまも残ってると思うよ。紙飛行機のほうはとけちゃってるかもね」
そのときビデオテープの白いケースが目に入った。セルビデオとはちがう、自分で録画したVHSテープのケースだ。それで気づいた。おじさんが天井裏に手をのばしていたのは、このテープのうちのどれかをしまっていたのだ。
ぼくはなにげなく台所のほうに目をやった。そのわきにぼくがまだ一度も招かれたことのない“スタジオ”にいたるドアがあり、半開きになっていた。ぼくの来訪に驚いたおじさんは、錠をかけるのを忘れたのだ。そっちをのぞいてみたい激しい衝動に駆られた。なにしろおじさんが撮ったビデオテープを編集し、こともあろうに隠匿する空間だ。その中身はイタリア娘のおっぱいどころでないにちがいない。
そのときおじさんが「ちょっとデカイの放ってくる」といって立ちあがった。
ぼくはいったんトイレのようすに耳をそばだててから、足音をしのばせて半開きのドアに接近した。
天井裏は閉じていた。脚立もしまわれている。下にのびる急階段の向こうにコンクリートを打ちっぱなしにした無機質な感じの灰色の壁が見えた。そこが“スタジオ”のようで、銀行強盗映画に出てくる巨大金庫を思わせる大きな把手が見えた。
脳裏に結城環佳子のことが浮かんだ。いや、そんなはずはない、と思えば思うほど、ばかな妄想が膨らんでいき、ついにぼくは吸い寄せられるようにしてドアの向こうに入りこみ、そのまま階段を一段ずつ下りていってしまった。
十五段ほど下りたところで板張りの廊下に踏みだした。遠くでトイレットペーパーを引きだすときのカラカラという金属音が聞こえた。ぼくは“スタジオ”に入る把手に手をかけて力をこめた。施錠されていなかった。よく油を差した金属がこすれる落ち着いた音がして、大きな扉が手前に動いた。
がらんどうだった。
「なにしてるんだ」声が降ってきた。おじさんはすでに階段を半分ほど下りてきていた。「どうした、ケイくん。そんなところで」
「ち……ちがうんだよ……」
「さぁ、こっちへ上がっといで」
居たたまれない気持ちになり、ぼくは海の家から辞去した。激しい後悔が胸に押しよせ、門から出たあと、怖くて振り返ることができなかった。
十月の終わりごろ、ぼくは母からおじさんが沖縄に引っ越したと聞かされた。沖縄の知人をたよってペンションの仕事を見つけたとのことだったが、半年が過ぎて中学に上がってからもおじさんの居場所ははっきりしなかった。父も音信不通のようだった。
そうなってくるとおじさんのことをこんどはちがう角度から考えるようになった。もしかするとどこか陰のようなものがあったのではないか。あの日、庭から家のなかをのぞいたときの光景にも首をひねった。おばあちゃんはもう死んでこの世におらず、あの家にはおじさんしか暮らしていないっていうのに、どうして天井裏にビデオを隠したりするのだろう。たとえそれがイタリア娘なんか目じゃないしろものだとしても、いったいだれの目を気にするというのだろう。
最終的にいきついたのは、やはり結城環佳子のことだった。
九
「先週、横浜にいってまいりました」持田は話を変えた。「おかあさまの従弟である桜井岳さんに会いにいったのです。青梅の渓流に親戚一同で遊びにいったときのことを訊ねるためです。昭和二十八年の夏の話です」持田はバッグからスクラップブックを取りだし、ページをめくった。「この記事です」
エミは庭先にあらわれたアオダイショウでも見るように怖々と黄ばんだ記事に目をやった。それは六歳の女児が岩から転落し、急流に流されて亡くなったことを淡々と伝える朝刊のベタ記事だった。女児の姉もいっしょに流されたが、かろうじてたすかったことが警察の副署長談話として載っていた。
「思いだしたくもないわ」
「おつらい体験だったと思います」
エミは記事から顔をそむけた。「キャンプ地の下流に大きな岩があって遊ぶにはもってこいの場所があったの。そこでサッちゃんと二人で遊んでいたら、いっしょに足を滑らせてしまって。あとはなにがなんだかわからなかった。わたしは川のまんなかへんに突きでた岩にしがみつくことができたんだけど、あの子は流されてしまった。父がわたしのところまできたときには、もうあの子の姿はなかった。見つかったのは一キロも下流よ。ずっと罪の意識にさいなまれたわ。あの岩場に妹を連れていったのは、わたしなんですから」
「いとこの岳さんは気になることをおっしゃっておりました」持田は上目づかいにエミの顔色をたしかめた。「彼はべつの場所で遊んでいたそうですが、事故が起きる前、二人の姉妹がすでに水につかって遊んでいるのが見えたということです。つまり岩から落ちたことがきっかけで流されたわけではなかったというのです。その点は記事と食いちがっています」
「記事のほうがまちがっているのよ。苔の生えた岩で二人して足を滑らせたんだから」
「ならば岳さんの勘違いなのでしょう。ただ、岳さんは『怖くてあのときはいえなかった』と前置きしてから話してくれました」
「どういうことかしら」
「岳さんは、エミさん、あなたのことが苦手だったらしいのです。年は一つ上なだけだったが、ものすごくおねえさんのように思えて、なにかにつけて怖かったというのです」
「そんなことはないわ」
「一方的な思いこみなのでしょう。だけど悲惨な体験から何十年もたって、ようやく他人に打ち明けられるようになるというのは、よく聞く話です」
「事実は変わらないわ。わたしたちが流されたのはまちがいないんだから」
「そうなのです」持田は人さし指を立てた。「岳さんは、あなたとサチヨさんが水のなかにつかって遊んでいるのを見た。ただそうおっしゃっているだけです。でもそれとはべつに妙なことも話してくれました。母親が妹ばかりかわいがる。それに嫉妬してエミさんは陰でサチヨさんを――」
「あなた、いったいなにがおっしゃりたいのかしら」
十
海の家(5)
母は庭いじりが趣味になった。それが大いにぼくを困らせた。
肥料である。
近くの園芸店で堆肥などの有機肥料を大量に購入して軒先に置いておくのだが、それが部屋のなかまでにおってきた。ときどき鶏糞の袋が破れて雨に濡れると、気温の上昇とともにいやなにおいが近所にまで漂いだす。だから訪問者があるとたいへんだった。一度だけガクちゃんがふらりと家にやって来たときもそうだった。母の従弟である。自動車ディーラーで営業をやっていて、土曜だったその日、ガクちゃんは母の不在中をねらって父のところへ新車の売りこみにやって来たのだった。信彦おじさんも陽気だったが、それとはちがう意味でガクちゃんはおしゃべりで、いちいちリアクションが大げさだった。
「だれだ、便所つまらせたの!」玄関で叫び声をあげた。「でっかいの出したんだろ!」
あとは一時間ほど弾丸のようにしゃべりつづけ、新車のパンフレットを大量に置いて帰っていった。車を買い替えるつもりなど父にはさらさらないとわかっているのに、よくもあそこまで話をつづけられるものだ。そんなガクちゃんだったが、唯一口が重くなるときがあった。ぼくが彼に会ったのは、記憶にあるかぎり生涯で三、四回しかないが、いずれも母の話になると巧妙に話題をそらしたり、顔をしかめてあからさまに話したくないという感じになった。だから母の不在時をねらって営業にやって来たのだ。
母がほかの母親たちとちょっとちがうかもしれないと思いはじめたのは、そのころからだった。そうした引っかかりは父もおなじだったように思う。恋愛結婚だったが、しだいに妻としての存在感が増してきたらしい。そのあたりを斟酌すると、父も結婚当初は、兄である信彦おじさんみたいにもっとおしゃべりで明るいタイプだったのかもしれない。それが結婚して変化していったのだろうか。いや、もしかするときっかけは結婚自体ではなく、その後の妊娠と出産、つまりぼくという存在がこの世に降りてきたことではないか。そんなふうに考えると、いろんなことのつじつまが合うような気もする。
父、絹井野裕司は、ぼくが大学四年の夏に亡くなった。
検察事務官でそのころは都内の区検勤務だった。八月、房総の海に夫婦で遊びに行き、酒を飲んだあとで海に入り、あっさり離岸流に持っていかれてしまったのだ。あまりにあっけない最期だった。通夜にやって来た職場の同僚たちから聞かされたのだが、父は仕事に関してはシャープで粘り強く、検事さんたちの絶大な信頼を得ていたとのことだった。なにより人を笑わせるのが得意だったという。
陰気で寡黙。家ではそんな印象しかなかったぶん、いい意味で衝撃的だった。まもなく社会に出るという年ごろのぼくは、その二面性の背景に家庭問題が横たわっていると考えた。じつは死の数か月前、父から告白を受けていたからだ。父は妻におびえていたのだ。そしてその引き金を引いたのが、あの海の家だったのだ。
それもぼくのせいで。
十一
「電話に出ないわ。でも折り返しかかってくるはずよ」エミは憤然といってのけた。母親を中傷するエッセーを本当に息子が書いたのか、たしかめるのは当然だった。「こんなもの公にできるわけないわ。あまりにもひどい内容よ」
「息子さんはじっさいにエッセーとして掲載される以上のことを書いてくれたのです。ですから大半が紙面化されない内容と思っていただいてけっこうです」
エミは感情を押し殺した口調でいった。「だったらそんなもの、わたしに読ませる必要があるのかしら。記事になるからチェックしろという話だったのでは?」
「はい、そのとおりです。ただ、これはわたしの個人的な判断で持参したしだいです。書かれた内容全体がとても興味深いのです」
エミはゆっくりとかぶりを振る。「どういうことかしら。うそばっかりの内容よ。こんなものあの子が書くわけがない。絶対にね」エミは身を乗りだしてテーブルを手のひらでたたいた。それでわれに返り、ふたたびいすに深く腰かけなおした。「ごめんなさいね。すこし感情的になってしまったわ」
「わたしのほうがいけないのです。こんなぶしつけなことをおねがいしたばかりに。ただ、彼にここまで書いていただくまでに、わたしも何年もかけて折衝をくりかえしてきたのです。その結果、ある種の信頼関係のようなものが構築されたと理解しております。それでとても口外できないような話まで打ち明けてくれるようにもなりました」
「口外できないって?」
「クスリのこととかです」
エミは絶句した。
持田はエミを無視してつづけた。「危険ドラッグです。これを見てください」持田はスマホを取りだし、一枚の写真を映しだした。絹井野啓とおぼしきキャップにサングラスの男が、暗がりでスクーターの男からなにか白っぽいものを受け取っている。「手元を拡大するとこうなります」持田は画面を広げた。啓の手に握られているのは、白色の物質を入れた小さな試験管のようなものだった。
エミは汚物から逃れるようにのけぞった。
「スクーターの男は危険ドラッグの配達人です。息子さんは常連客でした。撮影したのは、今年の二月です。自宅でクスリを発注したとき、わたしもそばにいたので、受け渡し場所で張りこむことができたのです。受け取っているのは、危険ドラッグのもとになる化学物質です。通常はそれを本物のハーブと混ぜて使うのですが、彼はそのままストレートに炙って吸っていた。わたしの目の前でもです。わたしへの信頼感もありますが、それ以上に欲求をおさえられなくなっていた。完全な中毒、ジャンキーですよ」
エミは凍りついていた。
「彼は舞台作品からはもう長いこと遠ざかっている。映画は声こそかかりますが、なかなか製作されない。テレビの連ドラも減ってきた。彼自身、創作活動に限界を感じていたんです。それで創作の原点を見つめなおすことにした」
「原点……?」
「少年時代の鮮烈な体験です。彼はそれをだれにもいえずにいるうちに、その原体験は意識の深層に沈みこみ、ひたすらもがくことだけが彼の生き方になってしまった。そこに演劇という手ごろなはけ口が見つかったので逃げこむようになった。だけどどんな作品を放とうと、原体験はずっと彼のなかに居座ったままだった。だからもうそろそろそれと正面から向き合うべきだと感じはじめていたのです」
十二
海の家(6)
高校一年の夏、道路整備のためについに海の家が取り壊された。解体業者がやって来る前日、ぼくは鍵を持ちだし、小田急線に飛び乗った。
空き家に到着するなり、問題の天井裏に手を突っこんでみた。指先が硬いものに触れた。つるっとした小箱のようだった。それがいくつかある。指先に力をいれ、そいつの角をつかんで引っ張りだした。
VHSのビデオテープだった。
ぜんぶで十三本が回収された。いずれも百二十分テープだった。どうしてそれらをおじさんが持ちださなかったのか疑問だったが、ことによると必要なものをキープしたあとの不要テープなのかもしれない。いずれにしろなにが録画されているか気になった。ぼくはそれらを抱え、逃げるようにして海の家をあとにした。
成城の家のぼくの部屋にはビデオデッキがあった。それに最初のテープを突っこんだときの興奮は忘れられない。最初の数本はポルノ映画がつづいたが、あまりにも唐突にそれはあらわれた。
映像は終始薄暗かった。
背景に見える壁は打ちっぱなしのコンクリートで、あの部屋で撮影されたことを連想させた。“スタジオ”だ。そのなかのようすを手持ちカメラがなめるように撮っている。
両手をうしろに回した裸の女が壁にもたれかかり、だらりと両脚をのばしている。頭に穀類を詰めるような麻袋をかぶせられ、体のあちこちに大小さまざまなかさぶたが見える。切り傷のようにも引っかき傷のようにも思えた。首には犬に使うような首輪がはめられ、太いリードが画面の端に向かってのびていた。
痩せこけてあばら骨が浮きあがり、鎖骨のくぼみもひどかった。なによりぼくの目をひきつけたのは股間だ。足を閉じているから全部見えたわけではないが、陰毛がすっかり剃られているようだった。
女の隣に茶色い素焼きの甕(ルビ、かめ)があった。キムチ作りに使うような大きなものだった。木蓋にコンクリートブロックがのせてある。
撮影者がレンズの前にあらわれた。
臙脂色の三角頭巾で顔を隠した人物――身に着けているのもくるぶしまで覆う赤い貫筒衣だった――で、それが白ずくめならアメリカのKKKをほうふつとさせた。撮影者は、人形のようにぐったりとした女のそばにより、その前にひざまずいた。そして両手で女の脚を左右に広げた。女は抵抗しない。両手がうしろで縛られているらしく、身動きできないのだ。女性器の赤黒い肉片が見えた。それまで目にしたことのない秘部で、ぼくは激しい興奮に駆られた。
撮影者はカメラに背中を向けたまま貫筒衣のすそをたくしあげた。毛むくじゃらの尻がまるだしになる。なにがはじまるか、まだ童貞だったぼくにだってわかった。
音声はきちんと録れていた。女の体に覆いかぶさり、床に押さえつける乱暴な音も、落ち着かぬ衣擦れも、肉が肉を打つ鈍くも性急な響きも、おじさんの押し殺した息づかいも。
ただ一つとらえられなかったのは、女の声だった。
女は体を震わせて背中をのけぞらせた。悲鳴も救いの懇願も聞こえない。麻袋のなかで口がふさがれているのだろう。
やがて撮影者は両手の拳で麻袋を殴りつけだした。袋が激しく反応し、赤い染みが鼻にあたる部分ににじんだ。それでも女の声は聞こえない。パンチを食らう瞬間の重苦しい響きと時折聞こえるミシッという骨に亀裂が入るような音、そして血に飢えた獣じみた男のうなり声が伝わってくるだけだった。
そのときぼくはべつの声をとらえた。
盛りのついた猫が喉をごろごろと鳴らすような声だった。
それに呼応するかのようにもう一つの声があがった。
女だった。
はじめて声をあげたのだ。それも似たような奇怪な声音だった。女は甕のほうに身をよじった。首のリードが張りつめる。
撮影者が立ちあがり、女を無視して甕に近づいた。女とはべつの声はそちらからあがっていた。撮影者はコンクリートブロックを持ちあげ、木蓋に手をかけた。大きな甲虫が一匹、転がりだし、甕の外側を下りていった。撮影者は甕のなかに手をのばした。ゴム手袋をはめている。
撮影者が取りだしたのは、黒光りする塊だった。ヘドロのドブに転落した黒猫といえなくもなかった。だがつぎの瞬間、ぼくはテレビの前で息をのんだ。薄暗い照明を反射していたのは、猫の黒毛ではなかった。先ほど脱走をとげた甲虫の仲間、さらに赤黒く長い体をくねらせる多足類が無数にたかっていたのだ。それらに喰らいつく爬虫類も見えた。
撮影者は、表面が波打つ黒い塊を慎重に持ちあげ、画面右のほうへ消えた。
水を流す音がした。シャワーのような音だった。その合間から猫の鳴き声がつづき、麻袋の女も輪唱するかのように声をあわせた。
しばらくして撮影者が画面にもどってきた。手にしていたものが変化していた。おぞましい連中が洗い落とされ、かわりに真っ白い肉の塊になっていた。その刹那、ぼくはすくみあがった。カメラのほうを見たような気がしたのだ。
その塊が。