第1話 何もない女の子
文字数 2,215文字
山梨県北杜市を南東から北西に貫いている国道20号線は、韮崎市から釜無川沿いを長野県へ向かって走っている。この道はかつての甲州街道をなぞっているので、江戸時代は物流の大動脈だった。
しかし、明治以降の陸上交通の中心となった鉄道は、釜無川沿いにそびえ立つ七里岩と呼ばれる崖の上に敷かれた。
国道20号線沿いの低地の町や村は、駅にたどり着くために七里岩に九十九折りの坂道を切り開いて、村と駅をつないだ。
その内の一つ、旧武川村と日野春駅を結ぶ横手日野春停車場線を登り切ると、左手に郵便局があるT字路の交差点につながっている。
つながっているのは県道17号線、通称七里岩ラインだ。
交差点から右側を見ると、少し離れたところに日野春駅が見える。
停車場線側の信号が赤に変わった時、停止線の左端に坂道を登り切った一台の自転車が止まった。
信号が赤になったため、停止したようだ。
自転車に乗っているのは、女子高生だ。制服の上にコートを羽織り、首にはマフラー、手袋をはめて早春の冷たい風に備えている。
長い坂道を上ったせいか、少し息が上がっている。
青信号待ちの彼女は、ハンドルから左手を離して腕時計を見た。
「家から出て一時間かぁ、もう少し早くこの交差点につけば、後が楽なんだけど・・・」
彼女はそうつぶやくと、左手を再びハンドルに戻した。
青信号になるまでの間、目の前を通り過ぎる自動車を見ながら、とりとめのない考えが頭をよぎる。
-この間までは車に乗ってゆっくり登校できたのに、なんでこんなことになったんだろう。楽に登校できる方法はないかな。-
彼女がそう考えるのは当然である。
今どき地方の高校生は、学校の近くに住む生徒以外は、親や祖父母など家族に送迎してもらうのが普通だからである。
バブルの頃から平成の時代、自家用車が一家に一台から一人に一台という自動車普及率の向上に伴い、乗客減少により採算が合わなくなった鉄道やバスなどの公共交通機関が次々と縮小廃止されていった。路線が残った場合も収支改善策として運賃改定が行われ、運賃や定期代が高額になるため、一番お金がかからない自家用車による送迎を選ぶ家庭が増えるのは、ごく自然なことである。
彼女も少し前まで祖父母に車で送り迎えしてもらっていたが、それができない事態が発生した。
祖父が脳溢血で倒れ、その際に横にいた祖母も巻き込まれてケガをして病院に入院したため、送迎が不可能になったのだ。
祖父母が入院していなくなった家にとり残された彼女は、自分で通学する手段として、電動アシスト自転車を買ってもらい、自転車通学を始めることになった。
だが、毎日一時間以上自転車をこいで長い坂道を上って登校するのは、電動アシスト自転車でも、やっぱり苦痛である。そして何よりも時間がもったいない。車で送ってもらっていた時みたいに、スマホを見ることすらできない。
どっかの自信家さんみたいに、右手にスマホ、左手にス〇バのコーヒーカップ、耳にはイヤホンを付けて自転車に乗るなどという、自〇行為は普通の人である彼女にはできない。
-もう少し楽に登校できる方法はあるけど、これからを考えるとまだ危険だし、学校が認めてくれるかどうか不安だし。-
そこまで考えたところで信号が青になったので、再びペダルを踏んでT字路を左に曲がり、七里岩ラインを八ヶ岳方面に向かって緩やかな上り道を上り始めた。
それから十分ほど上り坂を自転車で上ると、ようやく校舎が見えてくる。
彼女にとってこのあたりから学校に到着するまでが一番大変な時間だ。
長い上り坂を延々と走った自転車は、バッテリーの電気がなくなってくる。そうなると、それまで軽かったペダルがだんだん重くなってきて、ギヤを落として対応するが、その分スピードは遅くなる。
彼女が重くなったペダルを踏んでいる横を、クロスバイクやミニベロが軽快に追い抜いていく。比較的学校近くに住んでいる生徒が乗っている自転車だ。
そして、1台のスクーターが、軽やかな排気音をたてて彼女を追い抜いていく。
それらを横目で見ながら、
「スクーター、乗れたらいいな」
そうつぶやき、彼女はペダルをこぎ続けた。
彼女が「山梨県立 西巨摩郡高等学校」のプレートが掲げられた校門を通り過ぎて、何とか学校の駐輪場に着いた時、時計は八時二十分を指していた。
あと十五分以内に教室に入っていないと遅刻になるが、十五分あればゆっくり歩いても間に合う。
自転車のスタンドを立て、リュックを前かごから取り出し、背負おうとした時、さっきのスクーターが駐輪場のちょっと離れた場所に止まっていたのが見えた。
「やっぱり、スクーター乗ってみたいな」
そうつぶやくと、彼女は昇降口に向かって歩き出した。
扉を開けて教室に入ると、彼女に気づいた何人かのクラスメイトがこっちを見たが、すぐ視線を外して、手元の本に目を落とす。他の子は近くの席の子同士で話をして、彼女を見ようともしない。
彼女も気にすることなく自分の席に着く。
席について、リュックから筆箱を取り出しながら、彼女は思った。
-あいさつして貰えないのは仕方がない、親しい友人じゃないから。
ここに友人はいない。
そして、両親もいない。
今は祖父母も家にいない。
夢や希望はあるけど、かなうかどうか分からない。
そう、私は、ここには何もない女の子だ。-
しかし、明治以降の陸上交通の中心となった鉄道は、釜無川沿いにそびえ立つ七里岩と呼ばれる崖の上に敷かれた。
国道20号線沿いの低地の町や村は、駅にたどり着くために七里岩に九十九折りの坂道を切り開いて、村と駅をつないだ。
その内の一つ、旧武川村と日野春駅を結ぶ横手日野春停車場線を登り切ると、左手に郵便局があるT字路の交差点につながっている。
つながっているのは県道17号線、通称七里岩ラインだ。
交差点から右側を見ると、少し離れたところに日野春駅が見える。
停車場線側の信号が赤に変わった時、停止線の左端に坂道を登り切った一台の自転車が止まった。
信号が赤になったため、停止したようだ。
自転車に乗っているのは、女子高生だ。制服の上にコートを羽織り、首にはマフラー、手袋をはめて早春の冷たい風に備えている。
長い坂道を上ったせいか、少し息が上がっている。
青信号待ちの彼女は、ハンドルから左手を離して腕時計を見た。
「家から出て一時間かぁ、もう少し早くこの交差点につけば、後が楽なんだけど・・・」
彼女はそうつぶやくと、左手を再びハンドルに戻した。
青信号になるまでの間、目の前を通り過ぎる自動車を見ながら、とりとめのない考えが頭をよぎる。
-この間までは車に乗ってゆっくり登校できたのに、なんでこんなことになったんだろう。楽に登校できる方法はないかな。-
彼女がそう考えるのは当然である。
今どき地方の高校生は、学校の近くに住む生徒以外は、親や祖父母など家族に送迎してもらうのが普通だからである。
バブルの頃から平成の時代、自家用車が一家に一台から一人に一台という自動車普及率の向上に伴い、乗客減少により採算が合わなくなった鉄道やバスなどの公共交通機関が次々と縮小廃止されていった。路線が残った場合も収支改善策として運賃改定が行われ、運賃や定期代が高額になるため、一番お金がかからない自家用車による送迎を選ぶ家庭が増えるのは、ごく自然なことである。
彼女も少し前まで祖父母に車で送り迎えしてもらっていたが、それができない事態が発生した。
祖父が脳溢血で倒れ、その際に横にいた祖母も巻き込まれてケガをして病院に入院したため、送迎が不可能になったのだ。
祖父母が入院していなくなった家にとり残された彼女は、自分で通学する手段として、電動アシスト自転車を買ってもらい、自転車通学を始めることになった。
だが、毎日一時間以上自転車をこいで長い坂道を上って登校するのは、電動アシスト自転車でも、やっぱり苦痛である。そして何よりも時間がもったいない。車で送ってもらっていた時みたいに、スマホを見ることすらできない。
どっかの自信家さんみたいに、右手にスマホ、左手にス〇バのコーヒーカップ、耳にはイヤホンを付けて自転車に乗るなどという、自〇行為は普通の人である彼女にはできない。
-もう少し楽に登校できる方法はあるけど、これからを考えるとまだ危険だし、学校が認めてくれるかどうか不安だし。-
そこまで考えたところで信号が青になったので、再びペダルを踏んでT字路を左に曲がり、七里岩ラインを八ヶ岳方面に向かって緩やかな上り道を上り始めた。
それから十分ほど上り坂を自転車で上ると、ようやく校舎が見えてくる。
彼女にとってこのあたりから学校に到着するまでが一番大変な時間だ。
長い上り坂を延々と走った自転車は、バッテリーの電気がなくなってくる。そうなると、それまで軽かったペダルがだんだん重くなってきて、ギヤを落として対応するが、その分スピードは遅くなる。
彼女が重くなったペダルを踏んでいる横を、クロスバイクやミニベロが軽快に追い抜いていく。比較的学校近くに住んでいる生徒が乗っている自転車だ。
そして、1台のスクーターが、軽やかな排気音をたてて彼女を追い抜いていく。
それらを横目で見ながら、
「スクーター、乗れたらいいな」
そうつぶやき、彼女はペダルをこぎ続けた。
彼女が「山梨県立 西巨摩郡高等学校」のプレートが掲げられた校門を通り過ぎて、何とか学校の駐輪場に着いた時、時計は八時二十分を指していた。
あと十五分以内に教室に入っていないと遅刻になるが、十五分あればゆっくり歩いても間に合う。
自転車のスタンドを立て、リュックを前かごから取り出し、背負おうとした時、さっきのスクーターが駐輪場のちょっと離れた場所に止まっていたのが見えた。
「やっぱり、スクーター乗ってみたいな」
そうつぶやくと、彼女は昇降口に向かって歩き出した。
扉を開けて教室に入ると、彼女に気づいた何人かのクラスメイトがこっちを見たが、すぐ視線を外して、手元の本に目を落とす。他の子は近くの席の子同士で話をして、彼女を見ようともしない。
彼女も気にすることなく自分の席に着く。
席について、リュックから筆箱を取り出しながら、彼女は思った。
-あいさつして貰えないのは仕方がない、親しい友人じゃないから。
ここに友人はいない。
そして、両親もいない。
今は祖父母も家にいない。
夢や希望はあるけど、かなうかどうか分からない。
そう、私は、ここには何もない女の子だ。-