◆03カナンへの選択-Ⅳ ラバン:夕陽

文字数 1,475文字

 泉にはいたいた、くだんのご一行(いっこう)が。
 あり得ないほど真っ赤な夕陽に、口の長い水差しみたいな駱駝(らくだ)たちのシルエットが、十頭並んで黒く浮かび上がっていた。
「リベカの兄のラバンと申します」
 妹から聞いていたとおり白い(ひげ)をたっぷりたくわえているジイサンに向けて、名のってみた。
 ジイサンは一礼こそしたものの、てめぇは名のらず品定めするみたいに俺をじろじろ見やがった。
 俺もちら見で駱駝や従者をチェックすると、けっこうな荷の量じゃないか。こりゃお宝が山と積まれて――おっと、いやいや、いかん、邪心(じゃしん)を排除し、俺はジイサンをいざなった。
「おいでください、主に祝福されたお方、なぜ町の外に立っておられるのですか」
 綿毛(わたげ)のかたまりみたいな髭がかすかに動き、ジイサンが何か答えるのかと思ったが、声は聞こえず、言葉を呑んだだけだったらしいので、俺は胸を張って(たた)みかけた。
「わたしが、お泊りになる部屋も駱駝の休む場所も整えました」
 褒美(ほうび)は何もなかったぜ。
 ちぇっ。反応の薄いジイサンだ。と、うっかり内心で舌打ちをしてしまったのだが、まあとにかく家に案内すると言ったらジイサンたちはついてきた。

 家のなかはいまごろ、あわただしくなっているはずだ。
 女たちは天井から吊り下げられた棕櫚(しゅろ)のかごをのぞきこみ、干し肉や果物、干しぶどうや豆、木の実なんかを取り出して、中庭でかまどに火を入れ、料理にかかっているだろう。
 そんなところへ側女(そばめ)の家から駆けつけたオヤジが、オフクロと微妙な空気で所在なげにしているだろう。

 それにしても、今日の夕陽はなぜこんなにも赤黒く、強いんだろうか。
 日没とともに迫ってくる闇はいつにも増して暗く、深い。
 一方で、西の地平はめちゃくちゃ鮮やかな血の色を(にじ)ませていて、真っ黒な岩山とどす黒い空の間で異様な光を放っている。まるで、そう、永遠に治らない切り傷だ。
 天変地異の前ぶれか?
 あるいは何か僥倖(ぎょうこう)の?
 さっきから、背筋がざわざわしてたまらない。
 もしかしてこれは、特別なことの起こる予兆を、あなたが示してくださっているんですかね。

 一歩家に向かうごと、その気分は高まってくる。
 ただごとではない。とにかく、ただごとではないんだ。きっと、今日は。
 世界には、そんな気配が充満している。
 どうやら俺は、とんでもない大きな流れに呑みこまれている。理由はさっぱりわからないのだが、俺にはそんな自覚があって、不気味ではあるけれど、未知の感じにぞくぞくしていた。
 それに――正直に言えば、自分の意思なんかではどうにもならない感じがあるんだ。なんだろう、空中を漂う目には見えない花粉的なものに感染している、みたいな。

 この道中(どうちゅう)、ジイサンに、名前や旅の目的やどこから来たのかとかそういったことをいっさい尋ねてはいけないというのが俺のなかではデフォルトで、そもそも尋ねたいという気持ちにさっぱりならない。
 さらに不思議な話をすれば、なにかに、そう、たとえばあなたの大きな意思のなかにあって〝用いられてる〟とかさ、そうとでも言いたくなる感覚っていうのかな。そんな感じがあるんだよ。いやでもやはり、俺の感じすぎなのか?
 人には、なかなか信じちゃもらえないだろうけどね。っていうか、我ながら、よりによってこの俺がそんなこと言うか! と思うし、ツッコミどころ満載だ。
 自分でも信じられない。
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