第一節 2

文字数 2,153文字

 十五人ほどの学徒が広い中庭に三列に並び、教練用の木仗(ぼくじょう) を使ってティエラ棒術の基本の型をなぞっている。殆どの学徒が、何ら複雑なところのないその動きを、淀みなくこなすことができない。必死に型を追いかけるものの、彼らの操る棒は速くなったり遅くなったり、時につかえて止まったりしている。
 学徒たちの中に一人、拙いながらも一定の速度で淀みなく木仗を操る者がいることに気付き、エドガルドは目を留めた。黒髪の背の高い青年で、首の後ろで束ねた少しくせのある髪が動きに合わせリズミカルに揺れている。
「気付いたか」
「学徒になって一年未満の初心者と言ったか」
「あいつはナサニエル。山に来て九ヶ月 くらいの、正真正銘の初心者だよ。そうは思えないほど筋が良いだろう」
「あまり先住民らしくない雰囲気の男だな」
「小さな衛星都市(サテライト)の出身で、母親が先住民らしい」
「混血の都市人か」
 都市人は、初期移民 の数百年後に移住してきた後期移民 の子孫である。混沌エネルギーの充満する惑星本来の環境下で暮らす先住民に対し、都市人は人工的に作り上げた地球環境に近い都市の中で暮らしている。今も地球人とほぼ変わらぬ都市人の肉体は、惑星の環境に適応できていない。多くの都市人は都市の外に出ることなく一生を終え、都市の外の世界や先住民について殆ど知識を持たない。先住民にとって秘奥(ひおう)中の秘奥であるティエラ教義を学ぶため、混血とはいえ都市育ちの者がティエラ山へ教義を学びにやってくるなど、普通では考えられないことだ。
 エドガルドの心中を察したようにルカスが続ける。
「第二ドーム の大学府 に在学していたが、父親が死んで経済的に学問を続けることが難しくなったらしい。先住民の母親からティエラ教義は学問の水準が高い上、学徒の学費が無料 だと生前から聞かされていて、ティエラ山で学ぶことにしたんだと」
「ずいぶん変わった経歴だな」
 エドガルドは益々強く黒髪の学徒に興味を惹かれ、彼の練習風景をじっと見つめた。動きは初心者そのものなのだが、彼が棒を振るう度に何かを強く訴えかけるような波動が生まれる。その訴えが何なのかを読み解きたくて、目が離せない。
 視線に気付いたのか、ナサニエルの方も顔を上げてこちらに目を向けた。二人の眼差しが重なる。
 ナサニエルは美しい青年だった。よく鍛えられた筋肉のついた男らしい体型だが、背が高いためすらりとして見える。顔立ちはとても整っており、濡れたように光る黒い瞳が男らしく野生味のある風貌を和らげ、甘い雰囲気を添えている。
 見つめ合う二人を横目で眺め、ルカスが口を開く。
「ナサニエルは棒術より学術の方が抜きん出ててな。陰でアダンの再来と噂されてるぞ」
 アダンの名を耳にしたエドガルドの肩が微かに揺れたのを、ルカスは気付かぬ振りでやり過ごす。
「余程の、天才というわけか」
 小さな声で呟き、エドガルドはルカスの横に置かれた木仗を手にして青年の方へ近付いて行った。
「ナサニエル、俺はエドガルドだ。手合わせをしてくれないか」
 正面に立って話し掛けると、ナサニエルが動きを止めて探るような眼差しを向けてくる。エドガルドは青年の視線が自分の両の足首と手首、次いで額を捉えるのを察した。両手両足に刺青が刻まれ、額には刺青がないことを確認したのだろう。
「暫く留守にしていたんで、久しぶりに誰かと打ち合いたい。新人学徒の中ではお前が一番筋が良さそうだ」
 ナサニエルの返事を待たずにエドガルドが木仗を構える。周りの学徒たちが何事が始まるのかと距離を取ったため、二人の周りには十分な空間ができていた。ルカスが面白がるように遠くから成り行きを窺っているのを、エドガルドは背中で感じた。
 少しだけ面喰らいながらも、ナサニエルは言われるがままに木仗を構えた。エドガルドが流れるように木仗を突き出す。決して攻撃的な動きではなく、相手の呼吸を捉えて次の動きを促すような自然な動きである。だがナサニエルはすぐに、繰り出される棒に優しく応えているだけのように見えるエドガルドの動きについていけなくなった。呼吸が浅く速くなったところへ、エドガルドが淡々と指導する。
「俺の呼吸に合わせろ。どんなに動きが速くなっても、呼吸は俺に合わせておけ」
 学師は身体に刻まれたエスプランドル刺青を通じて常に周囲の混沌エネルギーを体感している。今もエドガルドは混沌エネルギーの流れを感じ取り、それに呼吸を合わせて木仗を(さば)いていた。刺青を持たない学徒のナサニエルにとって、エドガルドの呼吸と動きに(なら)うことが現時点で最善の修練法である。
「手だけを動かすな、足を動かせ。足の動きに身体もついていく。俺が前に出たらお前は一歩下がるんだ。俺が下がったらお前が出る。そう、その調子で足を動かせ。手を振り回す必要はない。腕は身体に自然についてくる」
 エドガルドの助言に従って動いていると、確かに以前よりも自然に棒を振るえることにナサニエルは気付いた。だが足、足、足と集中しているうちに再び呼吸がエドガルドのそれより速くなり、足がもつれて前のめりに転倒する。受け身を取ったためダメージは少なかったが、折角リズムに乗ってきたと思っていた矢先の失敗に、不完全燃焼に終わってしまったような不満を覚える。
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登場人物紹介

エドガルド

ティエラ教義の学師。ティエラ棒術の名手。

ナサニエル

都市人。ティエラ教義の学徒。

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