はなまる

文字数 927文字

女は、膝を抱えて泣いていた
通り過ぎる大勢の人たちからの、怪訝な視線を浴びながら

綺麗に染めた長い茶髪は、複雑に絡み、解きほぐすのは容易ではなかろう
形を整えた清潔な爪は、何かを掴み損ねたかのように割れていた

初老の男は 群衆から 一人離れ
彼女のもとに歩み寄った
彼を好意的な目で見る者はいない
若い女性に手を差し伸べ、あわよくば懇ろになろうとしているのだろう
そんな淀んだ空気が当たりを包む
彼とて、周りの邪推に気付かぬほど、愚かではない
しかし、許せなかったのだ
誰であろうと 今まさに傷ついている人を
何故、自分は見て見ぬふりをせねばならないのか
右に倣えで通り過ぎれば、自分は、この人でなし共と
同枠で括られるのだ
もはや 意地である 不審者あつかいも仕方あるまい

お嬢さん、お召し物が汚れます
立てますか?少し、お身体を温めた方が良いでしょう
コーヒーと紅茶、どちらがお好きですか?

女は、顔も上げずに
消え入る声で いらない と言った

その声は 群衆には届かなかったが
ああ、あの男は拒絶されたのだな と察した
もとより、嘲笑するつもりで観察していたのだから
僅かに曇った男の表情を、誰も見逃さなかった


今度は、男の方が消えそうな声で
では、私に出来ることは、何もありませんか?
と尋ねた

冷たい群衆が正しかったのか
どうせ、自分には何も出来ない 誰も救えない
そんな開き直った自己保身の方が、この場に適した行動だったのか。

女は、何も言わなかったが
少しだけ首を振った

そして“ほめてください“と言った
何も要らないから、頑張ってここまで生きた自分を
認めてくれと宣うた。

男は、数刻も立ち通しで、顔もあげない女の話を
丹念に拾い上げた
一言も、聞き逃すまい 何故、こんなにも、彼女は傷つかねばならなかったのか

やがて、夕暮れに彩られた街で
男は、なんとか、彼女の苦悩、その大枠を共有した
よく頑張った 本当に 君は よく頑張った
なんと、難しいのだ
言葉を紡ぐのは容易いのに、それが本心であると伝えるのは
何度も、何度も 同じ文言を繰り返す男に
女は思わず 吹き出した 
変な人ね と言った彼女は
この言葉の通り 男を変だと思っただろう
なんの得にもならないのに これほど他人を思えるなんて
変で素敵で 馬鹿で素晴らしいと思っただろう





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