最終話 『幸せのカタチ』

文字数 2,517文字

 本格的な冬がやってきた。
 祐典は、午前中の外勤を終え、屋上で休憩していた。
 落葉(らくよう)を終えて、冬枯れの裸木(はだかぎ)になっている木々を眺めていると季節の移ろいを感じる。祐典は、裸木を眺めながら木々の声を聴こうとした。木々は、この長い冬を耐えると芽吹いて新しい若葉を繁らせる。裸木は、艶やかな真新しい青葉をまとうことを期待する人間の心さえも知っている気がした。そんなことを考えながら、祐典は、夏目のことを思い出していた。
 ――もうすぐ夏目が死んでから1年が経つんだな。あいつも裸木のままではなかったはずだ。きっと色鮮やかな緑の若葉を繁らせる人生を送れていた。しかし、夏目は若葉をまとうことを選ばなかった。いや、まとうことを許さなかったのかもしれない。

 夏目が死んでからこの1年で新たに分かったことは何もなかった。でも、祐典は自分たちだけの「待ち合わせ場所」で夏目と話している。その場所は役場の屋上にあるベンチだ。
 二人は、土曜日の仕事の合間によくそのベンチで話をした。仕事といっても残務整理や翌週の段取りをする自由出勤だが、ほぼ毎週土曜日の昼前から二人とも出勤していた。夏目は煙草を吸わないが、土曜日だけは祐典が屋上に行くと、夏目が来ることがあった。
 夏目は祐典に「ベンチで待っていますね」と言い、祐典は「吸ったら行く」と恋人同士のような会話を交わした。そして、停留所にあるようなベンチで話をするのだ。ベンチに座った時は仕事の話は一切しなかった。仕事の話なら職場の席ですればいいわけだから、屋上では仕事以外の話をした。祐典はそのベンチで最後に話した時のことを思い出していた。 
 ――確か、去年の二月に飲んだ翌週の土曜日だな。

「夏目、先週はめずらしく酔っていたな」
「課長が普段飲まない冷酒を飲ませるからですよ」
「すまん、勧めすぎた。それはそうと、あの時、駅で電車を待っていた時、テレビで見た歌手の話をしてたな。あの歌って何ていう曲なんだ?」
「3人組の歌手の歌詞の話ですよね。『君への約束』って曲です。聴きたいんですか?」
「いや、歌には興味はない。むしろ、あの時お前が言った『自分は幸せらしきものを追いかけている』という言葉の方に興味がある」
「俺そんなこと言いました? 酔っていたから、くだを巻いていたんでしょう。」
「言っていたぞ。呂律は回っていなかったがな」
「幸せらしきものを追いかけるかぁ。怪しいんですよね、幸せって奴は」
「らしきものじゃなくて、十分幸せだろ。お前が幸せじゃなければ皆どうすればいいんだ」
「課長、子どもが遊ぶLEGOっていうおもちゃを知ってます?」
「ブロック遊びのおもちゃか?」
「そうです。あのブロックを組み立てるみたいに幸せの形の完成を目指して、ブロックを手に入れて組み立てるんです。整えたり高くしようと頑張って。以前は、その幸せブロックを組み立てることに達成感があって楽しかったんです。でも、歳を重ねてくると、整っていたり高くなっているブロックが良く見えなくなるんですよね。そもそも、幸せってブロックのように組み立てるものなのかなと感じたり」
「でも、誰だって生活を形作る仕事や家庭や日々の暮らしをより良くしようと必死だろ。幸せのゴールは分からないが、今は整っている幸せブロックに満足していいじゃないか」「課長のブロックはどうですか?」
「俺のブロックは足りないパーツだらけで歪だよ。言わせるなよ」
「僕のブロックは良く見えます?」
「良く見えるよ。だから、言わせるなって。自分で悲しくなるじゃないか」
「すみません。嫌みでも何でもないんです。でも、僕の幸せの形には大切なピースが欠けているんです。だから、幸せらしきものなんです」

 祐典は、夏目との最後の会話を思い出した後、待ち合わせのベンチを眺めた。ベンチには、昼食をとっている女性職員が一人で座っていた。
 もう二度と夏目と座ることができないと思うと、1年経った今も祐典は深い悲しみを覚えた。
 ――あの時、欠けていると言ったピースは、死んでしまった彼女にしてあげたかった日々のことだったんだろうか。
 深く煙草を吸い込み、2本目の煙草を吸うためのスイッチを入れた。
 ――俺は、この一年間で、人生の意味について一生分考えさせられた。
 祐典は、以前、何かの本で目にしたヴィクトール・フランクルの言葉を頭に描いていた。フランクルは、アウシュビッツ強制収容所で起こったホロコーストの生還者だ。
「そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです」という言葉だ。
 確かに、人生は多くの出来事を通してその意味を問いかけてくる。そして、人生の(がわ)から何かしらの行動で答えてもらうことを望んでくるのだ。夏目も人生から問われた。そして自死という行動で答えた。亡き教育長の言葉のように、その選択は良い悪いの問題ではないし他人は評価できない。人の命終というものは、どのような死であっても、そうだったんだねとその人の命の尊厳を讃えるべきなのだ。

 電子煙草のランプが、いつの間にか消えていた。そのことに気づいた瞬間、スマホのラインに着信が入ってきた。課長補佐からだ。
「課長、どこにいるんですか? 午後からの協議会に遅れないでくださいよ。座長が来ないと始まらないんですから」と連絡してきた。 
 1ヶ月前に立ち上げた「命の尊さと命の行方をみつめる教育の在り方協議会」の会議だ。亡くなった前教育長の最後の職務命令を受けて、町長と新教育長に新しい教育プランの意義を訴え、ようやく理解を得て協議会を立ち上げることができたのだ。今日から庁内と学校の関係者で具体的な協議が始まる。
「夏目と同じような良い課長補佐だ」と祐典はつぶやき、空を見上げた。
 そして、空に向かって「夏目、生きる価値は社会に役に立つか立たないかを問われない。失敗を取り戻せたかどうかも問われない。後悔があって未練がなくても、生きているだけで価値があると俺は思うぞ」と語りかけてみた。
 そこには、夏目が「課長らしい偏見、いや正見ですね」と笑顔で答えたような、冬の澄んだ青い空があった。
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