第2話 『ホッピー通り』

文字数 2,862文字

 結局、9月の三週目の金曜日に東京で会うことになった。
 祐典は、もちろん東京への出張なんてない。最初から、好子の都合が良い日に合わせて、有給休暇をとって私用で東京に行くつもりだった。
 待ち合わせ場所は、好子が指定した。住んでいる場所に近い浅草の、静かな店じゃない、にぎやかなホッピー通りの屋台で話したいと言うのだ。


 東京駅に着いたら、非日常の人の多さだった。週末の金曜日ということもあり、数え切れない人たちが、訓練された兵士のように目的地に早足で前進する。
 予定通り、山手線で神田まで行き、銀座線で浅草まで行くことにした。何しろ、間違えずに行くには、よくわかる路線の方がいい。待ち合わせの時刻までは1時間程度ある。
 銀座線の浅草駅からホッピー通りまで人混みの中を歩くと、思った以上に時間がかかり、到着した時刻は約束の10分前だった。

 好子は、すでに約束した場所で待っていて、祐典に気づくと大きく手を振った。
「ごめん、時間前に来てたんだな。待ったか?」
 祐典は、いかにも出張らしくするために持ってきた、肩掛けの黒いかばんを下ろしながら言った。
「仲見世通ってきた? 人が多かったでしょう。ここまで歩くと少し距離があるもんね」
 好子は、そう言いながら、ホッピー通りに立ち並ぶ屋台の店先の人とぶつからないように祐典の前を歩いた。
 祐典は、大都会のイメージからほど遠い、庶民的な屋台が立ち並んでいることに驚きながら、「早い時間から結構たくさんの人が飲んでいるんだな」と屋台に目を向けながら大きめの声で言った。
 好子は、観光客によく知られている人気屋台の席を予約してくれていたらしく、名前を言うとすぐに案内してくれた。
 予約の名前は、好子の旧姓の「黒岩」だった。
「祐くん、今、旧姓だと思ったでしょう」
 少し真顔で好子は言った。
「あーあ。昔から黒岩って何か女の子らしくなくて、新しい名前でイメチェンしようと思って結婚したのになあ」と、背伸びしながら独り言のように好子が話したところへ、ホッピーのジョッキと名物の牛煮込みが来た。
「さあ、来た来た。ようこそ、私の第二のふるさとへ。第一のふるさとじゃなく、第二のふるさとでの再会に乾杯!」
 追加の注文を言われるかとオーダー表を手にとっていた店員を気にせず、好子はホッピーを焼酎入りのジョッキに注いで乾杯した。
 
 店員が戸惑いながら席から離れた後も、好子は話し続けた。
「広島に帰った時、あのなくなったパン屋さんの前で思ったんだよね。祐くんどうしているかな、会いたいなって……」
 牛煮込みに慣れた手つきで七味をかけながら、うつむき加減に好子はそう言った。
 こうして、忘れた頃さりげなく謎かけの答えを言う。
 祐典は「俺も思ったよ。泰史からスーが帰って来たって聞いた時、俺の連絡先を聞かなかったのかなって」と反応してみたが、好子は「えー、41才にもなって元彼の連絡先聞けるわけないじゃん」と七味を祐典に渡しながら、ためらいもなく切り返した。
 ――好子は、この23年間、数え切れないほどの経験をしてきたのだろう。
 あの頃の不安の中を駆け抜けていた高校時代とは違った、東京で生き抜いてきたたくましさを祐典は感じた。

 その後、ホッピーをもう一杯飲み、結構な量の冷酒と焼酎を飲みながら、高校時代の仲間のその後について情報交換をした。
「お互い違う場所で予想もしなかった人生の波に揉まれながら、ふとした瞬間に不思議な波の交わりが訪れて……。こうして再会して、懐かしい気持ちでたどってきた人生を語る日が来るなんてね……」
 好子は、少し酔った表情を浮かべながら、しみじみとした口調で言った。
 祐典は、好子が言った「波の交わり」という言葉が、今日のこの再会を言っているのか、これからのことを言っているのかわからないと、好子以上に酔った頭で考えていた。

 好子は、祐典の高校卒業後の生活もこれからの人生の見通しも多くは尋ねなかった。
 聞かれたことは、今の仕事ってどんなストレスがあるかということや一人でご飯を作れているのかという母親が心配して尋ねるような内容だった。
 好子から聞いたことはと言えば、長い間の東京の暮らしぶりや今飼っている犬の話だ。
 少し驚いたことは、好子が飼っている犬の名前のことだった。
「今の犬ね、ミニチュアダックスフンドなんだけど、名前を『スー』ってつけたの。ほら祐くんが私のこと、スーって呼んでたでしょう。あれ、すごく気に入っていたんだ。黒岩じゃなく、スーって呼んでくれていたこと。もう誰も呼んでくれなくなったから、今度は私が呼んであげることにしたんだ」
 祐典は、この言葉を聞いた時、好子があの頃の高校生に見えた。少しはにかんだ、まだたくましくないあの頃のスーを見た気がした。
 酔った勢いで、祐典はつきあっていた時の話を好子に尋ねた。
「俺らのクラスを出たところに自動販売機があったの覚えてるか? 隣の校舎との間にあった自動販売機」
 好子は、はっきりと「覚えてるよ」と言った。
「あの自動販売機にどんな飲み物があったんだったっけ?」
 好子は、ほとんど水になっている焼酎の水割りの残りを飲み干しながら、少し考えてこう言った。
「缶のコーラやキリンレモン、オレンジジュースにリンゴジュース。場所によっては紙パックのコーヒー牛乳や乳製品っぽい物もあったけど、教室の側にあった自動販売機は、缶だった気がするなあ。今と違って水やお茶はないし、それくらいしかなかったんじゃない」
 何でそんなことを聞くのと好子は言わなかった。
 祐典は、きっと自分と同じように、好子もあの時の二人の出会いの風景を思い出しているからだと思った。


 ――あの日、なぜか放課後の部活動の始まりがいつもより遅かった。
 バスケの部活が始まるまで時間があったので、部室で時間をつぶそうと部屋に入った。
すると、三年生の先輩が他の部活の友達と煙草を吸っていて、俺の姿を見るなり、無言でシッシッと手で払ったので、しょうがなく教室の中にいた。
 俺が、何か飲み物を買おうと自動販売機に行った時、好子と会った。そこにいたのは好子一人だった。好子はちょうど買い終わった時だったが、誰も来ないと思っていたのか、俺が来た時少し驚いた様子だった。
 好子とは二年生で初めて同じクラスになり、中学校も違っていたので、たぶん一度も話したことがなかったと思う。
 でも、好子はあまり人見知りな感じも見せず「今から部活?」と気軽に尋ねてきた。
 俺が「始まるまで時間あるし、部室は先輩が占領しているから」と言うと「じゃ、教室でゆっくりしてから頑張ってね」と微笑んだ表情を向け、隣の校舎に小走りで行ってしまった。
 あの時、好子が微笑まなかったら、きっとその後好子を気にとめることはなかっただろうと今でも思っている。そして、もう一つ確かなことは……、好子のあの時の髪が少しでも長かったなら、間違いなく好きになっていなかった。
 あの自動販売機での偶然の出会いが、今から思えば二人を巡り合わせた。
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