第三章・第一話 表裏《ひょうり》で蠢く

文字数 6,953文字

「――本っ当、信じらんない」
「……すいません」
「本っ当、バカじゃないの?」
「……だから、悪かったってば」
「悪いと思ってる人間のすることじゃないわよ、バカじゃないの?」
 愛しい恋人であり、妻である和宮(かずのみや)から、短い(あいだ)に二度も『バカ』が投げ付けられ、家茂(いえもち)は内心へこんだ。けれども、仕方がない。
 彼女に百万遍でも『バカ』と言われてもやむを得ないことを、家茂はやらかしたのだ。
 つまり、少し調子がよくなったと見て、総触れに無理矢理出席し、直後に下がり掛けていた熱をぶり返してぶっ倒れた(くだ)りである。
 目覚めた時には熱はすっかり平熱になっており、傷もあらかた塞がっていたので、家茂本人としては結果良ければというところだ。が、その(かん)、散々心配しまくった和宮にすれば、(たま)ったものではないだろう。
 三日も意識不明だったと聞けば、家茂だって立場が逆なら彼女に『バカ』を連発しているところだと思う。
 しかし、だ。
(病み上がりの起き抜けにこれはキツい……)
 チラリと彼女を見た間合いで、その目からボロリと大粒の涙がこぼれてまたギョッとする羽目になる。
「ッ、(ちか)……!」
「何でもない! 泣いてなんかない!」
「泣いてるだろ、あーもー……」
 和宮からすれば、筋の通らないぼやきを漏らしながら、家茂はどうにか起き上がろうとした。が、三日も寝たきりだった身体には、どこへ力を入れたものやら、とっさには見当も付かない。
 最初は珍しく手を貸してくれなかった和宮だが、身を起こそうと奮闘しているのを見兼ねたのか、結局背を支えるようにして手を伸ばしてくれた。
「……悪かったよ。心配掛けて」
 抱き起こされ、彼女の胸に(かか)えられるような姿勢のまま、彼女の背に手を回し、しがみついたつもりだった。だが、掌にも思うようには力が入らない。
 機嫌が悪いような彼女だったが、こちらの体調を(おもんぱか)ったのか、やはり素気(すげ)なく振り払うことはしなかった。
「……言っとくけど、あたしまだ怒ってるんだからね」
「……分かってる」
 怒っていると言う割には、家茂の身体に回った彼女の腕には力が込められる。彼女は、家茂の側頭部へ口元を埋めるように口づけながら、「バカ」とまた一つ繰り返した。

***

 結局、それ以上の文句は言えなかった。
 どうしてそんなに無茶したがるの、とか、何で大人しく寝てらんないの、とか、色々文句は浮かんだけれど、家茂の性格上、言っても無駄なのも分かっているからだ。
 それに何より、嗚咽が邪魔で、言葉を紡ぐこともできない。
 代わりに、胸に抱え込んだ彼の身体に回した腕に力を込める。
(……もう、放さないんだから)
 脳裏で呟いたのは、すでに何度か彼にも宣言した言葉だった。
 室内に沈黙が落ちた間合いで、「失礼いたします」と背後から声が掛かる。
 振り返ると、邦子が室内へ足を踏み入れたところだった。彼女は、少し離れた場所で足を止め、膝を突いて一礼する。
「只今、(おもて)より(しら)せがありました。京より、三条実美(さねとみ)様と姉小路(あねがこうじ)公知(きんとも)様が、勅使として江戸へ入られたそうです」
「えっ」
 和宮は、思わず声を上げた。
 三条実美、及び姉小路公知――この名に、聞き覚えはない。だが、明らかに公家(くげ)の名だし、何より『勅使として』という下りが気になった。
「二人は、何の用で江戸まで?」
 腕の中で、家茂がモソモソと起き上がろうとしたので、和宮は反射で彼の背を支えた。
 やっと上体を起き上がらせ、息を()いた彼は、邦子のほうへ目を向ける。
「……それが……攘夷の督促にいらしたとか」
 やっと起き上がった家茂が、邦子の答えを聞いて再度倒れそうになったので、和宮は慌てて彼の身体に手を回す。
「……マジかよ」
 彼は、和宮の胸元に元通り身体を預け、「もっかい意識不明になりてぇ」と割と本気の声で呟いた。
「バカ言ってんじゃないわよ、現実逃避してどうする気?」
 先に目の前で現実逃避されたので、和宮のほうは却って冷静になってしまった。とは言え、現実に向き合ったからと言って、そうそう簡単に妙案が出るわけもない。
「婚儀から数えても、もう半年以上だもんなぁ……まあ、巧い具合に放っておいてくれないかなー、とは思ってたけど……」
 無意識に呟いて、和宮は溜息を()いた。
 何しろ、朝廷では、降嫁推進派だった公卿(くぎょう)や女官が、端から処罰されたと聞いたばかりだ。和宮の降嫁を、兄帝も悔いているのであれば、もうそっとしておいてくれるのではないかと、和宮も半ば本気で思っていたのだ。
「「……面倒臭(めんどくさ)……」」
 和宮のぼやきにかぶせるように、ほとんど同じ間合いで家茂が呟いた。
 二人は、間近で視線を合わせ、軽く吹き出す。
「……ねぇ、家茂」
「あ?」
「本当にもっかい、意識不明になる気、ない?」

***

「――麻疹(はしか)だ?」
 思わず()の口調で問い返した慶喜(よしのぶ)は、危ういところで続きをがなり立てるのを思い(とど)まった。
 それに気付いているのかいないのか、家茂の近侍である川村崇哉(たかなり)が、「は」と小さく言って頭を下げる。
「よって、一橋(ひとつばし)様はもちろんのこと、勅使の方々にもお会いになるのは(はばか)られると。念の為、完治してより七日ほどは、どなたの謁見もお受けせぬようにと、これはお匙である松本良順(りょうじゅん)医師から、堅く申し付けられております」
 ふーん、と言いそうになって、すんでで口を閉じる。
 麻疹と言えば、幼児に多い感染症だ。通常、一度罹患すれば二度と(かか)らないと言われている(やまい)の一つでもある。
 普段、奥で引き籠もってるあいつが、どこで麻疹(そんなもの)をもらって来た! と問い(ただ)したかったが、それも呑み込んだ。
 崇哉との接見を適当に切り上げた慶喜は、中奥から表へ戻るために、きびすを返し、入り側を歩き出す。
(……絶っっ対、時間稼ぎだよな)
 ふん、と鼻を鳴らすが、何の為の(・・・・)時間稼ぎかは、慶喜にも読めなかった。
 勅使が江戸入りした件は、とっくに家茂の耳にも入っているはずだ。が、先日慶喜と真剣で()り合った影響が、まだ家茂の身体を(むしば)んでいてもおかしくはない。
 加減はしたつもりだったが、そんなに重傷だっただろうか。
(……まーだ交代する時期じゃないから、今死なれても困るんだけど……)
 とは言え、その内死んでもらうつもりではある。それが今ではない、というだけなのだが、今死んだら死んだで、それまでのことだ。
 ただ、彼が負傷した件が表まで届いていない以上、慶喜が下手にツツいて表沙汰になれば、追及の手は伸び、慶喜と熾仁(たるひと)まで辿り着くのは時間の問題だろう。
(……まあ、表沙汰になんなくっても、遅かれ早かれ辿り着くかもだけどな)
 あいつなら、と語尾に付け加える。だから、まさに藪をツツいて蛇を出すような、必要以上の下手な真似はできないのだ。
 慶喜としては、あの九つ下で、特上の美貌を持つ少年将軍を、過小評価はしていない。周囲に年輩の狸爺しかいない現状、まだ無能な振り(・・)をしているらしいが、あの少年が本性――(もとい)、将軍としての真価を(さら)け出すのは、これも時間の問題だと、慶喜は思っている。
(それが俺にとって、果たして吉と出るか、凶と出るか……)
 無意識に側頭部を()(むし)ろうとして、今日は登城(とじょう)の為にきちんと(まげ)を結って来たのを思い出す。はあ、と溜息を吐いて、うなじに滑らせた指先で触れた場所を、意味もなくカリカリと掻いた。
「――慶喜殿!」
 ノソノソと()を進めていた慶喜は、自分を呼ぶ声に目を上げる。
 前方から足早に近付いて来たのは、政治総裁職の松平慶永(よしなが)だ。
「上様は」
 軽く会釈するなり、慶永は前置きもなく本題に入った。それを受けて、慶喜は小さく首を横へ振る。
 すると、慶永は、ホッとしたような笑みを浮かべた。
「では、どうぞ。皆様お待ちです。あとは、手筈通りに(・・・・・)
 彼は、慶喜に先に行くよう促す。慶喜は頷いて、止めていた歩を踏み出した。
「ええ。――手筈通りに(・・・・・)

***

「――で、手筈通り(・・・・)とやらに進んだ、勅使対策会議はその()どうなったって?」
 更に数日後、現在麻疹療養中のはずの家茂は、講武所(こうぶしょ)の一角にある部屋で、それを訊いた。和宮も一緒だ。
 何だかんだ、偽装出火事件で負った傷が完治した二人は、家茂の機能回復訓練も兼ねて、大奥から別な抜け道を使って講武所に移っていた。奥で寝ているはずの家茂と、それを付き切りで看病しているはずの和宮の替え玉は、それぞれ崇哉と桃の井が請け負っている。
「いやはやまったく、爆笑を(こら)えるのに必死でしたよ」
 思い出し笑いでもするように、クックッと肩先を震わせながら答えたのは、(かつ)麟太郎(りんたろう)義邦(よしくに)だ。偽装出火事件からこっち、桃の井を通じて和宮との連絡を取り始めた麟太郎は、独断でその会合に聞き耳を立てていたらしい(その会合の中にいたわけではなかったようだが)。
「最初に口を切ったのは、横井(よこい)小楠(しょうなん)殿でしたね。協議の主題はズバリ、『早く攘夷しろ』とせっついて来た勅使への対応でしたから、横井殿が『最早、破約攘夷のやむを得ないことを勅使に率直に申し上げよう』と言ったら、慶喜殿がそれに真っ先に同調して」
 そうしたら、松平義永も、これに賛同したらしい。着々と、開国の意を勅使と朝廷に奏上することにその場は決し、一旦は慶喜がその使臣に立つところまで話は進んだという。
 ところが、次の議題で勅使待遇の改正に慶喜が反対したのを皮切りに、議論は逆戻りし、結局、攘夷の勅諚(ちょくじょう)尊奉(そんぽう)しようということになったらしい。
「開国論を奏上した日には、諸外国の前に上様が討ち払われてしまう、と言ったのは、山内(やまのうち)容堂(ようどう)殿です」
「それで、慶喜は何か言ってたか?」
「特に何も。顔が見られなかったのが、色んな意味で口惜(くちお)しゅうございますが」
 彼(いわ)くの笑い話をしているはずの麟太郎の表情は、口調とは裏腹に、真顔に近かった。慶喜が何を考えていたか、その場に混ざって表情を観察できなかったのは、確かに痛いという、何よりの証明だ。
「家茂が討ち払われるのは絶対嫌だけど、だからって攘夷の勅諚の尊奉なんて土台無理な話なんだから、どっちもどっちよねぇ……」
 一緒に話を聞いていた和宮が、疲れたような溜息を()いた。
御台(みだい)様にも、どうにもできませぬか」
「できればやるけど、今までの流れ、考えるとねぇ。お兄様って、帝のクセに最高権力も当てにならないって言うか……あたしの降嫁の時だって、逆に岩倉具視(ともみ)辺りに説得されちゃってたし」
「それがなかったら、俺らは出会ってもなかったな」
 ボソリと言うと、和宮は泣き出しそうな、怒ったような、複雑な顔になる。
「……冗談だよ」
 クスリと苦笑を漏らし、彼女の手を握ってやる。
「今じゃ、お前と出会わなかった人生なんて考えられない」
「……本当に?」
「本当だって」
 握った彼女の手を口元へ持って行って、軽く口づけるのと、「あー、(それがし)一度席外しましょうか?」という麟太郎のからかう声が聞こえるのとは、ほぼ同時だった。
「濃い茶でも持って来させて続けろよ。ほかには何か進展あったか?」
 パッと振り(ほど)かれそうになる彼女の手を握り続けながら、家茂は麟太郎に目を向ける。
 麟太郎は、瞬時、ニヤニヤと家茂と和宮の手の結び目に視線をくれていたが、すぐに真顔に戻って口を(ひら)いた。
「進展というか……桃の井様より、伝達です」
 言いながら、麟太郎は(ふところ)から書翰(しょかん)を取り出し、家茂に差し出す。受け取った家茂は、仕方なく和宮と繋いでいた手を放し、書翰を()けた。
 和宮が横から覗き込むので、彼女にも見えるようにしてやりながら、改めて文面へ目を落とす。
「――……何これ」
 文章を読んだと思しき()ののち、和宮が呟いた。
 チラリと視線を向けると、彼女の眉根は不快げに寄っている。それもそうだろう。桃の井からの(ふみ)には、将軍が病で伏せているにも関わらず、勅使は帝の名の(もと)、無理にでも登城すると言って来ていると書かれていたのだ。
「……どうするかねぇ……」
 溜息混じりに思わずこぼすと、「あたしが行く」と即座に和宮が言った。
「はい?」
 家茂としては、和宮に相談というか、問うたつもりは微塵もなかったのだが。
「だって、あんたは表向き、麻疹に罹ったことになってんのよ?」
「だから?」
「罹患したことになってから十日くらいは経ってるから、通常なら症状は治まる頃合いだけど……確か、松本の工作で、あと七日は稼げてるはずよね」
「まあな」
「勅使のこの勢いだと、主上(おかみ)の名の(もと)に寝室まで乗り込んで来兼ねないじゃない。仕方ないから、あたしが出るわ。いくらあたしが政略の使命を放棄したなんて知られてるからって、『皇女』としてのあたしにまで、下手な真似はできないはずよ」
 ()いた口が塞がらない。
(いや、言ってることは正論なんだけど!)
 自分の意識がない内に、聞いたこと以外で何かあったのだろうか。知らない(あいだ)に、彼女はどこか変わった気がする。
「勝」
 家茂が何か返すより早く、和宮は立ち上がって麟太郎を呼んだ。
「はい、御台様」
「あんた、大奥まで付き添ってもらえる? 一人で帰ってもいいんだけど……」
 そんなことを言われたら、家茂が麟太郎でも『(はい)』と答えざるを得なくなる。
 一瞬、唖然とした表情を見せた麟太郎は、程なく苦笑と共に、「お供いたします」と返して頭を下げた。

***

 大奥までとは言ったが、実際に麟太郎が付き添ってくれたのは、七ツ口までだった。
 ここまでは、外部の人間が、たとえ男性であっても自由に出入りが可能なのだ。
 一旦変装して、薬売りに化けた麟太郎は、「宮様のご用命ですが」と言って邦子を呼び出した。七ツ口まで出て来た邦子は、これも薬売りに付いてきた使用人に扮した和宮を見て、自分が何をすべきかを察したらしい。
 隙を見て、和宮だけを連れて、大奥へと引き取った。
「宮様」
「姉様の文を見て戻ったの。勅使はいつ来るって?」
 互いに前置きはなかった。久し振りに会った折の挨拶もなしに、和宮は居室へ駆け込み(ざま)、着ていた服を脱ぎ捨てる。
「二、三日の内でしょう」
 邦子は、用意してあったらしい普段着を取り上げ、和宮に着せ掛けながら続けた。
「はきとした日付は通達されませんでした。準備などする暇を与えぬ為でしょうが」
「二、三日か……家茂のほうは引き延ばせてあと三、四日ってトコね」
「はい」
 以前のように、小袖の上から袴を履き、脚絆(きゃはん)を自分で手早く縛り上げる。
 折角、江戸の女中に歩み寄るのにまずは格好から入ったが、この件がきちんと落着するまでは仕方がない。碌に動けなくては、却って不都合がいくらでも起きるのだ。
「じゃ、()が来るまでに、やれることをやりましょ。姉様。頼んだことはどこまで上がってる?」
「はい、宮様。こちらに」
 邦子は、書物が載った、長方形の盆を差し出した。書物を取り上げて開くと、どうやら報告書のようだ。
「これは……慶喜の調査報告?」
「はい。ですが、慶喜殿に関しては、表面上のことしか調べられませんでした。申し訳ございません」
「表面上って?」
「そちらを詳細に読んでいただければ分かりますが、ご本人のお名前、幼名、ご両親に異母の者を含むご兄弟姉妹(きょうだい)、妻子と言った家族構成、それに(つら)なる縁戚関係と、今年までの簡単な略歴です。あとは、外に向けて発言しておられたことなどになりますか」
「……十四代争いに負けたのは、口では『気にしてない』って言ってるみたいだけど……」
 パラリと頁をめくって呟く。
 寧ろ、『下手に将軍になって、失敗したら格好悪いから、負けてよかった』などと吹聴していたようだ。が、家茂に真剣で襲い掛かった今回の件を(かんが)みれば、最早見せ掛けだ。実のところ、相当悔しかったに違いない。
「……義母君(ははぎみ)が、確か慶喜の継嗣問題に際して輿入れされたって、邦姉様言ってたよね」
「はい。それとなく天璋院(てんしょういん)様にも探りを入れてみましたが、天璋院様ご自身も、ご実家……いえ、最初に養女に入られた島津家で、養父となられた島津斉彬(なりあきら)殿から、とにかく慶喜殿を十四代将軍として()すようにと命じられただけで、慶喜殿の人となりについてはご存じでなかったようです」
「そっか……」
 仮にも、日本の(おさ)という座に就く人間として推すのであれば、人となりくらい事前に調べておくべきでは、と思ったが、元来、この国では、上流階級の女性は通常、内に押し込められている。
 調べ回れるような自由は、武家の女性にもなく、周囲の政略で嫁いで来たら、そんなものなのかも知れない。
(……あたしも似たようなモンだったしなぁ)
 慶喜の報告書を一旦閉じ、盆に置かれたもう一冊に手を伸ばす。
 こちらは、慶喜の報告よりももっと厚さが薄い。
「……こっちは……」
「先日の、偽装出火について纏めました。証人となるはずの火之番(ひのばん)が全員亡くなってしまったので、やはり表面上のことと、生き残った火之番から聞き取れたことしか書けていませんが」
「生き残ったって」
(きも)の部分は、熾仁様と慶喜殿に通じていた三人しか知り得ぬことです。しかし、偽装であろうと、ああいう非常時に真っ先に現場で立ち回るのは火之番ですし、幸い、火之番の中で上位となる三人の内、二人は存命でしたから、その者たちから話を聞きました」
「そう。ありがとう。お疲れ様」
 邦子がいつものように頭を下げるのを視界の端に収めながら、和宮は偽装出火についての報告書を(ひら)いた。

©️神蔵 眞吹2024.
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登場人物紹介

【和宮親子内親王《かずのみや ちかこ ないしんのう》(登場時、7歳)】


生年月日/弘化3年閏5月10日(1846年7月3日)

性別/女

血液型/AB

身長/143センチ 体重/34キロ(将来的に身長/155センチ 体重/45キロ)


この物語の主人公。


丙午生まれの女児は夫を食い殺すと言う言い伝えの為、2歳の時に年替えの儀を行い、弘化2年12月21日(1846年1月19日)生まれとなる。

実年齢5歳の時、有栖川宮熾仁親王と婚約するが、幕閣と朝廷の思惑により、別れることになる。

納得できず、一度は熾仁と駆け落ちしようとするが……。

【徳川 家茂《とくがわ いえもち》(登場時、15歳)】

□幼名:菊千代《きくちよ》→慶福《よしとみ》


生年月日/弘化3年閏5月24日(1846年7月17日)

性別/男

血液型/A

身長/150センチ 体重/40キロ(将来的には、身長/160センチ、体重/48キロ)


この物語のもう一人の主人公で、和宮の夫。


3歳で紀州藩主の座に就き、5歳で元服。

7歳の頃、乳母・浪江《なみえ》が檀家として縁のある善光寺の住職・広海上人の次女・柊和《ひな》(12)と知り合い、親しくなっていく。

12歳の時に、井伊 直弼《いい なおすけ》の大老就任により、十四代将軍に決まり、就任。この年、倫宮《みちのみや》則子《のりこ》女王(8)との縁談が持ち上がっていたが、解消。


13歳の時には柊和(18)も奥入りするが、翌年には和宮との縁談が持ち上がり、幕閣と大奥の上層部に邪魔と断じられた柊和(19)を失う。

その元凶と、一度は和宮に恨みを抱くが……。

【有栖川宮熾仁親王《ありすがわのみや たるひと しんのう》(登場時、18歳)】


生年月日/天保6年2月19日(1835年3月17日)

性別/男


5歳の和宮と、16歳の時に婚約。

和宮の亡き父の猶子となっている為、戸籍上は兄妹でもあるという不思議な関係。

和宮のことは、異性ではなく可愛い妹程度にしか思っていなかったが、公武合体策により和宮と別れる羽目になる。

本人としては、この時初めて彼女への愛を自覚したと思っているが……。

【土御門 邦子《つちみかど くにこ》(登場時、11歳)】


生年月日/天保13(1842)年10月12日

性別/女


和宮の侍女兼護衛。

陰陽師の家系である土御門家に生まれ、戦巫女として教育を受けた。

女だてらに武芸十八般どんと来い。

【天璋院《てんしょういん》/敬子《すみこ》(登場時、25歳)】

□名前の変転:一《かつ》→市《いち》→篤《あつ》→敬子


生年月日/天保6年12月19日(1836年2月5日)

性別/女


先代将軍・家定《いえさだ》の正室で、先代御台所《みだいどころ》。

戸籍上の、家茂の母。


17歳で、従兄である薩摩藩主・島津 斉彬《しまづ なりあきら》(44)の養女となる。この時、本姓と諱《いみな》は源 篤子《みなもとのあつこ》となる。

20歳の時、時の右大臣・近衛 忠煕《このえ ただひろ》の養女となり、名を藤原 敬子《ふじわらの すみこ》と改める。この年の11月、第13代将軍・家定の正室になるが、二年後、夫(享年34)に先立たれ、落飾して、天璋院を名乗っている。

生まれ育った環境による価値観の違いから、初対面時には和宮と対立するが……。

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