わがままな視線
文字数 2,184文字
今日もひとり、窮屈で息苦しいお昼ご飯。残念だけど外は雨。人知れず静かに過ごせる非常階段の踊り場を諦めて、自分の席で購買のサンドイッチの封を切る。
今日の日替わり特製ジュースの味は何かな? そんなささやかな楽しみだけで、胸の奥でグチャグチャになったものから目を反らして、クラスの冷やかで妬みの混じった嘲笑 から逃げるようにして小さなサンドイッチに視線を下ろす。そうして今日も俯いたまま帰るだけ。
ずっとその繰り返し。高校生になったって何も変わらない。変えられなかった。卒業まできっとこのまま。もう、それでよかった。そう思ってたのに、どうして……。
「あれ、真示 くんだよね? すごい久しぶりじゃない?」
「もう身体、平気なのかな? やっぱ、カッコイイよねえ。てか、あれ何? なんであの子のとこなんかに居んの?」
彼が私の前に立っていた。
赤いラインの入った白のレインコートから雨水を滴 らせて、何も言わずに真直ぐこっちを向いて立っている、と思う。顔を見上げることなんてできなかった。いざ会ってみると、どんな顔したらいいか分からなくなった。
§
しん――布咲 くんは、入学初日からずっとクラスの中心で、皆に分け隔てなくて、私にだってそうだった。
『後蒡 さん、おっはよーー!』
『お? それ購買で売ってる謎ジュースっしょ? 俺もたまに買うんだけど、ずっとハズレでさ。当りってどんな味か知ってる?』
『今、掃除終り? ゴミ、俺持とうか? ゴミ捨て場、部室の隣だしさ』
でも、私は人が嫌いだ。好きになんてなれるはずなかった。
私を指差して嘲笑 うクラスの皆も、口先だけで軽蔑した目の先生も、あかねが悪いって真剣に向き合ってくれない親でさえ。
県外の高校に入学して見知った顔が居なくても、どれだけ頑張って真似して"普通"を繕 っても、結局また同じ事の繰り返し。クラスの皆が私に見切りをつけるのに半月もかからなかった。
なのに、布咲くんだけは違っていた。
私がずっと焦がれていたもの。いつからか憎んでいたもの。
そんな風に"普通"に声かけられても、どうしたらいいのか、もう分からないよ……。その普通が怖くて堪 らないのに……。
だから、私は――。
『あ、あのっ! どうして私に構うんですか!? みんな私の事、名前がダサいとか、何か気味悪いって避けて笑うのに……。私、あなたに何か付きまとわれるような事しましたか!?』
『えっ!? そんな風に思ってたの!? マジか……。あ、いや、今はこうじゃないか……』
正直、それで距離を取られてしまってもいいって思っていた。それが私の普通だったから。
でも、やっぱり彼は違った。私の突然の物言いに驚きはしたけど、その後珍しく改まって。
『クラスの皆がどう思ってるか知らないけど、その気味悪いっての、分からないんだよな。ていうか、むしろその目?』
『目? ……目付きが悪いって言いたいんですか!?』
『ああ、違くて。えっと、まっすぐっていうか。こう、奥に芯がある感じ? 他の皆にはない。その目はいいなあって思うけど』
『そ、そんなこと……!?』
『ああ、ごめんっ! もしかしてこれもマズかった!? 俺って――』
いつぶりかな。
否定される事に慣れすぎてしまった所為で、自分でもどうしようもできないくらいに重く硬く冷え切ってしまっていた心だったもの。"いいね"って、ただそれだけの言葉が、胸の奥でつっかえていたそれをそっと解 してくれた。すごく嬉しくて。溢 れた。
§
だけど、やっぱりだめ。私は私が大嫌いだ。
お詫びにって誘われたサッカーの試合。彼は隅っこで観ていた私に手を振ってくれたけど、その後ファールされて、布咲くんは緊急搬送されてしまった。
それから半年。彼が入院している間、何故か私が観に行っていたことがクラスにバレて、身に覚えのないやっかみ、八つ当たりの毎日。
だからね。今度もし彼に会えたら、ちゃんと言おうと思ってんだ。それで全部諦めて、忘れて、おしまいにしなくちゃって思ってたのに……。
ずるいよ。何も言わずに立ってるだけだなんて。私が好きな色覚えてて、そんなコートまで着てきて、どうして何も言ってくれないの? 試合が終わったら話があるって、それだけをずっと我慢して待ってたのに……。
――苦しかった。また私の身勝手な思い過ごしで彼の事を困らせて、傷つけてしまうかもしれない。彼の居場所まで醜 く汚して壊してしまうかもしれない。
――怖かった。私たち二人に向けられたクラス中の静かすぎる視線が。彼の視線が。
だから弱くて、臆病な私は――。
「……えっと、お腹空いちゃった。早く、お昼ご飯食べよっと……」
最低だ。
視界の端で小さく震えていた彼の拳が、弱々しく垂れ下がるのが見えた。
それから彼は教室に駆け込んできた時よりも静かに、誰とも口を利かずに、ひとり廊下の奥へと消えていってしまった。
§
それから数日が過ぎた。けれど、笑いの中で弾むあの声はもうずいぶん聞いていない。
その代わりに残ったのは私に向けられた刺すような視線だけ。でもそれも最近少し減った気がする。ううん、違う。そうじゃない。きっと私は居ない ことが普通になっただけなんだ。
だからかな。あれから特製ジュース、なんだか全然美味しくないんだよ?
今日の日替わり特製ジュースの味は何かな? そんなささやかな楽しみだけで、胸の奥でグチャグチャになったものから目を反らして、クラスの冷やかで妬みの混じった
ずっとその繰り返し。高校生になったって何も変わらない。変えられなかった。卒業まできっとこのまま。もう、それでよかった。そう思ってたのに、どうして……。
「あれ、
「もう身体、平気なのかな? やっぱ、カッコイイよねえ。てか、あれ何? なんであの子のとこなんかに居んの?」
彼が私の前に立っていた。
赤いラインの入った白のレインコートから雨水を
§
しん――
『
『お? それ購買で売ってる謎ジュースっしょ? 俺もたまに買うんだけど、ずっとハズレでさ。当りってどんな味か知ってる?』
『今、掃除終り? ゴミ、俺持とうか? ゴミ捨て場、部室の隣だしさ』
でも、私は人が嫌いだ。好きになんてなれるはずなかった。
私を指差して
県外の高校に入学して見知った顔が居なくても、どれだけ頑張って真似して"普通"を
なのに、布咲くんだけは違っていた。
私がずっと焦がれていたもの。いつからか憎んでいたもの。
そんな風に"普通"に声かけられても、どうしたらいいのか、もう分からないよ……。その普通が怖くて
だから、私は――。
『あ、あのっ! どうして私に構うんですか!? みんな私の事、名前がダサいとか、何か気味悪いって避けて笑うのに……。私、あなたに何か付きまとわれるような事しましたか!?』
『えっ!? そんな風に思ってたの!? マジか……。あ、いや、今はこうじゃないか……』
正直、それで距離を取られてしまってもいいって思っていた。それが私の普通だったから。
でも、やっぱり彼は違った。私の突然の物言いに驚きはしたけど、その後珍しく改まって。
『クラスの皆がどう思ってるか知らないけど、その気味悪いっての、分からないんだよな。ていうか、むしろその目?』
『目? ……目付きが悪いって言いたいんですか!?』
『ああ、違くて。えっと、まっすぐっていうか。こう、奥に芯がある感じ? 他の皆にはない。その目はいいなあって思うけど』
『そ、そんなこと……!?』
『ああ、ごめんっ! もしかしてこれもマズかった!? 俺って――』
いつぶりかな。
否定される事に慣れすぎてしまった所為で、自分でもどうしようもできないくらいに重く硬く冷え切ってしまっていた心だったもの。"いいね"って、ただそれだけの言葉が、胸の奥でつっかえていたそれをそっと
§
だけど、やっぱりだめ。私は私が大嫌いだ。
お詫びにって誘われたサッカーの試合。彼は隅っこで観ていた私に手を振ってくれたけど、その後ファールされて、布咲くんは緊急搬送されてしまった。
それから半年。彼が入院している間、何故か私が観に行っていたことがクラスにバレて、身に覚えのないやっかみ、八つ当たりの毎日。
だからね。今度もし彼に会えたら、ちゃんと言おうと思ってんだ。それで全部諦めて、忘れて、おしまいにしなくちゃって思ってたのに……。
ずるいよ。何も言わずに立ってるだけだなんて。私が好きな色覚えてて、そんなコートまで着てきて、どうして何も言ってくれないの? 試合が終わったら話があるって、それだけをずっと我慢して待ってたのに……。
――苦しかった。また私の身勝手な思い過ごしで彼の事を困らせて、傷つけてしまうかもしれない。彼の居場所まで
――怖かった。私たち二人に向けられたクラス中の静かすぎる視線が。彼の視線が。
だから弱くて、臆病な私は――。
「……えっと、お腹空いちゃった。早く、お昼ご飯食べよっと……」
最低だ。
視界の端で小さく震えていた彼の拳が、弱々しく垂れ下がるのが見えた。
それから彼は教室に駆け込んできた時よりも静かに、誰とも口を利かずに、ひとり廊下の奥へと消えていってしまった。
§
それから数日が過ぎた。けれど、笑いの中で弾むあの声はもうずいぶん聞いていない。
その代わりに残ったのは私に向けられた刺すような視線だけ。でもそれも最近少し減った気がする。ううん、違う。そうじゃない。きっと
だからかな。あれから特製ジュース、なんだか全然美味しくないんだよ?