文字数 1,441文字

 その夜、黙って体を自由にさせてくれるミライを、好きなだけ抱いた。疲れ果てて眠るミライに添い寝して、後ろから包み込むようにして抱いて、髪の生え際の産毛を見ながら、幼い頃の姿を想像した。元々化粧などせずとも周囲から視線を集めるような美人だった。紅を落とした薄い唇、はっきりとした目鼻立ち、健康的に日焼けした肌、短くさっぱりと整った髪、その全てが愛おしかった。髪に顔を埋めると、石鹸の香りがした。そのまま首から背中にかけて唇を這わすと、可憐な吐息が漏れた。
「幼い頃はどんな子だったの?」
 肌に触れながら尋ねた。
「そうね、普通の女の子よ」
「女優になりたいって思ったの、いつ?」
 白い歯を覗かせ、
「高校生の頃かな。私、モテたから」
「テツヤくんはどうして映画をやろうと思ったの?」
「元々何でもよかったんだよ。僕って何やっても長続きしなくて、野球も、油絵も、勉強も全て途中で投げ出してきちゃったから、それがコンプレックスだった」
「今度は大丈夫よね。映画監督になって、作品が映画化されたら、私を主演女優に使ってくれるんだもんね?」
 力無く頷いた。落ち込む表情を見て、ミライがテツヤの胸にキスをした。
「元気出して、私、あなたのそういうところ好きよ」
「私ね、絶対に女優、諦めない。一度きりの人生じゃない? 死ぬ前に、ああ、つまらない人生だった、なんて思いながら死にたくないのよね。芸能界に入ったから素晴らしい人生になるなんて、思ってはいないけど、諦めたら後悔すると思う」
「何となくミライの学生時代が想像できるよ、僕と似てるから」
「どんな生徒だったと思う?」
「教室の隅で、目立たないようにしてる子」
 ミライが白い歯を見せた。
「私たち、似てるのかしら」
「似てないかい?」
 微笑してテツヤの手を払い、下着に手を伸ばした。

 朝、目が覚めると、すでに学校の始業時刻を過ぎていた。メールで学校の仲間に風邪で休むことを伝え、裸でベッドに横たわっていた。カーテンの隙間から陽が漏れ、部屋の外ではまたアブラ蝉が鳴き始めた。
「エアコン、入れようか?」
 時計を見た。
「裸のまま、エアコン入れたら、本当に風邪ひくわよ」
 ミライがタオルケットを引き寄せた。
「私、何てB組に連絡入れようかしら? テツヤくんと付き合ってること、まだ誰にも言ってないし、二人同時に休むってどう考えても妖しいでしょう? 私、少し遅れてでも学校行こうかしら」
「遅れて行く方が逆に目立つよ。今日は急なアルバイトでとか、レッスンでとか、劇団の仲間と飲み過ぎてとか適当に言っとけばいいじゃん」
「そうよね、そうする。だけど私、みんなに嘘つくの何となく苦手なのよね。嘘つくと何か胸の辺りが締め付けられると言うか、ドキドキしちゃって、私、こう見えて、かなりの心配性なの」
「心配性で女優志望なのかい?」
「まぁ、ひどい言い方よね。まるで女優さんが、簡単に嘘がつけて、図太いみたいに言うじゃない? あなた、わかってない」
「違うの? 心配性なら、不安定な芸能界なんかじゃなくて、例えば公務員とかもっと人生確実に安定求めてそうに思うけど」
「人生に確実なものってあるのかしら? それって個々人の生き方の問題であって、私は心の安定を求めて、女優さんになろうと決めたの。私がOLになってでも、公務員になってでもいいけど、それがテツヤくんの言う安定するということなのかしら?」
「僕が悪かった。ミライが正しい」
「テツヤくんのそういう素直なところが好きなの」
 ミライが白い歯を覗かせた。
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