1、屋上にて【千歳】
文字数 2,294文字
つい目を細めるけれど、微笑 ったわけじゃない。屋上を照りつける太陽に、夏服のシャツがまぶしすぎただけ。告白のセリフが少しでも変化球だったなら、微笑えたかもしれないけれど。
「君のことを、そういうふうには見ることできないの。ごめんなさい」
「沖沢さん――ええと、少し試してみるだけでも……」
首を横に振った。
去年は同じクラスで、委員長もいっしょにやった。友達かと聞かれれば、たぶんそうねと答えるだろう。
――でも、それだけのこと。
彼は心もち背を丸めて、屋上からの階段を下っていった。
季節は六月。梅雨の晴れ間は貴重だし、とても風の香りがいい。
深呼吸を終えて、振り返らずに呼びかける。
「人の告白をのぞき見だなんて、悪趣味」
「のぞき見なんかじゃないよ」
陰に座っていた人影が立ち上がった。
「僕のほうが先に、ここにいたんだから」
となりに立たれてにらみつけると、へらりと笑顔で返された。
瀬野譲 はまじめに授業に出ないことも多いのに、なぜが常に成績は学年二位だ。そのうえ、だれが言い出したのか「はかなげ系美少年」。認めたくはないけれど、本当のことだから認めないのはフェアじゃない。
「ちとせに告白しに来たやつって、何人目?」
「そんなの、いちいち数えないでしょ」
「うわ、かわいそう」
瀬野は笑った。まったく、どの口がかわいそうなどと言えるのか。
「君にだけは言われたくないわね。君と比べたら、私なんか数える価値もないくらいに少しだもの」
腰まで伸ばした長い髪と、常に学年一位の成績を保っていることが少し目を引くくらいで、私――沖沢千歳は、どうということもない高校二年生だ。そんな私でも、ときには男子から告白されたりする。なんて物好きなんだろうと思って断るのだけど、もしかしたら、単に私がまとめているノートや参考書への書きこみが目当てなのかもしれない。
瀬野は、ほとんど毎日といっていいほど呼び出される。そして恋する女子たちから差し出される告白やプレゼントを受けとったそばから、微笑んだままばっさばっさと投げ捨てる、らしい。私はのぞき見をしたわけじゃないから、真偽のほどは知らないけれど。
「ああそうだ。ちとせ、この前の話。考えてくれた?」
瀬野がにっこりした。
「どんな話だったっけ」
瀬野は唇を絶妙な角度でつり上げたまま、
「僕を好きになってほしいって話だよ」
「断られるとわかっているのに、どうしてめげないの」
「なんで?」
心外そうに、目をみはって小首をかしげる。
「なんでって、自分の胸に手をあてて考えなさいよ」
「心当たりなんてないから聞いてるのに」
「何人も女の子をばっさばっさ断ってるんでしょう?」
「断らずに何人もとつきあうほうがどうかしてると思うけど」
それは当然のことで、そういうことが言いたいわけじゃない。
「誠意がこもってないの、瀬野は。告白するのも、されるのも」
「僕の誠意がどれくらいか知りたい?」
「遠慮します」
フェンスに背中をあずけると、ギシ、と軽くきしみをあげた。
「瀬野には、優理 みたいな女の子が似合うと思うの」
「うん、山浦さんはかわいいね」
瀬野は素直にうなずいた。山浦優理は、私の数少ない友達の一人だ。
「優理はほんとうにかわいいもの。小さくて、白くて、細くて、目が大きくて、まつげ長くて、守ってあげたくなる感じで」
「でも山浦さんには滝村がいるし」
「だから優理みたいな、ってたとえただけ。私のどこがいいの?」
瀬野も私のとなりで、フェンスにもたれかかった。太陽が熱い。なんだか、二人して網で焼かれている魚になったみたいだ。
「どこがいいとかどこが好き、なんじゃなくて、ちとせだからいいんだ」
「瀬野の言葉って、どっかの小説から引っぱってきたみたいって、よく言われない? きれいごとすぎるって。男子にとって大事なのって、女の子がかわいくて自分の思い通りになることでしょ。」
「そうじゃないやつもいるよ」
そう言った瀬野のまなざしは、なぜかとても真剣で。こいつもこういう目ができるんだなって、私は妙に感心してしまった。
だって瀬野譲は、いつでもだれにでも上辺だけやさしくて。上辺だけのやさしい笑顔をふりまいていて。私だって、そんな瀬野しか知らなかったから。
「それに……自分より頭がいい女は彼女にしたくないって思っている男は多いって、日本史の田端先生も言ってたじゃない」
「少なくとも、ちとせに告白してくるやつらは、みんなちがうと思うよ。成績、ちとせがトップなんだから」
気乗りのしない顔で、私は瀬野を見る。瀬野はまたいつもの、やわらかくて少しうさんくさく感じられる微笑みにもどっていて、「そうなんだよ」とうなずいた。
「だから、僕の誠意と想いに応えてほしいな」
「いったいどこをどうしたら、だからが出てくるの。何の脈絡もないじゃないの」
ちょうど、昼休みが終わる五分前。予鈴がうるさく鳴っている。
「私は教室にもどるけど、瀬野はサボり?」
「うーん……ひとりじゃさびしいから、ちとせもつきあってよ」
「嫌」
突っぱねられたのに、瀬野の笑みが深くなる。風に、さわりと彼の髪が揺れる。
私の髪も、風にもてあそばれる。じっとりと首筋は汗ばむのに、束ねたくないのは私のこだわりで。
「じゃあね」
動こうとしない瀬野に手を振って、私は屋上をあとにした。
それにしたって、校舎の屋上の鍵が壊れっぱなしなのって、問題だと思う。
私の胸の鍵のほうが、うんと頑丈だ。
「君のことを、そういうふうには見ることできないの。ごめんなさい」
「沖沢さん――ええと、少し試してみるだけでも……」
首を横に振った。
去年は同じクラスで、委員長もいっしょにやった。友達かと聞かれれば、たぶんそうねと答えるだろう。
――でも、それだけのこと。
彼は心もち背を丸めて、屋上からの階段を下っていった。
季節は六月。梅雨の晴れ間は貴重だし、とても風の香りがいい。
深呼吸を終えて、振り返らずに呼びかける。
「人の告白をのぞき見だなんて、悪趣味」
「のぞき見なんかじゃないよ」
陰に座っていた人影が立ち上がった。
「僕のほうが先に、ここにいたんだから」
となりに立たれてにらみつけると、へらりと笑顔で返された。
「ちとせに告白しに来たやつって、何人目?」
「そんなの、いちいち数えないでしょ」
「うわ、かわいそう」
瀬野は笑った。まったく、どの口がかわいそうなどと言えるのか。
「君にだけは言われたくないわね。君と比べたら、私なんか数える価値もないくらいに少しだもの」
腰まで伸ばした長い髪と、常に学年一位の成績を保っていることが少し目を引くくらいで、私――沖沢千歳は、どうということもない高校二年生だ。そんな私でも、ときには男子から告白されたりする。なんて物好きなんだろうと思って断るのだけど、もしかしたら、単に私がまとめているノートや参考書への書きこみが目当てなのかもしれない。
瀬野は、ほとんど毎日といっていいほど呼び出される。そして恋する女子たちから差し出される告白やプレゼントを受けとったそばから、微笑んだままばっさばっさと投げ捨てる、らしい。私はのぞき見をしたわけじゃないから、真偽のほどは知らないけれど。
「ああそうだ。ちとせ、この前の話。考えてくれた?」
瀬野がにっこりした。
「どんな話だったっけ」
瀬野は唇を絶妙な角度でつり上げたまま、
「僕を好きになってほしいって話だよ」
「断られるとわかっているのに、どうしてめげないの」
「なんで?」
心外そうに、目をみはって小首をかしげる。
「なんでって、自分の胸に手をあてて考えなさいよ」
「心当たりなんてないから聞いてるのに」
「何人も女の子をばっさばっさ断ってるんでしょう?」
「断らずに何人もとつきあうほうがどうかしてると思うけど」
それは当然のことで、そういうことが言いたいわけじゃない。
「誠意がこもってないの、瀬野は。告白するのも、されるのも」
「僕の誠意がどれくらいか知りたい?」
「遠慮します」
フェンスに背中をあずけると、ギシ、と軽くきしみをあげた。
「瀬野には、
「うん、山浦さんはかわいいね」
瀬野は素直にうなずいた。山浦優理は、私の数少ない友達の一人だ。
「優理はほんとうにかわいいもの。小さくて、白くて、細くて、目が大きくて、まつげ長くて、守ってあげたくなる感じで」
「でも山浦さんには滝村がいるし」
「だから優理みたいな、ってたとえただけ。私のどこがいいの?」
瀬野も私のとなりで、フェンスにもたれかかった。太陽が熱い。なんだか、二人して網で焼かれている魚になったみたいだ。
「どこがいいとかどこが好き、なんじゃなくて、ちとせだからいいんだ」
「瀬野の言葉って、どっかの小説から引っぱってきたみたいって、よく言われない? きれいごとすぎるって。男子にとって大事なのって、女の子がかわいくて自分の思い通りになることでしょ。」
「そうじゃないやつもいるよ」
そう言った瀬野のまなざしは、なぜかとても真剣で。こいつもこういう目ができるんだなって、私は妙に感心してしまった。
だって瀬野譲は、いつでもだれにでも上辺だけやさしくて。上辺だけのやさしい笑顔をふりまいていて。私だって、そんな瀬野しか知らなかったから。
「それに……自分より頭がいい女は彼女にしたくないって思っている男は多いって、日本史の田端先生も言ってたじゃない」
「少なくとも、ちとせに告白してくるやつらは、みんなちがうと思うよ。成績、ちとせがトップなんだから」
気乗りのしない顔で、私は瀬野を見る。瀬野はまたいつもの、やわらかくて少しうさんくさく感じられる微笑みにもどっていて、「そうなんだよ」とうなずいた。
「だから、僕の誠意と想いに応えてほしいな」
「いったいどこをどうしたら、だからが出てくるの。何の脈絡もないじゃないの」
ちょうど、昼休みが終わる五分前。予鈴がうるさく鳴っている。
「私は教室にもどるけど、瀬野はサボり?」
「うーん……ひとりじゃさびしいから、ちとせもつきあってよ」
「嫌」
突っぱねられたのに、瀬野の笑みが深くなる。風に、さわりと彼の髪が揺れる。
私の髪も、風にもてあそばれる。じっとりと首筋は汗ばむのに、束ねたくないのは私のこだわりで。
「じゃあね」
動こうとしない瀬野に手を振って、私は屋上をあとにした。
それにしたって、校舎の屋上の鍵が壊れっぱなしなのって、問題だと思う。
私の胸の鍵のほうが、うんと頑丈だ。