第5話 天賦の才

文字数 811文字

 あれは自分が十二で、阿梨が七つの時だ。
 まだ少年だった勇駿は船の甲板で父に体術を習っていた。阿梨は最初はもの珍しげに二人の姿を眺めていたが、やがて自分もやってみたいと言い出したのだ。
 姫の申し出に苦笑していた勇仁だったが、ふと、よい考えだと気づいた。
 阿梨は羅紗国の王女であり、水軍の長の孫だ。立場上、命を狙われたり、誘拐されたりする危険性は大いにあり得る。
 曲者はいつどこから忍び寄ってくるかわからない。自分の身は自分で守れるように武術を学んでおくのは、阿梨にとって有益であろう。
 勇仁はしゃがみこみ、眼を細めて笑いながら阿梨の頭をなでた。
「ほほう、姫さまも体術を習いたいと。感心ですな。よろしい、お教えしましょうぞ」
 当然、稽古相手は勇駿である。
「まずは相手の腕をこうつかんで重心を移動させ……自分だけの力で投げようとするのではなく、相手の力を上手く利用するのです」
 最初は立ったまま練習相手になっていた勇駿だったが、今度は実践とばかり、数歩離れたところから阿梨に近づいていき──。
 次の瞬間、信じ難いことが起きた。
 阿梨に素早く腕をつかまれた勇駿が、あっという間に投げ飛ばされたのである。
 何が起こったのか、すぐには理解できず、勇駿は眼を白黒させた。
 なぜ自分は甲板の上にひっくり返っているのだ?
「これでよいのか?」
 あっけらかんとたずねてくる阿梨に、唖然としていた勇仁は我に返ると、大きく拍手をした。
「お見事でした、姫さま。まさか一度で習得されてしまうとは」
「武術というのは面白いな。もっと教えてくれ」
 無邪気にせがむ阿梨に、勇仁は何度も大きくうなずいた。
 これは天賦の才だ。この姫は幼いながらにして高い身体能力を持っている。
 阿梨の中に天性の才能を見出した勇仁は、祖父である長に教育係を願い出た。
 武術のみならず、航海術、海戦術、交易相手の国々の言葉など、さまざまな事柄を自分の息子と共に阿梨に教えたのである。




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登場人物紹介

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の美しき長。勇敢で聡明な娘だが、恋愛にはかなり疎い。

世間では「型破り王女」と言われている。

勇駿(ゆうしゅん)


阿梨の護衛で幼なじみ。彼女が王女という身分差もあって想いを口に出せずにいる。

勇仁(ゆうじん)


勇駿の父で阿梨の教育係。姫さま大事の忠義者。頑固。

セルト


阿梨たちが訪れたマルバ王国の第3王子。阿梨を気に入って求婚するが、その真意は……。

白瑛(はくえい)


阿梨の異母弟。羅紗国の王太子。母は違うし、年も離れているが、仲のよい姉弟。

真綾(まあや)


阿梨の母。美しくたおやかだが芯の強い女性。王妃の地位より海の民であることを選んだ。

ルキア


マルバ王宮女官長。セルトに頼まれ、阿梨を最高に美しい貴婦人にすべく使命感に燃える。

マルバ国王


水軍の大切な取引相手。大らかで人柄のよい王さま。

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