Side:Ranarnya 06

エピソード文字数 7,052文字

 リーディナの炎が踊る。
 その中で、ラナーニャは駆け回った。

 巫女装束は邪魔だ。足のところにスリットが入るように破り、地面を蹴って飛び上がっては、“迷い子”の脳天を叩き斬る。
 同時に横から飛びかかってきた獣をもう片方の剣で下から斬り上げた。さらにそれを振り下ろしてもう一匹、横薙ぎに振るってもう一匹。
 弱い《獣型(ビースト)》で助かった。自分でも十分に相手が出来る。ラナーニャは心底安堵しながら、それでも油断大敵と気を引き締める。

 敵は数が多い。
 動きを止めるわけにはいかない。

 前から右から左から。後ろから来るものはリーディナが始末してくれる。何より背後を取られないことを、剣の師匠(ちちうえ)に習ってきた。

 足の周りで揺れる衣装が邪魔で仕方がない。神殿で濡れた分はもうすっかり乾いているのだが、ラナーニャはドレスで――もっと言うならスカートで――戦う練習をしたことがない。
 それが仇となって、

「う……っ」
 布地が足に巻き付いた瞬間、獣の爪が脇腹を引き裂いていった。

「姫様!」
「大丈夫だ!」

 出血はある。けれど戦えないほどではない。ラナーニャはすぐに自分を攻撃してきた獣を斬り、返す刃でもう一匹を消滅させる。

「あらあら」
 妹の呑気な声がした。
「さすがお姉様。お見事だこと――伊達にひがな一日剣を振ってはいないわね」

 城門でこれほどの騒ぎが起きているのに、他に誰も出てこない。
 胸騒ぎがした。ぞわぞわと体の奥を這い上がってくる違和感。

 クローディアの背後を見すえた。
 前庭につながっているはずだが、何の灯りなのか不明なまぶしさが、全てを覆い隠している。
 城門の“迷い子”が半分以下に減ったのを確認し、

「リーディナ、ここを頼む!」
「姫様!? おやめ下さい!」
「心配なんだ……!」

 何が? 弟が? 叔父が? 高官たちが?
 いや、もっと根本的な何かが――

 仕方ないと諦めたのか、リーディナの炎が後押ししてくれた。まぶしく燃えて、クローディアの視界をつぶす。

「あん、もう!」

 暴れているクローディアの傍らを、ラナーニャは駆け抜けた。
 まぶしい光の中へ――



 光は、前庭を囲うようにしてあるだけだった。
 前庭自体は光っていない。ただ、この夜だというのに周囲の光で鮮明すぎるほど鮮明な光景。

 オーディがいた。
 ヴァディシスがいた。
 高官たちがいた。
 弟が真っ先に嬉しそうに両手を広げて、

「お帰りなさい、姉上」
 と言った。

 ラナーニャは、弟から一歩ひいた。
 体が芯から冷えるような気がした。まるで聖水に浸った、あのときのように。

「どうしたんですか、姉上。今夜はめでたい宴の日ですよ」

 にこやかに微笑む弟。双子のクローディアに比べると、こちらは随分大人びているのだが、今目の前にいる弟はどこか子供っぽい表情をしている。
 それはまるで、大好きな玩具を手にした子供のような――

 しかし。
 今はそれよりも、ラナーニャの目を奪うものがある。

「なん……だ、これ、は」

 ラナーニャは震える声を絞り出した。
 前庭と言え、一国の城だ。相当な広さがあるのだが――その庭を。
 埋め尽くしているものがある。

 ――人だ。ずらりと並んだ、人、人、人――

 ただ立っているのではない。
 一人一人が氷漬けになったように、青く透き通った円柱に包まれているのだ。

 よく見れば皆ラナーニャにも見覚えのある人々。使用人、兵士、学者。針子などの職人。
 全て、この城の住人たち。
 けれど信じられない。自分も多少は知っている人たちだとは、とても信じられない。

 まるで別人、いや、()()()

 こんな状況でなければ見とれてしまったに違いない美しい青い光の中で、皆微動だにしない。生命が止まっているかのように。――魂のない人形のように!

「よく帰ってきた、ラナーニャ。……ご苦労だったね」

 その円柱を見ていたヴァディシスが、ゆっくりと振り返る。
 ラナーニャは反射的に叔父を見た。

 ヴァディシスは普段好んできている、気ままなローブではなかった。何重にも重ね着をする、高官の正装。過去についぞ見せたことのない姿。
 なのに不思議なほど堂々と着こなしたヴァディシスは、ゆったりと微笑みを見せた。

「今夜は、新王誕生の宴となる。事実上の戴冠式だ」
「戴冠式……?」

 まるでピエロの戯言だ。あまりにこの場にそぐわない言葉だ。ラナーニャは首を振って、その言葉を拒絶する。
 けれど、弟も、叔父も、黙って控えている他の高官たちも、皆たしかに正装をしていて。
 破れ汚れた巫女装束の自分だけがひどく浮いている。

 彼らの視線が、空気が、彼女を強く圧迫する。苦しい、息ができない――

 ヴァディシスは青柱の中の人々を見やり、満足そうに目を細めた。
 否。その黒い瞳はどこか……底知れぬ色をしていて、ラナーニャを言い様もなく不安にさせる。

「万事うまく行っている。これは、新王を迎えるために行った儀式だ。新王の望む国を造り上げるための第一歩」
「わ、私はこんなこと望んでなど……」

 弱々しく、あえぐように紡ぐ言葉が、
()()()()()()
 ヴァディシスの一言に斬り捨てられ、宙で霧散する。

 言われた意味をすぐに理解できずに呼吸を止めたラナーニャの耳に、横から柔らかな声が届く。

「――次の王はわたしです」

 ラナーニャは無理やり引きずられるように頭を巡らせ、そう言った人物を見た。

「オーディ……?」

 弟は微笑んでいた。
 それはいつも姉に見せてきた、優しい微笑みと同じだった。だが――何かが違う。
 何かが、決定的に変化している。

 ラナーニャは身を震わせた。自分はこの目を知っている。よく、知っている。
 ――絶対的に自分を排除しようとする、平城の人々と同じ目。

「次の王はオーディ・ブラッドストーンと決まった」
 ヴァディシスがいつもの軽い調子でそう言った。
「そしてわたしは、次の王の後見人となる」

 それは私のことではなかったのか。そう思ったラナーニャの思考はすぐに打ち消された。そうだった、ヴァディシスはただ“王の後見人となる”と言ったのだ。
 ただの一度も、“ラナーニャの後見人になる”とは言わなかったのだ――

「いいじゃないですか」
 オーディは笑った。
「姉上は、王の座に座るのに気が進まない様子だったのですし」

 その声がやけに遠く聞こえる。別世界の、全く理解できない世界の人間たちの声のように。

「――皆を、どうするつもりだ……?」

 ラナーニャはもう一歩退いた。
 足は前庭の草を踏み、その柔らかさに、そのまま沈み込んでしまいそうな錯覚に陥った。

「姉上が知る必要はないですよ」
「――まるで魂がないようなあれは――」
「その通り、魂は別の場所に集めました」

 オーディは何でもないことのように言った。
 魂を別の場所に集めたなどと、普段なら到底信じられなかったに違いない。
 だが、今ラナーニャが目にしている人々の姿は、明らかに尋常ではなかったのだ。
 そしてそのことは更なる恐怖を呼ぶ。魂だけ体から抜き取って、その後は?

 思い出す、クローディアが引き連れていた男たち。どこを見るでもなく、ただ(たたず)んで、クローディアの命に諾々(だくだく)と従っていた男たち。

 まさか、彼ら、も……

「―――」

 その考えから逃避しようとしたのか、意味もなく視線を巡らせると、彼らの背後に並ぶ高官たちが見えた。
 青柱の中にはいない彼らも、人形のように黙りこくっている。わざわざ意識して見つめなければ、彼らには気づかないような気がするほどに、気配がない。

 シレジアの高官たちは寡黙ではない。若くしてさっさと行政から身を引いてしまったヴァディシスに対する陰口と嘲笑を日課にしているような連中だと、国の中枢には近づけなかったラナーニャさえ知っている。
 能力はしっかりある権力者たちなのだが、彼らが完全に政治を司ったところを想像するたび、ラナーニャはいつもぞっとした。日常的に身近な人間を攻撃する者に、民を労われるはずがないと彼女は思っていたのだ。

 幸い、この国において国王の力は絶対で、父は高官たちを逆らわせなかった。
 王は高官たちをうまく使った。人柄と能力は違う。賢王はそれをよく分かっていたから。

 いわば父王がいることで保っていた、この国の危ういバランス。
 王がいなくなり、高官たちはどうするのだろうと思っていた不安が今、全く別の不安に変わる。
 こんな重要な場面で、一言も口を利かない彼ら――

 青柱の中に封じられているわけではない。それなのに。

「大臣たちが気になりますか?」
 オーディが、姉の視線に気づいてそう言った。
「彼らを封じることはしませんよ。何しろ大切な重臣たちですから」
「―――」
「《月闇(つきやみ)の扉》が開き、父上が亡き今、彼らまでいなくなっては民の混乱に収まりがつかないでしょう」

 それは正しい。正しいのだが、何故か腑に落ちない。
 その違和感の理由は、弟の次の言葉で明確になった。

「彼らは、()()()()()()()()()()()()

 呼吸がせき止められるような一瞬があった。
 今の言葉。それは、つまり――
 ラナーニャは大きく首を横に振った。青柱に閉じ込められた城中の人々。そして高官たち。魂の抜け殻。人形。彼らは。

「ひ――人の魂をもてあそぶつもりか!」

 壊れそうな意識が、最後の力で反抗しようとする。
 ヴァディシスが改めて姪を見る。銀縁眼鏡の奥の瞳は、凪いだ夜の湖のように深く清冽(せいれつ)すぎて、近づけば足を取られて逃げられないかのような錯覚に陥った。
 彼は、目を細めて、その視線だけでラナーニャを射貫く。

「何を言っている? お前も城門で“迷い子”を殺してきたのだろう」
「―――!」

 いつもどこか悪戯っぽく人を見る人が、今も――唇の端を皮肉気に持ち上げて。

「その上でわたしたちを非難するか? お前も()()()()()()()()()

 “迷い子”も人間なのよ――

 妹の言葉が何度も耳の奥に響いた。
 地面が揺れる。いや、気のせいだ。だが立っていられない。ああ。
 ――彼らの言葉はすべて、すべてその通りだ。

 そんなラナーニャを観察するように眺めていたヴァディシスが、やがて表情を消した。その彼の隣にオーディがつく。まるで、自分の居場所はそこだとでも言うように――それはとても自然の動き。

 弟と叔父は視線を交わした。ヴァディシスは、ふっと唇を笑み崩した。

「……リーディナはよくやってくれたものだ」
「!?」

 ラナーニャの崩れかかっていた精神がひととき、止まる。
 決して聞き逃せない言葉だった。どれだけ世界が壊れようとも。
 踏みとどまったラナーニャを見ることもなく、ヴァディシスは無感動な声を続ける。

「見事お前を手の上で転がしてくれた……わたしたちの都合のいいように」
「……!?」

 動揺が、ラナーニャの顔を再度凍りつかせた。
 オーディはそんな姉を哀れむように見る。申し訳なさそうな顔にも、見えた。

「何を驚きですか? リーディナ以外にいないではないですか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて」

 瞠目(どうもく)。一瞬にして、口の中がからからに乾く。
 何を……言っている? 彼らは、何を、

 ヴァディシスは銀縁眼鏡を押し上げながら――その仕草をするとき、彼はいつもなぜかうつむき、一瞬表情を隠してしまう――オーディに傾けていた視線をラナーニャへと移す。

「リーディナほどの術者を、放っておくわけにもいかなかったからな。あれを敵に回すのはうまくない……となれば、早々にこちらに抱き込むのが一番だ。まったく有能な娘だよ、あれは」
「叔父上、クローディアとの約束を守ってくださいね。でないとクローディアがうるさくてたまらない」
「分かっているさ、オーディ。……リーディナはクローディアの側につけよう。優れた術者は優れた術者の側に侍るのがもっとも力を発揮できる」

 もはや彼らの言葉はラナーニャに向いていない。
 ラナーニャを、完全に排除して。

 彼らとの距離はさほどない。なのに遠い。
 いや、見えない壁があるのだ。決して超えられない――境界。

 ラナーニャはうつむいた。ひどく頭が重く、まるで鉛のようだった。
 その重みに負ければ、きっと心ごと闇に沈むだろう。自分は抵抗できない。全身を探しても、そんな力が見つからない。
 叔父と弟と妹に、反抗する力などない。

 否、私には最初から、何の力もないのだ。自分には――誰もが持つ神の加護がない。

(リーディナ……)

 強く、誇り高くあって下さい。
 姫様。

 ねえ、誇りとはなに? リーディナ。心の中でラナーニャは問いかける。
 分からない。
 私には分からない、自分にそんなものを持つ資格があるのかさえ。
 自分には何の力もない。何もできない。何も。

 ――何も?

 空に暗い月が輝く夜。遠く、耳を澄ませば、城門の方では怒号が聞こえる。人のものではない咆哮も。
 城下はきっと混乱に陥っていることだろう。ここはイリス神の加護の国。力ある民の国。彼らはきっと戦っている。例え無事ではいられなくても、襲われるままにはしておかない。

 自分ひとりだけ無力。ずっとそうだった。ずっとそうだった、から。
 ――ひとつだけ、できたことがある。

 ゆっくりと顔を上げる。
 オーディと視線が合った。弟は眉をひそめた。初めて見る顔だった。ずっと自分には優しげにしていた彼にこんな顔をさせる――自分がどんな表情をしているかなど知らない、だけど。

「私を惑わそうとしても無駄だ、オーディ。叔父上」

 心が凪いでいた。心の中にあるたったひとつの“答”を見つけたとき、全ての動揺は消え去った。

「リーディナは私の侍女で側近。今も昔も、私を裏切ったことはない」

 ――姫様、しっかりなさってください。あなたは神の申し子。
 姫様、ご自分のご身分をお考えください。
 ここはお任せください姫様。

 ――姫様――

 厳しくて優しい声は常に自分の傍らにあった。自分が笑うときも泣くときも、常に共にあった。
 ……人の好意を信じられないでいた自分が、たったひとつ信じていたもの。

 ()の人は自分のために何をしてくれてきた?
 それを一番よく知っている。だから、()の人に向ける心はたったひとつ。

 リーディナの真意がどこにあろうと構わない。ただ、自分は信じている。
 今この瞬間、心のどこにも疑念の染みが見つからないのは、自分たちが過ごしてきた時間の証に他ならなかったから。

 力のない自分が彼女に返してあげられるものは、この心ひとつだったから。

「リーディナの口から聞いてはいない。私はこの目で見てきたリーディナを信じている」
「姉上」

 オーディが嬉しそうに目を細めた。彼の黒い瞳は叔父によく似ているけれど、叔父のように底知れぬ不気味さはない。
 その一瞬、彼は以前の弟に戻っていた。いつもラナーニャにも礼を尽くしてくれていた彼に。

「……さすがは、姉上。そうでなくては」

 その声がどこか柔らかく、その隣でヴァディシスは愉快そうに肩を揺らして笑っていて、ラナーニャは戸惑った。
 彼らはなぜこんな顔をする?
 いや、惑わされてはいけない。自分が言うべきことは決まっている。

「リーディナを(おとし)めるなら許さない。例えこの身を削ろうとも私は――」
「そのリーディナなら、死にましてよ」

 背後から、声。

 冷水を浴びせかけられたような心地だった。うふふふ、と妖しい笑みが見えるようだった。
 クローディア――

 妹は、とても軽快に、遊ぶような声で、

「リーディナはね、花火のように、パーンと弾けて……キラキラと散ったの」

 嘘だ。
 リーディナはそんなに弱くない。私の知っているリーディナは。


 ――わたしは最後まで、あなたのお傍を離れません――


「リーディナが私を置いて死ぬものか……! 絶対に!」

 振り返り、力の限り叫んだ。
 壊れそうな胸が訴える。ただ一心に。
 私を置いていかないでくれ、と。
 父が亡くなったあの瞬間から、もはや彼女にはそれしかなかったのだ。

 ……すでに崩落していた彼女の世界の中でたったひとつの残った光を、手放したくなかったから。
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