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文字数 3,587文字





 「こうして、二人は、誰も隔てることのできない、深い友情で結ばれ……」

 「殿下殿下殿下!」
本をちらちらめくっていたスパイが叫んだ。
「ここには、違うことが書いてありますよ!」

「なんだって? 僕が読み違えたとでも言うのか?」
「なんというか……子どもの頃のカルロスは、もっとずっと、腹黒かったみたいですよ? ……」
 ……。







 ロドリーゴの放った矢が、王の姉の目の上に当たった事件より、以前。
 その日もやはり、王宮の庭園に陽光が降り注ぎ、子どもたちの歓声が満ち溢れていた。

 太陽めがけて、ギリシア風の柱が立ち並んでいた。太い円柱の影が、黒々と地面に落ちている。その陰に隠れるようにして、一人の少年が遊んでいる少年たちを見つめていた。

 庭園の主役、王子カルロスである。

 彼は劣等感に苛まれていた。ついさっき、かけっこでビリになったばかりである。恥ずかしさにそのままゴールを走り抜け、この円柱までやってきた。


 「ほら、泣かないで」
打ち沈むカルロスの耳に、優しい声が聞こえた。
 はっとして円柱の陰から身を乗り出すと、ロドリーゴが、年下の少年といるのが見えた。カルロスの鼻先を走ってゴールした子だ。

 子どもは泣いていた。その肩を抱くように、ロドリーゴが慰めている。
「次を頑張ればいいじゃないか。そしたら、お父さんだって褒めてくれるよ?」
「僕の走り方がかっこ悪いって、父上は言うんだ」
「そんなことはないさ。ただ、そうだな。ちょっと肘を曲げてみたらどうだろう」
「こう?」
少年は、肘を直角に曲げる

「うん、いい具合だ。そしてそのまま、前後に振る」
「こう? こう?」
「そうそう。体を前に倒して」

少年の背中に手を添え、上体を前傾させる。
「それでいい。そのまま走ってごらん」

「わかった!」
言われたとおりに、上半身を前に傾けて肘を曲げ、少年は走り始めた。

「うまいね! 君は素質がある」
並んで一緒に走りながら、ロドリーゴが褒めてやっているのが聞こえた。
「さっきはね、肘で勢いをつけるやり方がわからなかったから、負けちゃっただけなんだ。もう、大丈夫。次は、勝てるよ!」

「ありがとう、ロドリーゴ!」
甲高い声で、年少の少年は叫んだ。
「僕は、本当は、走るのが早いんだぞー!」
叫びながら、緑の芝の上を、どこまでも走っていく。




 笑いながら、ロドリーゴは立ち止まった。ぶらぶらと円柱の方へ歩いてくる。

 「ロドリーゴ」
その彼の前へカルロスは姿を現した。

「……」
ロドリーゴの顔から笑みが消えた。彼は無言でカルロスを見た。

「僕にも、……そのう、走り方、というものを、教えて欲しい」
「殿下は、十分に美しい形を保っておられます」
「だが、僕はビリだった!」
「ビリではありません。集団のどこを走ろうと、殿下のいらっしゃる場所が、先頭です」

「違う!」
いらいらとカルロスは遮った。
「お前は……お前は、走るのが早い。剣も達者だし、学問も秀でている。僕は、お前と仲良くなりたいんだ。仲良くなって、いろいろ教えてもらいたい」

「恐れながら、殿下」
恭しく、ロドリーゴは頭を下げた。
「私には、そのような技量はありません。殿下にものをお教えするような、だいそれたことは、天が許しません」
「僕がいいと言っている! だいたい、お前は何だ! あの子のような格下の身分の者には優しくしてやるくせに!」

 口をへの字に曲げ、さっきの少年が駆け去った方を睨んだ。

「僕は見てた! あの子には、あんなに親切に、肩を抱いて教えてあげてたじゃないか。なのに、なぜ、僕だけ除け者にするんだ?」
「殿下には、この国の一流の先生方がついていらっしゃいます。私ごときに口出しする隙はありません」
「そういうことではない!」
「さきほど殿下は、格下とおっしゃいました。私の家は、王家に比ぶべくもない、塵のような家柄です」

「お前は、ひどい」
とうとう、カルロスは叫んだ。
「僕がこんなに、お前のことを思っているのに!」
「……」

 冷静な目で、ロドリーゴが、カルロスを見る。
 厳かに、彼は言った。

「殿下。王子というものは、常に孤独に耐えねばなりませぬ」
 ……。







 「ちょっと待て」
プリンスが遮った。狼狽している。せわしなく本をめくりながら、尋ねた。
「そんなこと、どこに書いてある?」

「おとなになったカルロスが、言ってますよ。それを、ざっくりまとめると、こうなります」
平然とスパイが答えた。プリンスの手から本を取り上げた。
「ええと、……あ、ここだ。いいですか? カルロスがロドリーゴに言うセリフです」

 本を目の高さに上げ、読み上げる。


……お前の仕打ちは酷かった。お前はつれなく(おれ)の心を斥けて、胸のちぎれるような悲しい思いを己にさせたが、己はどうしてもお主から離れることが出来なんだ。(しゅう)である身が、三度臣下のお主に斥けられれば、三度とも、お主の愛を乞い求め、お主に愛を押し附けるために立ち返った。……



「そこは読んだけど……」
「だから、カルロスは、ロドリーゴの放った矢が伯母に当たった時、心の中で密かに喜んだんです。彼に変わって王の罰を受ければ、友の愛を勝ち取ることが出来るって」

「ううむ」
プリンスは唸った。
「ううむ」

「そうそう。これは、大人になってからの話ですが、王子はロドリーゴに、二人きりでいるときは、家来と主という茶番を演じるのは止めようと、提案しています。他に人がいる時は、これは、仮面舞踏会だからしょうがないと思おう、って」

 スパイは本を読み上げた。

……だが、仮面の陰から己はお主に目で合図し、お主は通りすがりに己の手を握って、互いに心を通わすのだ……


「そうだ! 二人は、兄弟の契を結ぶんだ! 実に感動的な場面だ!」
我を忘れて、プリンスが叫んだ。
「だって、カルロスはもう、一人じゃない……」

 スパイが、また、本を顔の前に立てた。声色を変えて、読み分ける。

(王子) お主はきっと己のものか。
(ボーサ侯) 永久に。その詞の意味の果まで。


 「おい、先走るなよ」
プリンスが留めた。スパイの手から、やっとのことで本を取り返す。

「大きくなった二人は、ともに王都を離れ、アルカラの大学で学んだ。自由な大学で、カルロスとロドリーゴは、身分を超えた友情を育んだ。国政について語り、治世について、民衆の幸せについて、熱く意見を戦わせる……」

 うっとりと、プリンスは両手を組み合わせた。青い目が、少しぼやけて見える。

アルカラ(だいがく)から、有能なボーサ公は、国外へ留学に出た。彼は、あちこちで有意義に学んだ。マルタ騎士団に入り、勇敢な働きをした。ロドリーゴ・ボーサ侯爵は、立派な騎士だった。ボーサ侯は、フランデルン(ベルギー・フランス・オランダの地方。この頃、オランダが、スペインからの独立を画策していた)に対する、イスパニア(スペイン)の圧政を知った。彼は、独立派の騎士たちと、密かに結んだ。そして、フランデルンの民の幸福を、必ずや実現させようという、気高い志を胸に、スペインへ帰国するんだ。」

「えっ、そんな難しい話になるんですね! ついてけないわけだ」
「お前が、飛ばし読みをしたり、変な解釈をしたりするからだ」

「どこがです? アルカラ(大学)から、ロドリーゴが諸国漫遊の旅に出て、傷心のカルロスは、エリザベトに夢中になった。少なくとも、女に目を向けるようになったわけです。……父の妻だけど」
「……」

プリンスは、スパイを睨んだ。何かいいかけて、やめた。本を取り上げ、首を振った。

「一方、アルカラ(大学)から帰ったカルロスは……」
「国を出ることが許されなかった」

 途切れた言葉の先を、スパイが補った。。

 プリンスは俯いた。
 それはとりもなおさず、今の彼の境遇と同じだったからだ。
 カルロスは、父王の猜疑心から(イスパニア)に留め置かれた。
 一方、プリンスの方は、父が戦に負けたことにより、母の実家に幽閉されている。

「あなたのような方を、宮殿に閉じ込めるのは、誤ったやり方だと思います」
口ごもりながら、スパイは言った。
「あなたにはきっとできる。何かはわからないけど、でも、きっとできる!」

「僕に何ができるというんだ?」
嘲るように、プリンスが言った。
「この国に閉じ込められ、情報を遮断された、この僕に!」

「だからあなたには、わかるのですね。ドン・カルロスの孤独が」
 深い溜め息を、スパイはついた。
 ……。













*~*~*~*~*~*~*~*~*

「」内、一行空きで挟まれた部分は、『ドン・カルロス』(シルレル、佐藤通次・訳 岩波書店)からの引用です。

段ボール少年たちの画像は、
Louish Pixel "Danbo and Sack Boy tattle-tale 27/365"
https://www.flickr.com/photos/louish/5394376741)
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登場人物紹介

カール大公

1771.9.5 - 1847.4.30

(カール大公の恋)


ライヒシュタット公の母方の大叔父。1796年の革命戦争では、ジュールダン麾下サンブル=エ=ムーズ軍、モロー麾下ライン・モーゼル軍と戦い、両軍を分断させ、勝利を収める。1809年のナポレオン軍との戦い(対オーストリア戦)の後は軍務を退き、軍事論の著述に専念する。

レオポルディーネ

 1797.1.22 ‐ 1826.12.11

(もう一人の売られた花嫁)


ライヒシュタット公の母方の叔母。皇帝フランツの娘。ポルトガル王太子ペドロと結婚する。ナポレオンの侵攻を受け、ポルトガル王室は当時、植民地のブラジルへ避難していた。ペドロとの結婚の為、レオポルディーネも、ブラジルへ渡る。

ヨーハン大公

1782.1.20 - 1859.5.11

(アルプスに咲いた花)


ライヒシュタット公の大叔父。皇帝フランツ、カール大公の弟。兄のカールに憧れ、軍人となる。

アダム・ナイペルク

1775.4.8 - 1829.2.22

(片目の将軍)


オーストリアの軍人。フランス革命戦争で赴いたオランダで片目を失う怪我を負うも、捕虜交換の形で帰国した。

ドン・カルロス

1787.初演

(「ドン・カルロス」異聞)


シラー(シルレル)の『ドン・カルロス』は、ライヒシュタット公の愛読書だった。

チャットノベルもございます

「ドン・カルロス」異聞

マリア・テレサ

 1816.7.31 - 1867.8.8

(叶えられなかった約束)


カール大公の長女。

マリー・ルイーゼ

1791.12.12 - 1847.12.17

(2つの貴賤婚)


ライヒシュタット公の母。ナポレオンの二人目の妻、かつてのフランス皇妃。ウィーン会議でパルマに領土を貰い、5歳になる直前の息子を置いて旅立っていった。以後、全部で8回しか帰ってこなかった(最後の1回は、彼が公的に死の宣告をされた後)。

エドゥアルド・グルク

1801.11.17– 1841.3.31

(画家からの手紙)


ウィーンの宮廷画家。メッテルニヒに見いだされ、採用された。グルクの死から約170年後、彼が描いた絵が、モル男爵の屋敷で発見された。モル男爵は、かつてライヒシュタット公の補佐官で、その死の床に最後まで付き添った。

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