おっぱい以外に価値が無いってどゆことですか?
文字数 6,502文字
その女の人は、唐突に現れた。B級映画はよくある、場面転換したらいきなりそこにいたパターン。
オレンジのビキニ(あ、この人もビキニなんだ)で、おっぱいが大きくて、大きくて、大きくて、なんか手首とか首の周りとか耳がギラギラ光ってる。ものすっごい量のネックレスとブレスレットとイヤリング。ごっついゴールドにあめ玉みたいなラインストーンがじゃらじゃらぶら下がったのをいくつもはめてる。
ゴールドとラインストーンに太陽が反射して、ぎら、ぎら、ぎら。
まぶしい。まぶしい。目に痛い。光がきつすぎて顏がよく見えないけど、唇が赤いのはわかった。
ぎらぎらネックレスビキニの人は、わざとらしく横を向いて、モデル立ちを決めて、髪の毛をかきあげた。ブレスレットがまたぎらっと光る。アイシャドウをたっぷり塗ったまぶたがけだるげにまばたきする。マスカラで増し増しにしたまつげが重そう。たっぷり3秒かけてお姉ちゃんをねめつけて、ふたたび赤い口を開けた。
「あ~ら、やっぱりキャシィだわぁ。まちがいないわね、その金髪。青い目!」
二回目。くどい。
「……ヘザー」
「偶然ねぇん、こんなところで会うなんてぇ」
何でこんなひっぱった喋りかたするのかな。日なたに置きっぱなしにしたキャラメルみたいにだるんだるん。のびきってだるんだるん。鼻にかかった声と相まって、油断すると何を言ってるのか聞き取れない。字幕を見ないとわからない。
「まだ一人なの? それとも、もしかして女三人でぇ、失恋旅行? やーだ、さみしーい。あれあれあれぇ、ま、さ、か」
あ、字幕が出た。助かる。でも読んでも読まなくてもいい内容だった。消そう。
……はい消えた。
ヘザーは腕組みして、腕でぐいっとおっぱいを盛り上げた。何なんだろうこのサービスシーン。露出もサイズも申し分ないはずなのに、見ててまったくうれしくない。誰徳?
「あたくしたちと同じ行き先にしたとかないわよねぇ?」
いや、映画的にそれはない。ここしか来るとこ、ない。って言うか「たち」。複数形。だれかと一緒?
「そーゆーの何て言うか知ってる? ストーカーって言うのよ」
待て待て待って、いきなり? お姉ちゃんを? ストーカー呼ばわりした?
何だろう、もやっとする。お腹の底がもやっとするぞ。この人相手が聞いて、一番嫌な言葉を選んでる。それってものすごく頭の回転が早くないとできないことだよね。だけどせっかくの知性を人を貶めることにだけ使うのって、悲しくない?
「あたくしみたく美しくて人格が優れていて学校でも人気があって、チアリーダーでお金持ちだと人からねたみを買ってしまうからー」
不自然に語尾があがる。
チアリーダーって、現実では女の子としてエリートなのかもしれないけれど、この手の映画じゃあ……
(あれだけ多くのチアリーダーがサメやゾンビに食べられるのは、食われちまえって泣きながら思ってる人が多いから。食べられてスカっとする人が多いから。なのに現実ではチアリーダーはやっぱり女の子として勝ち組で、何をされても逆らえなくて。どんなに人をいじめても、自殺に追い込んでも将来うまいことやって生きて行く。多分100人食べられても世界は変わらない。だけどここは、サメ映画。サメ映画の世界だ)
「こーわーいーわーっ」
シンディが拳を握り、ずいっと前に出る。頼もしい褐色の背中。めきょ、めきょっと上腕と方の筋肉が盛り上がる。すごい。一瞬、みとれた。
「キャシィを……侮辱するなぁっ!」
「待って、シンディ、おちついてーっ」
お姉ちゃんがしがみつく。私も慌てて後に続く。
「訂正しろ! キャシィはストーカーなんかじゃない! そもそもあんたになんか嫉妬してない!」
「どうだかぁ?」
「このっ!」
鼻息荒く前に出ようとするシンディ。しがみつくお姉ちゃん、さらにお姉ちゃんにしがみつく私。なんかこれ、絵本の『大きなカブ』みたくなってる? ズズっと足が砂浜にめりこむ。まるで闘牛のような前進。シンディ、力、強い。
「おお、こっわぁ。これだから体育会系の脳筋女は!」
ヘザーは顎に手をあててそっくりかえってる。とんがったおっぱいをつきだして……
あれ?
あれれ?
もしかして。
まばたきして、もう一度見る。
……やっぱり。
「ちょっ、何見てるの、アンタ」
うん、やっぱりこれってアレだ。まちがいない。そそっと近づいてのびあがり、耳元にささやく。
「おっぱい、ズレてますよ」
「なっ」
ものすっごい勢いでヘザーは後ろを向いて、ごそごそ。ごそごそ。ブラをごそごそ。手をつっこんで、ごそごそごそ。重ね付けしたネックレスとブレスレットがじゃらじゃら鳴る。
水着用のパッドもある。シリコンのつけ乳首もある。こっそり使おうと思ったから知ってる。ただでさえ大きなおっぱいの上に、さらにさらに特厚サイズのパットを重ねたらそりゃあ、ずれるよね。ビキニの布も少ないし。肩の紐もあんなに細いし。
シンディが目をそらす。お姉ちゃんも見ないふりをする。
充分おっきいのに、何でわざわざ盛ったかな。今どきアメリカの着せ替え人形だって、ここまでおっきくないよ。
くるっと向き直ると、ヘザーは目をつりあげた、わめいた。
「よくも恥をかかせてくれたわねっ!」
一応、武士の情け? でこっそり教えたんだけど。せめて物陰で直せば良かったのに、ひょっとしてカメラに写らない場所には移動できないのかな? 映画の登場人物だから?
「そうよ! 限界までシリコン入れたから、もうこれ以上無理なのよ! 悔しいけどパッドで盛るしかないのよ!」
苦労してるんだ。って言うか私そこまで聞いてない。何で自分から暴露しちゃうの? B級映画の登場人物だから?
「まったく姉がクソ女なら、妹もクソガキだわね! いったいどーゆー育ち方してるのよっ、このクソガキ!」
あっ、そうか!
この時、私は気がついた。クソガキクソガキと罵られながら、むしろほっとしてた。
これは、アレだ。
サメ映画のお約束、「登場人物が突っ立って特に意味もなくだらだら言い争う」シーン!
言い争ってる間は、サメは出ない。
「ホワイトシャーク~悪魔の白鮫伝説」のサメは、大きい。そして、白い。真っ白い。特異な外見をしているから、他の映画のサメCGを流用できない。だから予算を節約するために、こうやって露骨に尺を稼いでるんだ!
ビバ、低予算。
私は安堵した。でもお姉ちゃんは。
「ちょっと待って。あなた今、私の妹に何て言った?」
「クソガキよ、く、そ、が、き」
「何、です、って?」
お姉ちゃんは、キレた。
「妹を、侮辱するなーっ!」
「キャシィ落ち着いて、落ち着いてーっ!」
「お姉ちゃん落ち着いてーっ!」
選手交替、おおきなかぶ、再び。あ、あ、引きずられる速度が、さっきより早い。シンディと私、二人まとめてひっぱられる。踏ん張ってるはずなのに。ばんえい競馬かこれは!
「私は何を言われてもいい、だけどサミィは! サミィに酷いこと言わないで!」
背中にしがみついてるから顏は見えない。だけど、すごく物騒なオーラがたちのぼってるのを感じる。
「何よ、やろうっての?」
ヘザーも肩をいからせて前に出る。
一挙触発、今、女同士の戦いのゴングが鳴る!
って思ったら。
「きゃーっ、こわぁい!」
いきなりヘザーはわざとらしい悲鳴をあげて逃げ込んだ。鼻にかかった声、糖度増し増し、ねっちょり糸引きそう。
突然出現した男の人の後ろに隠れて、しかもさりげなくどんっと彼を前に押し出した。
「助けてぇ、ダーリン」
若い男の人。細マッチョと言えなくもない体格でそこそこハンサム、お肌とボディの手入れはぴっかぴか完璧。ぴっちり髪の毛をなでつけて(ここはビーチなのに)、ひざ上のゆるゆるでトロピカル柄の海パンをはいて、サングラスをかけてる。目が隠れてるから、はっきり感じる。造形的には文句無しのハンサムなのに、口元に何だかいやぁな感じのひきつれがある。
背筋がぞわっとした。
この形、見覚えがある。いつもだれかを馬鹿にしてせせら笑ってたら、こう言う形に口が固まっちゃったんだ。
シンディが低い声でうなる。
「ポール」
つまりこの人は、お姉ちゃんの元彼。チアリーダーと二股かけてた元彼。んでもってこっちのネックレスじゃらじゃらつけてる人は、浮気相手のチアリーダー。
「どうしたんだい、ハニー?」
「キャシィがぁ、あたくしに因縁つけて暴力をふるおうとしてるの、たすけてぇえ」
どっから出してるのかな、この声。聞いてるとどっと力が抜ける。
お姉ちゃんは深呼吸して、拳を収めた。
「ポール、そこをどいて。この件に関してはヘザーと冷静に話しあう必要があるの」
「キャシィ! かまうなそんな浮気男、全力でぶちのめしちまえ、あんたにはそうする権利がある!」
シンディ、本音がぽろっと出た。ちゃっかり手も離してるし。
「まだこの人に未練があるのよねぇん。もう、執念深いイヤな女」
「いいえ」
きっぱりと言い切った。
「好きだった人を殴る姿を、サミィに見せたくないの」
「お姉ちゃん……」
かっこいい。
「そう言うとこだぞ、キャシィ!」
「そうよそうよ」
あっ、浮気男が、いきなりえらそうになった。
「君は、おっぱいしか取り柄のない女だ」
…………………はい?
いきなり何言ってるのこの人?
「何も考えずに、ただおっぱいとしての義務を果たしていればよかったんだよ」
「男らしいわぁ、ステキ!」
「君のおっぱいは完ぺきだった。大きくて、やわらかくて、形も素晴らしい!」
その手は何。手のひらを上にして指をわきわきうごめかせてる。
「なのに君は考える。自分の意見がある。しかも成績はいい! ボクよりいい! 最悪だ。君には知性も意志も必要無いのに!」
一体何年前の価値観ですか、頭の中50年代で止まってませんか。
「せっかくの完ぺきなおっぱいと、金髪が! その知性で台無しなんだよ。だからボクは他のおっぱいを求めたんだ」
それが浮気の理由?
「あぁん、ポールぅう」
ネックレスビキニチアリーダーの腰に手を巻き付けて引き寄せてる。引き寄せられるヘザーも自分からしがみついて、おっぱいをぐいぐい押し付けてる。(半分偽乳だけど)
「これはボクの責任だろうか? いや、君のせいだ。従ってボクは悪くない。君に対して、何ら罪悪感を覚える必要は無いのだ!」
「そうよそうよぉ、あの女のせいよ、あなたはぜーんぜん悪くない!」
ウソだ。
二人とも大声で言ってるってことは、後ろめたくってしかたないんだ。わかる。ほら、この人さっきからお姉ちゃんと目を合わせてない。
「君には人格なんて必要ないんだよ。おっぱいさえあればよかったんだ! あと金髪! むしろボクには君に損害賠償を求める権利がある。君と出会ってからつきあった三ヶ月の時間がムダになったのだ! 時間を返してくれ!」
「かわいそー、ああなんて可愛そうなのポール!」
三ヶ月? 浮気するの早くない!?
「考えるな、君にはおっぱいだけあればそれでいい。人格なんかいらない、知性もいらない。君はおっぱい以外、生きてる意味がないんだ」
いったい何回リピートするのかな。脚本家のネタが切れたかな。ああ、もう聞いてらんないよ。映画ならトイレに行ってるとこだけど、今はお姉ちゃんが攻撃されている。人格を否定されている。
サメ映画のビキニ美女の存在意義 は、おっぱい。そして金髪。それが映画の法則。わかってるけど、だけど、こんなの、おかしいよ。私、認めない。
「やめてください」
雄々しく決心したのだけれど、振り絞った声は弱々しくふるえて、かすれてた。
「あぁん、何だこの子は」
「妹よ、キャシィの」
こっち見てる。怖い。でもそれ以上に! 腹が立つ。引き下がらない。
私は認めない。ケンカは売らない、でも泣き寝入りもしない。せっかく転生したんだから、もう前世と同じ悲しみに屈したりしない。立ち向かう!
「あなたがどんな風に考えて、行動するかはあなたの自由です。ここは『自由の国』だから。だけど、あなたの価値観を他の人に強要する権利は無い。支配する権利は無い」
言葉に出したら、わかってきた。自分が何に怒っているのか。何を言いたいのか。
「それは、暴力です。侵略です。そうゆうの、良くない」
わかってきたら、お腹に力が入る。声の震えが、止まった。
「お姉ちゃんの人生を。人格を否定しないでください。私は、断固として抗議します!」
「ンだと?」
ひくっと、ポールの口元が痙攣した。ハンサムの仮面がくしゃくしゃになってはがれ落ちる。
「何だと、こんの、金髪しか取り柄のない未発達のメスガキがーっ!」
歯をむきだして泡ふいてわめいてる。
(それが、本性か!)
お姉ちゃん、別れて正解。
「しつけ直してやるっ! ボクの拳でぇっ!」
しまった、考えてたら反応遅れた、殴られる!
(また、殴られるんだ。今度は言葉じゃなくて、手で)
衝撃。鈍い音。
でも出所は私じゃない。
「妹に、手ぇ出すな!」
迷い無きグーパンチ。ポールの頬にめりこんで、振り抜いた。
「お姉ちゃん!」
スローモーションで吹っ飛ぶ浮気男。着地点に何故か都合よくゴミ箱。飛び散るピザ箱、Lサイズのラテの紙カップ、バナナの皮、ビールの空き缶。すごく、くさい。身体ではなく精神を砕く一撃。
「い……い……」
腫れた頬を押さえて、ポールが泣き叫ぶ。
「いったぁいよぉお、マーマーっ!」
サメ映画のお約束。クソ男は暴力に弱い。
「くぉら、この金髪おっぱい女ぁっ!」
ネックレスビキニのチアリーダーが肩をいからせてつっかかってきた。
お姉ちゃんはびくともしない。
「あったぁしぃいいのぉお高スペック彼氏に何してくれんのよ! せっかくこいつを落とすために限界まで豊胸手術してそれでも足りずにパッド入れてるのに!」
暴露しちゃったら意味ないよ。
「さらに金髪に染めてんだから。おかげで頭皮はボロボロよっ! かゆくてかゆくて吹き出物だらけよっ」
「やめればいいのに……」
「うるさいっ! 生まれながらの金髪がっ! 自分が恵まれてるからって見下しやがってーっ その上から目線が許せないのよ!」
そこまで言ってないのに。国語の基礎、習わなかったのかな。苦手なのかな。この場合の国語って、やっぱり英語?
「確かにあたしはあんたがつきあってるうちからあんたの彼氏とデートしたし、最終的には掠奪したわ!」
ネックレスビキニチアリーダーの大声モノローグは、新たな段階に入ってた。
って言うか、もはや開き直ってる!
「だけど、これもれっきとした愛の形よ。堂々としていいのよ! 何も悪いことしてない! あたしは正しい! 悪くない!」
ああ、もう、聞いてるのしんどい。
「無理してる」
「え?」
「何度も言うのは、後ろめたいからですよね。罪悪感を抱いてるからですよね」
カッチーンと、固いものがぶつかった音が聞こえた、ような気がした。多分そんな感じの効果音入れるとこだこれ。
「ンだとこのクソガキがーっ」
迫る鍵爪。長くのびて、とんがって、マニキュアでつやっつや。
「目ん玉えぐりだしてくれるわーっ!」
やばい、この人本気だ。とっさに腕で頭を覆う。
しかし。
「!」
立ちはだかる褐色の筋肉が、猛禽の爪を遮った。
「あたしのダチと妹に手ぇ出すな!」
「この子に暴力は許さない」
お姉ちゃんが凛として言い放つ。
何何、何これ、私、守られてる?
こんなの。
こんなのっ!
(初めてだぁ……)
にらみあう女三人。クソ男はゴミ捨て場で気絶したふりしてる。
まさかの、キャットファイト突入?
オレンジのビキニ(あ、この人もビキニなんだ)で、おっぱいが大きくて、大きくて、大きくて、なんか手首とか首の周りとか耳がギラギラ光ってる。ものすっごい量のネックレスとブレスレットとイヤリング。ごっついゴールドにあめ玉みたいなラインストーンがじゃらじゃらぶら下がったのをいくつもはめてる。
ゴールドとラインストーンに太陽が反射して、ぎら、ぎら、ぎら。
まぶしい。まぶしい。目に痛い。光がきつすぎて顏がよく見えないけど、唇が赤いのはわかった。
ぎらぎらネックレスビキニの人は、わざとらしく横を向いて、モデル立ちを決めて、髪の毛をかきあげた。ブレスレットがまたぎらっと光る。アイシャドウをたっぷり塗ったまぶたがけだるげにまばたきする。マスカラで増し増しにしたまつげが重そう。たっぷり3秒かけてお姉ちゃんをねめつけて、ふたたび赤い口を開けた。
「あ~ら、やっぱりキャシィだわぁ。まちがいないわね、その金髪。青い目!」
二回目。くどい。
「……ヘザー」
「偶然ねぇん、こんなところで会うなんてぇ」
何でこんなひっぱった喋りかたするのかな。日なたに置きっぱなしにしたキャラメルみたいにだるんだるん。のびきってだるんだるん。鼻にかかった声と相まって、油断すると何を言ってるのか聞き取れない。字幕を見ないとわからない。
「まだ一人なの? それとも、もしかして女三人でぇ、失恋旅行? やーだ、さみしーい。あれあれあれぇ、ま、さ、か」
あ、字幕が出た。助かる。でも読んでも読まなくてもいい内容だった。消そう。
……はい消えた。
ヘザーは腕組みして、腕でぐいっとおっぱいを盛り上げた。何なんだろうこのサービスシーン。露出もサイズも申し分ないはずなのに、見ててまったくうれしくない。誰徳?
「あたくしたちと同じ行き先にしたとかないわよねぇ?」
いや、映画的にそれはない。ここしか来るとこ、ない。って言うか「たち」。複数形。だれかと一緒?
「そーゆーの何て言うか知ってる? ストーカーって言うのよ」
待て待て待って、いきなり? お姉ちゃんを? ストーカー呼ばわりした?
何だろう、もやっとする。お腹の底がもやっとするぞ。この人相手が聞いて、一番嫌な言葉を選んでる。それってものすごく頭の回転が早くないとできないことだよね。だけどせっかくの知性を人を貶めることにだけ使うのって、悲しくない?
「あたくしみたく美しくて人格が優れていて学校でも人気があって、チアリーダーでお金持ちだと人からねたみを買ってしまうからー」
不自然に語尾があがる。
チアリーダーって、現実では女の子としてエリートなのかもしれないけれど、この手の映画じゃあ……
(あれだけ多くのチアリーダーがサメやゾンビに食べられるのは、食われちまえって泣きながら思ってる人が多いから。食べられてスカっとする人が多いから。なのに現実ではチアリーダーはやっぱり女の子として勝ち組で、何をされても逆らえなくて。どんなに人をいじめても、自殺に追い込んでも将来うまいことやって生きて行く。多分100人食べられても世界は変わらない。だけどここは、サメ映画。サメ映画の世界だ)
「こーわーいーわーっ」
シンディが拳を握り、ずいっと前に出る。頼もしい褐色の背中。めきょ、めきょっと上腕と方の筋肉が盛り上がる。すごい。一瞬、みとれた。
「キャシィを……侮辱するなぁっ!」
「待って、シンディ、おちついてーっ」
お姉ちゃんがしがみつく。私も慌てて後に続く。
「訂正しろ! キャシィはストーカーなんかじゃない! そもそもあんたになんか嫉妬してない!」
「どうだかぁ?」
「このっ!」
鼻息荒く前に出ようとするシンディ。しがみつくお姉ちゃん、さらにお姉ちゃんにしがみつく私。なんかこれ、絵本の『大きなカブ』みたくなってる? ズズっと足が砂浜にめりこむ。まるで闘牛のような前進。シンディ、力、強い。
「おお、こっわぁ。これだから体育会系の脳筋女は!」
ヘザーは顎に手をあててそっくりかえってる。とんがったおっぱいをつきだして……
あれ?
あれれ?
もしかして。
まばたきして、もう一度見る。
……やっぱり。
「ちょっ、何見てるの、アンタ」
うん、やっぱりこれってアレだ。まちがいない。そそっと近づいてのびあがり、耳元にささやく。
「おっぱい、ズレてますよ」
「なっ」
ものすっごい勢いでヘザーは後ろを向いて、ごそごそ。ごそごそ。ブラをごそごそ。手をつっこんで、ごそごそごそ。重ね付けしたネックレスとブレスレットがじゃらじゃら鳴る。
水着用のパッドもある。シリコンのつけ乳首もある。こっそり使おうと思ったから知ってる。ただでさえ大きなおっぱいの上に、さらにさらに特厚サイズのパットを重ねたらそりゃあ、ずれるよね。ビキニの布も少ないし。肩の紐もあんなに細いし。
シンディが目をそらす。お姉ちゃんも見ないふりをする。
充分おっきいのに、何でわざわざ盛ったかな。今どきアメリカの着せ替え人形だって、ここまでおっきくないよ。
くるっと向き直ると、ヘザーは目をつりあげた、わめいた。
「よくも恥をかかせてくれたわねっ!」
一応、武士の情け? でこっそり教えたんだけど。せめて物陰で直せば良かったのに、ひょっとしてカメラに写らない場所には移動できないのかな? 映画の登場人物だから?
「そうよ! 限界までシリコン入れたから、もうこれ以上無理なのよ! 悔しいけどパッドで盛るしかないのよ!」
苦労してるんだ。って言うか私そこまで聞いてない。何で自分から暴露しちゃうの? B級映画の登場人物だから?
「まったく姉がクソ女なら、妹もクソガキだわね! いったいどーゆー育ち方してるのよっ、このクソガキ!」
あっ、そうか!
この時、私は気がついた。クソガキクソガキと罵られながら、むしろほっとしてた。
これは、アレだ。
サメ映画のお約束、「登場人物が突っ立って特に意味もなくだらだら言い争う」シーン!
言い争ってる間は、サメは出ない。
「ホワイトシャーク~悪魔の白鮫伝説」のサメは、大きい。そして、白い。真っ白い。特異な外見をしているから、他の映画のサメCGを流用できない。だから予算を節約するために、こうやって露骨に尺を稼いでるんだ!
ビバ、低予算。
私は安堵した。でもお姉ちゃんは。
「ちょっと待って。あなた今、私の妹に何て言った?」
「クソガキよ、く、そ、が、き」
「何、です、って?」
お姉ちゃんは、キレた。
「妹を、侮辱するなーっ!」
「キャシィ落ち着いて、落ち着いてーっ!」
「お姉ちゃん落ち着いてーっ!」
選手交替、おおきなかぶ、再び。あ、あ、引きずられる速度が、さっきより早い。シンディと私、二人まとめてひっぱられる。踏ん張ってるはずなのに。ばんえい競馬かこれは!
「私は何を言われてもいい、だけどサミィは! サミィに酷いこと言わないで!」
背中にしがみついてるから顏は見えない。だけど、すごく物騒なオーラがたちのぼってるのを感じる。
「何よ、やろうっての?」
ヘザーも肩をいからせて前に出る。
一挙触発、今、女同士の戦いのゴングが鳴る!
って思ったら。
「きゃーっ、こわぁい!」
いきなりヘザーはわざとらしい悲鳴をあげて逃げ込んだ。鼻にかかった声、糖度増し増し、ねっちょり糸引きそう。
突然出現した男の人の後ろに隠れて、しかもさりげなくどんっと彼を前に押し出した。
「助けてぇ、ダーリン」
若い男の人。細マッチョと言えなくもない体格でそこそこハンサム、お肌とボディの手入れはぴっかぴか完璧。ぴっちり髪の毛をなでつけて(ここはビーチなのに)、ひざ上のゆるゆるでトロピカル柄の海パンをはいて、サングラスをかけてる。目が隠れてるから、はっきり感じる。造形的には文句無しのハンサムなのに、口元に何だかいやぁな感じのひきつれがある。
背筋がぞわっとした。
この形、見覚えがある。いつもだれかを馬鹿にしてせせら笑ってたら、こう言う形に口が固まっちゃったんだ。
シンディが低い声でうなる。
「ポール」
つまりこの人は、お姉ちゃんの元彼。チアリーダーと二股かけてた元彼。んでもってこっちのネックレスじゃらじゃらつけてる人は、浮気相手のチアリーダー。
「どうしたんだい、ハニー?」
「キャシィがぁ、あたくしに因縁つけて暴力をふるおうとしてるの、たすけてぇえ」
どっから出してるのかな、この声。聞いてるとどっと力が抜ける。
お姉ちゃんは深呼吸して、拳を収めた。
「ポール、そこをどいて。この件に関してはヘザーと冷静に話しあう必要があるの」
「キャシィ! かまうなそんな浮気男、全力でぶちのめしちまえ、あんたにはそうする権利がある!」
シンディ、本音がぽろっと出た。ちゃっかり手も離してるし。
「まだこの人に未練があるのよねぇん。もう、執念深いイヤな女」
「いいえ」
きっぱりと言い切った。
「好きだった人を殴る姿を、サミィに見せたくないの」
「お姉ちゃん……」
かっこいい。
「そう言うとこだぞ、キャシィ!」
「そうよそうよ」
あっ、浮気男が、いきなりえらそうになった。
「君は、おっぱいしか取り柄のない女だ」
…………………はい?
いきなり何言ってるのこの人?
「何も考えずに、ただおっぱいとしての義務を果たしていればよかったんだよ」
「男らしいわぁ、ステキ!」
「君のおっぱいは完ぺきだった。大きくて、やわらかくて、形も素晴らしい!」
その手は何。手のひらを上にして指をわきわきうごめかせてる。
「なのに君は考える。自分の意見がある。しかも成績はいい! ボクよりいい! 最悪だ。君には知性も意志も必要無いのに!」
一体何年前の価値観ですか、頭の中50年代で止まってませんか。
「せっかくの完ぺきなおっぱいと、金髪が! その知性で台無しなんだよ。だからボクは他のおっぱいを求めたんだ」
それが浮気の理由?
「あぁん、ポールぅう」
ネックレスビキニチアリーダーの腰に手を巻き付けて引き寄せてる。引き寄せられるヘザーも自分からしがみついて、おっぱいをぐいぐい押し付けてる。(半分偽乳だけど)
「これはボクの責任だろうか? いや、君のせいだ。従ってボクは悪くない。君に対して、何ら罪悪感を覚える必要は無いのだ!」
「そうよそうよぉ、あの女のせいよ、あなたはぜーんぜん悪くない!」
ウソだ。
二人とも大声で言ってるってことは、後ろめたくってしかたないんだ。わかる。ほら、この人さっきからお姉ちゃんと目を合わせてない。
「君には人格なんて必要ないんだよ。おっぱいさえあればよかったんだ! あと金髪! むしろボクには君に損害賠償を求める権利がある。君と出会ってからつきあった三ヶ月の時間がムダになったのだ! 時間を返してくれ!」
「かわいそー、ああなんて可愛そうなのポール!」
三ヶ月? 浮気するの早くない!?
「考えるな、君にはおっぱいだけあればそれでいい。人格なんかいらない、知性もいらない。君はおっぱい以外、生きてる意味がないんだ」
いったい何回リピートするのかな。脚本家のネタが切れたかな。ああ、もう聞いてらんないよ。映画ならトイレに行ってるとこだけど、今はお姉ちゃんが攻撃されている。人格を否定されている。
サメ映画のビキニ美女の
「やめてください」
雄々しく決心したのだけれど、振り絞った声は弱々しくふるえて、かすれてた。
「あぁん、何だこの子は」
「妹よ、キャシィの」
こっち見てる。怖い。でもそれ以上に! 腹が立つ。引き下がらない。
私は認めない。ケンカは売らない、でも泣き寝入りもしない。せっかく転生したんだから、もう前世と同じ悲しみに屈したりしない。立ち向かう!
「あなたがどんな風に考えて、行動するかはあなたの自由です。ここは『自由の国』だから。だけど、あなたの価値観を他の人に強要する権利は無い。支配する権利は無い」
言葉に出したら、わかってきた。自分が何に怒っているのか。何を言いたいのか。
「それは、暴力です。侵略です。そうゆうの、良くない」
わかってきたら、お腹に力が入る。声の震えが、止まった。
「お姉ちゃんの人生を。人格を否定しないでください。私は、断固として抗議します!」
「ンだと?」
ひくっと、ポールの口元が痙攣した。ハンサムの仮面がくしゃくしゃになってはがれ落ちる。
「何だと、こんの、金髪しか取り柄のない未発達のメスガキがーっ!」
歯をむきだして泡ふいてわめいてる。
(それが、本性か!)
お姉ちゃん、別れて正解。
「しつけ直してやるっ! ボクの拳でぇっ!」
しまった、考えてたら反応遅れた、殴られる!
(また、殴られるんだ。今度は言葉じゃなくて、手で)
衝撃。鈍い音。
でも出所は私じゃない。
「妹に、手ぇ出すな!」
迷い無きグーパンチ。ポールの頬にめりこんで、振り抜いた。
「お姉ちゃん!」
スローモーションで吹っ飛ぶ浮気男。着地点に何故か都合よくゴミ箱。飛び散るピザ箱、Lサイズのラテの紙カップ、バナナの皮、ビールの空き缶。すごく、くさい。身体ではなく精神を砕く一撃。
「い……い……」
腫れた頬を押さえて、ポールが泣き叫ぶ。
「いったぁいよぉお、マーマーっ!」
サメ映画のお約束。クソ男は暴力に弱い。
「くぉら、この金髪おっぱい女ぁっ!」
ネックレスビキニのチアリーダーが肩をいからせてつっかかってきた。
お姉ちゃんはびくともしない。
「あったぁしぃいいのぉお高スペック彼氏に何してくれんのよ! せっかくこいつを落とすために限界まで豊胸手術してそれでも足りずにパッド入れてるのに!」
暴露しちゃったら意味ないよ。
「さらに金髪に染めてんだから。おかげで頭皮はボロボロよっ! かゆくてかゆくて吹き出物だらけよっ」
「やめればいいのに……」
「うるさいっ! 生まれながらの金髪がっ! 自分が恵まれてるからって見下しやがってーっ その上から目線が許せないのよ!」
そこまで言ってないのに。国語の基礎、習わなかったのかな。苦手なのかな。この場合の国語って、やっぱり英語?
「確かにあたしはあんたがつきあってるうちからあんたの彼氏とデートしたし、最終的には掠奪したわ!」
ネックレスビキニチアリーダーの大声モノローグは、新たな段階に入ってた。
って言うか、もはや開き直ってる!
「だけど、これもれっきとした愛の形よ。堂々としていいのよ! 何も悪いことしてない! あたしは正しい! 悪くない!」
ああ、もう、聞いてるのしんどい。
「無理してる」
「え?」
「何度も言うのは、後ろめたいからですよね。罪悪感を抱いてるからですよね」
カッチーンと、固いものがぶつかった音が聞こえた、ような気がした。多分そんな感じの効果音入れるとこだこれ。
「ンだとこのクソガキがーっ」
迫る鍵爪。長くのびて、とんがって、マニキュアでつやっつや。
「目ん玉えぐりだしてくれるわーっ!」
やばい、この人本気だ。とっさに腕で頭を覆う。
しかし。
「!」
立ちはだかる褐色の筋肉が、猛禽の爪を遮った。
「あたしのダチと妹に手ぇ出すな!」
「この子に暴力は許さない」
お姉ちゃんが凛として言い放つ。
何何、何これ、私、守られてる?
こんなの。
こんなのっ!
(初めてだぁ……)
にらみあう女三人。クソ男はゴミ捨て場で気絶したふりしてる。
まさかの、キャットファイト突入?