現代の裸の王様

文字数 5,131文字

             1
「さて、そろそろ某国の姫様が来られるのだ、執政官。支度は出来ているな?」
 S国の大統領は、迎賓館の一室で堅苦しくそう言ったが、内心では心が躍っていた。
「ええ、世界最高の美姫とも称えられる皇姫様ですからね」
 執政官もわくわくしているようだった。
 
 世界三大美女とも称えられる姫が来るというだけではない。
 これで、長きに渡る冷戦も終わるのだ。
「某国との戦争は長かったな・・・二百年も続いたのだ」
「もはや、どちらから仕掛けて、きっかけがなんだったのかさえ思い出せませんね」
 この二百年間の冷戦で、S国と某国との関係は糸くずのようにすり減ってしまった。
「それも、もう終わるんだ。こちらの王族と向こうの姫との結婚によってな」
「ええ、本当に向こうから縁談が来た時には、天から降って湧いたような話だと思いましたね!」
「昔から、国同士のイザコザの解決には、王族同士の婚約が一番だ……おお、もう時間だぞ。さあ、テーブルクロスももっといいものにして、一番いい紅茶を出して」
「ハイハイ、分かってますとも」
 
執政官はいそいそと紅茶を入れた。
「しかし、どれほど美しい方なんでしょうね。私も肖像画でしか見たことはありませんので」
「シャドウネットの発達以降、情報は却って遮断されることになったからな。誰が何処のスパイなのかすら分からん程に情報が入り組んでしまい、世界中の首脳陣が世界中で人口AIによる徹底管理を同時に実行。すると、情報は却ってまるで伝わらなくなってしまった……」
「全くです。しかし、某国の皇姫の美しさは、見た者が全員こう言うほどです。『傾国の美女とは彼女のことだ』と」
 執政官は期待に胸を躍らせていた。

「なんでもフェルメールの絵画に出てくるような美少女だとか……」
「皇族の気品に溢れ、美しく気高い女性だといいます。早くお会いしたいものですな」
 迎賓館の駐車場に、一台の黒い車が到着した。
 見るからに大きく、見るからに高級車だ。
「到着されたようだ」
 大統領もきりりと表情を引き締めた。
 しばらくして、はあはあと息を切らせた係員がドアを強くノックする音があった。
「し、失礼します。その……某国の姫様が来られました! しかし……あれは、その……
……」

 係員は息を切らせながら、何か見てはいけないものを見てしまったかのような表情で首を振っていた。
「ええ、何をしているんだ。折角、某国の姫が来てくれたんだぞ。世界三大美人にも例えられるようなお方だ。あまり、待たせるんじゃない」
 大統領は係員をしかりつけた。
 そこに、しずしずといかにも上品に足を運ばせる物音があった。
 間違いなく、姫が来たのだ。
 その黒い大きな影が、ドア前まで来た時、大統領と執政官はその気品と迫力に、自然に頭を下げていた。
「表をあげなさい。わらわは、王子様との婚約のために来たのです。不躾な作法など無用」
 それは麗しい声であった。
「は……失礼します。姫さ……ばっ!?」
 大統領は顔を上げて姫を直視し、そして言葉を失っていた。

 そこには、巨大な肥え太った女がいた。あまりに顔についたぜい肉のため、息をするたびにしゅうしゅうと奇妙な音がしており、そのたるんだ頬と首回りは何重にも肉の束が折り重なっていた。目の下にはどす黒くたるんだ隈ができており、目は変質者のようにうろんげであった。
「ホホホ、私に見とれているのかや?」
 しゅうしゅうと息を吐きながら、姫はそう言った。
 姫は上品な足取りで一歩前に出て、執政官の前に立ったが、執政官は自分が食われるのではないかとおびえた。
「ほほほ、そちもなかなか男前じゃ。S国は男前が多いと聞いていたが、その方も悪くないのう」
「め、滅相もありません」
 頼む、助けてくれ、という言葉の後半を執政官はなんとか飲み込んだ。
「ほほほ、しかしわらわはすでに身も心もおぬし等の国の王子に捧げておるのじゃ」
 姫が体をくねらせたので、大統領は思わず「うへえ」と唸っていた。
「さあ、こんな所に長居は無用じゃ。わらわは、王子と結ばれる運命……はよう、案内せい」
「し、しばしお待ちを、姫様!」

 執政官は手を上げていた。
「その、しきたりで国民の前でのお披露目の機会がありますので、少々お色直しをされてはどうでしょう? 明日は、披露宴をかねた盛大なパレードですからね」
「そうか、好きにせい」
 姫は係員と共に部屋を出て行った。
 大統領と執政官はしばし顔を見合わせていた。
「お、おい。ありゃどういうことだ!? 何処がフェルメールの絵画に出てくる美少女だ?」
「それは、大統領がおっしゃったんです。今までベールに覆われていた姫があんなバケモノとは……」
「こんなことが知れれば、結婚式は打ち切り中止だ! ウチの王子は物凄い美女好きで、だからこそこの結婚は成立したんだぞ!」
「もう、ここまできたら、無理やりでも成立させるしかありません……今までに一体どれだけ予算をかけたのか、あのバケモノをなんとか女に見えるように変えて、無理やりでも挙式させるのです!」
「うむ」

「マスコミに金を掴ませ、市民をコントロールして、無理やりにでもあのバケモノをおだてあげて結婚させるのです。こうなれば、金に糸目はつけません」
「うむ」
「平和と安全のためなら、真実などクソのようなものです。記者連中も金さえ掴ませればどうとでもなります」
「君も言うなあ」
「パレードも厳重に警戒して、『誰も姫の容姿について語るな』と厳命しておきましょう」
「分かった。パレードは君に任せよう。ともかく、披露宴パレードは絶対に成功させるんだ。この披露宴パレードに、国の存亡がかかってると思え!」

             2
 浮浪人の男は、落ちている酒瓶を拾って飲んでいた。
「やあ、また酒かい?」
 浮浪人の友人の清掃員だ。
「酔っぱらわずにやってられるかよ! こんな規制だらけの世の中だぜ? その内、ほんとに酒も禁止になるんじゃねえのか?」
 ぼうぼうに伸びた髭をむしり取りながら浮浪人は言った。

「そんなことより、聞いたかい? 美女だよ、美女が来るんだよ」
「なんだい?」
「知らねえのかい? 世紀の美女とも呼ばれる程の姫さんが来て、こっちの王子と結婚。パレードで回るそうだぜ。観にいかねえかい?」
「美女か。そらあいいねえ。もう、俺のまたぐらはうんともすんとも言わなくなっちまったが、そこまでの美女ならひょっとして勢いを取り戻すかもしれねえな」

「おいおい、下ネタが好きだなあ」
「そいつも王子とヤりに来たんだろうが。俺が空想の中で、そいつをヤっちゃってなにがわるいんでえ?」
「全く、あんたは思ってることをなんでも言う癖のせいで、仕事が無くなったんだぜ?」
「人は思ってること言うために生きてるんじゃねえのかい?」
「分かった分かった。ともかく見ろよ、ほら美人だろう?」
 清掃員は美しい貴婦人の肖像画が書かれた紙を取り出した。

「あん? なんで、絵なんだ?」
「さあ、お偉いさんの考えることだからねえ」
「実はヒデエ顔なんじゃねえのか?」
「まさか。世界三大美女なんだぜ? いやあ、楽しみだなあ」
 浮浪人と清掃員はがやがやと言いながら歩いていった。

 そして翌日。
 執政官は大通りの端で、メガホンを片手に機動隊に指示していた。
「いいか、絶対に姫の容姿については何も言うな! 市民にも言わせるな!」
「は、はい」
「場合によっては射殺しても構わん!」
 機動隊隊長は訝っていた。そもそも、何故ここまでの武装をさせられているのだろう。
 全員がマシンガンを装備しており、屋上にはスナイパーライフルを持った狙撃手もいる。
「しかし、執政官。何故、そこまで……? 某国の姫と言えば、世界三大美女にも数えられる程の・・・」
「いいから従うんだ。国の存亡がかかっている」
「は、ハっ」
 機動隊員は敬礼して任務に戻った。
 
執政官は、披露宴パレードを見に集まった観客らにメガホン片手に怒鳴っていた。
「いいですか、くれぐれもお静かに。一言も声を出さぬようにお願いします! 拍手だけで結構! あとは『ワー』とか『オー』とか言ってるだけで十分です! そもそも言葉なんてものがあるから、社会はややこしいことになるんです。市民は市民らしくワーワー言ってればいいのです! くれぐれも、姫の容姿については語らぬように! 機動隊が構えているのを忘れずに!」

 市民らは元々「ワーワー」と言っていた。なんせ、世界最高の美姫と我らの国の王子との結婚だ。しかし、執政官の台詞以降はさらに「ワーワー」と言うようになった。なんせ、マシンガンを構えた機動隊員があちこちにいるのだ。
「うるっせえなあ、あのメガホン野郎は、何を喚いてやがるんだあ?」
 酒瓶を持った浮浪者がいた。
「しーっ、怒られるよ」
 隣の清掃員はびくびくしながらそう言った。
「もうパレードが来るよ、どんな人だろうねえ」
「ほんとにそんな美女なのかねえ」
 浮浪人は酒瓶をほとんど垂直に傾けて、わずかに残った水滴をなんとか飲み干して一息ついた。
「ふうーっ、さてどんなのが来るのかねえ」
 浮浪人はほろ酔い気分で、酒瓶を片手に立っていた。
「おっ、来たよ! 凄い車に乗って……る」
 清掃人はそこで台詞を切った。

 二頭の白馬に率いられた、盛大な飾りつけがされた馬車。

 そこにいたのは、ほぼ人間ではない女だった。

 たるみきった頬と顎を隠そうと、ぜい肉を後ろに持って行ってゴムでしばりつけているために顔が面のように引きつったままの巨大な女が、厚化粧でもまだ隠せぬ目の下の黒い隈と、長年の飽食のためにただれきった唇を、S国の王子に近づけていた。

 ふしゅるふしゅると、何か変な気体が出ているような呼吸が近づいてくるたび、王子は叫びながら逃げているが、しかし姫の信じがたい腕力で引き戻されて、熱烈な接吻を受けている。

「ママー、あの人イヤがってるよ?」と子供が言うのに、
「シーっ、シーよ!」と必死で諭す母親。
 それは異様なパレードだった。
 怪物のような姫が王子を抱きしめながらパレードが行進していく中、市民たちはまばらに拍手をし、時折強制されたように「ワーワー」と声をだしていた。
 一人以外は。
「ぐっはははは! げっはははは! なんでえ、あのバケモノは! ぐははははは!」
 浮浪人は酒瓶を落としながら笑い転げていた。
「ちょ、マズイって……」
 清掃人は慌てて止めていた。
「ぐはははははは! これが笑わずにいれるか! どこが世界三大美人だ? いや、傑作だぜ! この国は、ウチの王子様をブタのバケモノと結婚させようってのか? いや、見に来た甲斐があったぜ、こんなおもしれえモンは初めてだ。どんだけ着飾っても、ブタはブタだ! ぐははははは!」
「……ぷ、ククク。ま、マズイって。それ以上は……」
「げはははは!」
「クスクスクスクス」
「ブタはブタだろう? なんでみんな黙ってんだ!?」
「ま、マズイって。くふふふ、ふはははっ」
「こら、傑作だぜ! 国を上げてコント劇でもやろうってのか!? ぐっははははは! おははははは!」
 笑いは伝染する。近くにいた子供、母親、年寄りも次第にクスクスと笑い始めていた。
「静粛に! 静粛に!」
 執政官がメガホンで怒鳴るものの、一度起きた笑いの渦は止まらない。
「げっははは! みんなもっと笑えよ。この豚女のコントは傑作だぜ!? ぐははは! おははははは!」
「クスクス」
「ぷくくく」
「あははは、マズイって。もう止めようよ」
「静粛に! 静粛に!」
 執政官は怒鳴り続けるが、笑いは止まらない。
 執政官は覚悟を決め、機動隊隊長を呼んだ。
「次の合図を待て……」
「し、しかし!」
「言う通りにしろ! 国の存亡がかかっていることを忘れるな。あの男だけでいい」
「は、ハっ……」
 機動隊隊長は位置についた。
 浮浪者を中心とした笑いの渦はまだ収まらない。むしろ、話術の巧みな浮浪者の中心としてさらに広まっている。
「ブタと結婚させられる王子も可哀そうだな。全くよ。そうは思わねえか? おーい、王子よ! ブタとヤりてえのか? ぐっはははは」
「あははは、おもしろーい」
「あっははは」
「ま、まずいって、もうよそうよ。……アハハハ!」

 笑いの渦は広まりを見せ、パレードにまで届こうとしていた。
 次の瞬間、執政官は指示を出した。
「構わん、撃て!」
 マシンガンが斉射され、9,6mmパラペラム弾が一斉に浮浪者に襲い掛かった。
 後には肉塊に変わった浮浪者と、青ざめてうつむく清掃員と周囲の人々、そしてまばらな拍手と強制されたように「ワーワー」という市民だけが残った。

                            終わり
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