2. 〝Be Kind Rewind〟

文字数 3,842文字

「ところでミーナは何ができるんだっけ?」
 微笑が「はい?」と首を傾げる。
「ああ、訊き方が悪かった。ミーナ、ミーナのウイルスの作用は何だ?」
「砧君、その一方的な言い方、いい加減やめなさい!」
「さっきのクレアのミーナへの説明と変わらないだろ?」
「全く違うわ」
「まあまあ、二人とも」
「クレア?」
 微笑が小声で深夜に訊くと、「呉服サンだからクレア」と、隣の萌が答える。
「ええと、微笑さん。砧はどこまで説明した?」
「え?あの、説明って、ネストについてですか?」
「いや、それ以外に」
「あ、後で部長から説明がある、って」
「はあ?砧君。何の説明もなしに訊いたの?」
「八島が説明するだろ?」
「それはそうかもしれないけど、まだ最終的な確認も済んでないのに?」
「今のネストなら、ここに来た時点で同じだろ?」
「そういう安易な考え方はやめなさいって言ってるでしょ」
「す、すみません。私も全然気が回らなくて」
「深夜が謝ることじゃないよ。呉服サンこそ、そんなことキモオタに期待する方が間違ってるじゃん」
 呉服が八島に視線を戻し、頷いた。
「まあ、これから少しずつ説明していくけど」と八島も頷く。
「微笑さん、ここに来る前に、いろいろと検査を受けたり書類を書いたりしてるよね?」
「あ、えーと」
 微笑が深夜を、そして萌を見た。
「こっち見んな。てか、あたしたちの場合そういう記憶がないし」
「微笑さん。『誰にも言うな』と言われたんだよね?常に監視している、って」
「あ、え、は、はい」
「それなら心配しないで。そう言ったのは私だから」
 呉服が書棚からA4の用紙を一枚出した。
「あ!?これ、微笑がサインした書類!」
「労基署への申請書類。これはコピーだけど。オリジナルは既に提出済み。あの時ちゃんと説明したわよね?」
「あ、何か緊張しちゃってて」
「おい微笑、サインした書類の内容くらい見とけよ」
「あはは。でも、じゃあ、あの小さなバスにいて、微笑の血を取ったりしたのって、先輩方?」
「違う。その場にいたのは呉服だけだ。他は、我々はもちろん、呉服も正体を知らない」
「答えなかった、ということで、一応合格という報告をしておくわ」
「えーと、合格しなかったらどうなったんですか?」
「どうかしらね?そういう事例を、私たちは知らないから」
「ともかく、というわけだから、ここでは、『誰にも言うな』について気にしなくていい。で、僕たちは、君には特殊な能力があると聞いている。だが、これはいろいろな意味で非常に繊細で機密性の高い問題だ。僕と呉服は部長、副部長だから事前に情報を得ているが、あえて確認している。微笑さん、君のウイルスの作用を教えてくれ」
 微笑が呉服を見ると、彼女が頷く。もう一度八島を見て答えた。
「『壊れたものをなおす』ことです」
 砧が深夜に「鉛筆を貸してくれ」と手を差し出す。
「メモ取りたいなら自分の使え!」
「そういう状況じゃない、ノノ。エマ、早く貸してくれ」
 萌が怒鳴るのを無視し、砧が執拗に手を差し伸べる。深夜は訝しがりながら筆入れを取り出し、鉛筆を一本砧に渡した。受け取った砧がそれを両手で折り、微笑の机の上に置く。
「あっ!」
「こ、こら、キモオタ!何しやがるんだ!」
「えーと」と言いながら、微笑が折れたうちの一方に触れる。
「これでいいですか?」
 元通りの鉛筆を持ち、立ち上がって深夜に返す。
「微笑?」
「え、エミちゃん、すごい。細かく飛び散った芯の粉までなくなってる」
 萌と深夜が同時にため息を漏らす。八島が頬笑み、呉服は目を見開く。
「いまさらだが」と砧が微笑の机の上を手で撫で、指をこすった。
「『オオカミの巣』へ、ようこそ」
「オオカミの巣?」
「『ウルヴズネスト』。直訳すれば『狼たちの巣』。ほんとは綴りが違うらしいんだけど」
「へえ、かっこいいですね!」
「かっこよくはないよ。『狼の巣』って、ヒトラーの作戦本部の一つなんだって」
「えー、ヒトラーって、あのヒトラーですか?」
「正確には英語名を更に日本語にした言葉。それに、『nest』は鳥などの小動物の巣だし、そもそも原語の『Schanze』に巣という意味はないわ。そもそも絵馬さんが言うように、新聞編集営業配達ターミナルのネストの綴りは、N、E、S、D、T。こじつけのこじつけだから気にしないで。気にしていたらきりがないから」
「うーん、何か、正義の味方になったと思ったら悪の組織に入ってた気分です」
「でも、そのくらいの緊張感があった方がいいかな。現在のネストは、砧の言うようにオオカミの巣だから、外に対しては完全に閉じている。来るときに二度セキュリティーシステムがあったよね?」
「あ、はい。すごく厳重だなって」
「だから、雨月で友達ができても絶対に連れて来てはいけない。何より、彼らのために」
「何か意味が分かんないっていうか、ちょっと怖いですけど。て言うか、何で狼なんですか?」
「そうだね、一番大事なところだね」
 八島が立ち上がり、ホワイトボードに"with Object-Limited Viruses"と書いた。
「『物質限定のウイルスを持っている』。これを短縮して、"wOLVes"、つまり狼の複数形だ」
「何か難しいですけど、でも、持っているって、誰がですか?」
「誰でもない。あえて言うなら、ウルヴズとは、『オルヴズを持っている何か』だ。まあ、難しく考えることはないよ。そういうもの、と思ってくれればいい。とにかく、微笑さんにだけ秘密を打ち明けさせるのは、仮にも先輩としてどうかと思うし、我々も秘密を共有しないとね。微笑さんのスマホ、見せてくれる?」
「あ、はい」
 微笑が鞄を探る。ペットボトルとペンケースを机の上に置いた後、電話を八島に差し出した。
「あ、ごめん。僕は素手じゃ触れないんだ。異常な帯電体質で壊してしまうから。だから電子機器を触る時は絶縁体の手袋をしてるし、スマホを指で操作することはできないから、普段手で持って使う電話もガラケーのみ。でもね、そのスマホなら」
 八島が視線をスマートフォンに向ける。
「あ、勝手にロックが解除されて、ブラウザが起動して?って、あっ、今度は微笑の電話の履歴が?き、キモッ!ちょ、ちょっと、何ですか、これ?」
「ね、焦る、というか、気持ち悪く感じるでしょう?」
 八島が笑った。スマートフォンの画面が暗転し、微笑がため息をつきながら肩を落とす。
「我々はそれぞれ、ウイルスの作用を特徴づける名前で呼ばれる。生物的な現象などいろいろあるけれど、比較的多いのが単位。僕の場合はオームだ。簡単に言えば、電子機器のオンオフができる。基本的には仕様書が必要だけど、微笑さんのスマホのようなよく出回っているタイプなら頭に入っている」
「それも十分キモいけどねー」
「まあ、萌さんの言う通りだ。事実、未知の力は、それが知識であれ、技術であれ、特殊能力であれ、必ずしも受け入れられるとは限らない。むしろ奇異に映る場合の方が多い。微笑さん、ペットボトルの中身はお茶?」
「お茶です。飲みかけだし、ぬるくなっちゃってますけど」
「そう。呉服」
 呼ばれた呉服がそれを一瞥する。そして手を伸ばそうとした微笑に言った。
「触らないで。凍傷になるわ」
「え、凍ってる?」
「K、正確にはケルビンは、自身の体温より低い温度の物質を冷却できる」
「冷やすってことですか?」
「正確には、絶対零度に近づけるってとこだね。感染させる条件によって到達温度は違うけど。このウイルスのため、医療関係への納品が多い。さっきの検査官役もその流れだ。萌さん」
「もうやってますけど?」
 ペットボトルの表面から水滴が垂れ始める。
「ペットボトルが結露し始めたのは、萌さんが周囲の温度を一気に上昇させているから」
「結露って、嫌な言葉ですよね。『ケツ』って」
「エミちゃん、小学生男子じゃないんだから」
「まあ、それはともかく、萌さんの場合は、自身がダメージを受けない範囲の温度の物質を、その範囲で上下させる。便宜上ファーレンハイトと呼んでいる。冷やす、という点ではKに及ばないけれど、直線的にしか進まないKと違って、障害物を迂回したり、感染対象を細かく選べたりするところや、温度を下げるだけでなく上げることもできる点で有用だ。空気中に温度差を作って矢などの軌道を変化させることもできる。ちなみにこの場合、本体は冷えすぎてるから、周囲の空気を温めている形だね」
「フォローどーも」
「どういたしまして。次に深夜さん」
 八島が深夜を見ながら微笑のスマートフォンを指さす。
「はい」
 深夜が答えると同時に、その手にスマホが握られる。
「え?」
 微笑が自分の空の手をじっと見つめた。
「ガウス、磁力だね。と言っても、深夜さんが磁力を発しているわけじゃない。あくまで、鉄やニッケルのような強磁性体や、強磁性の合金にウイルスを感染させ、磁力を帯びさせるだけだ。当然スマホがアルミや樹脂では無理。例えば今の場合は、この事務机と、そこのロッカーの一部、パソコンの筐体、当然スマホの筐体に感染させ、簡易カタパルトを作って手元に飛ばした、だよね?」
「はい、おっしゃる通りです」
 深夜が頷き、微笑に電話を返した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

絵馬深夜(えましんや)

公立雨月学園御代田中等教育学校高等部一年生


野宮萌(ののみやもゆ)

深夜の同級生で、野宮伝の妹。

景清(かげきよ)

公立雨月学園御代田中等教育学校高等部三年生。

八島(やしま)

公立雨月学園御代田中等教育学校高等部三年生。

新聞編集営業配達部部長。

呉服(くれは)

公立雨月学園御代田中等教育学校高等部三年生。

新聞編集営業配達部副部長。


砧(きぬた)

公立雨月学園御代田中等教育学校高等部三年生。

田村(たむら)

長野県警の刑事(警部)。

ノンキャリア。

長野県警の刑事(警部補)。

キャリア。

雨月一陽(うげついちよう)

公立雨月学園御代田中等教育学校校長。

〝Es ist Kain!〟の著者。

安宅(あたか)

公立雨月学園御代田中等教育学校教頭。

水無瀬微笑(みなせほほえみ)

公立雨月学園御代田中等教育学校中等部二年生。

厨二病。

野宮伝(ののみやつたう)

赤帽ドライバー。

萌の兄。

雨月一陽とは同窓生。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み