第9話 「合縁かな、奇縁かな」
文字数 2,733文字
何とも不思議な色合いの小説。
主人公の輪郭はごく淡く、むしろ京都という町の陰影がくっきり見えるような感じです。京都といっても、古都を愛でる観光客や伝統産業の従事者といった目線ではなく、普通にそこに暮らしている人の日常の風景です。
主人公の内面はほとんど語られない一方で、飲食店や商業施設の名前はやけに具体的。また京都ならではの素敵なお酒やお菓子がぽんぽん登場します。
登場人物の中では、粋な着物姿で出てくる「つばくろさん」がいい味を出しています。
「季節やイベントとの抱き合わせ商法に乗っかるのが、なんだか癪なんですよ」と語る主人公に、つばくろさんは「季節を謳歌することこそ、私は日本古来の性分だと思っているよ」と反論。
な~るほど、これが京都なのねって感じです。
語っている本人は大学生。
恬淡としつつも、その語り口はなかなか饒舌。だからこっちは思わず引き込まれ、「うんうん。そうだよね」と頷かされてしまうのですが、そこではっと我に返り「で、君は誰なの?」と聞きたくなる。
そう、この作品、最初のうちは主人公の名前も性別すらも分からないのです!
こういう物語もあるんだなあと驚くばかり。
例のごとく、以下は結末にまで触れています。未読の方はご注意下さい。
大橋他さん『合縁かな、奇縁かな』
ケサランパサランという謎の生物が何らかのメタファーのように登場します。白い綿毛のような姿をし、化粧品のおしろいを食べるという不思議な生物です。
主人公は「ケセラさん」と呼んで大切に飼うのですが、このケセラさんがあれこれしゃべって主人公を行動に駆り立てるので、余計にふわふわとした不思議な感覚に包まれます。こうした独特の雰囲気、全編にそこはかとなく漂うユーモアがこの作品の真骨頂。
もちろん物語の中核となる事件はあって、主人公の友人「朝永 」が、その恋人の「加世」を騙すというのがそれ。そこに主人公も協力せざるを得なくなります。
事件といっても、この作品ではまるでごく淡い色彩の絵でも見るような印象。
どうやら朝永は奇異な行動の多い加世との付き合い方に悩み、彼女の愛を試したくなったようです。江戸川乱歩の『一人二役』から着想し、朝永はまったく別人格になりきって加世に近づき、彼女を口説く作戦に出ます。
意味不明な行動なのに、主人公はこの朝永にいちいち振り回され、死に物狂いで協力します。
実は、朝永は普段、恋人はおろか友人への気遣いもろくにできないような「だらしのない」青年です。
だけど、もう一人の自分「浅井」は、朝永が作り上げた理想の男性でした。
服装はおしゃれで所作も上品。愛想も良く、「頭よさそう」な声で話し、聞き上手で良い感じの相槌を打つこともできます。もちろんキザなセリフで女性を酔わせます。
いやいや、ちょっと待って。と、読者の方は突っ込みたくなります。
だらしのない朝永にそんな器用な真似ができるか、という問題もあるし、女性の嗅覚は鋭いもの。見慣れた恋人が変装して目の前に現れたら、仮に演技がうまくても、すぐにバレるでしょと。
ところが、そうはならないところが面白いんですね。
加世氏は見事に騙され、浅井に夢中になっていくようです。すると騙している本人の朝永は切なくなっていき、それに加担している主人公も友人に共鳴するかのように、胸の内の悲しみが増していきます。
とうとう朝永は「朝永という人間をやめようと思う」とまで言い出します。浅井の方が愛されるのなら、浅井だけで生きていくというわけです。
二人の男子学生は悲壮な覚悟です。
だけどこの後に「浅井」が暴走し、この壮大(?)なミッションは失敗に終わります。
結論を言ってしまうと、加世の方が一枚上手。彼女は最初から何となく気づいていて、騙されていることを楽しんでいた様子なのです。だから怒るどころか、彼を不安にさせていた自分も悪かったと反省すらしています。
実は、朝永には小学校時代、初恋の相手がいたのですが、名字の変わった今の加世がまさにその子でした。朝永はこの件に気づかず、加世の方は気づいていながら黙っていたと言います。
だから騙してたのは私の方が先なんだよ、と加世は平然と笑います。何とも豪快な女の子ですが、とにかく二人は以前より絆が深まって、めでたしめでたし。
居酒屋「しゃらく」での哲学談義の最中、主人公の述懐としてこんな言葉が出てきます。
「説明できないものにはそれなりの理由があることを示すのも、また哲学ということなのであろうか」
そして、人の縁というものも、そんなもんなのかなと続きます。作品タイトルと呼応する部分です。
事件が収束すると、ケサラさんは主人公の元を去ります。ケサランパサランは幸運を呼ぶもの。願いを一つ叶えると別の人間のところへ行ってしまうそうなのです。
主人公はケサラさんを探し、悲痛な思いで探し回ります。ケサラさんを大切に思っていたからこそなんですが、読者から見れば、たった一つだけ叶えられる願い事を、友達カップルのために使っちゃった主人公が痛々しい。ケサラさんが主人公を「おひとよし」と呼んでいたのもうなずけます。
だけど、それを鮮やかにひっくり返してくれるのが、最終話。
花びらの舞う哲学の道で、主人公がたたずむ場面の美しさには息を呑むばかりです。巨岩が迫ってくるかのような迫力を感じます。
ここで主人公は、自らが新しい生活に踏み出す決意をするんですね。このシーンのために、今までのふわふわした話があったんだと納得させられました。
主人公はいなくなってしまったケサラさんに対し、この景色を見せたかったと心の内で寂しくつぶやきます。一緒に見ることに意味があると言っていた彼女の言葉も思い出します。
つばくろさんは、このケサランパサランを恋人にしていました。同じような不思議な縁が、この主人公にも訪れる。それを予感させる、明るいラストです。
全体的に、今の若者の淡々とした様子がよく出ている作品だと感じます。友達に冷たくされてもそんなに傷つかない……ようでいて、やっぱり寂しがってる(笑)。逆にくだらないことでも真剣にのめり込んでいる姿が、何ともコミカルです。
ちょっと他にはない、個性的な作品。
ありきたりの小説には飽きた! という方に特におすすめです。
『合縁かな、奇縁かな』はこちら↓。
https://novel.daysneo.com/works/04bd6436fad9851463d8db1f931066c2.html
主人公の輪郭はごく淡く、むしろ京都という町の陰影がくっきり見えるような感じです。京都といっても、古都を愛でる観光客や伝統産業の従事者といった目線ではなく、普通にそこに暮らしている人の日常の風景です。
主人公の内面はほとんど語られない一方で、飲食店や商業施設の名前はやけに具体的。また京都ならではの素敵なお酒やお菓子がぽんぽん登場します。
登場人物の中では、粋な着物姿で出てくる「つばくろさん」がいい味を出しています。
「季節やイベントとの抱き合わせ商法に乗っかるのが、なんだか癪なんですよ」と語る主人公に、つばくろさんは「季節を謳歌することこそ、私は日本古来の性分だと思っているよ」と反論。
な~るほど、これが京都なのねって感じです。
語っている本人は大学生。
恬淡としつつも、その語り口はなかなか饒舌。だからこっちは思わず引き込まれ、「うんうん。そうだよね」と頷かされてしまうのですが、そこではっと我に返り「で、君は誰なの?」と聞きたくなる。
そう、この作品、最初のうちは主人公の名前も性別すらも分からないのです!
こういう物語もあるんだなあと驚くばかり。
例のごとく、以下は結末にまで触れています。未読の方はご注意下さい。
大橋他さん『合縁かな、奇縁かな』
ケサランパサランという謎の生物が何らかのメタファーのように登場します。白い綿毛のような姿をし、化粧品のおしろいを食べるという不思議な生物です。
主人公は「ケセラさん」と呼んで大切に飼うのですが、このケセラさんがあれこれしゃべって主人公を行動に駆り立てるので、余計にふわふわとした不思議な感覚に包まれます。こうした独特の雰囲気、全編にそこはかとなく漂うユーモアがこの作品の真骨頂。
もちろん物語の中核となる事件はあって、主人公の友人「
事件といっても、この作品ではまるでごく淡い色彩の絵でも見るような印象。
どうやら朝永は奇異な行動の多い加世との付き合い方に悩み、彼女の愛を試したくなったようです。江戸川乱歩の『一人二役』から着想し、朝永はまったく別人格になりきって加世に近づき、彼女を口説く作戦に出ます。
意味不明な行動なのに、主人公はこの朝永にいちいち振り回され、死に物狂いで協力します。
実は、朝永は普段、恋人はおろか友人への気遣いもろくにできないような「だらしのない」青年です。
だけど、もう一人の自分「浅井」は、朝永が作り上げた理想の男性でした。
服装はおしゃれで所作も上品。愛想も良く、「頭よさそう」な声で話し、聞き上手で良い感じの相槌を打つこともできます。もちろんキザなセリフで女性を酔わせます。
いやいや、ちょっと待って。と、読者の方は突っ込みたくなります。
だらしのない朝永にそんな器用な真似ができるか、という問題もあるし、女性の嗅覚は鋭いもの。見慣れた恋人が変装して目の前に現れたら、仮に演技がうまくても、すぐにバレるでしょと。
ところが、そうはならないところが面白いんですね。
加世氏は見事に騙され、浅井に夢中になっていくようです。すると騙している本人の朝永は切なくなっていき、それに加担している主人公も友人に共鳴するかのように、胸の内の悲しみが増していきます。
とうとう朝永は「朝永という人間をやめようと思う」とまで言い出します。浅井の方が愛されるのなら、浅井だけで生きていくというわけです。
二人の男子学生は悲壮な覚悟です。
だけどこの後に「浅井」が暴走し、この壮大(?)なミッションは失敗に終わります。
結論を言ってしまうと、加世の方が一枚上手。彼女は最初から何となく気づいていて、騙されていることを楽しんでいた様子なのです。だから怒るどころか、彼を不安にさせていた自分も悪かったと反省すらしています。
実は、朝永には小学校時代、初恋の相手がいたのですが、名字の変わった今の加世がまさにその子でした。朝永はこの件に気づかず、加世の方は気づいていながら黙っていたと言います。
だから騙してたのは私の方が先なんだよ、と加世は平然と笑います。何とも豪快な女の子ですが、とにかく二人は以前より絆が深まって、めでたしめでたし。
居酒屋「しゃらく」での哲学談義の最中、主人公の述懐としてこんな言葉が出てきます。
「説明できないものにはそれなりの理由があることを示すのも、また哲学ということなのであろうか」
そして、人の縁というものも、そんなもんなのかなと続きます。作品タイトルと呼応する部分です。
事件が収束すると、ケサラさんは主人公の元を去ります。ケサランパサランは幸運を呼ぶもの。願いを一つ叶えると別の人間のところへ行ってしまうそうなのです。
主人公はケサラさんを探し、悲痛な思いで探し回ります。ケサラさんを大切に思っていたからこそなんですが、読者から見れば、たった一つだけ叶えられる願い事を、友達カップルのために使っちゃった主人公が痛々しい。ケサラさんが主人公を「おひとよし」と呼んでいたのもうなずけます。
だけど、それを鮮やかにひっくり返してくれるのが、最終話。
花びらの舞う哲学の道で、主人公がたたずむ場面の美しさには息を呑むばかりです。巨岩が迫ってくるかのような迫力を感じます。
ここで主人公は、自らが新しい生活に踏み出す決意をするんですね。このシーンのために、今までのふわふわした話があったんだと納得させられました。
主人公はいなくなってしまったケサラさんに対し、この景色を見せたかったと心の内で寂しくつぶやきます。一緒に見ることに意味があると言っていた彼女の言葉も思い出します。
つばくろさんは、このケサランパサランを恋人にしていました。同じような不思議な縁が、この主人公にも訪れる。それを予感させる、明るいラストです。
全体的に、今の若者の淡々とした様子がよく出ている作品だと感じます。友達に冷たくされてもそんなに傷つかない……ようでいて、やっぱり寂しがってる(笑)。逆にくだらないことでも真剣にのめり込んでいる姿が、何ともコミカルです。
ちょっと他にはない、個性的な作品。
ありきたりの小説には飽きた! という方に特におすすめです。
『合縁かな、奇縁かな』はこちら↓。
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