第60話 一打。

文字数 659文字


「たった……たった一打で」

 達森は力なくつぶやいた。
 たった一打で覆された。自分がいままで積みあげてきたものすべてを。
 失投ではない。
 気力を振り絞って投じた全力のカーブであった。
 それがど真ん中へいった。
 吸い込まれた。
 筋書きのあるドラマの主役のように、当たり前の顔をしてそいつは打った。
 こちらが背負ったもの全部を無視して。

「達森、まだ試合は終わっちゃいない」

 多田先輩がいった。

「後続を断ってサヨナラだ」

「そうだ、まだ負けたわけじゃない」
「希望はある!」
「おれたちはまだ、やれる!」

 ナインおのおのが自分自身にいい聞かせるように鼓舞する。
 達森は立ちあがった。
 いつまでもみじめったらしく座り込んでいるわけにはいかない。
 振り返って得点ボードを仰いだ。

 9回表。
 桜台3――黄金山2

 再逆転された事実は変わらない。
 達森はぎゅっと拳を握り締めた。
 一塁側桜台ベンチをみる。
 そいつと目があった。
 なぜか申し訳なさそうな顔をしている。
 腹がたってきた。
 どうしてもっと堂々としてないんだ?
 敗者に対する哀れみか?
 それだけの打棒をもっていて、なぜいまごろ出てくるんだ?!

 桜台の5番バッター藤丸が早くも左の打席に入っている。
 カイトに対する怒りが達森を奮い立たせた。
 大胆にもインコースにストレートを投じる。
 藤丸が初球から打ちにいった。
 教科書通りのセンター返しだ。

 顔面に向かってボールが飛んできた。
 だが達森は一歩も動かずそれを宙でむしり捕った。
 達森は吠えた。

「バカにするなっ!!」



   第61話につづく

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