第5話

文字数 3,579文字


「どうしてくれるのよ! まるで私がヘンタイみたいじゃないの!」
 自分のことを棚に上げ、美佐は老人に怒鳴り声を浴びせかける。
「そんなこと言ってもじゃな……」困り顔の老人は、気後れしながら奥に引っ込むと、数分してから戻ってきた。その手にはカチューシャが握られている。
「……あんな目立つ恰好をしておったんじゃ誰も近寄らんのも当然じゃろう。もし本気で痴漢に合いたければ、これを使うとええじゃろう」
 そういって老人はカチューシャを手渡した。黄色をベースに花柄のワンポイントが付いている。センスは悪くないが、一体どのような効果があるのだろう……?
「これは誘惑カチューシャと言って、装着すると目に見えないラブラブ光線が放出されて誰でもモテモテになるんじゃよ。たとえお主でもな」
「失礼ね」美佐は腹を立てたが、ひとつの疑問が浮かびあがった。「……でも、これがあればジャスティスレディは必要ないんじゃないの? わざわざ有名にならなくても、モテモテになるんだったら、あいつよりもよっぽどマシな男を捕まえて結婚すればいんだし……」
「じゃが、お風呂はどうする? 寝るときも付けたままでおるつもりか?」
 確かにそうだ。付き合うときはともかく、結婚ともなれば四六時中カチューシャをつけているわけにはいかない。相手に引かれでもしたらそれこそ台無しだ。
「わかったわ。それちょうだい」
「五万じゃ」
 美佐は耳を疑った。
「五万? 無料(ただ)じゃないの?」
「ジャスティススーツはあくまでもサービスじゃ。どれもこれも無料にしておったら、商売あがったりじゃて」
 考えてみれば当然だ。ここはあくまでも古道具屋であって、ボランティアではない。
 美佐は財布を開くとちょうど五万円はいっていて、渋々支払った。
「まいどあり~」
 老人は札を丁寧に数え終わると、オマケと称して茶色の封筒を手渡した。
「何これ?」
「温泉旅行のチケットじゃよ」
「いらないわ。そんな余裕ないし」
 老人は目を細めながら、「わしがただのチケットを渡すとでも?」
「えっ?」
 美佐は慌てて封筒からチケットを取り出した。
「ペアになっておる。どうじゃ? 太っ腹じゃろ」
 老人は自慢げに言った……。

 さらに翌日。遅刻の言い訳も慣れたもので、主任も嘘と知りながら、受け入れてくれた。これで当分は出世できそうもないが、正義のためならば仕方あるまい。
 さっそくジャスティスレディに着替えようと、トイレに向かう。
 だが、そこで美佐はあるものに目が留まり、足を止めざるを得なかった。
 入り口付近の壁には張り紙があり、ジャスティスレディの写真が印刷されていた。おそらく昨日の痴漢騒ぎの時に撮られたものに違いない。その下には『痴漢注意! 見かけたら駅員又は車掌にお知らせください』とある。
 これでは、とても痴漢を捕まえるどころの騒ぎではない。ミイラ取りがミイラになってしまい、美佐は肩を落としながら改札を出るしかなかった。
 他の路線も考えたが、あの張り紙が孫の手線だけとは限らない。こうなってしまった以上、痴漢の撃退は諦めるしかなさそうだ。それより五万円が無駄になった方が痛かった。

 松極堂に駆け込むと、美佐は老人に事情は話し、相談を持ち掛けた。
「……ねえ、どうすればいいと思う?」
 すると待ち構えていたかのように、老人はポケットからシルバーの指輪を出してきた。
「これは盗聴リングと言って、これをはめると、離れた場所でも会話を盗聴できるんじゃ。もちろん電話もな。使い方によってはお主の大きな味方になるじゃろう」
 ストーカーじゃあるまいし、会話を盗み聞きしたところで、悪人を捕らえることなどできそうもなかった。
 だが、そこで美佐は思い直す。電話を使った犯罪といえば、振り込め詐欺だ。もし、それらしき電話を盗聴できれば、詐欺グループを一掃できるかもしれない。
「でもお高いんでしょう?」まるでテレビショッピングのような発言をする。
「そんなことはない。たったの十万円じゃ」
 安くはないと思っていたが、たかが盗聴器に十万円は高すぎる。秋葉原に行けば、同じような物がもっと低価格で手に入りそうだ。効果を考えれば、スーツやカチューシャの方が、よほど価値がありそうに思えた。
「……十万なんてとても……」先日、五万円使ったばかりなので、これ以上の余裕はなかった。
「カードを持っておるじゃろ? クレジット払いもできるぞ」
 考えあぐねた挙句、美佐はカードを差し出すと、十回払いの契約書にサインをした。

 右手の人差し指にリングをはめながら、美佐は街をぶらついた。しかし、聞こえてくるのは他愛もない会話ばかり。
 それでも三日間歩き続け、ようやくそれらしい会話を耳にすることができた。
『……もしもし、俺だけど』男性の声だ。年のころは二十代前半といったところ。
『はるおかい?』こっちは女性の声で、五十代から六十代と感じた。
『そ、そう、はるおだよ』
『何だか声が変じゃない?』
『……こないだ風邪をひいちゃって、ゴホゴホ……実は大変なことになって困っているんだ――』
 話を聞くと、はるおと名乗る人物は、彼の運転する車で交通事故を起こしてしまい、パニックになっているらしい。
 すると弁護士と名乗る人物がはるおと代わる。このままでは殺人未遂として検挙されるが、今すぐ二百万円払えば、示談で済むらしいとのことだった。
 典型的な詐欺の手法。母親らしき女性はすっかり信じ込んでいる模様である。
 正義のヒロインとしては、決して見逃す……いや、聞き逃すわけにはいかなかった。
 耳を傾け、続きをメモする。
 母親はすぐさま預金を下ろし、今から渋山の駅前で待ち合わせをして、現金の受け渡しを行うらしい。
 このまま母親に注意を喚起しても良かったが、それでは犯人を逃すことになってしまう。
 そこで美佐は先回りをするために急いでタクシーに乗り、渋山駅に向かう。

 到着するや、素早くトイレに駆け込み、ジャスティスレディに着替える。それが終わると今度は駅前広場が見渡せる、かえでの木の裏に待機することにした。通りすがりの人々が物珍しそうな視線を送るが、気にしないことにした。
 やがて六十代らしき女性が現れると、電話にて指定されたベンチに座る。
 数秒もしないうちに男が現れた。慎重に様子を見守っていると、女性は分厚い封筒を鞄から出して、男に手渡す。
 男は封筒から現金を取り出すと、枚数を数えて懐にしまった。
 そのまま男はバスターミナルの方へと歩き出すと、美佐は逃してなるものかと携帯で百十番をかけながら後を追った。
 そして男に跳びかかると、地面に叩きつけた。
「な、何するんだ!」男は必至で抵抗を試みているが、ジャスティスレディから逃れることはできない。
「振り込め詐欺の犯人でしょう? もうすぐ警察が来るから、大人しくしていなさい!!」
「違う。俺は弁護士だ。詐欺師なんかじゃない!」
「犯人はみんなそういうのよ。言い訳したければ警察に話しなさい!」
 それでも違うと言い張り続ける。
 騒ぎを聞きつけた母親が駆け付けると、美佐は事情を説明した。
「えっ! そうだったの?」
 彼女は呆然となりながら、男を踏みつけた。
「母親の愛情につけ込むなんて最低の行為よ。恥を知りなさい!」
「ですから誤解ですって!」
 すったもんだしているうちに、ようやく警官が到着した。
「どうしました?」
 美佐はこれまでのいきさつを、かいつまんで話した。どうやって事件を知ったのかについては、偶然ですと言葉を濁した。
「お巡りさん、信じてください。僕は正真正銘の弁護士なんです」
 そこで男は名刺を取り出した。確かに弁護士と書いてある。だが、偽物の可能性もあったので、確認のために警官が携帯で名刺にある弁護士事務所にコールした。
『……はい、確かに鈴木は所属しておりますが……』その声は女性の物で、とても嘘をついているようには思えなかった。警官は念のために本部に連絡を入れると、しばらくして本物であることが証明された。もちろん示談の話も本当だった。
 氷の視線が美佐を刺した。母親も怒りの矛先を、弁護士の男からコスプレ女に変えた。
「もし、はるおの示談が成立しなかったら、あなたのせいよ! 訴えてやるわ!」
「失礼しました~」美佐は愛想を振りまくと、警官の後ろを指さし、「あっ! あんなところにグラビアアイドルの大野城エイラが!!」と叫んだ。
「えっ?」警官が振り向いた途端、美佐は猛ダッシュを決める。
「おいこら、待て!」
 一目散に逃げだすと、どうにか警官を振り切ることに成功した。スーツのおかげで足は早い。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み