僕と平成さんと明治さんと

文字数 6,913文字

「…………や、やばたにえん」

 小さく呻いて、平成さんがよろめく。
 ここ最近、平成さんの顔色が悪い。
 二十四時間体勢で平成さんを見守っている僕は、当然そのことに気づいていた。
 一言で言えば平成さんは、頭の螺子が五本ぐらい外れて空中分解してそのまま爆発四散しそうな元気系女子校生である。この元号学園高等学校の授業にも普段通り出席している様子だが、しかしながら全くもって非常に残念なことに、今の平成さんには、あの頭がおかしいとしか言いようのない元気はなかった。
 昨日までの僕のマイブームは学園の庭に落ちている青梅を、これ新発売のスイーツなんだ、と言って平成さんに渡して食べさせることだった。美味しい訳がない青梅を、スイーツという言葉だけで嬉しそうに咀嚼する平成さんを眺めていると、それだけで心が和む。ときどき馬鹿なんじゃないの? こいつ、と思うこともあるが、平成さんは可愛い。
 平成さんに限らず、僕は可愛い女の子が好きだ。可愛い子は愛してる。そんなの当たり前だろ?
 最近、平成さんは所属している小説研究部の部室には顔を出すものの、体調が悪そうに机に突っ伏していることが多かった。
 まぁ体調を悪そうにしている平成さんも、それはそれで可愛い。
 なので僕も黙って隣に座り、平成さんを眺めている。僕はそれだけで満足だった。
 もしも小説研究部に常識的な人間がいたとしたら、恐らくは平成さんに、体調不良を理由に学園を欠席することを薦めるだろう。
 しかし残念なことに、我が小説研究部に常識的な人間などいなかった。
 そもそもな話だが、この元号学園には常識的な人間など存在しない。噂によると十年ぐらい前に絶滅したらしい。
 平成さんの一つ上の先輩、昭和さんにしても、体調不良なんて気合いが足りていない証拠だ、などいって竹刀を振り回す系の女子高生だし、さらにその上の大正さんに至っては、体調不良なんて戦争に行けば自然に治る、などといって赤紙を進呈してくるだろう。訳が分からない。僕が言うのもなんだが、二人ともどうかしている。
 小説研究部の部員は僕を含めて以上四人となるが、誰も体調不良の平成さんを休ませようという発想には至らない。
 普段元気な平成さんが、体調が悪そうに青白い顔をしていると可愛い。
 それならば、もっと体調を崩せばもっと可愛くなるかもしれない。
 そんな思考回路で僕は平成さんを生暖かく見守っていた。
 そして順調に平成さんは体調を悪化させていき、ついに部室で倒れるという事態となった。
 僕は悪くない。
 全部全て何もかも、この環境のせいだ。 
 繰り返すようだが、僕は何も悪くない。
 さすがに倒れられてしまっては見守るなんて言っていられない。
 そもそも平成さんに欠席されてしまうと、僕の趣味である平成さん観察にも大いに支障が出る。
 ブレザー服姿の平成さんが、亜麻色のゆるふわセミロングな髪をなびかせながら床に倒れていくのを見届けた後、僕、大正さん、昭和さんは顔を見合わせた。
 そして小説研究部にて緊急会議が催され、三人で倒れた平成さんの対処を検討、いくつかの案が挙がる。

 一、グラウンドに埋めて、学園七不思議の一つにする。
 二、視聴覚室に吊して、授業中の魔術師を名乗り犯行声明を出す。
 三、写真をとってSNSにアップロードして炎上を狙う。
 四、普通に保健室に運ぶ。
 五、はさむ。
 
 予想とは裏腹に、満場一致で四番の案が採用となる。
 僕は昭和さんと大正さんが最低限の社会的な常識を持ち合わせた女子高生であることを確認して安堵の息を吐いた。
 僕と同じように昭和さんと大正さんも安心したような顔をしているため、向こうも僕に対して同じ様なことを考えているに違いない。本当に失礼な奴らだ。
 三人の中で一番腕力がある系女子、鮮やかな袴に茶色いブーツの大正さんが、平成さんを乱暴に担いだ。そして保健室へと運びながら嘆息する。
「……体調を崩して倒れるなんて、平成は本当に軟弱じゃな。これだから紙オムツで育った世代は困る」
 そう毒づく大正さんに対して、隣の昭和さん眉を潜めた。昭和さんが腕を組むと、着ているセーラー服とロングスカートが不機嫌そうに揺れた。
「え、いやそれ、軟弱であることと紙オムツ関係なくね? 意味不明複雑怪奇奇々怪々みたいな? っつーか紙オムツがダメなら、赤ちゃんは何を使えばいいんだよ。布オムツ使って毎回洗えってか? どんだけ面倒なんだよ。もしかして布おむつの方が想いが伝わるとか言うつもりなのか? 布オムツで想いとか一周回って逆にナウいわ」
 昭和さんの反論に、大正さんが口をとがらせる。
「お前たちは、面倒なことを避けているから駄目なんじゃ。私に言わせれば、平成もお前も苦労が足らない。大体、人間というのはじゃな。苦労に苦労を重ねて、堪え忍んで辛抱して成長していくものじゃぞ」
「あーそういう、おしんみたいなの。テレビの中だけにしてくんねーかな?」
 基本的に僕はこの二人の会話についていくことができず、なので何も言わない。
 ここで僕は改めて気づく。
 平成さんがいないと、僕はこの部活動で話せる相手がいない。
 語彙を失った言い方となるが、平成さんの性格も色々やばいが、この二人も同じレベルでやばい。迂闊に言葉を投げると、大体デットボールで投げ返されるので危険だ。
 平成さんは、大正さんに背負われながら、「……気分の悪さが、神ってる……。揺れて気持ち悪いから、もうちょっと忖度して……」などと悪夢にうなされる様に呟いていた。
 保健室へ到着した僕らは養護教諭に平成さんを任せる。その後、体調が回復しないため病院につれて行かれたらしい。
 そしてその翌日から、ついに平成さんは学園を欠席する。そのまま続けて一週間休み、SNSも更新していない様子であった。極度のSNS依存症であり、定期的にネット上で炎上を起こしている平成さんが、更新していないのは由々しき事態である。
 だんだん心配になってきた。
 僕は小説研究部でそんな不安を吐露するが、大正さんと昭和さんからの同意は得られない。大正さんは「病気なんて桃缶で治るんじゃ」と言ってひたすら一人囲碁に興じているし、昭和さんについては「名古屋打ちぃぃぃッ!」と叫びながらインベーダーゲームに耽っていた。
 一応、ここは小説研究部のはずだが、誰も小説など読んではいなかった。
 もうやめたらこの部活、などと少し思うが、僕はそれを胸中に留める。二人にそんなことを言えば、鉄拳制裁で痛い目を見るのは僕の方だ。
 仕方なく僕も、スマホのソシャゲで時間を潰すことにした。
 暇なのでガチャを回す。
 さらにガチャを回す。
 またガチャを回す。
 まずい。
 このままでは時間よりも先に僕の預金が潰れそうだ。
 平成さんに続いて、僕も具合が悪くなりそう。
「お前さー。ここ小説研究部なんだから、ゲームやってねーでたまには小説読めよなー」
 そう昭和さんがインベーダーゲームをやりながら僕に告げてくるが、「あ、僕はこれゲームやっているんじゃなくて、ウェブ小説読んでるんで」と適当な嘘を並べてソシャゲのガチャを回す。
 あ、星五引いた。


 そして平成さんが倒れて十日。 
 平成さんの体調は依然として回復しない様だ。なんだかんで心配性な大正さんが面倒そうに口を開く。
「世の中には呪いというものもあるしの。念のため、明治のやつにも相談しておいたほうがいいかもしれんな」
 呪いなんて発想に至るあたりが、大正さんらしいなと僕は思う。
 明治さん。面識はないが、僕もその名前だけは聞いたことがあった。
 この元号学園に在籍している、天才JK陰陽師である。
 正直、呪いなんて非科学的であり馬鹿馬鹿しいとは思うが、強いてその可能性を考えるのなら、明治さんに相談するのがうってつけだろう。
 それで誰が相談しに行くのか。
 それについて、僕はいつも通り会議で話し合いの下に決定することを提案。しかし、こういうのは一番若いやつの仕事であると、大正さんと昭和さんに却下される。
 ふざけやがって。
 何が年功序列だ、早く滅べばいい。


 かくして僕はしぶしぶ明治さんがいるという陰陽寮へと向かう。
 元号学園本館から離れた場所にある木造の校舎、その中に陰陽寮があるらしい。僕が到着すると、その校舎の玄関扉には木板が十字に打ち付けられ、入れない様になっていた。
 中に人の気配もなく、僕は途方に暮れる。
 するとその時だ。突如として僕の側に気配が沸く。
「あら、見慣れへん顔だけど。こないなとこになんの用?」
 気がつくと、僕のすぐ側に少女が立っていた。
 闇色の学ランにスカート。その上に赤い着物を羽織った少女は、ニコニコと笑って僕に顔を向けている。
 周辺には少女しかおらず、今の言葉は間違いなく僕に投げられたものだろう。
 僕は上目遣いの視線を返した。
「陰陽寮に用事があってきたんですが、中に入れなくて……」
「へえ。でも、入っても中には何もあらへんよ。陰陽寮は私が三歳ぐらいの時に廃止されたさかい」
 少女の言葉の最後の方は意味が分からなかったが、とにかく、この建物には何もないらしい。明治さんと呼ばれている人物も、ここにはいないのだろう。僕は困る。
 僕が立ち尽くしていると、少女が屈み、僕に視線の高さを合わせた。
「堪忍な。私は立っとるだけで人の心がわりかし、聞こえてまうのやけれども。君は、明治っちゅう人を探してんねん?」
 僕は首肯する。するとその少女は、嬉しそうな顔で掌を合わせた。
「こらまた奇遇だけど。その明治ちゅうのんは、うちんことやで」
 マジか。
 どうやら、この目前にいる人物が天才JK陰陽師の明治さんらしい。
 随分とまた都合よく会えたものである。
 僕が胸中でそんなことを呟いていると少女、明治さんが半眼になる。
「概ね世界ちゅうのんは、誰かの都合のええように回ってんのやで。まぁそれが君にとっての都合か、違う誰かにとっての都合なのかはわからへんけどなぁ。……こないなところで立ち話もなんやさかい。中に入ってや。お茶ぐらい出すさかい」
 どうやら、明治さんは本当に他人の内心が読めるらしい。
 つくづく思うが本当にこの学園には、厄介な人間しかいない。
 明治さんは木造の校舎、廃止されたという陰陽寮の方へと歩いていく。
 ふと沸いた疑問が、僕の口を経て出た。
「……さっき中には何もないというお話でしたが。実は嘘で、中にはお茶とか色々あったりするんですか?」
 すると明治さんは足を止めて頭だけ振り返り、満面の笑顔となった。
「いや、嘘ちゃうで。間違いなく、さっきは中に何もなかったで。一秒前の世界と今の世界、全く同じであると考えへんほうがいいで。……なによりも、そないな世界ほうが面白いやろ?」
 明治さんが玄関扉を押すと、重く軋んだ音を立ててそれが開く。
 いつの間にか、扉を打ち付けていた木板は消失していた。


 校舎の中に入り、応接室のような場所に通される。
 皮のソファで出されたお茶をすすりながら、僕は事情を説明する。
 最近ずっと平成さんの調子が悪そうで、先日部室で倒れたこと。大正さんと昭和さんに言われて、天才JK陰陽師である明治さんに相談するため、ここを訪れたこと。
 一通り説明すると明治さんは「なるほどなぁ……」と言いながら意味深に頷いた。そして笑って続ける。
「大正も昭和も平成も、ウチの可愛い後輩なんや。あいつら、どうしようもないアホやろ」
「……えぇ、まぁ。どうですかね」
 三人とも僕の先輩であるため悪く言う訳にはいかず、否定も肯定もしない。 
 明治さんが机に上にある煎餅をかじる。
「しかし小説なんて、また呪術めいたことをやってんさかい。それで平成が倒れたんちゃうん」
「どういう意味ですか? 小説は呪術ではないと思いますが……」
「文字列で他人に影響を与える、その部分では小説も呪術も人間の共感を利用した、同じものやわ。与える影響にプラスマイナスの差があるだけやし」
「まぁ確かに、そう考えると小説も呪術みたいなものかもしれませんが……」
「もしかすると、ええ小説家はええ呪術師になれるかもしれんね。文庫本一冊使えば、熱い呪いが組めそうやわ。……ところで君は、どないな小説好きなん?」
「僕は主に、ライトノベルとかライト文芸を読みますけど。あとは偶にウェブ小説とかを」
 明治さんが可愛らしく首を小さく傾げた。
「らいとのべる? そらなに。西欧の翻訳した本のことかしら」
「まぁ大体そんな感じです」
 僕が投げやりにそう言うと、明治さんが口元を押さえて半眼となる。
「かなんなぁ、説明するのが面倒さかいって適当に流して。うち悲しいわぁ」
 ……内心を読まれるというのが、ここまで面倒だとは思わなかった。
 会話の難易度で言えば大正さんと昭和さんを遙かに上回る。かなり、やりずらい。
 僕は咳払いをして話を進める。
「それで平成さんのことなんですけど、大正さんが呪術ではないか? と心配していまして。そういう可能性って、やはりあるんですか?」
 明治さんはお茶を飲みながら応じる。
「ああ、そらないと思うで。学園内でここしばらく、呪いの気配はまるであらへんさかい。たぶんやけど、原因はあれちゃうかしら」
「……あれとは?」
「此処とは少し周波数のちゃう世界の話なんやけど、年代につけられる称号が平成っていう国があってな。最近その称号を変えるみたいな話になってんさかい、その影響ちゃうかしら。だから放っておけば、そのうち影響も薄れて平成も元気になんで」
 滔々と、そんな話をする明治さん。僕はどういうリアクションをすればいいのか分からず沈黙する。別の世界の話をされたところで、僕には何も解らない。
 明示さんは続ける。
「うちがそう言うとった言えば、大正も昭和も納得する思うわ。ついでに君、後学のために、その世界に行ってみる? うちの召喚術使って、送ったってもええで」
「……いや、遠慮しておきます。ありがとうございました」
 明治さんの申し出を丁重に辞退して、僕は腰を上げる。平成さんの体調不良の原因について、呪術でないことが確認できれば十分だった。
 そして別れを告げて、僕が部屋を出ていこうとしたその時だ。明治さんが、後ろから告げてくる。
「建前の原因はそれでええと思うで。――――ところで君の動機、うちには全く理解できひんねんけど。好きな子の弱ったところをみたい、それで毒を盛るってどないな動機なんや。アホか。君、生の青梅が毒なのを知りながら、食べさせていたやろう」
 僕は足を止める。
「……何の話ですかね?」
「先にも言うたけど、うちは他人の内心が読める。隠しごとはできひん思うた方がええで」
「……僕は今日ここにきて、一度も頭の中で青梅なんて言葉を考えていませんが?」
「アホか。うちは天才JK陰陽師やで。君の過去の内心まで読めへんとは、一度も言うてへんで。それで、好きな子の弱るところが可愛いちゅうのんは、どないな感情なんや」
 さて、どうしたものだろう。
 ここで答えてしまえば、犯行を認めてしまようなものだが……。
 そう考えて、僕は苦笑する。
 よくよく考えてみると、そう頭の中で考えてしまった時点で、僕の負けじゃないか。そもそも他人の内心をその過去に至るまで読めるという力は反則すぎませんかね? 何が天才JK陰陽師だ。チートJK陰陽師に改名してほしい。
 諦めて、僕は言う。
「……いや特に深い理由はないんですけど。凄い元気系のキャラの子が弱ると、ギャップといいますか……普段より可愛く見えませんか?」
 明治さんから同意は得られない。
 代わりに、大きな溜息を返される。
「最近の若い子の考えることは、よう解らへんな。君も殺すつもりはなかった様だけど……死なへん量とは言え、うちは悪趣味や思うで。大正と昭和には、黙っといたるさかい、もうやめてや。平成は君の先輩やろう、もっと大事にしたってや」
「すいませんでした。ちょっと僕もやりすぎたなと後悔しています。もうしません」
 それは嘘偽りなく、僕の本心だった。ちょっと悪ふざけが過ぎたと思う。
 再び僕は退出しようとした。
 すると最後に明治さんは、笑いながら訊いてくる。
「しかしまぁ君みたいなのが平成の後輩とは。これじゃあ周波数のちゃう向こうの世界も、まだまだ困難が続きそうやね。…………そういえばまだ、名前を聞いてへんかったなぁ。終わりに君の名前、聞いてもええかな?」

 僕の名前なんて、随分と今更だ。
 明治さんには、僕の内心が読まれている。なのでわざわざ、声に出す必要はないだろう。
 そう考えて、僕はその質問に対し、あえて胸中で応じる。

 僕の、名前は――――――。



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