第16話 <噛み合わない話>

文字数 1,898文字

8月に入り少しした頃、里美から電話が入った。

「今度そっちに行っていい?
一回あの子の様子を聞きたいから」

「わかった」

私は店の定休日に、外で里美と会う約束をした。

「あの子どう? 迷惑かけてない?」

「最初は尖った感じだったけど、
最近はそうでもなくなったよ。
お店も手伝ってくれて正直助かってはいる」

「そう、良かった……」

と、少し安堵の色を見せた。

「学校のことね…… 考えない訳にはいかなくて」

そう言ってストローを動かすと、
アイスティーの氷がカランと音を立てた。

「学校側からこれ以上休むようだと
進級はおろか、在学も難しいって。
夏休み明け、あの子学校に行ってくれるかどうか心配で……。
何のためにここまで頑張って良い学校に入れたのか……」

「まぁね、学校に行かないのは問題よね」

私も困った顔をして言った。

「何でかしらね?
上手くやろうと思えば思うほど上手く行かないのよ」

「そうねぇ」

私は返事に困った。

「家族の幸せのために、いろんな物を揃えたわ。
素敵な街に住んで、上質な人に囲まれて、上質な暮らし。
お金も不自由してない。
学校だってしっかりした学校で、このまま行けば将来も安泰なのに
一体あの子は何が不満なのかしら」

とり立てて上げると幸せになれそうな条件だが、
何だか里美の話には違和感を感じた。
なぜならそう言っている里美からは
ひとつの明るさも見出せなかったからだ。

「それらがあって里美は今幸せなの?」

あえて聞いてみた。

「いろいろあるけど、幸せと思わないと。
ないものよりあるものに目を向けろってよく言うでしょう?」

「いや、それはそうなんだけど……
なんか…… わかんないけど幸せって条件が揃えば
手に入るってものじゃない気がする。
そういうのってさ、それらが幸せにしてくれるんじゃなくて、
本来はそれがあると自分が心地良いからとか、
何か目的を果たすための手段としてあるものなんじゃないかな?」

里美は黙って首を傾げていた。

「幸せってさ、形を揃えたらなれるものじゃなくて、
まずは自分の中から湧き出る思いみたいなのがあってさ、
それを実現させるために高いレベルの学問が必要で良い学校へ入るとか、
それだけのお金が必要とか、
この場所の空気が好きだからそこにいるとか、
純粋な欲がまず動機になって集めていくものなんじゃないかな?」

里美は相変わらず黙ってこちらを見ている。

「うーん、なんか上手く言えないけどさ、何かが違う気がするんだよね。
里美はさ、なんか自分がやりたい事とか、好きな事とかないの?」

「ないわよ。
って言うか小夜子はいつでもそうだったよね。
やりたい事があって、そこに向かってまっしぐらで。
でも、みんながみんなそういう人生じゃないのよ。
やりたい事がない人間は世間一般基準の幸せを集めるしかないの」

「禅問答みたいになるけれども、
必死で幸せの条件を集めようとしてるから
かえって自分の『好き』が見えなくなってるんじゃないの?
賢斗君だって好きなことあったのに、バンドやめさせたんでしょう?
このままじゃあの子、本当に未来が見えなくなっちゃうよ」

「バンドに熱心になりすぎて成績が落ちたのよ。
そこまで音楽にのめり込んだって、
それで食べていくのは現実的じゃないでしょう?
それにもともと不良みたいでああいうの好きじゃないし」

「それは里美の押し付けな気がするけど。
音楽で食べていくったってミュージシャンになるだけが将来じゃないし、
音楽に関する仕事はいくらでもあるから、
音楽が好きで詳しければ有利になることもあるんじゃない?
勉強も大事だよ、もちろん。
でもさ、安全な道を行くために大事なことを手放してしまうのは
もったいないよ。
順当な道順じゃなくても他にも幸せになる生き方なんて
何通りもあるからあの子に合った生き方、
もっと見守ってあげてもいいんじゃないかな?」

何とかわかってほしくて必死で訴えた。

「綺麗事だよ」

里美が言った。

「小夜子は自分の子供じゃないからいろいろ言えるでしょう?
自分の子供がドロップアウトしたらって、
心配になるのは親だったら当たり前だよ」

「そうだけど……」

噛み合っていないと思った。

でもこの噛み合わなさは、
今の里美に理解してもらうのは難しいと思った。

「なんか、さっきから里美の話を聞いてると、
あの子の気持ちが置き去りになっているような気がするのよ……」

私は続けた。

「確かに私は子育ての苦労とかはわからない。
親と他人は立場も違うと思う。
でも、今の里美は私でも一緒にいたら息が詰まるよ」

そう言うと里美はショックを受けたような顔をした。

「とりあえず、まだ夏休みはあるし、もう少し様子を見るよ」

私が言うと里美は

「わかった」

と言って二子玉川に戻って行った。

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