その2 こういう演劇は二度と観ないと心に誓ったあの日のこと

文字数 2,566文字

(2020/01/05)

 前回とは逆の意味で、私に決定的な影響を与えてくれた、ある舞台のことも書いておく。固有名詞は伏せるし、もう解散してしまった劇団だけれど、話の内容じたいは実話だ。盛らずに、正確に書く。

 その公演を観に行った理由がそもそも、後ろ向きだった。知り合い(仮にXさんとする)の知り合い(仮にYさんとする)が出演するから、チケットを買おうよとXさんから誘われたのだ。⇒演劇あるあるその1。出演者が知人。
 Xさんは当時いっしょに演劇を始めた仲間で、Yさんはうちの公演も観に来てくれた。なんだか断ってはいけない気がしたのだ。⇒演劇あるあるその1別パターン。知人同士、チケットを売りあう。これを「小劇場の回遊魚現象」というらしい。舞台と客席をおんなじ人たちがぐるぐる回っているわけ。

 チラシを見ても、話の内容がよくわからない。あらすじがろくに書かれていないのだ。出演者の顔写真だけがずらずらと紙面を埋めつくしている。⇒演劇あるあるその2。チラシが意味不明。
 いちおう途中まではあらすじが書いてあったので、まだいいほうだ。よくあるケースだと、作品内容の情報がゼロで、かわりに演出家の近況報告が印刷されていたりする。
「うちの猫が最近子どもを産みました」とかね。
 なぜこうなってしまうかというと、あらすじを書く能力が低い以外に、もうひとつ重大な原因があるのだが、それは後述する。
 まあ、とりあえずその公演は、こみいった家族関係の話らしかった。

 チラシによると、舞台にリアルに大きな傾斜をつける予定で、家具などがすべり落ちると。役者たちも、ふつうに歩くだけで大変だと。それによって家庭の崩壊を表現すると。⇒演劇あるあるその3。舞台の仕掛けに凝る。
 じつは観る側としてはたいして面白くない。映画の仕掛けやアクションははるかに凄いし、ダンサーやアスリートの身体能力もだんぜん凄いから、そこで勝負なんかしたら、演劇は確実に負けるのだ。
 ちなみに、舞台に傾斜をつけることじたいは、とくにめずらしくない。舞台奥を高く、手前を低くして、客席の後ろのほうからも見えやすくすることがある。「八百屋」というそうだ。この場合、俳優たちは、あたかも傾斜などないかのように自然にふるまうわけで、そっちのほうが尊敬してしまう。私ならまちがいなくコケる。

 さて、劇場に入り、席に着く。縦長のハコなので、小劇場なのに舞台との距離がわりとある。ちょっとさみしい。
 芝居が始まった。テレビ局のディレクター役の男性が登場する。ある家族の日常生活を撮影して放映するらしく、「崩壊」している当の家族は、カメラの前で仲のよいところを「演じ」なくてはならない。ここまではチラシの予告どおり。
 ところが、だんだん話の展開がずれていく。予告では、家庭の内部崩壊が描かれるはずだったのに、つぎからつぎへと家族を「名乗る」他人が登場してきて、たんなるドタバタになっていく。⇒演劇あるあるその4。チラシの説明とじっさいの上演の内容が違う。
 たぶん、というかまちがいなく、原因はさっき「後述する」と言ったこと。つまり、
⇒演劇あるあるその5。チラシ印刷の段階で台本が書けていず、その後、設定が変わる。

「なんかずれてきた」レベルでなく、他の公演でじっさいにあった話だと、本番一週間前に登場人物が一人増えたとか、本番前日に登場人物全員の名前が変わったとか。もはやホラーだ。それも、売れっ子劇作家や超のつく大御所の作品でだ。固有名詞は伏せるけれども中●●●仁とか井●●●しとか、中津留●仁とか井上●さしとか。
 他のどの業界で、こんなことが許されるでしょうか。レストランでメニューと違う料理が出てくるとか、ネットショップで電化製品を買ったらサイトで見たのとデザインも性能も違う製品が送られてくるとか、ありえます? あったら詐欺ですよね?

 それでも、がまんして、最後まで見た。というか、客席がせまいから、途中で立って出ることができなかったのだ。途中休憩もなかったし。⇒演劇あるあるその6。観劇中、監禁状態。
 いよいよラスト。主人公のディレクターが舞台に一人たたずんで、いろいろ感慨を述べる(すみません、そのへんちょっと忘れました)。そして背中を見せてしみじみ退場―—と思ったとき、
 くるりとふりむいて、彼が言ったのだ。

「なーんてね!」

「ぜーんぶ、ドッキリだったんですよー。はーい、じゃあ皆さん、お疲れさまでしたー」
 その台詞をきっかけに、舞台にどっと人が入ってきて、さっきまで役を演じていた人たちも、たぶん本当のスタッフさんたちもいっしょになって、舞台装置を解体し始めた。

 拍手があったかどうか、覚えていない。あったのだろう。ともかく、劇は終わった。
 私は、しばらく、立てなかった。
 怒りのあまり立ちあがれなかったというのは、後にも先にも、あのときだけだ。

 私は当時、ひじょうに大切だった人間関係のいくつかを、同時に失おうとしていた。
 死ねなくて、死ぬかわりに始めた、創作活動だった。書くことと、それを舞台にかけることは、溺れかけていた私がつかんだ最後のワラだった。
 一方で、生活のための仕事にも、穴をあけるわけにはいかなかった。けっきょく欠勤はしなかった。職場の誰にも、自分の異変を隠しとおした。
 あの日私がついやしたのは、そうやって作ったお金と、時間だったのだ。

 いまでも、もし目の前にあのときの主宰(劇作家・兼・演出家)がいたら、胸ぐらをつかんで言ってやりたい。
 あなたは、他人のお金と時間を、なんだと思っているのですか。

 せまい場所に2時間も監禁されて数千円もとられて教えてもらわなくたって、知ってますよ。家族が崩壊してるってことくらい。
 ぜーんぶドッキリでした、作り話でした、そうですか、よかったですね。あなたがたが笑ってバラしている、まさにその廃墟のような家に、いまから帰らなきゃならない客もいるわけですよ。知ってました?

 あなたは、観客を、なんだと思っているのですか。
 バカですか。
 バカって言ったほうが、バカなんだよ。(小学生か)

 こういう作品だけは、私は、作らない。絶対。

 客席に人の姿がまばらになってきたころ、ようやく私は立ちあがり、劇場を出て、歩きはじめた。

 そして、いまに至る。

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