第44話 父親の顔

文字数 1,639文字

スマホが鳴った。
正人からの連絡だった。
明美はその連絡に勇が家にいることを伝えると正人は安心したように大きく息を吐いた。



「帰ってくるみたいだよ」



明美は勇にそう呼びかけた。
勇は明美の言葉が聞こえていないわけではないようだったが何も言わなかった。
その反応の意味が、緊張しているのか、無関心なのか、明美には分からなかった。


「帰る」



急に勇は立ち上がると、玄関の方に向かった。


「いいの?」



明美は勇を引き留めなければならないと思ったが、そのためにどうすればいいのか分からなかった。


「もうすぐ帰って来るんだよ?」



明美は意味もなしに声を張り上げたが勇には関係ないようだった。


「どうして帰っちゃうの?」



明美はどう引き留めればいいか分からずただ質問をすることしかできなかった。
勇は明美を見た。
それはまるで明美のことを見透かしているような感じだった。
まるで明美がずっと帰ってほしいとでも思っていたのを知っていたかのような目だった。
明美はそんなことは思っていないと自分に言った。
本当に?
明美は自分でもよく分からなかった。
もしかして明美の心を読めるのだろうか。
明美はそんなことさえ思った。
明美は言葉に困っていた。
勇は明美の質問に答えないが、無視しているわけではないようだった。
何か答えられない理由があるのだろうか。
勇は靴を履き外に出た。
明美はどうすればいいか分からず、勇の後を追った。



「ねえ、どうしたの?」



明美は勇が分からなかった。



「会いたいんじゃなかったの?」



明美はわざと挑発するように聞いた。



「怒られるのが怖いの?」



勇はそれを知ってか知っていないが、少しムキになって、明美のことを見た。



「じゃあ、どうして?」



勇は何も言わなかった。
勇はただ明美をじっと見た。
それは聞かせてくれるということなのだろうか。



「近くに公園があるんだけど」



大丈夫だろうか。
でも聞く以外の選択肢はないような気がした。
もし勇の話を聞いたら、その話を受け入れなければいけないことにはならないだろうか。
もし勇が正人が父親であることを望んでいたとしたら、それを明美はどう受け入れればいいのだろう。
例えば勇の望みを拒んだとしたら、勇はどうなってしまうのだろうか。
それで明美は本当に幸せだと言えるのか。
勇の話を聞くことは、後悔しかないと思った。
明美は嫌な予感しかしなかった。
でもそこから逃げ出すこともできず、ただその時に向かっていくことしかできなかったのである。



「納豆好き?」



勇がまた明美を見透かしたように聞いてきた。
なぜこんなことを聞いてくるのだろうか。
明美の答えに何を求めているのか。
明美は質問に答えることよりも質問に質問を重ねていた。
ついに明美は自分の質問をすべて抑え込み、得に聞きたくもない質問を返すことにした。



「勇君は好き?」



勇は明美を見た。


「ここ?」



公園だった。
公園は閑散としていて誰もいなかった。
この公園は遊具も何もなく、お昼時に人がベンチでお弁当を食べるくらいで、あまり利用する人はいない。



「最近また好きじゃなくなった」



納豆は正人の好物だった。
明美は納豆が好きではなかったが毎朝必ず食べる正人につられて食べるようになったのだった。
明美が正人と一緒に食べるようになると、正人があまりに嬉しそうだったので明美はこれが幸せなんだなと思ったものだった。
もしかして勇もそうだったんじゃないか。
その様子だけで勇が正人のことを慕っていたのがよく分かった。
勇から伝ってくる正人の気配は相変わらず優しかった。
でも明美にはよそよそしくて大体後悔することばかりだった。
明美は正人の父親の顔を知りたかったが、勇からはもうこれ以上知りたくないと思っていた。

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