第6回 王者が語る 亡者が願う

文字数 10,278文字

「セディがいないと静かだね」
 本を読んでいたジョイドがふと沈黙を破った。まだ眠るつもりはないもののベッドに寝そべっていたトシュは、頭をもたげもしないまま笑う。
「あいつがうるさいみたいじゃんか」
 といっても、セディカがいないから、が理由であることは確かだ。あの少女はもう別室に引き上げたのだから、敢えて賑やかにする必要もないし、話の途中にあれこれ解説を挟む必要もない。
 山を越えてきた旅人たちは、驚きと少々の疑いとを以て迎えられた。この山を越えてきたんで? と最初に出てきた下男は目を円くし、下男に呼ばれてきた院主は、自分がこの寺院に来てからというもの、そんな人間が現れたことはなかったと(いぶか)しんだ。院主の言うことは(もっと)もであった。トシュとジョイドが以前越えたときには、〈錦鶏〉側から帝国側へ向かったし、この寺院は素通りしたし、二人は純粋な人間ではない。
 山賊が出ないって聞いたもので、とジョイドが前々から用意していた建前を述べた。あの首領虎が住み着いたときから、人間の山賊など〈連なる五つの山〉には出没しない。無論、人間のために追い払ってやったわけではなく、虎自身の住み心地のためだ。その当時この山々を根城にしていた山賊が、もし風流を解し詩を好む者たちであったら、(むし)ろ虎は意気投合してその後ろ盾になったかもしれない。
 無茶をしますなあと下男は感心していたが、院主は納得が行かないようだったので、もうしばらくジョイドは弁舌爽やかに喋ったり喋らなかったりし、セディカをゆえあって帝国から落ち延びてきた高貴の令嬢に、自分とトシュとをその従者にしてしまった。いや、肝心のところはわけありげに口を(つぐ)んで匂わせたのであるから、相手がそのように解釈したかどうかはわからないが。二人が従者でも何でもないことを除けば、さほど事実とかけ離れてもいないはずだ。セディカは実家のことをはっきり話さないから、本当のところはわからないものの。
 別にジョイドの独断ではなくて、二人はそれらしくセディカの荷物を引き受けたり、セディカに敬語を使ったりと、寺院に踏み込む手前から芝居を始めていた。山で拾ったのだと素直に話せないわけでもないが、それではセディカが自分のことを、明かすにしても隠すにしても()()()すにしても、一人で背負わなければならなくなる。二人に振り回される格好になった方が、幾らか気は楽になるだろう。尤も、今となってはトシュはいささか複雑な心境であった。寺院に近づいてからの少女は、至って自然にと言おうか物の見事にと言おうか、いかにも使い慣れている様子で、二人を従者らしく扱ったので。
 かくて三人は一夜の宿を借り、修行用の建物に併設されている寝室の、片方をセディカが、片方をトシュとジョイドが、使うことになった。寺院で一人きりになるのは心細かったのか、少女は青年たちの部屋にやってきて、しばらく喋っていた——というよりも、二人が喋るのを聞いていたけれども。そのときは別に主人然とした態度を取ることもなかった。あれは素直に作戦を遂行しただけなのだ。
 寺院にいても平気なのねとセディカが呟いたときには、口が軽いぜお(ひい)さん、とトシュは自分の唇に人さし指を当てた。誰かが聞き耳を立てているわけでも、偶然聞きつけそうな近くを通りかかっているわけでもなかったが、二人が妖怪であることを前提とした発言は、人里では控える習慣をつけてもらわなくてはならない。慌てて口を押さえたセディカは勘違いしているかもしれないが、知られたところでトシュとジョイドが困るわけではない、知った人間の方が(おび)える破目になるのである。ジョイドの設定をおもしろがって、その設定を補強するように「お姫さん」と呼び始めたことについては、セディカは苦笑していたものの嫌がりはしなかった。
「プライドの高いお嬢様だよ。これ幸いと助けられときゃいいのに」
 口を開いたついでにトシュは呟いた。不当な恩を受けている、とでも言うべき抵抗を覚えている節があの少女にはあった。真っ当に恩を注いでくれるはずの実の親に見捨てられたくせに、他人の助けを拒絶していては八方(ふさ)がりにしかならないと思うのだが。
 致し方ない面はある。四分の三は妖怪である、とはアクシデントのような形で明かしてしまったけれど、だからといって少女が二人を理解できたはずはない。つまり、父親譲りの、当の父親には遠く及ばずとも大きな力を、何の修行も積んでいない人間が感じ取れるわけがないのだ。生まれ持ったものにどれほどの開きがあるか、スタートラインがどれほど不公平であったかを真に理解したなら、寧ろ二人にはその不公平を(なら)す義務があると(とら)えそうなものだ——が、要するに、そのこと自体を理解できるように生まれついていないのだから、どうにもならない。
「怖がって逃げられるよりよかったんじゃない?」
「まあな」
 それはその通りである。山の中で逃げられて、獣の()(じき)にでもなられたら後味が悪すぎた。こんな最期を迎えるぐらいなら、木々の詩会に取り込まれて、楽しみながら徐々に朽ちていった方が本人は幸せだったろう、などと述懐する破目にはなりたくない。
「明日出発した後で、あいつが隙を見て逃げ出して——この寺院にでも逃げ戻ってくるなら、それでもよかったんだけどな」
「〈誓約〉を立ててなければね」
「……わかってるから言わねえでくれ」
 目を覆う。あははと楽しげな声がしたのは、寧ろ救いだ。笑い飛ばしてもらう他ない。
 セディカが実はずっと恐怖を押し隠しているのだとしても。人里に着いたところで思い切って逃げ出して、あの二人は妖怪なのだ、助けてくれと、寺院なり何なりに駆け込んだとしても。気分がよくはないにせよ、別に構わないのだ。たまたま行き合っただけの少女に、(こだわ)りも思い入れもない。
 だが、この〈連なる五つの山〉にいる間はセディカを守る、とトシュは自らに責務を課してしまったわけで。残念ながらこの寺院は山の中にあるために、セディカがこの寺院に(とど)まってしまえば、トシュはあの〈誓約〉から解放されないことになる。それは勘弁してほしい。
「〈連なる五つの山〉にいる間、に限定した辺りは冷静だったんだけどねえ」
「いや……それは寧ろ逆っつうか」
 トシュはぼそぼそと訂正した。
「何かあったときに、ここは『この山』じゃなくて隣りの山だから無効だ、とか言われたらムカつくなと思ったんだわ」
「それはそれで冷静だったと思うけど」
 ジョイドは評価を撤回しなかったが、完全に売り言葉であったとの自認があるトシュは慰められなかった。おまえには関係ない、で干渉を阻もうとする者に対する反発——攻撃する筋合いのない相手を思う様に踏み(にじ)っている者ほど、他人から自分への働きかけはそう斬って禁じようとする。とはいえ、あのとき野牛はそういう意図でセディカとの関係を問うたのではなかったはずだ。
 今少し格好をつけるなら、人脈や縁故によって人生が左右されることへの反発であるとも言えた。トシュ自身は大いに恵まれているからこそ、セディカのような、縁に恵まれなかったがために不遇をかこつ者にぶつかると、悪者にされたような不快感を覚えるのだ。不公平の体現者、理不尽の権化。守り手たるべき親を一人は早くに失い、一人には見捨てられた無力な少女を見せつけて——何が、言いたい。
 そうはいっても、そんな気の毒な少女のためだからといって、〈誓約〉を立てるとは明らかにやりすぎなのである。一般的な誓いとは区別されるそれは、それだけ重く、実効を持つ。守れば天や神の加護や祝福を得られる代わり、破ったときの報いが洒落(しゃれ)にならない——端的に言って、破滅が待っている。伴侶に捧げたり主君に捧げたり、自分自身の名誉や誇りを懸けたりするものであって、ただの親切としては度が過ぎているのだ。しかも、それほど重大な宣言をしておいて、あの後は特に危険な目にも遭わなかったのだから、空回りにも程がある。
「そんな話はいいんだよ。で、おまえは何を読んでるんだ?」
 トシュは強引に話を変えた。同時に身を起こしたからだろう、ジョイドは片手で読んでいた本を掲げながら、机に置いてあった方の本も取り上げて示した。
(せっ)(かく)寺院だから、経典借りた。あと、〈錦鶏集う国〉の官製史書」
「二冊あんのかよ」
 一晩で読む気か。
「経典借りられますかって先に訊いちゃったんだもの。でも、どう考えても〈錦鶏〉でしか読めない〈錦鶏〉の史書にするべきだった」
「どう考えても、なあ」
「鳥を名前に冠してる国は気になるのよ。まだ寝ないんならおまえも読んだら」
 建国神話もおもしろいよと勧めるのに、初代国王が生きてる国の建国神話ねえと疑わしげに返す。強行の過ぎた話題転換は特にからかわれも触れられもせず、これだからこの相棒は助かるのだと——口に出しては台無しなので、胸のうちだけでトシュは呟いた。

 ベッドの中で手足を伸ばしながら、自分はさぞかし上機嫌な顔をしているのだろうとセディカは思った。にやけているかもしれない。
 何よりも湯浴みが叶ったことが嬉しい。ベールを脱ぎ捨てて髪を洗えたことも。上がった後はタオルを巻きつけて、トシュとジョイドの部屋を訪れたときにも外さなかったけれども、自分が借りた方の部屋で一人きりになってからはそれも取ってしまった。これまでも二人は寝る段になればセディカとの間に衝立(ついたて)を立てて、セディカの方が起きていくまで絶対に覗いてこなかったのだから、こっそりベールを外していても見られることはなかったのだろうけれど。
 寺院のベッドも寺院の食事も決して豪華なものではなかったものの、旅路のそれよりはずっと上等だ。無論、寝具自体は簡素なものであったとはいえ、小屋を持ち運んでその中で夜を過ごしていた旅路は、通常の旅路とは比べ物にならないほど上等だったに違いないのだが。
 ただ、寺院の者たちや神に対して感謝を抱きながらも、トシュとジョイドに対するような引け目は感じていなかった——という事実は、セディカの意識に上っていなかった。恐らくは〈世を幸いで満たす寺〉の慈善に慣れていて、寺院たるもの、困窮している者に手を差し伸べるのは当然のことと認識していたためであったろう。実家にいる間のセディカは、父に嫌われているからといって貧相なベッドと粗末な食事をあてがわれているわけでもなく、寧ろ寺院に喜捨をして間接的に貧者を救うべき立場にあったけれども、今現在はどう(ひい)()目に見ても手を差し伸べられるべき立場である。
 ともあれ、セディカはしばらくぶりに、心の底から快い眠りに落ちていこうとしていたのだったが。
「娘よ、娘。我が声が聞こえぬか」
 どこから響いたともわからない声が、少女の眠りを妨げた。
 否、その声は外から響いてきたのだった。声の主を探しに出たセディカは、そこに一つの姿を認めるや、反射的に(ひざまず)いた。黄金色の衣装、碧玉を散りばめた帯、伝説の花をあしらった靴、そして冠——帝国内においては皇子に、帝国外においては臣下の礼を取る国の王に許された、王者のいでたちだったからだ。
「面を上げよ。我が王であったは三(とせ)前までのこと、今やこの身は()(よう)な礼を受けるに値せぬ」
 そうは言われても、……そんな格好で現れておいて、そんなことを言われても。
 尤も、相手もセディカが顔を上げるのをわざわざ待ってはいなかった。聞いてほしい、とだけ前置きをして、その人物は語り始めた。
「我は〈錦鶏集う国〉の王であった。かつて我が国は(ひでり)に見舞われた。我は我が不徳ゆえに天が罰を下されたものと考え、身を清めて行いを慎み、神々に祈って赦しを乞うた。一年目は(みつぎ)を免除し、二年目は王家の倉を開いて民を救おうと努め、生活苦から罪を犯した者に恩赦を与えた。なれどいかなる効果も見られぬまま、国が滅びるも時間の問題かと思われた五年前、一人の方士が現れたのだ」
 方士、とはジョイドの講義で知った言葉であった。仙人となるべく、即ち不老不死を目指して、修行を積んでいる者を指す。ただ、修行を中断したり怠けたりしていても、別に方士と称することを禁じられるわけではない、と冗談のように言ってもいた。仙術使い、と呼んでしまえば一番嘘がないと。
「かの方士は雨を降らせて我が国を救った。のみならず、石を指して金に変え、復興のための財源となした。我はかの者に王の弟に準ずる地位を与え、我が右腕として重用した。かの者は信頼に足る人間であると見えたのだ、娘よ」
 どきりとしたのは、信頼を寄せている方士が身近にいるためである。
「二年が経った春のことだ。我はかの者と二人、供を連れずに王宮の庭園を散策しておった。かの者は我を井戸に突き落とし、井戸の(ふた)を閉めて土で(うず)め、同じ庭園に生えていた芭蕉を、術を以てその上に移し替えた。そして、我と寸分違わぬ姿に化け、我に成り済ましたのだ」
 淡々と語られた過去に、少女は震え上がった。詳細に描写されずとも背筋の凍る、殺害の告発。
 ——では、この。……すぐそこにいる、国王は。井戸で溺れたはずの、井戸ごと埋められたはずの……。
 ちらとしか見なかった黄金色の衣装は、よく見ればぐっしょりと水を含んでいたのだろうか。ひょっとしたら耳を澄ませば、ぽたぽたと雫の(したた)る音が聞こえてくるのだろうか。止める間もなく瞬時に膨らむ想像に、耐えきれなくなって顔を上げる。そこにあった国王の姿は、ありがたいことに想像に反して、濡れそぼっても朽ち果ててもいなかった——青()めては、いたが。
「今、妃は夫と信じてかの者に仕え、太子は父と信じてかの者に仕え、臣下は主君と信じてかの者に仕えておる。娘よ、我が声を聞きし娘よ、かの者の罪と正体を暴き、我が恨みを晴らしてくれぬか」
「どう……して」
 発言の許可を求めるのも忘れて、セディカは呟くように、ひょっとしたら(あえ)ぐように、問うた。
「わたし、何も……できることなんて」
「そちには力ある守り人がついておろう?」
 厳かだった声が、(すが)るような響きを帯びた。
 守り人。無論、トシュとジョイドに違いなかった。……では、方士を信頼するなと忠告されたわけでは——ないのだ。
「明日、我が太子は狩りのために王宮を離れ、この山へと参る。かの者の目の届かぬ場へと参るのだ。どうか、我が息子に真実を伝えてほしい」
「……信じていただけるでしょうか」
 先よりはしっかりと、セディカは尋ねた。
「殿下はその偽物を、陛下と信じておいでなのでしょう?」
「証拠を渡そう。仮令(たとえ)太子が見覚えておらずとも、妃にはわかるはず」
 色とりどりの碧玉が(きら)めく帯から、一際目立つ赤い飾りを国王は外した。上が狭く下が広い台形で、鳥の絵が描いてあるらしいことが遠目に見て取れた。
「かの者は姿こそ我と瓜二つとなったが、これの偽物を作ることは叶わず、弟に奪われたと言い成したのだ。弟とはあれ自身のことだ。ああ、何と忌まわしい——」
「セダ! 起きろ!」

 思い切り揺すぶられて、セディカははっと目を見開いた。
 トシュがセディカの二の腕をほとんど鷲づかみにして、凄い(ぎょう)(そう)で覗き込んでいた。セディカが目を覚ましたことで、幾らか安堵したようではあった。
「俺が見えるか?」
「ええ……」
「起き上がれるか」
 答える代わりに、起き上がってみる。特に体のどこかが動かなかったり、痛んだりということもなく、いささか拍子抜けしたのだったが。
 トシュが片手ですばやくセディカの前髪を()き上げた。(あら)わになった額に、その視線は吸いつけられたかのように注がれていた。
 次の瞬間、セディカはその手を跳ね()けて自分の両手で額を覆った。右手の中から何かが飛んでいったのを感じたが、そちらに注意を払うどころではなかった。
「どうした、それは」
「違うの、あの、昔」
「昔?」
 責められたのかと思うほど緊迫した声のトーンが、すぐに変わる。
「前からあった傷か?」
 はあ、と青年は息を吐いた。
「なら、いい。焦ったわ」
「……お父様がお母様に盃を投げつけて、跳ね返ったのが当たったの」
「いいっつうに」
 トシュは眉を寄せたが、トシュの疑問を解決してやりたかったのではなくて、父の非道を言い触らしてやりたかったのだからこれでよいのである。
「だからベールがいるのね」
 ジョイドの声がしたことには驚かなかった。トシュがいるのなら、ジョイドもいるだろう。何なら灯りを点けたのもジョイドだろう、トシュにその余裕があったとは思えない。
 旅先でも他人の記憶に残りやすいだろう、などという理由は建前であり後づけだ。真の目的は額の傷痕を隠すためである。父は自分への当てつけだと思っているだろうが、傷が他人の目に触れるのも嫌なのだろう、文句をつけられたことはない。
 ベールに拘っているわけではなくて、帽子を()(ぶか)に被ることもあるし、スカーフを巻くこともあるし、バンダナでも鉢巻きでも用は足りた。が、セディカの体感としては、ベールが一番、周りから口出しをされない。例えば帽子は状況によっては、脱がなければ礼を失することになってしまう。山の首領の前に出るときに、トシュがバンダナを外したのもそういうことだろう。が、ベールは南国の、異文化の被り物であるものだから、正しい作法を指摘できる者がいないのだ。
「悪いことしたね。知らなかったとはいえ」
「睨むなよ。……あー……すまん」
「……ううん。仕方ないわ」
 興味本位で見られたわけではない。大体、今の今まで気づかれなかったのは、二人が好奇心からベールの下を暴こうとしなかったためである。トシュが日ごとに用意する着替えに、頼んでもいないのに途中からベールが増えたくらいだ。
 まだ寝間着になっていなかったトシュは、服の中を探して残っていたバンダナの切れ端をみつけると、ナイトキャップに変えて放ってよこした。セディカはそそくさと被って、目のすぐ上まで(ふち)を引き下ろしてから、口の中で礼を言った。
 それから——まじまじと二人を見る。
「……どうしたの?」
 トシュがいるのなら、ジョイドもいるだろうが。そもそも、何故、いるのか。
「ええとね、ちょっと変わった気配がしたわけなんだけど。寝てて何かおかしなことはなかった? 寝苦しかったとか、変な夢を見たとか」
「夢……だったのかしら」
 思い当たることははっきりとある。唐突に断ち切られた、死者との語らい。
 目覚めと共に霧散していかなかったその記憶を、少女は思い出せる限り語った。青年たちは口を挟まずに最後まで聞いて、それから顔を見合わせた。
「ただの夢でもなさそうだよ。亡霊が君にまとわりついてたのは確かだから」
「まと……」
 顔が引き()る。とはいえ、もうここにはいないようではあるが。
「亡霊が本当のことを言ってたのかどうかは別問題だけどね。〈錦鶏〉の国王で——殺されて成り変わられた、か」
「……幽霊は嘘を()けないって、聞いたことがあるけど」
「そういう話はあるけどな。俗説なのか本当なのかは」
 言いさして、トシュが頭を掻き(むし)る。
「方士の目標は不老不死だぜ。死んだ後のことなんざ知るかよ」
「寺院の敷地内に入ってこられるんだから、少なくとも悪霊ではないだろうけどね」
「……そうだよ。てめえ(おど)かしやがって」
 トシュは食ってかかったが、油断して何かあったらその方が困るでしょ、とジョイドは悪びれない。つい先ほど大変な剣幕で起こされたセディカとしては、トシュに同調したいところだった。随分——心配させた、らしいのに。
「追い払わないで捕まえるべきだったかなあ。ところでセディ、これは君のもの?」
 トシュを放って、ジョイドが片手を顔の横に上げた。握られていた赤い飾りに、あ、とセディカは声をこぼした。
「多分、証拠にって……その、陛下が、最後に」
「王様本人には成り済ませても、これの偽物は作れなかったってやつね。おまえは? 作れる?」
「そんな細けえのをか?」
 質問返しの形を取った、それは否定であった。そんな無謀なことに挑戦させる気か、とでも言いたげな呆れを帯びてもいた。
 夢の中でも目にした鳥の絵は、描いてあるのではなく、彫ってあるのだった。近くで見ればつややかな羽毛の一本一本までが彫り出されていて、指を当てればふかふかとした手触わりが感じられそうだった。今にもくいっと首をこちらにひねりそうな、瞬きでもしそうな、本物のような——こんなところに、こんな大きさで、鳥が埋まっているはずもないのだが。
「〈小人の作品〉じゃないかな。不思議な仕掛けは何もないけど、何せ小人の目と手だからね。人間や妖怪にはそもそも見えないところまで見えるし、彫れるわけだ」
「〈錦鶏集う国〉なんて名前を自分の国につけた王が持ってそうな代物ではあるな」
「これが錦鶏なの?」
「だと思うよ、線画じゃよくわかんないけどね。敢えて赤い翡翠を使ってるわけだし——ああ、翡翠だと思うよ、材質は
 錦鶏。(さん)(らん)たる錦の如き羽を持つ霊鳥。鶏に似て鶏より小さく、背の文様は赤く、胸は五色に輝いて孔雀の如く、その羽は火伏せの効果を持つという。寝る前にジョイドから説明を聞いたばかりだ。寺院に入る前には控えた〈錦鶏集う国〉の概要と建国史を、今度こそ語ったときに。
 これが確かに〈錦鶏〉国王の持ち物であるとも、盗まれたものではないとも証明はできないものの、二人はあの亡霊を本物の国王であると認めることにしたようだった。偽物であることが判明したらそのとき思い知らせてやればいい、と不穏なことをトシュは言い添えたが。
「俺らに直接言えって話だけどな。なんでセダを通すかね」
「怪しまれて即座に調伏されたりしたら嫌だからじゃないの」
 ジョイドが苦笑する。
「で、こいつは怪しんでも何もできそうにないってか?」
 トシュはセディカを見下ろして鼻を鳴らした。
「俺らを怖がるのはわかるが、こいつなら行けるだろっつって()めてかかった根性は気に入らねえな」
「俺の推測で怒んないでよ」
「従者の力を借りたいのなら、主人に許可を取るでしょう?」
 セディカは首を傾げた。
 話を早くするために、青年たちは少女の従者を装ったのである。亡霊となった国王がいつどこにいたのかはわからないけれど、もしも三人が寺院に着いた頃から見ていたとしたら、主人として振る舞っていたセディカに働きかけるのは自然なことではないか。
 意表を()かれたように、トシュは目を()いた。口に片手をやったジョイドも笑いを隠しているらしい。
「その通りだ、ご主人様。俺らが勝手に請けたらおかしいね」
「……陛下はそう考えられただろうっていう話よ?」
 別に二人を本当に従者扱いしているわけではないのだが。
 トシュが何だか大仰に溜め息を()いた。
「ああそうだ、俺らはおまえの従者じゃないんでな。どうするかは俺らが決める。で、どうする、ジョー」
「決定権俺にあんの?」
 俺もおまえの親分じゃないよとからかうように言ってから、ジョイドは手を口に当てたまま、笑いを収めて思案顔になった。
「王様の言い分しか聞いてないし、できれば下調べはしたいけど、明日には王子様が狩りに出るのね?」
「そう仰ったわ」
「一旦、今ある情報で動くしかないか」
 少しの間があった。
「助けてやろうよ。大切な人を(うしな)うことの次に哀しいのは、その人をちゃんと送れないことだもの」
 国王よりも王妃や太子に寄り添った答えであった。夫が、父が、殺されたとも、死んだとすら、知らないのだ。あまつさえ、殺した張本人が故人に成り済ましているとは、——思えば、なかなか、むごい。
 トシュは一つ頷いた。
「悪いがお姫さん、おまえのことは後回しだ。先にこっちを片づける」
「それは構わないけど」
 自分が先だ、などとは思いつきもしなかったし、国王を押し退()けて優先権を主張できるセディカではなかった。それに、仲介役にすぎないとはいえ、国王の願いを直接聞いたのだ。どちらかと言えば、自分も二人の仲間として、その願いに応える立場にあるような気分でいた。……つまり、そんなことはない、と気づかされてしまったわけだが。
「……わたしの夢だけで、いいの?」
「ただの夢や思い込みでこれは出現しないよ」
 ジョイドが翡翠の飾りを振った。
「それとも、そう言って俺らを騙せって夢ん中で言われたか?」
「そんなことないわよ」
 唇を(とが)らせる。セディカを疑ったのではなくて、亡霊を警戒したのだろうけれど。
 今はここまで、と示すように、ジョイドが両手を打ち合わせた。
「さて、じゃあ——今日のところはもう寝なよ、セディ。寝不足で王子様と対面するわけにもいかないでしょ」
 全く以て当然の提案であった。大体、セディカは寝ていたのである。二人の方から乗り込んでこなければ、国王の頼みを伝えるのも夜が明けてからになったろう。
 否やはない、のだが。
「あの……二人は、向こうの部屋に戻る?」
 思った以上に、恐る恐る、といった調子の問いかけになった。
「寝るまでここにいようか?」
 そりゃ、ついさっき亡霊が出た場所だものね、とジョイドは微笑んだ。セディカはこくんと首を縦に振る。見栄を張るには——さっきの今、でありすぎる。
 二人はそれぞれ椅子を持ってきて、ベッドの左右に陣取った。明るい方がよいかと訊かれたのは断って、灯りが消える。寝顔を見られたいわけではない。
「ま、俺らは快諾したんだからな。国王陛下も満足したろ。もう妙な夢は見ねえさ」
 暗がりからトシュが励ました。快諾だったかなあ、とジョイドが笑った。
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