双曲線-13

文字数 4,510文字

 土曜日。
 今日はいつもと逆で、学ラン姿の佑輔と、私服の郁也だ。
 演劇部が参加する高校演劇の地区大会。普段は完璧に幽霊部員の佑輔も、こういうときは働かなければならない。東栄学院の出番は午後一番で、佑輔の仕事が終わってから夕方遅くの結果発表まで、ぽっかり時間が空いてしまう。芝居に興味のない佑輔は会場で他校の発表を見ているのも苦痛だった。
(じゃ、ボクとお茶してる?)
(郁、他に用事ないの)
(うん、全然。あ、そうだ。動詞の活用表持ってくね。みっちりしごいてあげる)
(げえっ)
 大会が終わったあとはふたりでゆっくり出来るかも。そう期待して、郁也は暖かい格好をしていた。ワインレッドの厚手の綿シャツに渋いオレンジの長目のジャケットを羽織り、首にはいつもの茶のマフラー。下はツイードのスラックスをはいた。ちょっと高校生の身につけないこのスラックスは、郁也の秋冬のお気に入りだ。日中はかえって暑いくらいだった。
 佑輔が抜けてくるのを、郁也は向かいの遊歩道のベンチで待った。
 街の中心部にありながら、ここは静かだった。佑輔のいる会場の向かい側、一本の道の中央を公園スペースに取り、数丁続く遊歩道にしてある。その分車が通る道幅は狭く、車通りはあまりない。道に面しては建物が立ち並び、陽差しを避けて休むことも出来る。
 郁也は、やってくる佑輔をすぐ見つけられるよう、会場に一番近いベンチを選んだ。秋の陽がぽかぽか暖かい。
 目の前には白い教会があった。遊歩道のあちこちに植えられたナナカマドの実が、オレンジ色に輝いていた。もうじき、雪が降る頃には、深紅に染まったこの実が白い綿帽子をかぶり、雪の積った教会とよく映え、いい景色になるだろう。

 セーラー服の女子高生がふたり、会場側からこちらへ渡ってきた。どこの学校だろう。横田あたりなら恐らく即答するのだろうが、生憎(あいにく)郁也にはそういう興味はない。佑輔と同じように演劇部員が時間潰しに出てきたのだろうか。彼女らは少し離れたところで何やらひそひそと相談していたが、意を決したらしく郁也の方へ近づいてきた。
「あのう。○○高校の方ですか」
 片方が市内のある私服の高校名を挙げて尋ねた。郁也も高校演劇の関係者だと思ったらしい。
「いや。違うけど」
「わたしたち、そこのホールでやってる、演劇部の公演に出てるんです。それで、ちょっと時間が余ってて」
「よかったら、一緒にお茶でもしませんか」
 郁也はうんざりした。
(ひとがこんなに苦労して、悩んだり悲しんだりしてるのに。こいつらは『女のコ』ってだけで、随分気楽なんだな)
「悪いけど」
 郁也は得意の冷たい笑みを浮かべた。
「自分から声かけて来るようなコ、嫌いなんだ、ボク」
 ふたりは傷ついたような顔をして、こわごわ立ち去っていった。
(ふん。おととい来やがれ)
 心の中でそう毒づきながら、郁也は彼女らの着ていた制服を記憶に留めた。濃紺サージの普通のセーラー服ながら、ウエストラインは今風にシェイプしてあり、スカートの襞は細めで、動くたび軽やかに拡がっていた。スカーフは白。襟と袖口の三本の白線がきりっとして清潔感があった。
 郁也はあの制服を着て、佑輔を待つ自分の姿を想像した。
 伸びかけたトップの髪を両サイドで結んで、そこにあのスカーフに合わせた白いリボンを結ぶ。リボンは細目の幅で、もしかしたら空色でもいい。あのコたちより自分の方がよく似合う、と郁也は思う。
 髪のリボンとスカートの細い襞を揺らして、やってくる佑輔に駆け寄る。
 佑輔はそれを見て、どんな顔をするだろう。

「よ、待たせたな」
 長い脚をばたばた大股に開いて佑輔がやってきた。郁也は弾かれたように立ち上がった。
「佑輔クン」
「今、何か、カワイイ()と話してなかったか」
 佑輔は立ち去ったふたりに目を遣った。
「別にカワイくもなかったけど」
 郁也は素直に声をかけられたことを話した。
「お、ナンパされたの。すげえじゃん」
 佑輔は郁也を肘でつついて冷やかした。
(ふーん。こういう反応なんだ)
「俺も混ざれば二対二で、丁度よかったのにな」
(え)
 学院での過敏な反応とあまりに違う佑輔の態度に、郁也は驚いた。これが学院内だったら。絵をもらったあのとき。佑輔は血相を変えてどこかへ、多分中野のところへ飛んでいった。佑輔が荒れると困るので、郁也はたまに自分の机に入っている恋文のような手紙を、見つからないようにこっそり鞄に仕舞うのにひと苦労している。
(相手が女のコだっていうだけで、こんなに違うんだ)
 佑輔は自分は男だから同じ男を警戒しても、女は自分に取って替わることはないと安心しているのだろうか。郁也が女のコに惚れて、そちらに夢中になったりしても、佑輔は気にしないのだろうか。
 それとも、特に意味はないのか。
 意味がないのは佑輔にとっての自分の存在なのか。
 郁也は分からなくなった。
 以前、郁也のつけているトワレがもらい物だと知ったとき、佑輔は相手が従姉だと聞いても面白くなさそうにしていたものだったが。

 黙り込んだ郁也に気づいて、佑輔は心配顔で郁也の頬に触れた。
「どうした、郁。また俺、何か郁の気に障ること言ったか」
 佑輔はやっぱり優しい。郁也にはますます分からない。
(でも今、佑輔クンが見ているのはボクだよね)
 それでいいことにしよう。そうするんだ。考えても仕方のないことなんだから。そう郁也は自分に言い聞かせた。いつものように。
「ううん。何でもないんだ。ただちょっと、カンケーないこと思い出しただけ」
 郁也は笑った。
「どこ行こっか」
「今聞いてきたんだけど、そこの小路を入ったところに、旨い茶屋があるってよ。お坊ちゃまだねえ、そういう情報はみんな得意なんだな」 
「へえ。じゃ、そこ行ってみよう」
 郁也は笑顔で歩き出した。
 そう。ボクはいつも笑ってなくちゃ。
 佑輔クンの前でだけは。
 この上なく幸せな、キレイな笑顔で。

 
 東栄学院演劇部は惜しいところで最優秀賞を逃し、次点の優秀賞に終わった。役者たちはいい芝居をしたようだが、キャスト全てが男性の戯曲は数が限られ、審査でそこは考慮するとは言っても、実際に勝ち上がっていくのはやはり難しいらしい。
「危なかったー。これで勝っちゃったら全道大会だろ。また動員されるかと思うとひやひやしたよ」
 面倒この上ないもんな、交通費は出るんだろうけど、と佑輔は言った。
「こら。そんな正直なこと、みんなの前で言っちゃだめだよ」
 郁也は笑って佑輔の背中を叩いた。
「勿論だよ。郁にだから言うんだ」
 真面目に部活動に取り組んでいるメンバーにはとても聞かせられない台詞だが、普通の高校生にとっては、まあこれが当たり前の感覚だ。
「郁んとこは」
「うん、ボクんとこは自動的に全道だから。今年は近場。滝川だよ。来月」
「そうなんだ。大変だな」
「まあね。参加校が少ないから、自然とね」
「なるほど」
 天気はよくても、陽が落ちると気温もかたんと低くなる。学ラン姿の佑輔はぶるっと震えた。郁也は自分のマフラーを外して、佑輔の首にくるっと巻いた。マフラーに残る郁也の体温が佑輔を温めたのか、佑輔の頬に赤みが差した。
「ありがと」
 ぼそりとそれだけ言って目を伏せる佑輔に、郁也は笑ってジャケットのジッパーを首まで上げた。
 どこへ行こっか。ウチはダメだな、もう親が帰って来てる。うん、そういつもいつもお邪魔しちゃね。邪魔じゃ、ないけど。どうしようか、もう結構いい時間だよね。
「……うん、そうだな」
 佑輔は淋しそうに頷いた。
 この時間だと図書館ももう閉まるし、お茶はさっき飲んじゃったし。別に何もしなくてもいい。一緒にいられるだけで。でも、その一緒にいる場所が、ないのだ。
 公園、行こうか。どちらからともなくそう言った。風は冷たいが、そこなら誰にも会わないで済む。

 次の交差点を右に曲がる。その時だった。
「あらあ、瀬川君じゃない」
 佑輔は声のした方を振り返った。
「やっぱりそうだ」
「……相沢さん」
「久し振り。元気だった」
 郁也は佑輔の陰に隠れるように半歩後ろに退いた。挨拶に続いて双方の共通の知人の話題が続く。内容から察するに中等部時代のバスケ部つながりだ。
 郁也は横目で観察した。 
「瀬川君」と佑輔に声をかけたのは、女性にしては背が高く、恐らく165センチ前後、郁也と似たり寄ったりだが、体重は郁也よりありそうながっしりした体格だった。肩の辺りが女性っぽくない。かなり筋肉質な感じ。多分バスケの選手なのだろう。向こうはふたり連れだった。その筋肉質の隣には、スポーツとは無縁そうな、ぽっちゃりした、というか太目の女のコ。筋肉質は下はパンツ、長い髪を後ろでひとつに引っ詰めてさっぱりとしたスタイルだったが、太目はミニスカートから立派な脚をにゅっと出して、ギャルっぽい濃いメイクをしている。もしかして顔を洗った方が若くて可愛いかも、という、よくいるタイプの娘だ。
 このふたりはどういう関係なのだろう。郁也は一瞬不思議に感じたが、次の瞬間どうでもよくなった。いずれにしろ郁也には興味のない情報だ。知る気はない。

 ひとくさり近況を伝え合うと、太目が筋肉質に何か催促をしたようだった。太目はねっちりとした目で佑輔を見ている。
(ギラギラしてて、嫌だな)
 郁也は首の辺りがチクチクするのを感じた。嫌な感じだ。
 筋肉質は太目に促されて、言った。
「ああ、このひとは、瀬川佑輔君。東栄学院の二年生よ。中学の頃はバスケ部で、すっごい活躍だったわ。今は?」
 佑輔は肩をすくめた。
「この娘は、ウチのガッコの一年生……」
 筋肉質は何か太目に関して喋っていたが、郁也には聞く気はなかった。
「そちらの方は? 同じ東栄学院のひと?」
 筋肉質が水を向けた。
 郁也は気づかない振りをしていたが、彼女がさっきから郁也の方をちらちら見ているのは知っていた。郁也はイライラしてきた。
「ああ。同じクラスの谷口郁也。ほら、挨拶」
 佑輔の顔は潰せない。郁也は奥歯をかみ締めてぺこりとお辞儀した。
「あら、じゃあ優秀なのね、瀬川君と同じに。でも、並んでるとそちらの方がカッコいいし、アタマよさそう」
「悪かったな、カッコ悪くて馬鹿そうで」
 佑輔がむくれて見せると、女共はけらけらと笑い声を上げた。

 もう嫌だ。早く公園に行きたい。静かな、ひと気のない公園で、郁也は佑輔と手を繋ぎたかった。キスしたかった。今日は佑輔の身体に触れられないのは分かっていた。せめて、そんな小さな接触でも、郁也は佑輔が欲しかったのだ。佑輔をひとり待っている時間、郁也は長くその不在と向かい合い過ぎた。もう我慢出来なかった。
 これも何かの縁だから、と筋肉質が聞いた風なことを言って佑輔とアドレスを交換している。
(早く。早く行こう)
 郁也は彼女らに知られないように佑輔の背中に寄りかかった。
 佑輔は軽く郁也の腕を叩いて応えた。
「じゃ、今度四人で遊びましょ。じゃね」
 ふたりは名残惜しそうに去っていった。郁也はほっとした。疲れていた。
「……佑輔クン」
 佑輔は時計を見た。
「お、もうこんな時間か。遅くなったな。俺たちも帰るか」
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