第一章④

エピソード文字数 1,415文字

「──と、まあ、こんな感じでよ」
 そこまで語ったところで、デイヴィッド警部はようやく言葉を切った。
 ただし、思い出したことで余計にイライラが増してしまったのか、いつの間にかその膝をカタカタと言わせている始末だった。
 だからこそニコルはあえて苦笑混じりに、
「まあ、そうイライラしないで」
 そう穏やかに言いながら、白いカップを警部の目の前へと差し出したのだ。
 暖かそうな湯気とともにカップの中から立ち昇ったのは、茶葉の芳しい香りとミルクの甘い香り。
 この抗しがたい芳醇な香りにやられては、さしものデイヴィッド警部もお手上げだったようで、
「あ、ああ、すまんな」
 カップを受け取るや、おとなしくその濃厚なミルクティーを堪能し始めた。
 するとそれを見届けたニコル、ここぞとばかりにニッコリと微笑んで、場を和まさんとうんちくを語り出したではないか。
「いいお茶でしょ。先日ダージリンの夏摘みが手に入ったんで、早速入れてみたんですよ。この力強いマスカテルフレーバーが、ミルクと相性がよく──」
 だが、そこまで語ったところで、
「その話はまた今度にしてくんな」
 おとなしく紅茶を味わっていたはずのデイヴィッド警部に、ピシャリと口を挟まれる羽目となった。
 いや、そればかりか、
「やっぱりなにかあるんですね……」
 ごまかしきれなかったかとばかりにそう静かに返すや、今度は、
「そのとおり」
 なんともいえない満面の笑みで、きっぱりと返される羽目ともなってしまった。
 こういう笑顔を見せる時の警部が一番怖い。
 そりゃあニコルの表情が無意識のうちに、ふっと重く沈んだのも無理からぬことだろう。
 だが、そんなことなどお構いなしのデイヴィッド警部はにっこり笑顔のまま、さらっととんでもないことを口にしたのだった。
「ズバリ、お前さんの力が借りたい!」
「は? 私の力を? でも、スティーヴ警視に言われたんでしょ? 『人員は割けない』って」
「たしかに言われたなぁ。ただし、『ヤードの人員は』ってな」
「あっ!」
 素っ頓狂な声を上げ、ニコルは眼を丸くした。
 対照的にデイヴィッド警部の頬はにたりと緩んだ。
「そう。お前さんはヤードの人間じゃなく、あくまで役所から派遣されてる嘱託医師だから、スティーヴ警視の言う『ヤードの人員』には含まれねえんだよ」
「で、でも、それは詭弁というものでは……」
「やかましいっ! それ以上つべこべ言いやがると、今後は犯罪捜査課が協力してやらねえぞ!」
「それは……、困ります」
「じゃあ、決まりだな?」
 かくも押しの強い声で返答を迫る、デイヴィッド警部の念押し。こうなっては、もはや『ノー』とは言えない。
「……わかりました」
 がっくりと肩を落としながら、渋々承諾する他はなかった。
 と、次の瞬間には、デイヴィッド警部の脅迫染みた笑顔が、途端に太陽の輝きへと変わっていた。
「いやぁ~! やっぱ俺が見込んだ男だけはあるよ。この事件が終わったら、一緒に飲みにでも行こうぜ。なっ!」
 肩に手を回しながら、こうも天真爛漫に言ってのけるデイヴィッド警部に、二つの意味で肩の重くなったニコルはただぼそりと力なく訊ねることしかできなくなっていた。
「で、なにをすればいいんですか?」
「検死だよ、検死」
「はぁ?」
 そんなニコルの裏返った声は、研究室の中にただ虚しく響き渡るだけだった。

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登場人物紹介

●ニコル・クロムウェル(Nicol=Cromwell)


グレーター・ロンドン庁からスコットランドヤードに嘱託検死医として派遣されている、第二検死課の医師。しかし、派遣以降、ニコルに回ってくる仕事は、第一検死課の手伝いか、最近実験的に導入されたばかりの指紋照合の研究をさせられるぐらいで、後は若手警官が医務室代わりに第二検死課へと来るぐらいのもの。だが、デイヴィッド警部に巻き込まれ、急きょ連続殺人の捜査に駆り出されることになるのだった。

●デイヴィッド・ターナー(David=Turner)


スコットランドヤードの熱血警部。5年前の切り裂きジャック事件で、新米警官として事件にあたった経験から、「今回の一連の事件は、やつのしわざじゃねえ!」と捜査本部の方針に猛反発。しかし、単身捜査をするのには限界があるため、前々から目を付けていたニコルを巻き込むことに。

●マリア・フローレンス(Maria=Florence)


聖ニコラオス孤児院で孤児たちの世話をする修女(シスター)。

もともと彼女自身も捨て子であり、ニコルと同じ聖ニコラオス孤児院で育った過去を持つ。性格は明るく、ニコルに頼まれ、同じシスターのマギーとともに街のうわさを聞きこむことに。なお、マリアに一目ぼれしたデイヴィッド警部から、それとなくアプローチを受けるが、本人はいたって気づいていない。

●スティーヴ・マルサス(Steve=Malthus)


スコットランドヤードのエリート警視で、デイヴィッドの上司。捜査の手法の違いからデイヴィッドと対立することが多い。新たにロンドンを恐怖の渦に巻き込んだ連続殺人犯を、切り裂きジャックの再来と信じて疑わない。

●マギー・フランクリン(Maggie=Franklin)


聖ニコラオス孤児院のベテラン修女。おしゃべり好きで、かつ、うわさ好きな性格なので、今回の事件のこともいろいろとニコルやデイヴィッド警部に聞き込んでくるが、その反面、町で聞き込んだうわさもいろいろと話してくれる、迷惑であり、ありがたい人物。


●ミネルバ・ファーガソン(Minerva=Ferguson)


聖ニコラオス孤児院の筆頭修女。真面目な性格で、厳格なクリスチャン。マリアやマギーが事件に首を突っ込むことをこころよく思っていない。

●ウィリアム・スチュワート(William=Stewart)


聖ニコラオス孤児院のあるイースト・エンド教区に務める優しき老牧師。孤児院に常駐しているのは修女たちで、ウィリアム牧師は週一回礼拝のときに孤児院を訪ねている。

●連続殺人の被害者 case1

アニー・スコット(Annie=Scott)


27歳。第一の被害者で、死因は失血死。

イースト・エンドのセントキャサリン地区で夜明けに死体が発見される。18箇所に及ぶ切り口が見られた。

職業は売春婦。

事件日は十月十四日。

●連続殺人の被害者 case2

ローズマリー・ジョーンズ(Rosemary=Jones)


23歳。第二の被害者で、死因は頚部を掻き切られたことによる窒息死。

イースト・エンドのホワイトチャペル地区で悲鳴を聞きつけた巡査がかけつけるも、事切れた状態で発見された。切り口は、死因となった頚部の一箇所と、腹部の七箇所の刺し傷。

職業は売春婦。

事件日は十一月十五日。

●連続殺人の被害者 case3

アイリーン・コックス(Irene=Cocks)


24歳。第三の被害者で、死因は失血死。

イースト・エンドのホワイトチャペル地区で夜明けに死体が発見される。29箇所に及ぶ切り口が見られ、ずたずたに腹まで割かれていたが、内臓はすべて揃っていた。

職業は売春婦。

事件日は十一月二十九日。


●連続殺人の被害者 case4

メアリー・リトル(Mary=Little)


21歳。第四の被害者で、死因は頚動脈の切断。

テムズ川のほとりで死体が発見される。腹がずたずたに割かれていたが、内臓はかろうじてすべて揃っていた。

職業はメイド。

事件日は十二月四日。


●連続殺人の被害者 case5

マーガレット・ウォルポール(Margaret=Walpole)


22歳。第五の被害者で、死因は失血死。

イースト・エンドのセントキャサリン地区で、夜明けに死体が発見される。腹がずたずたに割かれており、内臓の一部が持ち去られいた。

職業は教師。

事件日は十二月五日。


●連続殺人の被害者 case6(未遂)

フェアリー・コールズ(Fairy=Coles)


第六の被害者になりかけた女性。3件目の被害者アイリーン・コックスと顔見知りであり、その遺体の第一発見者でもある。

職業は売春婦。


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