第1話

文字数 2,995文字

 新型コロナウイルス(以下コロナ)が日本にも蔓延し早一年以上経つ。連日のコロナの報道に慣れてしまったせいか、感染を警戒する意識が少しずつ低下している方もいるようだ。コロナは決して他人事ではなく、誰にでも感染する恐れがある。感染しなかったとしても、二次・三次被害にあわないとは断言できない。日本肺癌学会によるとコロナの流行による受診・診断控えの影響で全国8600人の肺癌の患者が治療の機会を逃していると推測している。(共同通信)
 私も医療機関に受診ができず危うく命を落とすところだった。昨年秋から感染性心内膜炎にかかったが、病名が判明するまで五か月を要した。というのも四〇度近くまで上がった高熱を理由に複数の医療機関に受診を拒否されたからだ。コロナの陰性を証明したくても保健所と一向に連絡がつかず病状はますます悪化した。今年の早春に漸く検査を受けられたが、菌に侵された心臓は肥大し重症化していた。検査の当日に緊急入院を余儀なくされたのは言うまでもない。
四月上旬に開胸手術を無事に終え退院できたのは奇跡である。医療従事者の適切な治療があったお陰と感謝する一方で、早く医療機関を受診できれば半年以上の闘病生活を送らずに済んだかもしれないと悔やまれる。
 しかし、51日間の入院は普段の生活では知りえない医療現場の一端を知る貴重な日々でもあった。新規感染者数や病床の逼迫度合の報道はよく耳にするが、コロナによる二次・三次被害が私達の身近で起きている現状はあまり知られていない。
 私は自身の体験を伝えるべく、入院前より依頼されていた大学での特別講演のテーマを「歴史から見る疫病と日本人の闘い」に決めた。古代から近現代にかけて流行した疫病を日本人はどのように乗り越えてきたのか、未だに収束が見通せないコロナの流行が社会に与えている問題とは何か。入院生活での実体験も受講生に伝えて感染症対策を意識する契機が目的だ。講義終了後、受講生に任意で医療従事者へ応援メッセージを寄せてもらい、それを取り纏めて入院した病院(以下A病院)へ贈る予定だ。お世話になったA病院の皆様へ私ができるせめてもの恩返しである。
 私が入院した東京都内のA病院は元々高齢者向けの介護施設で、入院患者の平均年齢は八十歳と高齢者が大半を占めている。人生初の入院に戸惑いはあったが、院内の生活に慣れてくるとコロナの流行により医療機関が抱える様々な問題に気がつくようになった。例えばA病院では、コロナ患者が療養しているホテルに看護師を派遣しているため慢性的な人手不足に拍車がかかっていた。やむ負えず認知症患者を専門病棟から患者が抱える疾患を考慮し他の病棟へ移送し、何とか新規の患者を受入れている。移送先の病棟の看護師らは通常の業務に加え、認知症患者の対応に追われ忙しそうだった。
 また新たな医療従事者の育成にも影響が及んでいた。開胸手術を控え内科から外科に移動する際に荷物を運んでくれた新卒の看護師によると、学生時代に一度も医療機関での実習がないままA病院に入社した。A病院側の配慮で現場実習を兼ねて各病棟を一週間ずつ経験し、四月末頃に本人の適性を考慮した上で本配属される予定だという。
「もしかしてコロナの影響ですか?」
 驚いて尋ねる私に、彼女は不安そうな表情を浮かべて首を縦に振った。
 折しも二〇二一年四月三十日に菅首相は東京五輪・パラリンピック組織委員会が日本看護協会に依頼している大会期間中の看護師五百人派遣について「現在休まれている方もたくさんいると聞いている。そうしたことは可能だ」と述べている。(時事通信)
 オリンピック・パラリンピック開催の是非はさておき、看護師をはじめ医療従事者の不足はかなり深刻だ。医療現場の逼迫を少しでも軽減するため医療機関側は感染症防止に必死である。A病院でも様々な感染症対策を行っていた。度重なるコロナの流行を懸念し、昨年より入院患者と家族を含め面会を全面的に禁止している。面会禁止を知らずに駆けつけてくれた友人が、私宛に見舞いの品を残して帰ったときは友人に申し訳なく涙が止まらなかった。
 このように外部との交流を遮断された病院生活を送っていたのだが、家族や知人と会えなくて寂しいのは他の入院患者も同じだ。高齢になるほど精神に悪影響を及ぼしやすく、例として思いつくのが「せん妄」だ。せん妄とは高齢者に一時的にみられる精神機能の障害で、環境の変化に対応しきれず一時的にパニックに陥る。認知機能が低下し続ける認知症とは異なり、大半は数日以内に改善するのが特徴だ。治療のためとはいえ、家族と離れての入院生活に馴染めずせん妄を発症する高齢者は病棟に何人もいた。
「〇〇さーん、昨日の晩に点滴を抜いちゃったの覚えてる?何で抜いちゃったかな?」
 患者に問いかける看護師の声が聞こえてきたのは一度や二度ではなかった。そして患者の返事は決まってこうだ。
「覚えていない」
 私が内科の大部屋にいた頃、同室になった高齢者もせん妄を発症した。向かい側のベッドに入院した高齢者が深夜に家族や友人と思われる名前を何度も呟いていた。一瞬静かになった後、今度は童謡を謡いだした。突然の出来事にどうしたら良いか分からず、看護師を呼ぶべきか迷った。暫くすると静かな寝息が聞こえてきたので、左手に握りしめていたナースコールから手を離した。翌日に担当の看護師へ昨晩の事情を話すと、「それはせん妄です」と教えてくれた。
 担当の看護師に聞いた話によると、面会謝絶により外部からの刺激がなくなることで認知機能の低下に繋がり認知症を悪化させるケースもあるという。また家族に会えない寂しさから「家に帰りたい」と治療を拒否し退院した患者もいた。
「心苦しいですが心を鬼にしてご家族との面会をお断りしています。クラスターが起きたら私達には為す術がありません。ご高齢の患者さんが多く入院しているこの病院では尚更です」
苦渋に満ちた表情で語ってくれた看護師の言葉が今でも忘れられない。医療従事者も人命を守るべく日々葛藤しているのだ。
 社会学者のゲオルグ・ジンメルは、社会を人々の相互行為や意思疎通による結びつきにより成り立つと定義している。つまり人は他者との関わってはじめて生きていける。皮肉なことにコロナの感染症対策は、人と社会との大切な結びつきを断絶している。私は社会と隔絶された入院生活を経験し、初めてコロナによって齎される二次・三次被害を実感した。
 このエッセイを書いている5月1日に大阪府で新たに一二六二人がコロナに感染し、同日時点で府内の新規感染者は過去最多を更新した。(NHKオンライン)
 首相や都道府県知事等がいくら感染防止を訴えても、国や地方自治体による政策には限界がある。いつまでも他人任せではコロナが収束するまで程遠いだろう。平穏な日常を取り戻す鍵は私達の意識にかかっている。
 うがい、手洗、三密を避ける。そしてシャワーで身体を綺麗に洗い流し身体に付着したウイルスを流すのも効果的だ。これらを習慣つけることがコロナ収束の近道である。ワクチンが行き渡るまで今暫くの辛抱だ。
 厳しい今を乗り越えれば各地を自由に往来し、マスクを外して会いたい人と会って話ができる日は必ず訪れる。一日も早くコロナが収束するよう共に日々の感染症対策を心がけようではないか。
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