じゅうきゅう

文字数 3,377文字

「ハンカチ、いる?」私がポケットに手を差し伸べると同時に「ううん、大丈夫」と返された。そして「それで、佑太郎がどうしたの?」と話題を戻した。
「クラスのみんなに一人一人、おまえらのやっていることは悪いことだ、って言い返してくれたの。そしたら佑太郎が標的にされちゃってね。」
「佑太郎、そういうところがあるんだね。で、その後どうなったの?」
 今現在、佑太郎と夏実が会話をしていることをあまり見ることがないので、余計に興味が出てしまう。
「そのときは佑太郎が1人みんなと言い合いになっちゃって・・・私は佑太郎に助けてもらったのに何もしてあげられなかった」
 夏実は遠くを見て、当時のことを一生懸命に回顧している。
「それ以来かな、佑太郎はすっかりケンカが強くなって、クラス内では圧倒的な権力を持つようになったの。自分が一番強くなれば、いじめられている人を助けることができるって考えたのかもしれないね」
「今の佑太郎は当時から変わった?」
「うーん、ちょっとワルっぽくなっちゃったけどね。今日も先生とケンカしちゃうし。でも絶対に弱い人をいじめたりしない人。たとえこっちが不利でも、力の強い者に立ち向かっていく」
「つまり、桶狭間の信長ってやつね」
 少し言いたかっただけだが、「うん、そんな感じ」と共感を得られた。
「何週間か前に、暁生が左遷されちゃったじゃない?」
 そういえば、と夏実が話を仕切り直した。
「うん、そういえばあれって・・・」
 暁生が左遷された大きな原因となったのは、体育の授業で佑太郎にパスが繋げなかったことだ。それを思い出すと、実質佑太郎が左遷させたとも考えられる。夏実がさっき話した『弱者を助ける』話と逆説的だ。そう感じざるを得ない私の心境を悟ったのか、夏実は私を説得するように始めた。
「みんなの目からは『佑太郎が左遷させた』ように映っていたよね。でも佑太郎も私もそんなことは望んでいなかったの。佑太郎はスポーツをしたら熱くなっちゃうタイプだし、喝を入れているけど悪気は無かったと思うの」
 ライオンは自分の子を崖から落とすというが、そんな感じなのかもしれない。しかし、崖から落とされたことを全ての人が『愛情』と捉えるとは限らない。『嫌悪』や『憎悪』がゆえの行動と捉えられてしまう可能性がある。佑太郎に当てはめると、彼はあまりにもクラス内で権力を持ちすぎてしまった。そのため周りのクラスメイトは、その『権力者』の気分を損ねないように気を遣う。その結果が『暁生を左遷する』という判断に至ったということならば、佑太郎からしてみればそれは不本意な結果であるのではないだろうか。
 クラスで不要な人を1人投票するというシステムによって、このようなミスジャッジをより招きやすい環境になってしまっている。こういうときの集団心理は、私たちに自身にとっても脅威となり得るのだ。
 その教訓もあるが、私は佑太郎の一面が知れたことが純粋に嬉しかった。夏実も辛い時期を乗り越えているし、少し派手な身なりをしているのは、佑太郎のように自分を鼓舞しているのかもしれない。いずれにせよ、クラスの人のことを知っていくことに喜びを感じるようになっていた。
「佑太郎は私にとってかけがえのない人。だから誰にも渡したくないの。春海や善行から何か聞いたことがあったら教えてほしい」
 切実な思いを受け取った私は、恐る恐る口を開いた。
「じ、実はね・・・昨日、善行に言われたの」
「何を・・・?」
 そう言いながらも、夏実は何か勘づいているようだった。そんな夏実に対して、私は続けざまに言った、
「今度の投票のとき、夏実に入れて欲しいって」
 夏実はやっぱりか・・・という表情を浮かべ、背もたれにぐったりと背中を預けた。ファミレスのソファの材質のため、ボフッという音が鳴った。
「そっか、それじゃあ柚季、次の投票では私に入れるんだ・・・」
 勘違いされては困るので、急いで訂正をした。
「ううん!話を聞いただけで、昨日はそれで終わったんだよ。今この場でもそうだけど、こんなこと面と向かって言われたらどうしたらいいのか分からないよ!」
 何かを守っている訳ではないが、必死に潔白を主張した。今日一日でこんなに距離が近くなったのに、この場を険悪な雰囲気にしたくなかった。
「春海も私と同じように、佑太郎のことが好きだからって?」
「いや、そうとは聞いてないよ」
「じゃあ、いったいなんで・・・」
 ここまで来ると勿体ぶっても仕方ないので、正直に話すことにした。
「善行から聞いた話なんだけどね、春海は自分の将来のために夏実を左遷させようって思っているらしいの」
「将来のため?」
「うん、夏実と一緒にいると自分の時間が無くなるからだってさ。なんか高校も推薦で入りたいとか思ってるらしいし・・・」
 夏実は神妙な面持ちで聞いている。中指で何度かテーブルをトントンと叩いている。
「そう言われても、私、春海と一緒にいるのは授業の間の休み時間くらいだよ?放課後はほとんど一緒にいることがないし・・・」
「まさか・・・」
 夏実が春海と一緒にいることが少ないということは、春海が嘘をついている可能性がある。
「春海、善行に嘘をついているかもしれないね」
「どういうこと?本当は私を左遷させたい訳じゃないってこと?」
「ううん、その理由だよ。善行は真面目な委員長なの。いつもみんなのことを考えているから、今回の春海の件、春海が勉強に集中できる環境を作ってあげるためだって思っているの・・・」
 私はミルクティーに口を付けて続けた。
「やっぱりそれは違うと思う」
 私は夏実の方を見て、スッキリした顔で頷いた。
「春海も、夏実に佑太郎を渡さないためね。勉強のことを言えば、善行が動いてくれるとでも思ったんだろうね。だから、嘘を付いてでも善行を取り込もうとした」
 夏実も全く同じ表情をしていた。目の前のレモンティーにガムシロップを注ぎ、一気に半分ほどまで飲み干した。そして両手で伸びをしながら私に言った。
「真っ当な大義名分の元、善行を買収したってことか」
「そういうことだね」と即座に相槌を打った。
 女の友情は、佑太郎への愛情の前に不協和音に変わっている。表面上では仲が良く見える2人が、それぞれ裏で工作しているところは女性の執着心といったところだろうか。双方から巻き込まれた身になって欲しいくらいだ。正直、佑太郎が春海とくっつこうが夏実とくっつこうが、またどちらともくっつかなかろうが、どんな結果になっても仕方がないと思っている。しかし、真っ直ぐな気持ちを受け取った以上、目の前の夏実を応援したい気持ちになった。
投票日を明日に控え、私にできることは僅かかもしれないが、夏実のために一肌脱ごうという気持ちになっていた。お手洗いから帰ってきた夏実が、財布を取り出しながら私に決意を表明した。
「私、明日佑太郎に自分の気持ちを伝えたいと思う」
 もう、その目に迷いはなかった。夏実は勢い良く席を立って伝票をかっさらった。春海に投票する件はどうするか、と確認しようとしたがその必要は無さそうだ。夏実は「今日は奢らせて!」と私の返事を待たずにお金を払った。せっかくだから夏実に仮を作るのは悪くないと思い、次回は自分が奢るということで甘えさせてもらった。

 店を出ると、辺りはすっかり薄暗くなっていた。家までの帰り道、夏実との話は弾んだ。クラスのことや好きな芸能人のこと・・・話してみないと分からないとつくづくと実感した。このくだらないゲームのことではなくて、本来こういったことで話が盛り上がりたかった。しかしこのゲームが無ければ、皮肉なことに夏実とは卒業まで話すことがなかったかもしれない。

 家のドアを開けると、「今日はどこに行ってたの」と声がした。母は私のために味噌汁を温めなおしている。
「今日も友達と話し込んじゃって。明日は早く帰ってくるから」
「まったく。夜遊びもほどほどにね」
 遅く帰ってきたのに少し嬉しそうな顔をしている。私が友達とうまくやっていることにホッとしているのだろうか。少し前まではこのようなことはほとんどなかったからだ。
「はいはい」というと、「はいは1回」とお決まりのいつものリズムで返ってきた。夜遅い帰宅を心配しながらも、親からすると友達とうまくやっているのが嬉しいのだろう。
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