第9話 かくしてバンド名はトレイン・トレインに決まった。
文字数 2,992文字
話を戻そう。
まずは細かくバンドの方向性やらバンド名やらなんやらを決定するべくミーティングを開こうという話になり、ある土曜の午後に高本の家に集まった。もちろんそこには古館もいた。僕と松木、高本は少し緊張していた。
「とりあえずはコピーバンドやな」
「おう。オリジナルは当分無理やろ」
「松木は素人やからな」
「おまえかて素人やろ、高本」
「とりあえずは全員共通で好きなバンドのコピーからやな」
「そうやな。複雑なやつはパスや。なにせ松木は素人やから」
「おまえかて素人やろ、高本」
「まったくやおまえら、自己批判しろ自己批判を」
そんな僕達三人のやり取りを、古館は黙って聞いていた。なんだか少し楽しそうで、気を使うタイプの僕は少しほっとした。
「古館は?」と僕。
「何か意見ある?」と松木。
古館は急に真剣な顔になった。
「実はな……」
僕達はびく、と身を震わせた。
実は……何だその導入の仕方は! バンド加入をやめるのか? それともこの場をバンドの方向性決定ミーティングと思っていたのは僕達三人だけで、実は古館が結成している(妄想)超硬派ギターウルフ的ロックンロールグループ「覇亞怒暴威流斗(ハードボイルドと読む)」への勧誘なのか⁉
小心者の僕は、実は……に続く言葉をじりじり待った。
「実はおれ、ブルーハーツがめっちゃ好きやねん」
古館が唐突に言った。
「おお、ブルーハーツ!」
三人は声を合わせた。嬉しい偶然の一致だ。
リンダ・リンダ。キスしてほしい。チェインギャング。人にやさしく。電光石火。ラブレター。こうして曲名を書き連ねているだけで、あの頃のワクワク感がはっきりと脳裏にリプレイされる。ブルーハーツの曲は、どれも超ストレートに僕達のハートのど真ん中にぐさりとつき刺さる。深く深く突き刺さって、あれから二十年経った今も抜け落ちる様子がまるでない。
ブルーハーツの曲をコピー。それに異論を唱えるものは誰一人としていなかった。そして『ブルーハーツをコピーする』ということは、わがバンドの方向性をこれでもかと周囲にアピールする要素となり得る、と僕達は感じた。「ブルーハーツをコピーするバンド」というだけで、バンドのコンセプトとしては十分だ。
それだけでロック。それだけでパンク。それこそが存在意義。のような気がした。
「ええやんブルーハーツ。おれらもな、やるんやったらブルーハーツがええなあ、て話してたんよ」
高本が嬉しそうに言った。
「高本からこの話が来た時な、そんな気がしててん」
古館がにこり、と笑った。
「話が早いな。じゃあ次はあれや」と松木。
「おう。バンド名や。皆、なんかええのあるか? 公平な意見を頼むで」と僕。
「おう、考えたでえ」
そこで高本は大げさに「えー、えへん」と咳払いをした。
「ローリング・ロックス、ゆうのはどうや?」
本人は自信満々に言った。
「ふうん。――ストーンズのパクリか」松木が口の端を歪めて笑った。「おまえパクリはいかんぞ。いかにコピーバンドとはいえ。コピーとパクリは違う」
「あかんか」自分の案をけなされた高本は少しむっとした。「ほなおまえはどんなん考えてん」
松木はふふん、と鼻で笑った。「ベリー&ロックキッズ、や」
高本が眉をしかめた。
「人名シリーズか。一体何がベリーで誰がロックキッズなんや?」
松木がにやりと笑った。「おれがベリーを担当してもええぞ」
「普通こういうバンド名のベリーはヴォーカルがなるもんちゃうか? シーナ&ザ・ロケッツみたいにさ」僕は心底疑問に思って訊ねた。
「ほう。カルロストシキ&オメガトライブみたいにか」と高本。
「せや」と僕。
「ペドロ&カプリシャスみたいにか」と高本。
「それは違う。ペドロ梅村はリーダーや。ボーカルは前野曜子」と僕。
「ううん……じゃあシャドウ・ブレイカーズは?」と松木。
「熱苦しい」と高本。
「古い」と僕。
高本がはあ、とため息をついた。「破壊とパンクが切っても切れん仲やゆうたかてな、なんで影を破壊せなあかんねん影を。悪い頭でよう考えよ。物理的に不可能やろ」
「じゃあピンクパンカー」
「ピンクパンサーみたいや」と高本。
「ただかっこわるい」と僕。
「ブラック・ブラックスター」
「目の覚めるガムみたいや」と僕。
「シンプルにかっこわるい」と高本。
「ファッキングウーマン」
「文法がおかしい」と高本。
「目の覚めるようなあほやなおまえは」と僕。
そういえば松木は英語の成績がすこぶる悪かった。よく『P』と『R』を取り違えたり、『J』のハネを逆に書いたりして英語の教師に呼び出しを食らっていた。
「ああもう、もうおれやめる。バンドなんかやめる」
松木が口を尖らせた。僕と高本がまあまあ、となだめる。
古館がまた一人、僕達三人のやりとりを聞きながらちらちらとうかがうようにそれぞれの顔を見比べていた。
「古館はなんかアイデアあるんか?」
僕は聞いた。
「うん。実はな」
古館が人さし指で鼻の下を擦りながら言った。
「みんな多分ブルーハーツは好きやろ、て思てたからバンド名もおれなりに考えてきた」
そう言いながら、古館は四つ折りにしたレポート用紙を丁寧な仕草でシャツの胸ポケットから出した。
今も鮮やかに思い出せる。用紙を摘んだ古館の意外に細い指と、その用紙を開く瞬間が脳裏に焼きついて消えないのだ。おそらく一生忘れることはないだろう。
そこにはたった一行、
『トレイン・トレイン』
と書かれてあった。
「トレイン・トレイン!」
三人はまたも声を合わせた。僕は鳥肌が立った。
トレイン・トレイン。TRAIN-TRAIN。
僕がブルーハーツと出会った瞬間を演出してくれた曲だ。
僕の胸の中で、小さな小さな何かを弾けさせた曲だ。そしてブルーハーツのいわずもがな的代表曲である。
こんな大名曲のタイトルを、こんなバカがマーチングパレードしているようなバンドが頂いていいのか? ヒロトやマーシーにあまりにも失礼じゃないか? 僕はいささか心配になったが、すでにみんなの気持ちは一つになっていた。
「ええなあ、トレイン・トレイン。それに決まりでええよなあ、みんな?」
松木が笑顔で言った。
「おお、ええやん。ウィ・アー・トレイン・トレイン! めっちゃかっこええやないか」
高本もノリノリで叫んだ。
二人の喜ぶ顔を見て僕はほっとし「はははは」と、なぜか声を出して笑っていた。
そんな僕達三人を見て、古館は満足そうに微笑んだ。そしてゆっくりと、ひとことひとこと区切るように言った。
「なんかええなあ、こういうの。面白いよなあ。――バンドやろうぜ、って勢いとノリだけでバーッて色んなことソッコーで決めて、ただ音楽が好きなだけのド素人が安物の楽器持ち寄って「いっせーの、で!」でめっちゃヘタやけどかっこええ音出して。やっぱりロックバンドはこういう感じやないと楽しないよな。今、確かにおれらはスタートしたよ。でもな、スタートだけやないねん。この瞬間は、ロックバンドにとってゴールでもあるよな」
はっきりとは憶えていないが、古館はその時そんなようなことを言った。
そんな古館の言葉を、僕達三人は教祖に付き従う信者のような眼差しを向けて拝聴していた。
いける。こいつとなら上を目指せる。古館はまぎれもないロッカーだ。ロック魂を持っている。古館をスカウトしたのは大正解だ。
その時、僕はそう思った。
まずは細かくバンドの方向性やらバンド名やらなんやらを決定するべくミーティングを開こうという話になり、ある土曜の午後に高本の家に集まった。もちろんそこには古館もいた。僕と松木、高本は少し緊張していた。
「とりあえずはコピーバンドやな」
「おう。オリジナルは当分無理やろ」
「松木は素人やからな」
「おまえかて素人やろ、高本」
「とりあえずは全員共通で好きなバンドのコピーからやな」
「そうやな。複雑なやつはパスや。なにせ松木は素人やから」
「おまえかて素人やろ、高本」
「まったくやおまえら、自己批判しろ自己批判を」
そんな僕達三人のやり取りを、古館は黙って聞いていた。なんだか少し楽しそうで、気を使うタイプの僕は少しほっとした。
「古館は?」と僕。
「何か意見ある?」と松木。
古館は急に真剣な顔になった。
「実はな……」
僕達はびく、と身を震わせた。
実は……何だその導入の仕方は! バンド加入をやめるのか? それともこの場をバンドの方向性決定ミーティングと思っていたのは僕達三人だけで、実は古館が結成している(妄想)超硬派ギターウルフ的ロックンロールグループ「覇亞怒暴威流斗(ハードボイルドと読む)」への勧誘なのか⁉
小心者の僕は、実は……に続く言葉をじりじり待った。
「実はおれ、ブルーハーツがめっちゃ好きやねん」
古館が唐突に言った。
「おお、ブルーハーツ!」
三人は声を合わせた。嬉しい偶然の一致だ。
リンダ・リンダ。キスしてほしい。チェインギャング。人にやさしく。電光石火。ラブレター。こうして曲名を書き連ねているだけで、あの頃のワクワク感がはっきりと脳裏にリプレイされる。ブルーハーツの曲は、どれも超ストレートに僕達のハートのど真ん中にぐさりとつき刺さる。深く深く突き刺さって、あれから二十年経った今も抜け落ちる様子がまるでない。
ブルーハーツの曲をコピー。それに異論を唱えるものは誰一人としていなかった。そして『ブルーハーツをコピーする』ということは、わがバンドの方向性をこれでもかと周囲にアピールする要素となり得る、と僕達は感じた。「ブルーハーツをコピーするバンド」というだけで、バンドのコンセプトとしては十分だ。
それだけでロック。それだけでパンク。それこそが存在意義。のような気がした。
「ええやんブルーハーツ。おれらもな、やるんやったらブルーハーツがええなあ、て話してたんよ」
高本が嬉しそうに言った。
「高本からこの話が来た時な、そんな気がしててん」
古館がにこり、と笑った。
「話が早いな。じゃあ次はあれや」と松木。
「おう。バンド名や。皆、なんかええのあるか? 公平な意見を頼むで」と僕。
「おう、考えたでえ」
そこで高本は大げさに「えー、えへん」と咳払いをした。
「ローリング・ロックス、ゆうのはどうや?」
本人は自信満々に言った。
「ふうん。――ストーンズのパクリか」松木が口の端を歪めて笑った。「おまえパクリはいかんぞ。いかにコピーバンドとはいえ。コピーとパクリは違う」
「あかんか」自分の案をけなされた高本は少しむっとした。「ほなおまえはどんなん考えてん」
松木はふふん、と鼻で笑った。「ベリー&ロックキッズ、や」
高本が眉をしかめた。
「人名シリーズか。一体何がベリーで誰がロックキッズなんや?」
松木がにやりと笑った。「おれがベリーを担当してもええぞ」
「普通こういうバンド名のベリーはヴォーカルがなるもんちゃうか? シーナ&ザ・ロケッツみたいにさ」僕は心底疑問に思って訊ねた。
「ほう。カルロストシキ&オメガトライブみたいにか」と高本。
「せや」と僕。
「ペドロ&カプリシャスみたいにか」と高本。
「それは違う。ペドロ梅村はリーダーや。ボーカルは前野曜子」と僕。
「ううん……じゃあシャドウ・ブレイカーズは?」と松木。
「熱苦しい」と高本。
「古い」と僕。
高本がはあ、とため息をついた。「破壊とパンクが切っても切れん仲やゆうたかてな、なんで影を破壊せなあかんねん影を。悪い頭でよう考えよ。物理的に不可能やろ」
「じゃあピンクパンカー」
「ピンクパンサーみたいや」と高本。
「ただかっこわるい」と僕。
「ブラック・ブラックスター」
「目の覚めるガムみたいや」と僕。
「シンプルにかっこわるい」と高本。
「ファッキングウーマン」
「文法がおかしい」と高本。
「目の覚めるようなあほやなおまえは」と僕。
そういえば松木は英語の成績がすこぶる悪かった。よく『P』と『R』を取り違えたり、『J』のハネを逆に書いたりして英語の教師に呼び出しを食らっていた。
「ああもう、もうおれやめる。バンドなんかやめる」
松木が口を尖らせた。僕と高本がまあまあ、となだめる。
古館がまた一人、僕達三人のやりとりを聞きながらちらちらとうかがうようにそれぞれの顔を見比べていた。
「古館はなんかアイデアあるんか?」
僕は聞いた。
「うん。実はな」
古館が人さし指で鼻の下を擦りながら言った。
「みんな多分ブルーハーツは好きやろ、て思てたからバンド名もおれなりに考えてきた」
そう言いながら、古館は四つ折りにしたレポート用紙を丁寧な仕草でシャツの胸ポケットから出した。
今も鮮やかに思い出せる。用紙を摘んだ古館の意外に細い指と、その用紙を開く瞬間が脳裏に焼きついて消えないのだ。おそらく一生忘れることはないだろう。
そこにはたった一行、
『トレイン・トレイン』
と書かれてあった。
「トレイン・トレイン!」
三人はまたも声を合わせた。僕は鳥肌が立った。
トレイン・トレイン。TRAIN-TRAIN。
僕がブルーハーツと出会った瞬間を演出してくれた曲だ。
僕の胸の中で、小さな小さな何かを弾けさせた曲だ。そしてブルーハーツのいわずもがな的代表曲である。
こんな大名曲のタイトルを、こんなバカがマーチングパレードしているようなバンドが頂いていいのか? ヒロトやマーシーにあまりにも失礼じゃないか? 僕はいささか心配になったが、すでにみんなの気持ちは一つになっていた。
「ええなあ、トレイン・トレイン。それに決まりでええよなあ、みんな?」
松木が笑顔で言った。
「おお、ええやん。ウィ・アー・トレイン・トレイン! めっちゃかっこええやないか」
高本もノリノリで叫んだ。
二人の喜ぶ顔を見て僕はほっとし「はははは」と、なぜか声を出して笑っていた。
そんな僕達三人を見て、古館は満足そうに微笑んだ。そしてゆっくりと、ひとことひとこと区切るように言った。
「なんかええなあ、こういうの。面白いよなあ。――バンドやろうぜ、って勢いとノリだけでバーッて色んなことソッコーで決めて、ただ音楽が好きなだけのド素人が安物の楽器持ち寄って「いっせーの、で!」でめっちゃヘタやけどかっこええ音出して。やっぱりロックバンドはこういう感じやないと楽しないよな。今、確かにおれらはスタートしたよ。でもな、スタートだけやないねん。この瞬間は、ロックバンドにとってゴールでもあるよな」
はっきりとは憶えていないが、古館はその時そんなようなことを言った。
そんな古館の言葉を、僕達三人は教祖に付き従う信者のような眼差しを向けて拝聴していた。
いける。こいつとなら上を目指せる。古館はまぎれもないロッカーだ。ロック魂を持っている。古館をスカウトしたのは大正解だ。
その時、僕はそう思った。