04 額のキズと頭のコブ
文字数 3,369文字
「なんだ、君も参拝しているのか」
賽銭箱の血にドン引きしていると、後ろから呑気な声をかけられた。
振り向くと、社務所から樫葉会長が出てきたところだった。額の真ん中に絆創膏を貼っているのが、なんともマヌケだ。
「君は松山ジョージさんの息子さんだってね。君には、神社じゃなくて教会の方が似合ってるな」
冗談のつもりで言ったらしいが、全然笑えない。
むしろ不愉快だ。
たぶん俺がクオーターで、外人っぽい顔をしているからだろうが、余所からきたガリバーにそんなことを言われる筋合いはないと思う。
あ――。
なるほど。睨み返そうとしたところで、閃いた。
彼の額に貼られた絆創膏。つまり、この賽銭箱にこびりついた血痕は彼のもの に違いない。
「その傷――賽銭箱に額をぶつけたんですね」
「……うむ?」
額に手をやりながら、会長は賽銭箱をぼんやりと直視した。
それにつられて、血痕に気付いた絆と花凛が、「ぎゃっ」と悲鳴を上げる。いや、気付くのが遅すぎだろ。会長の答えは何とも頼りないものだった。
「……私はアレに額をぶつけたのか?……わからない……まったく。思い出そうとすると、頭が痛んで……いたたた」
「頭大丈夫ですか」
「ああ。傷は額だけじゃなかったようでね。頭のてっぺんにも大きなコブがあるみたいで」
皮肉にも動じない会長は、蓬髪の頭頂部を気遣うように触っている。
まてよ。頭にコブ――?
額のキズは賽銭箱にぶつけて出来たものだろうけど、頭のコブは一体……
「コブに心当たりは?」
「いやぁ。ないな」
もしかして、と呟いたのは絆だった。
「誰かに襲われた ……とか?」
その発言に、会長が血相を変えた。
「襲われた、だって!? 駄目だ!……それはマズイ! 非常にマズイ!」
半狂乱のメシアがわめきたてる。
「町内会長の私が、誰かの恨みを買ってるなんて、あり得ないことだ! 誰かに襲われたなんて、絶対にあってはならないことなんだよ! とにかく駄目、却下!!」
一同に、しらーっとした空気が流れた。
言いたいことは何となく理解できる。
誰にでも愛される英雄 でいたいのだろう、彼は。現実はそんな甘いものではないと思うが。
「ところで、あなたはここで何をしていたんですか?」
花凛が焦れたように質問した。
虚をつかれたのか、会長はしばらく目をぱちくりしていたが、「ええと」と回想を始める。
「――そうだ。朝に参拝客のために、除雪していたんだよ。今朝は大雪だったからね」
なるほど。
それでここの雪は、除けられていたわけか。どうせなら石段の方も済ませておいて欲しかった。
「君たち、石段を上がってきたのかい? 大雪が降ったし、誰かが来るとしても車でだと思ったから。この町はお年寄りが多いしね。まさか石段を歩いて上がってくる人がいるとは……」
たしかに、住人の半分以上は高齢者だ。
過疎化が進む西木幌では、学校はとうに閉校しており、数少ない子供たちは町から十数キロ離れた市立学校に通っている。
「除雪していたって、ひとりで?」
「ああ」
会長は花凛に頷くと、社務所から出てきた門脇さんをチラと見る。
「副会長と、八時半から除雪する約束をしていたんだ。でも、彼がなかなか来ないんで、ひとりで始めていたんだよ。そこまでは覚えているんだが……」
痛たた、と頭を押さえる。
それ以後の記憶は定かでない、というわけか。
「おれが遅れずに来てればなぁ」
社務所の壁に凭れていた門脇さんがぼやいた。
「約束の八時半には着いていたんだが、車道の入り口で、荒巻 さんの婆さんに捕まってなぁ。なかなか抜け出せなくてなぁ。すまなかったなぁ」
申し訳なさそうに弁明する。
そうか、荒巻の婆さんに捕まっていた、というなら仕方がない。あの婆さんは、人に長話を聞かせるのが生きがいなのだ。俺なんか帰省した日に三十分も立ち話に付き合わされたし。
「その間に、他の車が神社に上がっていったりしませんでしたか?」
「いんや。上がろうにも、入り口をおれの軽トラが塞いでいたからなぁ」
ふむ。
俺たちの方も、石段を上がっている間、誰かが追い越していったということはなかった。
神社の拝殿にたどり着くには、二つのルートがある。
ひとつは俺たちが徒歩で上がってきた石段。
もうひとつは、石段からは少し離れた位置にある車道。会長と門脇さんが軽トラで登ってきた道のことである。
ちなみに、拝殿の裏は林の斜面になっていて、人が通れるような状態になっていない。
「祈」
とがった顎に手をやりながら、絆が尋ねてくる。
「オレたちが石段を登り始めたとき、お前のケータイ、アラームが鳴ってたな。あれは何時に設定されてたんだ?」
「八時半だ」
俺はポケットからスマホを出して、今の時刻を確認する。
午前九時――。
倒れた会長を発見したのは、今から十五分ほど前として、八時四十五分。
会長がここに着いたのは八時半だというから、もし本当に襲撃されていたとしたら、それは八時半から四十分までの間ということになる。
大まかにだが除雪が済んでいた状況から、犯行推定時刻は発見直前 とみても良いんじゃないだろうか。
そして、偶然にも同時刻――八時半に、石段の入り口には俺たちが、車道側には門脇さんがいたのである。
「つまり、会長を襲った奴は、八時半よりも前に拝殿にいた――ということになるな。そして、まだここに潜んでいる可能性が高い」
「なんでそういうことになるのよ」
花凛が絆に向かって、眉根を寄せる。
「わからないか? 八時半から拝殿に続くルートは、両方とも塞がれていたんだ。オレたちが来るより前に、境内にいた犯人が外に出られるわけないだろう?……っ」
探偵っぽく説明していた絆が、急に体を震わせた。自分の推測――犯人がここにいるかもしれないという可能性――に、今さら恐怖したのだろう。
「潜んでいるって……? ど、どこに?」
樫葉会長が、長身の体でせわしなく周囲を見渡した。
ここの境内は、周りを背の高い林に囲まれている。林のどこかに、得体の知れない暴漢が息を殺して潜んでいる――かもしれない。怖っ!
「でも、林の方に足跡は見えないんだ。まさかこれが『雪密室』ってやつ?」
恐怖を紛らわせるためか、絆がやたらと大声を出した。
除雪されているのは参道だけで、林側には雪が積もっている。踏み荒らされた跡も見当たらない。
「……なにが『 雪密室』だよ」
この推理小説マニアめ。一応付き合ってやるか。絆の強張っていた表情がゆるむ。
雪密室とは――?
事件現場の周囲が雪一色で、足跡がない(もしくは被害者の足跡のみ)という不可能状態で、密室の様式のひとつである。法月 綸太郎 の同名作品も有名だ。
しかしこれ、現実的には謎でも何でもない。特に雪国の人間にとっては。
たとえば、『地吹雪』という現象がある。
どんなに晴れていても、強風があれば、地表面に積もった雪が舞い上がり、浅い足跡であればたちどころに消え去ってしまう。
「低俗なことを言うな。雪密室は、推理小説の世界に存在する美しい謎のままでいいいんだよ。祈だって、そう思ってんだろ」
「まあな」
「ねえ、ちょっと来てよ」
ミステリ談義に迷いこんでいた男たちに、花凛が振袖で手招きをしている。
「どうしたんだ?」
「私じゃなくて、門脇のオジサンが気付いたんだけど」
門脇さんは、参道の真ん中にしゃがみこんでいる。
「ここに石があるべ」
短い指の先には、たしかに石があった。結構デカい。
ちらほらと降り続ける雪に表面を覆われているが、直径は二十センチ弱というところか。
「……で?」
なに?
立ち上がった門脇さんは、なにやらドヤ顔をしていた。花凛が先を引き継ぐ。
「会長の頭のコブよ。転んだときに、これに頭を打って出来たんじゃないか、って」
え……?
賽銭箱の血にドン引きしていると、後ろから呑気な声をかけられた。
振り向くと、社務所から樫葉会長が出てきたところだった。額の真ん中に絆創膏を貼っているのが、なんともマヌケだ。
「君は松山ジョージさんの息子さんだってね。君には、神社じゃなくて教会の方が似合ってるな」
冗談のつもりで言ったらしいが、全然笑えない。
むしろ不愉快だ。
たぶん俺がクオーターで、外人っぽい顔をしているからだろうが、余所からきたガリバーにそんなことを言われる筋合いはないと思う。
あ――。
なるほど。睨み返そうとしたところで、閃いた。
彼の額に貼られた絆創膏。つまり、この賽銭箱にこびりついた血痕は
「その傷――賽銭箱に額をぶつけたんですね」
「……うむ?」
額に手をやりながら、会長は賽銭箱をぼんやりと直視した。
それにつられて、血痕に気付いた絆と花凛が、「ぎゃっ」と悲鳴を上げる。いや、気付くのが遅すぎだろ。会長の答えは何とも頼りないものだった。
「……私はアレに額をぶつけたのか?……わからない……まったく。思い出そうとすると、頭が痛んで……いたたた」
「頭大丈夫ですか」
「ああ。傷は額だけじゃなかったようでね。頭のてっぺんにも大きなコブがあるみたいで」
皮肉にも動じない会長は、蓬髪の頭頂部を気遣うように触っている。
まてよ。頭にコブ――?
額のキズは賽銭箱にぶつけて出来たものだろうけど、頭のコブは一体……
「コブに心当たりは?」
「いやぁ。ないな」
もしかして、と呟いたのは絆だった。
「誰かに
その発言に、会長が血相を変えた。
「襲われた、だって!? 駄目だ!……それはマズイ! 非常にマズイ!」
半狂乱のメシアがわめきたてる。
「町内会長の私が、誰かの恨みを買ってるなんて、あり得ないことだ! 誰かに襲われたなんて、絶対にあってはならないことなんだよ! とにかく駄目、却下!!」
一同に、しらーっとした空気が流れた。
言いたいことは何となく理解できる。
誰にでも愛される
「ところで、あなたはここで何をしていたんですか?」
花凛が焦れたように質問した。
虚をつかれたのか、会長はしばらく目をぱちくりしていたが、「ええと」と回想を始める。
「――そうだ。朝に参拝客のために、除雪していたんだよ。今朝は大雪だったからね」
なるほど。
それでここの雪は、除けられていたわけか。どうせなら石段の方も済ませておいて欲しかった。
「君たち、石段を上がってきたのかい? 大雪が降ったし、誰かが来るとしても車でだと思ったから。この町はお年寄りが多いしね。まさか石段を歩いて上がってくる人がいるとは……」
たしかに、住人の半分以上は高齢者だ。
過疎化が進む西木幌では、学校はとうに閉校しており、数少ない子供たちは町から十数キロ離れた市立学校に通っている。
「除雪していたって、ひとりで?」
「ああ」
会長は花凛に頷くと、社務所から出てきた門脇さんをチラと見る。
「副会長と、八時半から除雪する約束をしていたんだ。でも、彼がなかなか来ないんで、ひとりで始めていたんだよ。そこまでは覚えているんだが……」
痛たた、と頭を押さえる。
それ以後の記憶は定かでない、というわけか。
「おれが遅れずに来てればなぁ」
社務所の壁に凭れていた門脇さんがぼやいた。
「約束の八時半には着いていたんだが、車道の入り口で、
申し訳なさそうに弁明する。
そうか、荒巻の婆さんに捕まっていた、というなら仕方がない。あの婆さんは、人に長話を聞かせるのが生きがいなのだ。俺なんか帰省した日に三十分も立ち話に付き合わされたし。
「その間に、他の車が神社に上がっていったりしませんでしたか?」
「いんや。上がろうにも、入り口をおれの軽トラが塞いでいたからなぁ」
ふむ。
俺たちの方も、石段を上がっている間、誰かが追い越していったということはなかった。
神社の拝殿にたどり着くには、二つのルートがある。
ひとつは俺たちが徒歩で上がってきた石段。
もうひとつは、石段からは少し離れた位置にある車道。会長と門脇さんが軽トラで登ってきた道のことである。
ちなみに、拝殿の裏は林の斜面になっていて、人が通れるような状態になっていない。
「祈」
とがった顎に手をやりながら、絆が尋ねてくる。
「オレたちが石段を登り始めたとき、お前のケータイ、アラームが鳴ってたな。あれは何時に設定されてたんだ?」
「八時半だ」
俺はポケットからスマホを出して、今の時刻を確認する。
午前九時――。
倒れた会長を発見したのは、今から十五分ほど前として、八時四十五分。
会長がここに着いたのは八時半だというから、もし本当に襲撃されていたとしたら、それは八時半から四十分までの間ということになる。
大まかにだが除雪が済んでいた状況から、犯行推定時刻は
そして、偶然にも同時刻――八時半に、石段の入り口には俺たちが、車道側には門脇さんがいたのである。
「つまり、会長を襲った奴は、八時半よりも前に拝殿にいた――ということになるな。そして、まだここに潜んでいる可能性が高い」
「なんでそういうことになるのよ」
花凛が絆に向かって、眉根を寄せる。
「わからないか? 八時半から拝殿に続くルートは、両方とも塞がれていたんだ。オレたちが来るより前に、境内にいた犯人が外に出られるわけないだろう?……っ」
探偵っぽく説明していた絆が、急に体を震わせた。自分の推測――犯人がここにいるかもしれないという可能性――に、今さら恐怖したのだろう。
「潜んでいるって……? ど、どこに?」
樫葉会長が、長身の体でせわしなく周囲を見渡した。
ここの境内は、周りを背の高い林に囲まれている。林のどこかに、得体の知れない暴漢が息を殺して潜んでいる――かもしれない。怖っ!
「でも、林の方に足跡は見えないんだ。まさかこれが『雪密室』ってやつ?」
恐怖を紛らわせるためか、絆がやたらと大声を出した。
除雪されているのは参道だけで、林側には雪が積もっている。踏み荒らされた跡も見当たらない。
「……なにが『 雪密室』だよ」
この推理小説マニアめ。一応付き合ってやるか。絆の強張っていた表情がゆるむ。
雪密室とは――?
事件現場の周囲が雪一色で、足跡がない(もしくは被害者の足跡のみ)という不可能状態で、密室の様式のひとつである。
しかしこれ、現実的には謎でも何でもない。特に雪国の人間にとっては。
たとえば、『地吹雪』という現象がある。
どんなに晴れていても、強風があれば、地表面に積もった雪が舞い上がり、浅い足跡であればたちどころに消え去ってしまう。
「低俗なことを言うな。雪密室は、推理小説の世界に存在する美しい謎のままでいいいんだよ。祈だって、そう思ってんだろ」
「まあな」
「ねえ、ちょっと来てよ」
ミステリ談義に迷いこんでいた男たちに、花凛が振袖で手招きをしている。
「どうしたんだ?」
「私じゃなくて、門脇のオジサンが気付いたんだけど」
門脇さんは、参道の真ん中にしゃがみこんでいる。
「ここに石があるべ」
短い指の先には、たしかに石があった。結構デカい。
ちらほらと降り続ける雪に表面を覆われているが、直径は二十センチ弱というところか。
「……で?」
なに?
立ち上がった門脇さんは、なにやらドヤ顔をしていた。花凛が先を引き継ぐ。
「会長の頭のコブよ。転んだときに、これに頭を打って出来たんじゃないか、って」
え……?