プラグマティズムを使ってみると?
文字数 1,962文字
そういう面もあるかもね。ただ、ここではもうちょっと視野を広げて考えましょう。
さっき引用した記事をもう少し読んでみるわね。
「この話をして一番変化するのはお母さんです。子育てで苦労していても、「ああ、この子は私を選んでくれたんだ」と思えたら、どうでしょうか。泣き叫ぶ子にだって、頬ほおずり(ママ)をしたくなるのではないでしょうか。」
一口にプラグマティズムと言っても、論者ごとにかなり違う体系が築かれているんだけど、今回はウィリアム・ジェイムズにご登場願うわ。
胎内記憶の中でも選択生母説は、「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる。それは、お母さんを幸せにするためにである」という言説なわけよね。
かつての妊産婦は、出産時に細菌に感染して起こる産褥熱で亡くなることが多かった。ハンガリー出身の医師ゼンメルワイスが消毒法を発明したことで、死亡率を減らすことができるようになったの。その頃に比べれば今の医療はとても進歩したけど、お産がリスクであることに変わりはないわ。
素朴に考えればそうなんだけど、胎内記憶の支持者はこういう言い方をするのよ。
「虐待する親を選んだ子どもは、その親たる人を助けようとして生まれてくる。虐待を受け死亡したとしても、それは自らの命をもって命の大切さを伝えようとしたのであり、そうして亡くなった子の魂はより高い段階に進むことになる」ってね。
ええ、言葉は出ないわ。死んでしまった子どもは何も言えないもの。そこに手前勝手な意味づけをしている人がいるのよ。
でもサバイバーは違う。その名のとおり、今を生きている人よ。その人に対して、「あなたが虐待を受けている/いたのはあなたがその親を選択したからです」と言えるのかしら? 言えるとして、それがその人たちにとってよいことにつながるとは、私にはとても思えないわ。
それに、親から虐待されている子どもがその親をかばおうとするケースは少なくない。どんなに虐げられても、その子にはその親しかいないんだもの。だから、「自分が悪い子だからだ」などと思いこもうとする傾向がある。
例えば虐待が発覚して、親が逮捕されたら? 「自分が悪い子だからパパ・ママは捕まってしまった」と考えてもおかしくないよね。そういう子どもに対して「あのお母さんを幸せにするために生まれてきたんだよね」と言うことがどれほど残酷か。そのことだけは気づいてほしいと願うばかりよ。