第7話

文字数 2,523文字

「給電システムを切り替えようとして、エネルギー補給が一旦途切れちまったんだ」
 森内は元の椅子に腰かけながら、階上の比嘉の話を上の空で聴いていた。

 心臓はまだびくついている。左手にあたる空中の一部───当然、実際は保管室の内壁の一角に過ぎない───では、緑色の3Dオブジェクトが浮かんでいる。

 ちょうど、蟻の巣に流し込んだアルミの鋳物(いもの)そっくりで、その内部では多数の黄色い点が、粘液中に浮く微粒子のようにそれぞれランダムに動いている。

 比嘉が映像内に呼び出した坑内3Dマップに違いなかったが、森内がそれを認識するのにもしばらく時間がかかった。

「だけど、移行処理は済んだからさ。墜落することはもうない。落下距離はほんの数メートルだ。だから心配するな」比嘉の楽観的な口調には、確信めいた力強さも備わっていた。しかし、恐怖はいまだ心の隅でくすぶり、森内は先輩の慰めを充分に受け止められずにいた。

「それで森内、見えるか」
「はい」森内は、横方向へゆるやかに回転するそのオブジェクトを眺めた。そして、あくまで平静を装いつつ、適切な会話の方向を選んで言った。「これら黄色い点のうち、どれか一つが浅井ですよね」

「外崎さんの言ってたことが本当なら、そうなる。ただ」比嘉はすでに冷静さを取り戻していて、その話しぶりは滔々(とうとう)としている。「前にも言ったと思うけど、このマップは日双鉱業が寄越したソフトウェアだから、日双とその傘下の作業員しか表示されない。これだけ言えば、あとはわかるよな」

 森内は言われて、再度3Dマップに目をやった。無理やり意識を奮い起こすことで、脳にずきずきと痛みが走る。

 主立坑である最も太い円筒内に、自分たちの位置を示す点があるか、などと悠長なことは考えていられない。
 立坑から無数に生えた細い坑道、斜坑、そしてそれらの先にある大小様々の空間。多少のむらはあるものの、坑内全体に数千もの黄色い点が散らばっている。
 より詳しく観察すると、休憩中なのか固まって動かない一群、またそれとは逆に、せわしなく立ち働く点の数々を見て取れる。

 そこまで観察したが、比嘉の意図を完全には汲み取れず、森内は黙っていた。するとマップがズームアップされ、坑道の支線の一本が拡大された。

「ここ見ろ」比嘉が少々苛立ちを込めて言った。「例えばこれは旧坑道のひとつだけどな、この奥に群れから離れて、ポツンと一つ点があるだろ」

 見ると確かに、先端でただ一つじっと動かない点がある。
「はい、ありますね」森内の理解も徐々に広がっていく。

「これが浅井かどうかはわからない。単に、一人で仕事してる別の作業員かもしれない。ただ、あまり想像したくはないけどな、もし、このマップに映らない無届けの連中が大勢ここにいるとしたら」
「浅井は奥で囲まれている」森内はそう言って、息を呑んだ。

「まあ、とにかく今はわからない。そういうふうに見当をつけて一つ一つ探していくんだよ」
「なるほど」

 ポッドは、周辺の側壁に空いた穴の前まで来ると、その中を滑るように進んでいった。
 まだ、ここいらは旧坑道ではないのだろう。
 森内が来たことのある鉱区ではなかったが、乾いた灰色のコンクリート壁や煌々と白く照らすライトは慣れた現場と変わらない。

 蛍光素材の安全服を着た外国の作業員が、森内らのポッドを目に止めた途端、つまらなそうに視線を戻す。

 二股に分かれたうち右の坑道を進むと、その先は奥を見通せないほどの長い下り斜坑であった。沈黙を乗せたままポッドは、奥から伸びてくるオレンジ色の糸に引かれるようにして飛行を続けた。

 人気も無人機の気配もまばらになると、ついに最奥に陥没して空いたような立坑の入り口が現れた。
 突き当たりの錆び切った看板には、かろうじて読める文字で"Enter at your own risk.(自己責任で航行せよ)”とある。

 穴の真上まで来ると、船体は空中で一旦動きを止めた。
「この先は旧坑道です」先ほどと同じ機械の女性。「航行する際は、各所属の管制課の許可を得てください。また、給電システムの保守安全点検が行き届いているか、十分に確認してください」

 アナウンスが途切れると同時に、立坑の底から射出されたビームがポッドへと届く。
「よし」比嘉の声は呼吸に混じっていて、まるで自身に言い聞かせるようであった。

 森内はまだ3Dマップが映っていることに気づき、自分たちの位置を見定めようと努めた。
 確かこのレイヤーは61、長い斜坑が伸びる坑道は───ここだ。
 
 スロープのように続く斜坑の先に細い立坑の上端が連結し、さらにその底から蛇行するいかにも粗末な坑道が伸びている。

 すでに正規の作業員からは見捨てられた洞窟。その先端に確かに一つの黄色い点が、息絶えかけた蛍のように動かずじっとしている。

 ポッドの航行が先ほどと比べ、明らかに慎重なものになった。暗いオレンジ色の非常灯に照らされた剝き出しの岩盤が、湧き水に濡れて鈍い光沢を放っている。
 岩盤に沿って取り付けられた排水管の弁からは時折、濃い湯気が音を立てて勢いよく吹き出してくる。

 もはや、ここには空調設備などない。森内は地温勾配の記憶を頼りに、大まかな外界温度を推定した。
 場所にもよるが、地下600メートル付近ということは、地熱温度は100度前後。
 もし外に投げ出され、避難用梯子もないとなれば、スーツが焼けないよう祈りながら救助を待つしかない。

 曲がりくねった岩洞内部にはそもそも、生命のいる痕跡がない。本当にこんな炎熱地獄のようなところに人がいるのか、と訝しんでいると、いた。

 延先(のびさき)の手前に小ぶりなポッドが一基、そしてその隣に、薄緑の耐熱スーツを着た人物が一人、何やら計測器のような物を持って立っている。もちろんヘルメットをかぶっていて、その顔を判別することはできない。

「あれは日双の社員だ」比嘉が言った。「きっと抗廃水の点検だな。浅井じゃない」
 人物は森内らのポッドに気づくと軽く会釈し、またそれまでの業務に没頭した。

「ここは外れだ。まあ、一発目で当たるとも思ってないけどな」比嘉は大儀そうに言った。それから風景も逆方向に戻り始めた。
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