第1話

文字数 2,473文字

 シェムリアップはカンボジア北部に位置し、アンコールワットへの玄関口としても有名な街だ。バンコクからわずか一時間、オフシーズンの雨期にも関わらず、機内はほぼ満員の盛況ぶり。

 期待と高揚感を抱きつつ現地に到着、何もかもがこれからの国のカンボジアは、貴重な観光資源により経済を発展させようと、世界中からの観光客で街は溢れ、至る所活気に満ちていた。

 カンボジアを訪れ、驚いたことのひとつに米ドルの流通がある。ホテル、レストラン、コンビニや移動費、それに市場に並ぶ新鮮な食材や衣類に及ぶ様々な物まで米ドルによる支払いが可能だ。これにより何かと計算しづらい現地価格と日本円との換算も容易、さらに現地通貨を両替しなくても米ドルだけで旅行ができ、利便性のある米ドルの流通は、旅行者にとってメリットも多い。

 自国通貨であるリエルと同様に米ドルが流通するのは、積極的に外貨を国内に蓄え、経済の安定を最優先に取り組もうとする国の姿勢ともとれる。街のスーパーやレストランでは、全ての商品にリエルと米ドルの価格表示があり、買い物客はどちらでも払える。
 通貨として米ドルが使えることに、この国の人はどう思っているのか? 疑問に思い、我々家族をアンコールワットまで案内してくれたトゥクトゥクのドライバーに聞いてみた。

 「隣のベトナムでは、食材を買うだけにしてもたくさんの紙幣が必要と聞く、ここではドルでも払えるから、そういう問題は起こらないよ」さらに、銀行で米ドルによる貯金もでき生活に支障はないようだ。
 確かに、インフレが激しい隣国ベトナムやラオスに比べれば、ここ数年1ドル=4000リエルと為替相場は安定し、スーパーでの商品価格を見てもゼロの数はベトナムほど多くない。そう考えれば、これはこの国の人々にとって、正しい選択なのかもしれない。

 そんな折、カンボジア出国直前の空港待合室で、飲み物を買いに行った娘のつり銭に二ドル紙幣があった。以前アメリカにて小売り店舗を営み、ドル紙幣を直接扱ったことがある私でさえ、二ドル紙幣はアメリカ本国でも滅多に目にすることはない。
 十二年間のアメリカ在住で実際に手にしたのが僅か二回、それがたった三日間のカンボジア滞在で手にするとは、なんと希少なことなのかと思わず考え込んでしまった。おまけに二ドル紙幣は、滅多に手にすることがない紙幣とあって、良いも悪いも様々な逸話があり、それがさらに流通を妨げる要因とも言われている。

 「やった二ドル札だ! これって貴重なんでしょ」と喜んで写真を撮っている娘の横で、自国通貨リエルをさて置き、これほどまでに流通する米ドルは、この国にとって結果的に良いことなのか、他国通貨に依存することが当たり前になってしまわないか、国として自立できるのかとひとり考え込んでしまった。
「ドルが使えて、何が問題なの?」怪訝そうな私の顔をみて娘が聞いた。
「この国の通貨リエルを、誰も使わなくなるかもしれない・・・」

 例えば食材を買う時、100リエル札を40枚出して払うよりも、1ドル札1枚出して買い物する方が便利だ。人々は弱いリエルを貯蓄するより強い米ドルを貯蓄した方が良いと考え、それは自国通貨を自ら否定し、自分の大切なお金を外国人に委ねている事と等しい。さらに、委ねられた外国人がこの国の為にお金を運用するとは限らず、そして掛け替えのない人々の貴重なお金は何処かへと消えていく。

 水牛が田畑を耕す牧歌的な田園風景の中に突如として現れ、周囲の外景とは不釣り合いかつ、きらびやかな外装の外国資本によるカジノホテル。投資案件として推し進められる、郊外の大型ホテルやコンドミニアム予定地。外国人でも簡単に口座が開け、高金利を謳った米ドル建て外貨貯金。
 今カンボジアで海外からの投資を軸に推し進められる、様々なプロジェクトや金融商品の数々は、今手にしている米ドル紙幣のように、必ず投資の見返り、利益としてどこかへ導かれ、この国に留まろうとせず、国境を越え他国へ引き寄せれてしまう命運にある。

「じゃあ、このドルは国外へ向かおうとしてこの国には残らない?」
「そうだ、いつまでも生活が苦しいまま、そして人々から笑顔が消えていく」
 それが問題だ。

 見る者を圧倒するアンコールワット遺跡の数々からも、この地に栄華を極めた高度な文明が存在し、それを民族の誇りとしながら、後世に残そうとする人々の懸命な努力が随所にうかがえる。その遺跡群を観光目的に世界中から観光客が集まり、街は活気に満ち溢れる。
 しかし、その盛況ぶりとは裏腹に、巨大な見えざる手が人々から利益を収奪、健全な成長の妨げになってはいないか。
 外国人の投資をあてこんだリゾートコンドミニアム、さらにカンボジア人の誇りともいうべき、アンコールワットの地に隣接するカジノホテルは、それと見合う対価を現地の人々に払われているのか。彼らの尊厳を踏みにじってはいないか。

 いや、平均月収わずか2万円といわれるカンボジアにおいて、依然として多くの人々が最低限の生活を余儀なくされてることは、実際シェムリアップにて人々の暮らしぶりを散見すれば、容易に想像でき、持てる者と持てない者との格差を助長しているだけに過ぎない。

 本土復帰前の沖縄で、米ドル流通の記憶が鮮明に残る一人として、米ドルが復興半ばであった戦後の沖縄を支え貢献した事実は否定できない。本土復帰以降の沖縄は、観光を基盤に発展したと言っても過言ではなく、この沖縄の過去と、カンボジアの復興半ばの現状とが重なり、かすかな希望を彷彿させる。

 カンボジアの人々が米ドルを選択した背景には、過客として迎えた我々外国人に提供できる、精一杯のもてなしと信じたい。だとすれば、今だに内戦の古傷が癒えぬカンボジアで、米ドルが彼らの誠意を決して踏みにじることなく、少しでもこの国の利益、復興につながるよう、人々のその貴重な役割を担ってくれればと、切に願わずにはいられない。

 目の錯覚か、手元にある二ドル紙幣の肖像画は、笑っているようにも見えて仕方ない。
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