第五章 ③ 小話
文字数 1,533文字
カララ、パタン、ふぅ。
男は愛の告白を終え、スマートに何事もなかったように、その家の扉を閉めた。
…ように思わせた。
男にとっては、一世一代の告白。緊張しないはずがない。
足から、肩からこわばっていた力が、抜けていく。
抜けた力の行き先は口。なんとも間の抜けた息が漏 れ出た。
彼女は自分の告白に戸惑っていたなと中路は思う。
——でも、決してそれをしなければよかったなどとは思わない。
むしろ気持ちを伝えれてよかった。
でないと、彼女は自分を意識してくれないだろう。
中路が、想い人である千鶴とともに過ごした時間は、一年に満たない。
——出会った当時、彼女は女学生だった。
実家の病院を継ぐにあたり、参考になるだろうと思い、働いた下町の小さな診療所。
そこは中路の理想とする地域医療そのものだった。
貴賤 関係なく、病あるものを助け、その予防にもあたる。医者と患者の信頼関係も密に築かれていた。
そして、その一端を担っていたのが、敬愛する医者の娘。
彼女は父を手伝い、診療所の掃除をしたり、待合室にいて、患者の雑談に付き合ったりしていた。
若い娘にとって、ほかに優先したいことはあるだろうに、彼女は時間のある時はいつも診療所にいた。
お年寄りの手を握り、柔らかに微笑みながら聞き入る様は、中路の目には、光輝いて見えて、幼き日に実家の病院の礼拝堂で見た聖母マリアのようでもあった。
その診療所で、中路は医に携わるものとしての在り方をみた気がした。
中路もそうあろうと努力し、千鶴ともある程度の信頼関係を築いていった。そんなとき、彼女から相談を受けた。
看護婦になりたいと。
中路は、相談の先に自分がいたことが誇らしかった。
一もニもなく応援した。
看護衣をきて、自分の隣に並ぶ彼女を想像したのはここだけの秘密。
彼女は満面の笑みを浮かべ、お礼を言ってくれた。憧れていた微笑みが自分一人に向いた。
中路が恋に落ちた瞬間だった。
その後、千鶴は看護婦になるための勉強をはじめ、合格すると養成所の寮に入った。
中路も研鑽 を積むため、診療所を離れた。
しかし、未来の、白衣をまとう彼女の姿を忘れた日はなかった。
———
そして、自分の思い描いた通りの彼女と再会し、
「なかみちさん」
そう言われて、聖母、いや天使のような笑みを向けられれば、やはり恋に落ちざるを得ない。
たが、素晴らしい看護婦となっていた彼女の前で、みっともない姿を晒 せない。
——自分も成長した姿を見せなければならない。
いや、そんな下心なしに、看護婦になりたい、そう信頼されて打ち明けられた、人として、医者として、中路も患者に向き合わないとなければならなかった。
だからこそ、中路は最大限の努力をして桐秋と、桜病にむき合った。
——そんな折、実家の父から連絡が入る。
そろそろ家に帰ってきてほしい。
いつも壮健な父の弱い言葉だった。
父は年の初め、病にかかっていた。ただの風邪だったが、その風邪にさえ、父はかかったことがなく、気持ち的に落ち込んでいた。
老いが父にも降りかかってきたのだ。
しかし、一人の男にとって、その知らせも、何かの天啓 かと思った。
これを逃せば機会はないと。
それが今日の告白に至るまでのこと。
四半刻もない私的な時間、千鶴に自身の想いを告げた。
彼女は驚いた様子だった。
でも、目を逸らさなかった。
しかと、自分の想いを受けとめてくれた。
——彼女はどんな答えを出すだろう…。
彼は、一つ瞼 をとじて、想い人の天使のような姿をうかべる。
———。
——ゆっくりと人見知りを開いた時には、もう一人の医者の顔に戻っていた。
彼は、夏の強い日差しを正面から浴びながら、前に歩みを進めた。
男は愛の告白を終え、スマートに何事もなかったように、その家の扉を閉めた。
…ように思わせた。
男にとっては、一世一代の告白。緊張しないはずがない。
足から、肩からこわばっていた力が、抜けていく。
抜けた力の行き先は口。なんとも間の抜けた息が
彼女は自分の告白に戸惑っていたなと中路は思う。
——でも、決してそれをしなければよかったなどとは思わない。
むしろ気持ちを伝えれてよかった。
でないと、彼女は自分を意識してくれないだろう。
中路が、想い人である千鶴とともに過ごした時間は、一年に満たない。
——出会った当時、彼女は女学生だった。
実家の病院を継ぐにあたり、参考になるだろうと思い、働いた下町の小さな診療所。
そこは中路の理想とする地域医療そのものだった。
そして、その一端を担っていたのが、敬愛する医者の娘。
彼女は父を手伝い、診療所の掃除をしたり、待合室にいて、患者の雑談に付き合ったりしていた。
若い娘にとって、ほかに優先したいことはあるだろうに、彼女は時間のある時はいつも診療所にいた。
お年寄りの手を握り、柔らかに微笑みながら聞き入る様は、中路の目には、光輝いて見えて、幼き日に実家の病院の礼拝堂で見た聖母マリアのようでもあった。
その診療所で、中路は医に携わるものとしての在り方をみた気がした。
中路もそうあろうと努力し、千鶴ともある程度の信頼関係を築いていった。そんなとき、彼女から相談を受けた。
看護婦になりたいと。
中路は、相談の先に自分がいたことが誇らしかった。
一もニもなく応援した。
看護衣をきて、自分の隣に並ぶ彼女を想像したのはここだけの秘密。
彼女は満面の笑みを浮かべ、お礼を言ってくれた。憧れていた微笑みが自分一人に向いた。
中路が恋に落ちた瞬間だった。
その後、千鶴は看護婦になるための勉強をはじめ、合格すると養成所の寮に入った。
中路も
しかし、未来の、白衣をまとう彼女の姿を忘れた日はなかった。
———
そして、自分の思い描いた通りの彼女と再会し、
「なかみちさん」
そう言われて、聖母、いや天使のような笑みを向けられれば、やはり恋に落ちざるを得ない。
たが、素晴らしい看護婦となっていた彼女の前で、みっともない姿を
——自分も成長した姿を見せなければならない。
いや、そんな下心なしに、看護婦になりたい、そう信頼されて打ち明けられた、人として、医者として、中路も患者に向き合わないとなければならなかった。
だからこそ、中路は最大限の努力をして桐秋と、桜病にむき合った。
——そんな折、実家の父から連絡が入る。
そろそろ家に帰ってきてほしい。
いつも壮健な父の弱い言葉だった。
父は年の初め、病にかかっていた。ただの風邪だったが、その風邪にさえ、父はかかったことがなく、気持ち的に落ち込んでいた。
老いが父にも降りかかってきたのだ。
しかし、一人の男にとって、その知らせも、何かの
これを逃せば機会はないと。
それが今日の告白に至るまでのこと。
四半刻もない私的な時間、千鶴に自身の想いを告げた。
彼女は驚いた様子だった。
でも、目を逸らさなかった。
しかと、自分の想いを受けとめてくれた。
——彼女はどんな答えを出すだろう…。
彼は、一つ
———。
——ゆっくりと人見知りを開いた時には、もう一人の医者の顔に戻っていた。
彼は、夏の強い日差しを正面から浴びながら、前に歩みを進めた。