食べ損ねてたジプシとフルッキ
文字数 8,206文字
……昨日の夜のこと、どのくらゐ憶えてます?
はあ、消えたい気持ちがますます募つてきましたは。昔、辞書でたまたま{cancydji}(大意:“消滅願望”•“消えたい”)て言葉があるのを見つけたときは、ああ、遠い国のジボ人ともこの感情は分かち合へるんやな、てしみじみ思うたものですバハナイ。
よし、善は急げや、この場で集めたろ!はあ〜消えたい消えたい消えたい消えたい消えてしまひたい塵と化して闇に溶け入り自然宇宙と一体となつてどこにも居なくなつてしまひたい!!!アイシャイ・ミ・シャンシ!!!
うん、まあ…ね。どうせなら描き足さうかなと思つて画像検索してみたんだけど、結局大きさ以外の決定的な見た目の差異がおれにはいまいちわからなくてさ…ローストターキーの方がお腹ポッコリしてたかなあ、強ひて言ふなら。味はターキーのが油分少な目だみたいな話はどこかで見ましたけど。
«.i .uidai xisyjbenunsla»: “We wish you a Merry Christmas”に対応させた部分。実のところこのジボ文だとwish感は希薄なのだが、まあ歌を訳さうとするとたいてい全ては訳出できないものなので…少なくとも、クリスマス(«xisyjbenunsla»)についての幸福感(«.ui»)を話者が推察してゐる文ではあります。
«.i ji'a ninynanca .ui»: “And Happy New Year”。「新年(nin-(y)-nanca)だ、うれしい」てだけの意味のジボ文です。«ji'a»は追加事項としての話であるのを示すための言葉です。これを例へば«.i je ninynanca»などとすると、「クリスマス。かつ新年」みたいに論理式ぽい接続になるので、やや面倒なことに。
«.i nuzba fi mi do .e ro lo do pendo»: ああ、これは原語だと歌詞のバージョンごとに表現がまちまちなやつですね…tidningsやnewsに相当するのが«nuzba»です。それをわたし(たち)からあなたへ。«ro lo do pendo»(あなたの友達のうちの全員)は、今思ふと素直に{lo do lanzu}(あなたの家族親戚(ひとまとまり))としておいてもよかつたかな〜、まあええか。
ヘロヘロだよなあ?普段から無口なをつさんだから、喉周りの筋肉弱さうな感はある。もう少し定期的なボイトレが必要だな。まあ夜明け前の寒空の中河川敷に連れ出していきなり歌はせたのもあるかもだけど。雑音はそのときの車とか風だね。
このとき録音したヴォーカルトラックに、知る人ぞ知る「恋声」で♂→♀の調整を施してリミックスしたのが先に提示した2018年版のやつですね。ロボ娘ぽい仕上がりを期待してたけど、予想以上に人間の形保つてくれました。流石です。女性かどうかはさておき、をつさんをメス化ホルモン漬けにした感じにはなつてくれたよね。
まあピッチとフォルマントを弄る機能さへあれば普通のヴォコーダーでも良いと思ふけど、恋声はお手軽かつ更に多機能な感じはする。多機能といへばPraatとかどうなんやろ。興味はあるけどおれには使ひこなせないやろなあ…。
…ふむ。両版をプレイリストに入れてループ再生してたらだんだん慣れてきて寧ろ愛着が湧いてきたな、をつさんの声。なんとかは三日でなんとやらだね。Chordbotで自動作曲した伴奏が中々イケてるのもあるし、これらBGMにして残りの訳もコメントつけていくかな。
«.i ko mi bevri be su'o figre nanba»: “Now bring us some figgy pudding”のnow感だけ無くしたやつ。歌つてて我ながら一番楽しい部分。ジボ文は「あなた(命令形)、わたしに、いちじくナンバ(の少なくとも一個)運んでくるのをしなさいよ」みたいな感じの意味です。
ナンバ({nanba})は、どう説明しようかな、一言で言へば食べるパンなんだけど、ケーキとかクッキーとか、多分ここで出てくるプディングなんかも包含しうる概念の単語なんですよね。粉 もん、てやつと若干似とるんかな?いやどうだろ。麺は流石に{grusko}て別の合成語で表すと思ひますけど。
ああ、さうさう、“Figgy pudding”てどんな食べ物なんやろと思つてウィキペ記事読んでみたら、元々はいちじく入れてたけど、この曲が成立した頃にはもういちじく以外のやつ、レーズンとかプラムのプディングを指すやうになつてたらしいね。まあロジバンのタンル…自然言語だと名詞句に少し似てるやつ?は、そのへんのテキトーさも受け容れるつくりになつてるから、{figre nanba}(いちじく的ナンバ)でさしあたりええかな、と。
«.i je ko bevri ri ba'e ti»: 「«ri»(この文脈では«su'o figre nanba»を指示)を«ti»(これ/ここ/こいつ)に持つて来い」て意味の文を、直前の文と連言的に論理接続したものですね。{ba'e}は強調目的で使用されます。
連言的に論理接続した結果、全体的には「あなた(命令形)がわたしにプディングを持つてくる、かつ、あなた(命令形)がそれをまさにここに持つてくる!」て感じの命令文ができるので、これなら{ji'a}でごまかさずに{je}でつないどこか、て気分になりましたね。
«.i mi denpa lo nu mi da cpacu»: “we won't go until we've got some”に相当することを腐心して表現しようとした結果ですね…ジボ文は「わたしは待つ、わたしの得るものが少なくとも一つあることを」みたいな意味。原文の「〜するまでわたし行かないよ」て部分を{denpa}(大意:“待つ”)に置き換へて表現したわけです。個人的にはこんな{denpa}の使ひ方もアリやないかな、とは思ひますが。
«mi da cpacu»の部分な、“get”をそのまま{cpacu}(大意:“得る”)にしただけやん、て思ふかもしれません。歌の情景的にはハロウィンのお菓子集めと似た感じのあれなので、«dunda da mi»(何か少なくとも一つをわたしにくれる)なんかも訳の候補だつたかな。でもあんまり美しくない仕方で似た音が連続するので止めたんですよね、理由としては恐らく。
«.i ku'inai bevri .e'o mo'i vi»: “so bring some out here”の、“some”と“out”を落とした訳文。まあ{.e'o}(要請の気持ち)を{zo'e}(不特定の何か)にすれば“some”は入れられるかもだけど、そこまでしてもな…て感じやからな。{mo'i}は端的には処格ぽいやつをを向格ぽくできるやつで、移動の意味合ひを付加できるから、“out”を落とした分の補填にはいくらかなるかな。つまり「ここに向かつて云々」。
ああ〜これな、“so”のジボ訳でいつも悩むんだよな。{ku'i}が逆接の表現なので、それに{nai}をつけた{ku'inai}が順接の表現です。ただとても長い。かとて、一部のジボ人みたく{ja'o}(“従つて”:必然性のある結論づけのことば)を濫用したくないしなあ。まあ「わたし待つてる。だから、必然的な結論として、何かをここに持つてくる(お願ひ!)。」てな些か強引な主張も可愛げがあるから、それはそれでええかな。{.i ja'o bevri .e'o}
«.i ji'a tcika lo nu zansai»: “and a time of good Cheer”に相当。初見、“Cheer”て何やろて思つたんですが、“Christmas cheer”なんて表現にも見られるやうに、「ご馳走」て意味かなあ、と。そこで{zansai}(好い+食事)なるその場限りの合成語を錬成しました。{tcika}(時刻)は{ditcu}(時間)と迷つたんですけど、まあ響き重視で。
ペロペロチュパチュパズルズルムシャムシャジュポジュポグバ
スポシプズバジュプスロジブグレブラフリチャシコスコムラドロ
フワァーアマクテオイシイナアァーーキミノオーロラソースゥー
お、例のウィキペ記事見てごらん。«The origin of this Christmas carol lies in the English tradition wherein wealthy people of the community gave Christmas treats to the carolers on Christmas Eve, such as "figgy pudding"»てありますね。
つまりですね、おれが歌つて聞かせたあのクリスマスソングの由来は、恐らく当時の伝統、即ちクリスマスイブにキャロル歌ふ人達を富裕層の人がご馳走でもてなしたことにあつて、そのご馳走の例がいちじくプディングである…てなことが書いてあるんですよ。
そんなわけで…どうです。おれが歌つたあのクリスマスソングを、君もここでそつくりそのまま歌ふことができたら、ご褒美としてそのいちじくプディングを差し上げませう。挑戦してくれますか?もちろんロジバンでね。