文字数 832文字

 ああ、まだ、この街に住んでるんだ。

 最初に思ったのは、そんなことだった。
 この街は、かなり学生向けに特化してる。
 たとえば喫茶店やコンビニは山ほどあるのに、スーパーマーケットは小規模なものがひとつあるだけとか、託児所がほぼ見当たらないとか。
 社会人、さらに家庭持ちなんてことになると、途端に不便な街と化してしまう。
 だから、学校を卒業して、就職して…。
 2年くらい住んだら、あたしは別の、職場に近くて生活に便利な街に引っ越した。
 でも、タケルはまだこの街にいるんだ。
 まあ、らしいっちゃ、らしいか。
 ミュージシャン目指して、夢みたいな歌詞の曲作って、学校卒業してもフワフワとした生活を続けて…。
 最初は、あたしにはそれがキラキラして見えてた。
 でも、結婚を考えたりし始めたときに、いつまでも根無し草みたいな生き方をしているタケルにイライラして…。
 別れる前の半年位は、ケンカばっかりしてた。
 今ならわかる。
 あたし、不安だった。
 社会人として自信もまだ持てなくて、失敗するたびに仕事をやめようかと思い詰めて、心に余裕なんかぜんぜん無くなってた。
 いまでも思い出す。
 最後の、ケンカ。
 2人で住んでた小さなアパートの、狭い玄関に脱ぎっぱなしになってたタケルのブーツに、残業でへとへとになって帰ってきたあたしは足を取られ、派手に転んだ。
 大きな物音に驚いて、入っていた風呂から飛び出して来たタケルに、あたしは怒鳴った。
 心配そうな顔をしてた。
 でも、あたしはそれに気づかないふりをした。
 いや、違う。
 あんたが原因なのに、なに今さら心配するふりしてんの、と思った。
 だから、怒鳴ってしまった。
「脱いだ靴はちゃんとしまって、って、あたし、いつも言ってるでしょう!」
 その剣幕に、タカシも言い返してきた。
「足元をちゃんと見てないのが悪いんだろ!」
 …もう、そこからは泥沼化。
 過去のこと引っ張り出して、あれも悪い、これも悪い、溜まってたもの一気に吐き出した気になってた。
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