第6話

文字数 1,853文字

 彼女がこの事務所を去った姿を見た後、私は一つのデスクの方を見た。デスクには男が一人座っていた。男は僕と同じ悪魔だ。この悪魔は僕の主人で、名前はメフィストフェレスだ。メフィストフェレスはニヤニヤ笑いながら僕に語りかけた。
「また面白い獲物を見つけてきたね。あの女からは最上級の『絶望』を収穫できそうだ。流石は私の優秀な部下だ」
「ありがとうございます。あの女は今後、私が責任を持って監視し絶好のタイミングで『絶望』を収穫いたしますので、それまでしばしお待ちください」
悪魔も人間と同じで上司にへこへこしなければならないのは辛いものだ。
「それにしても、あの赤い糸を渡すとは面白いことをするね。これからあの女がどんな運命を辿るのかが本当に楽しみだ。」
僕の主人はいつも面白おかしく笑いながら話す。しかし、目は笑ってない。主人とは人間時代からの付き合いだがこれには本当に慣れない。あまりにも不気味すぎる。
「実は私も以前、別の赤い糸を悩める一人の男にあげたことがあったんだが、彼は私の想像以上の臆病者でね、何度もチャンスがあっただろうに一度も赤い糸を使わず保管しているんだよ。本当につまらない男だよね。だから今回こそはあの赤い糸を使った人間が絶望する姿を見たいんだ。だからくれぐれも失敗しないように気を付けてね。まあ、優秀な君ならその心配は必要ないと思うんだけどね。」
そう言うと主人は立ち上がった。すると、身体がどんどん闇夜に溶け込み身体が消えていく。
「じゃあ、あとの事は頼んだよファウスト」
主人はそう言ったあと、完全に姿を消した。
 主人とは人間時代からの付き合いだ。私は生前、生涯をかけて勉学に励んでいた。しかし年老いたとき私は勉学に励んだところで何も変わらない事を悟り人生に絶望した。私は残り少ない人生を送る事すら嫌になったため自殺しようとした。そんなとき私の目の前に現れたのがメフィストフェレスと名乗る悪魔だった。彼は私に契約を持ち掛けた。その内容は私が生きている間はメフィストフェレスがどんな願いでも叶えてくれる。しかし、私が生きている間に最高の幸福を心の底から実感した時に彼に命を奪われその後、魂が彼のものとなってしまうというものだった。私は彼の誘惑に負け、彼と契約を結んだ。私は彼の力によって若返った。活力がみなぎり、身体を再び自由自在に動かせるようになったと実感したときは喜びが湧きあがった。一瞬ハッとしたが幸いそれで死ぬことはなかった。僕は彼の力を使って次々と絶対に叶える事のできない願いを叶えていった。町で評判の娘と恋仲になったり、時空を越えて古代ギリシャの世界に降り立ち、そこで絶世の美女と結ばれたり、皇帝から広い領地を譲り受けたりと好き放題をした。そして私はもらった広い領地で人々が開拓する姿を見て、領地やそこに住む人々の繁栄を頭の中で想像し、心の底から幸福を感じた。すると目の前にメフィストフェレスが現れ、僕の命と魂を奪っていった。僕はそのとき絶望した。これ以上ないくらいの幸福の未来が実感できたのに、僕がそこに立ち会うことができなくなったことがこれ以上ないくらい口惜しく思えたからだ。僕はメフィストフェレスの掌の上でずっと踊らされていたのだ。魂をとられて以来、僕はメフィストフェレスの奴隷、つまり使い魔として彼の元で働くことになったのだ。
 主人の使い魔として働くことになった僕が与えられた仕事は人間から絶望を収穫することだった。満たされない欲を持つ人間と契約を結び、彼らの願いを叶え幸福に導く。その後、彼らが私との約束や警告を無視したり、破ったりすることで彼らに不幸が降りかかり絶望したところに、すかさず現れ絶望を収穫する。余談だが、幸福から不幸に転じる落差が大きければ大きい程、得られる絶望もより上質なものとなるのだ。
 最後に、収穫した絶望を主人に献上する。悪魔にも人間でいうところの酒やタバコのような嗜好品が存在し、それは人間の心からこぼれ出た感情である。人間が心の底から感情が湧きあがったとき心から感情が零れ落ち、それを悪魔は拾い上げ食べている。そして、数ある感情の中で最も品質が高いのが「絶望」という感情なのである。主人はかつての人間時代だった私に契約を持ち掛け絶望を収穫したように、今度は使い魔となった私に同じような手法で人間から絶望を収穫させているのである。
 「さてあの女からできるだけ多くの絶望を回収しなくては・・・」
私も闇夜に自身の身体を溶け込ませ、彼女の様子を監視しに向かった。
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