Phase 03 邪魅の仕業?

文字数 12,273文字

「岩嵜慶太を連れてきました」
 ソリューション事業部のゲートの前で、僕はそう言った。返事をしたのは――藤原誠だった。
「ああ、慶太か。――とにかくこっちに来てくれ」
「分かった」
 当たり前の話だけど、僕も岩嵜慶太の後に付いていく。――行き先はもちろん事件現場である。
「――これはまたド派手にやったな」
「ああ、そうだろう」
「しかし、こんな密室で鳥の嘴のような痕跡が残るのだろうか?」
「確かに、キムさんが殺害されたのは社員の憩いの場で――なおかつ屋外だな。でも、ここはサーバ室という密室環境。どういう理屈なんだろうか」
 2人の会話に、僕も割って入る。
「――予め殺害した上で、遺体を持ち込んだとしたらどうでしょうか?」
 僕の考えに対して、藤原誠がダメ出しをする。
「それだったら、勤務時間の間に気付くべきでしょう。宮原さんは、キムさんとほぼ同時に殺害されたとでも言いたいんですか?」
「そうですよね。――この考えは捨てて下さい」
 正直、宮原武史という人物が殺害されたことによって――事件の犯人は黒い霧の中に消えてしまった。つまり、彼を一連の事件の犯人だと疑っていたので――事件は「振り出しに戻った」と言っても過言ではないだろう。要するに――詰んでいたのだ。
 それでも、僕はあらゆる可能性を考える。一連の事件の犯人は――午後5時30分以降にこの職場に残っていた人間、もしくは化野光雄に対して縁を持つ人間だろうか。仮に、化野光雄に対して縁を持つ人間が犯人だとしたら――一族を疑うべきか。
 金崎夏彦の話が本当だとしたら、化野光雄は吹田でも有数の名家だ。――というか、彼がいなければ今の松島電器は存在していない。それぐらいの財力を持っているのは確かだろう。しかし、その一方で彼に対する黒い噂も存在している。それこそが――「蘇魯阿士徳の会」の信者であるということだ。
 そういえば、「蘇魯阿士徳の会」って――教祖は誰なんだろうか。それが気になった僕は、改めてスマホで「蘇魯阿士徳の会」のサイトを閲覧した。見るべき場所は――「教団について」のページか。
 ページには、教祖の写真がでかでかと貼られていた。なんというか――悪趣味だ。どうやら、教祖の名前は「池口作太(いけぐちさくた)」というらしい。なんか、聞いたことがあるな。どこで聞いたのだろうか? そう思った僕は、池口作太の部分にカーソルを当てて検索することにした。――ああ、つい先日亡くなったのか。そう言えば、彼は民自党と連立政権を組んでいる「公民党」のスポンサーだったな。――そうか。
 仮に――公民党の支持母体が「蘇魯阿士徳の会」だとして、民自党に付け入る隙を狙った結果、時の総理大臣は「蘇魯阿士徳の会」に対して献金せざるを得なかった。だから、時の総理大臣は「蘇魯阿士徳の会」を恨む人間から暗殺されたのか。なんだか、話が大事になってしまったな。もしかしたら――化野光雄を殺害した犯人も、「蘇魯阿士徳の会」を恨む人間なのか。そう思った僕は、阿川刑事に対して質問をした。
「阿川刑事、質問があります」
「卯月さん、どうしたんでしょうか?」
「最近、『蘇魯阿士徳の会』に対する相談はどれぐらい寄せられているんでしょうか?」
「えーっと、僕は専門外というか――部外者なんですが、生活安全課には『教団から詐欺被害に遭った』という相談が相次いでいます」
「詐欺被害? それって昔流行った『霊感商法』みたいなモノでしょうか?」
「ああ、その通りです。これは飽くまでも僕の考えなんですけど、そんな『先祖が祟る』なんてことはあり得ないと思うんですよ。――先祖が祟るぐらいなら、僕はとっくの昔に祟られていますよ」
「――何かあったのでしょうか?」
「僕、こう見えて昔は暴走族でヤンチャしていたんですよ。でも、少年課の警官に怒られてから――『それって悪いことなんだ』って思いました。それから、改心した僕は警官を目指すようになりました。――今から思えば、あの警官がいなければ僕は少年院に行っていたんだと思います」
「要するに、阿川刑事は元ヤン刑事なんですね。――それはともかく、至急生活安全課の方に連絡して下さい」
「どういうことでしょうか?」
「吹田市内で『蘇魯阿士徳の会』から詐欺被害に遭ったという人物を割り出してほしいんです。もしかしたら――何かが分かるような気がするんです」
「ああ! 確かに――吹田市内の中でも、千里ニュータウンは松島電器が整備している住宅地ですよね。それだったら、住宅地の中に松島電器の社員でかつ『蘇魯阿士徳の会』の信者がいてもおかしくない!」
「その通りです。――阿川刑事、飲み込みが早くて助かります」
「いえ、それほどでもないんですけど。――とにかく、生活安全課の方に連絡を取ってみますね」
「ありがとうございます」
 僕は、阿川刑事にそうやって伝えて――一旦そこから踵を返すことにした。
 オートモーティブ部の開発室に戻ると、相変わらず沙織ちゃんがパソコンのキーボードをカタカタとしていた。
「――『カーナビのプログラミングをしている』なんて嘘、吐かなくてもバレている」
「ああ、バレちゃった? それはともかく――私、あれから『蘇魯阿士徳の会』について調べてたのよ」
「そうか。――そういうことだろうと思っていた。それで、何か分かったのか?」
「ええ。教団について色々な事が分かったわよ? 例えば――民自党に対して政治献金を行っていたとか、ある芸能人が有名な信者だとか、ヤクザとも絡んでたとか――そんな所かしら?」
「なるほど。どこまで本当か分からないけど――その話、メモを取らせてくれ」
「良いわよ。ちなみに、私の宗旨はカトリックだから――そんなことで殺人を犯したりしないわよ?」
「ああ。沙織ちゃんがシロなのは分かっている」
 そう言って、僕は沙織ちゃんが調べてくれた情報に対してメモを取ることにした。――本来なら、家からダイナブックを持ってきてメモを取るべきだろうけど、ここは松島電器の社内だ。他社製のノートパソコンを持ってくるなんてご法度である。だから――仕方なくスマホのメールアプリをメモ代わりにした。――メモしたいことは書いたからいいけど。
 しかし、この情報が本当だとしたら――一連の事件の犯人が松島電器の社員とは限らない。まるで、魍魎だ。魍魎は――掴みどころのない存在であり、掴もうと思ってもスルリと逃げてしまう。だから、あの古書肆(こしょし)兼憑き物落としも「魍魎が起こした事件」の解決に苦労していたのか。そして――結果的に彼は「魍魎は落とすモノじゃない」と判断した。なぜなら、魍魎という存在は――「妖怪じゃない」からである。そういえば、『(ぬえ)(いしぶみ)』の前作である『邪魅(じゃみ)(しずく)』に出てきた邪魅も魍魎の類だったか。――邪魅か。京極夏彦の小説じゃないけど、この事件の犯人は――矢張り邪魅の仕業なんだろうか? いや、小説は飽くまでも小説だ。そんな都合の良い展開がある訳ないだろう。この考えは頭の片隅に置いておこう。でも、この事件は――沙織ちゃんが言っていた通り、妖怪の仕業とも受け取れる。――鳥の嘴なら、姑獲鳥(うぶめ)陰摩羅鬼(おんもらき)か。どっちも京極夏彦の小説に出てきた鳥の妖怪だな。――一応、鵼も入るけど。
 鳥の嘴――嘴――あれ? そういえば、昔よく食べていた丸いチョコレート菓子の取り出し口も「クチバシ」と呼んでいたな。あの形状が、チョコレートを出しやすくする構造になっていたか。そして、「クチバシ」には――低確率で天使のイラストが付いている。天使のイラストが付いた「クチバシ」のうち、金の天使なら1枚、銀の天使なら5枚で景品と交換できるとかそんな話だったな。――滅多に見たことなかったけど。――そうか、そういうことだったのか! あの嘴の正体が分かった!
 嘴の正体に気付いた僕は、沙織ちゃんに「あること」を伝えた。
「沙織ちゃん、松島電器のホームページを見てくれ。見るべき場所は――『個人向け製品』のページだ」
「個人向け製品? 一体何かしら?」
「そこに事件解決のヒントが隠されている」
「マジで? ――とりあえず、『個人向け製品』のサイトを開いたわよ」
「それで――『調理機器』のページを見てほしい」
「調理機器ねぇ。――色々な種類があるわね。流石『世界のマツシマ』なだけあるわ。正直、私はそういうモノは管轄外だと思ってたけど。――あっ、そういえば松島電器って、ハンディミキサーである特許を持ってたわね」
「そうだ。あの嘴のような傷痕の正体は――ハンディミキサーの刃だ」
「ああ! なるほど! つまり、犯人は――ホームエレクトロニクス事業部の社員である稲森朱音と言いたいのね」
「そうだ。――飽くまでも僕の推理にすぎないけど、彼女は相手を毒殺した後、ハンディミキサーで遺体に傷を付けたんだ。それは――ゾロアスター教で用いられている『鳥葬』に見立てて遺体を裂傷させた。そして、ハンディミキサーの容器で裂傷した部分を引っ張った。――恐らく、これが一連の事件の遺体の正体だ」
「確かに、クチバシの付いたミキサー容器って――松島電器の特許だわね。あのハンディミキサー、私も持ってるけど――結構重宝(ちょうほう)してるわよ?」
「そうだ。――ちなみに、毒の調合もハンディミキサーで行っているはずだ。ハンディミキサーは使用する度にクリーニングを行わないといけないから、それで証拠隠滅にも繋がっている」
「なるほどねぇ。――結構、いい線行ってんじゃない?」
「僕はこれから推理の結果を阿川刑事に伝えに行くけど――沙織ちゃんも付いてくるか?」
「当然よ。私が持ち込んだ事件だもの」
「そうだ。――それに、沙織ちゃんが側にいてくれないと、僕はなんだか不安なんだ」
「?」
「多分、沙織ちゃんの命が狙われているんじゃないかって思って」
「そんな大袈裟な話、やめてよ」
「まあ、とにかく付いてくるんだ」
「仕方ないわね。――このパソコン、持って行っても良いかしら?」
「ああ、事件の詳細はソリューション事業部で話すから――多分、無線LANは使えるだろう」
「そう。――じゃあ、良いわね」
 こうして、僕は沙織ちゃんを推理ショーの現場へと連れて行くことにした。――別に、それで事件解決の糸口になる訳じゃなかったのだけれど、矢っ張り彼女がいないと不安だった。しかし、僕はもっと早く気付くべきだった。――この事件が、邪魅のような存在によって裏で操られていることに。
「――何か、視線を感じるの?」
「いや、何でもない」
 この時点で、僕と沙織ちゃんは――多分、誰かに目を付けられていたのだろう。恐らく、それがこの事件の元凶たる邪魅の正体なのかもしれない。――いや、ここではアンリ・マユと言うべきか。

 ソリューション事業部に戻ると、阿川刑事が頭を抱えていた。――矢張り、捜査は難航しているのか。
 僕は阿川刑事に対して声をかけた。
「ただいま戻りました」
「ああ、卯月さん。――あれから何か分かったんですか?」
「その通りです。そっちは何か分かりましたか?」
「生活安全課に連絡したところ――吹田市内における『蘇魯阿士徳の会』による詐欺被害の報告は多数ありました。その中でも気になったのが――『化野薫(あだしのかおる)』という女性から寄せられた被害報告でした」
「化野――薫? もしかして、化野光雄と何か関係があるのでしょうか?」
「はい。『化野』という名字の人間って、そんなにいないじゃないですか」
「それはそうですね。――年齢はいくつなんでしょうか?」
「えっと、29歳ですね」
「29歳といえば――私や西川さんとよりも2歳下ですね。年が近いということは、恐らく――薫さんは化野光雄の娘で間違いないでしょう」
「ですよね。――薫さんによると『教団から壺や絵画を買わされて、その額は1000万円にも膨れ上がった』とのことでした」
「――典型的な霊感商法ですね。それはともかく、彼女の所在地は分かるんでしょうか?」
「それが、行方が分かっていないんです。――多分、光雄さんの家が火事に遭ったことによって、巻き込まれたのでしょう」
「まあ、そうやって考えるのが自然ですよね。――そうだ。西川さん、私が話した例のページを開いてほしいです」
「はい、分かりました」
 僕は、沙織ちゃんにハンディミキサーの製品情報ページを開くように伝えた。
「こ、これは――」
 阿川刑事は、びっくりした顔をしている。そして、僕は一連の殺人事件のトリックを説明した。
「これは飽くまでも私の推理にすぎないですが――恐らく、遺体の死因はいずれも毒殺で――なおかつ、ハンディミキサーの刃で遺体に傷を付けています。そして、傷を付けた遺体を仕上げるために――ハンディミキサーの容器で傷口を引っ張った。――これが、鳥葬の傷の正体です」
「なるほど。確かに、この容器は鳥の嘴に似ていますね」
「――ハンディミキサーの開発者インタビューによると『動物園でペリカンが餌を運ぶ様子を見てこの容器のアイデアを思いついた』と書いてあります。なにせ、このハンディミキサーの商品名は――『ペリカンジューサー』ですから」
「ああ! 『ペリカンジューサー』って、最近松島電器の中でも一番の売れ筋商品となっているアレですね! 僕の妻も愛用しています。何でも――生産が追いつかなくて入荷に2ヶ月かかるという話を聞いたことがあります!」
「その通りです。そして、『ペリカンジューサー』の開発者こそ――稲森朱音という社員です」
「でも、彼女を探しにホームエレクトロニクス事業部に行きましたが――返事がありませんでした。それどころか、ホームエレクトロニクス事業部には誰もいませんでした」
「誰もいないんじゃなくて、『全員誰かに殺害された』と言った方が正しいと思います」
「えっ?」
「――そういえば、総務の江口篤子さんからこんなモノを預かっていました」
 そう言って、僕は江口篤子から受け取ったあるモノを制服のポケットから出した。
「それって、マスターキーですか?」
「その通りです。このカードさえあれば、あらゆる事業部を行き来することが出来ますからね。――篤子さんは、多分私が事件を解決しようとしていることを見越してこのマスターキーを託したんでしょう。彼女は総務部の社員ですが――松島電器における総務部は購買部も兼ねています」
「確かに、購買部は各部署において設備や消耗品の販売を行う業務を請け負っていますよね。――だったら、江口さんがマスターキーを持っている理由も納得できます」
「――それじゃあ、ホームエレクトロニクス事業部に行きましょう。もちろん、覚悟はしておいて下さい」
 僕はそう言って、そこにいるみんなをホームエレクトロニクス事業部へと連れて行くことにした。そこで何が待ち受けているのかは――今更言うまでもなかったのだが。
 静寂が、辺りを包んでいる。――あまりの静寂さに、僕の心臓の鼓動が通路に鳴り響きそうだった。どくんどくんと脈を打つその音は、生きている音であり、産まれてくる前に聞こえる原始の音でもあるのだが、実際は――心臓が血液をポンプのように送り出すことによって鳴り響く音らしい。でも、今はその音が早く聴こえる。――所謂、「心臓の鼓動が早鐘を打つ」状態なのだ。それだけ、僕は恐怖に怯えているのか。恐怖心に怯えると――心臓は酸素を欲するのだ。酸素を欲するということは――呼吸も自然と荒くなる。
 息を殺しつつ、僕はマスターキーをホームエレクトロニクス事業部のゲートに翳した。認証が完了したことを確認して、僕たちは部署の中へと入った。
「――稲森さん、いらっしゃいますか?」
 僕は、稲森朱音に対して応答を呼びかけるのだが――当然、誰も声をかけてこない。手遅れか。そう思いながら、開発室のドアを開けた。
 開発室のドアを開けた瞬間に――沙織ちゃんが口を覆った。
「何よ……これ……」
 そこに横たわっていたのは、稲森朱音だったモノ――だけではない。彼女の同僚と思しき人物も横たわっていた。その数、およそ10人だろうか。つまり、ホームエレクトロニクス事業部で――何者かによってハンディミキサーを用いた虐殺が行われたのだ。
 青褪めるみんなを横目に、僕は照明のスイッチを押した。照明が点くことによって――その虐殺の様子は鮮明に見えた。床には血溜まりが出来ていて、壁にはドス黒い血痕が付いていた。そして、何よりも――遺体には、鳥の嘴のような傷痕が無数に付けられていた。恐らく、稲森朱音を殺害した人間は――まだこの社屋の中にいるのだろう。そう思うと、僕は過呼吸を起こしそうだった。こんなことで過呼吸を起こすなんて――情けない。
 沙織ちゃんが、僕を心配して声をかけてきた。
「ウッキー、大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃないかもしれない」
 心臓の鼓動が早くなる。鼓動に合わせて――辺りが点滅する。どくん。どくん。どくん。息が苦しくなる。胸を抑えると――心臓が強く脈を打っていることを感じた。それって――つまりは早鐘を打っているのか。視界が二重に見える。あまりの胸の苦しさに、僕はその場に(うずくま)った。
「――ウッキー、本当に大丈夫なの?」
 多分、沙織ちゃんはそう言ったのだろうけど――そこから先の記憶はあまり覚えていない。覚えていることといえば――僕は阿川刑事に抱えられて、どこかに運ばれたことか。一体、どこに運ばれたのだろうか? ――ああ、光が見える。人間は過呼吸を起こした所で死ねないし、自傷行為で死ぬこともできない。昔、向精神薬の過剰摂取で臨死体験をしたことがあったが――結局、僕は此の世に戻っている。
 でも、これは――死ぬ間際の光なのか。どうせ、僕は天国に行けない。行き着く先は――無間地獄(むけんじごく)だ。
「――ウッキー、何言ってんのよ?」
 目を開けると――そこには心配そうに僕を見つめる沙織ちゃんの姿があった。
「ここはどこなんだ?」
「どこもなにも――オートモーティブ事業部の開発室よ? ――ウッキー、惨殺遺体を見ただけで気絶するタイプだったの?」
 そうか。――僕は過呼吸から気を失って気絶していたのか。確かに、無数の遺体を見たショックで気絶したのなら仕方がない。
「多分――そうだと思う。でも、探偵役であるはずの僕が遺体を見ただけで気絶するなんて――僕は探偵失格なんだろうか」
「そんなことはないと思うわ。――だって、京極堂の相棒だってフラッシュバックを起こして何度も気絶しているじゃないの」
「た、確かにそうだが……」
 京極堂の相棒といえば――関口巽(せきぐちたつみ)か。劇中での彼は精神疾患を抱えた売れない小説家という立場で、『陰摩羅鬼の瑕』においては探偵役でもあったか。――なんだか、僕と境遇が似ているな。もっとも、僕は「ジョン・ドゥ」という名前の覆面作家であり、実際に本を出している訳じゃないのだけれど。
 それはともかく、僕は気を失った後の経緯を沙織ちゃんから聞くことにした。
「そういえば、僕が気絶している間に何があったのか教えてくれないか」
「良いわよ。――とりあえず、阿川刑事はホームエレクトロニクス事業部に残って現場検証をしているところよ。藤原さんと夏彦くんとグエンさんは色々と思う部分を抱えながら一旦帰宅したわ。そして、岩嵜さんなんだけど――ウッキーが気絶したのを見て、何かを思ったみたい」
「何かを思った?」
「ほら、岩嵜さんってウッキーと同じ障がいを抱えているからね。――彼も、彼なりにウッキーを心配しているんだと思う」
「そうか。――勝手にしろ」
「冷たいわね」
「冷たくも何も――僕は人と接するのが苦手だ。そういうモノは、迷惑でしかない」
「なんだか、ウッキーらしいわね。――コホン。それで、これからどうすんのよ?」
「僕は――どうすれば良いのだろうか? 正直、それが分からない」
「そっか。――とりあえず、今日の所はここで一晩過ごしたほうが良いと思う。多分、明日になれば――『新しい何か』が分かるはずよ?」
「新しい何か?」
「うーん、もうちょっと分かりやすく言えば――手がかりとか?」
「手がかりか。――ちょっと待った」
「どうしたのよ?」
「化野薫について調べてくれないか?」
「調べるも何も――どうやって調べんのよ?」
「簡単だ。――CEO室に行くんだ」
「CEO室?」
「ほら、マスターキー」
「ああ、そういえば――マスターキーって、全部の部屋に対応していたわね」
「CEO室があるのは、社屋の最上階――4階だ。もしかしたら、そこに化野薫に関する『何か』が隠されているはずだ」
「今から行くの?」
「行くしかないんだ。――これ以上、弊社で惨劇があってたまるか!」
「そうよね。ここは、ウッキーの言う通りよ。――ほら、行くわよ?」
 沙織ちゃんのお陰で、僕は(ようや)く精神的に回復した。そして――CEO室へと向かうことにした。

 本来、CEO室へと向かうにはエレベーターを利用する。当然だろうか。しかし――就業時間外ということは、エレベーターも停止している。だから、階段を使うしかない。オートモーティブ事業部があるのは3階なので、階段を登るのはそんなに苦労しないはずだった。でも、疲れていたので――いつもよりも足取りは重かった。
「着いたわね」
 沙織ちゃんがそう言うと、僕はすかさずマスターキーをドアの前に翳した。解錠が確認できたところで、僕と沙織ちゃんはCEO室の中へと足を踏み入れた。――なんというか、普通の社長室と対して変わらないな。天井に近い部分には歴代社長の写真がずらりと並んでいるが――矢張り、創業者である松島幸造の笑顔が存在感を醸し出していた。
 松島電器の社是は「楽しく・明るく・朗らかに」だが――毛筆体で書かれたソレは窓際の上に掛けられていた。多分、有名な書道家が書いたのだろう。そして、デスクには――「松島電器 CEO(最高経営責任者) 化野光雄」というプレートが置いてあった。それだけで彼がこの会社のCEOであるということは明確だった。――もっとも、家が火事に遭った時に何者かに殺されてしまったのだが。
 テーブルに置いてあったのはプレートだけではない。――フレームに入った家族の集合写真が置かれていたのだ。多分、これが化野家なのだろう。家族構成は――父親が化野光雄だとして、その妻、そして化野夫妻の娘と息子が1人ずつといったところだった。――娘が化野薫か。そういえば、あの火災の後、化野光雄以外の消息は不明とのことだったな。――どこに行ってしまったのだろうか?
 色々とCEO室を見渡すうちに、沙織ちゃんはあるモノに気付いた。
「ねえ、コレって何だと思う?」
「なんだか、トロフィーみたいなだな。でも――リボンは付いていないな。それに、本来トロフィーに付いているべきモノが付いていない」
「あっ、確かに――大会に関するプレートがないわね」
 プレートのないトロフィーのようなモノは、棚の中に入っていた。一体、なんのためにこんなモノを大事に置いているのだろうか。プレートがないということは別に、彼が何かの大会で優勝した訳ではなさそうだ。
 気になったのはそれだけじゃない。異国の言葉で書かれた書物が――本棚の中に入っていたのだ。英語じゃなければハングル文字でもない。況してや、欧州諸国の言葉でもない。これは――アラビア文字か。そういえば、ゾロアスター教の発祥の地はペルシャ地方だったか。そうなるとこれは――アラビア文字よりももっと古い文字なのだろうか。
 難解な書物に目を通していると――僕はCEO室に対してある「違和感」を覚えた。その「違和感」は、僕の心臓の鼓動を段々と早くさせる。なんというか――空気が重い。
 あまりの空気の重さに堪えられず、僕は沙織ちゃんに対して疑問を投げかけた。
「沙織ちゃん、この部屋――なんだかおかしくないか?」
「おかしいって、何がよ?」
「突然で申し訳ないが、ゾロアスター教って――どういう教義か知っているか?」
「そうねぇ。――『光と闇』とか『善と悪』とか、そういう二元論の元に成り立ってるわね。それがどうしたのよ?」
「少し前に『アフラ・マズダー』と『アンリ・マユ』の話をしたのは覚えているか?」
「『アフラ・マズダー』が唯一神で、『アンリ・マユ』は邪神とかそういう話?」
「そうだ。その中でアフラ・マズダーは『MAZDA』と綴るって話はしたよな」
「そういえば、そんな話をしていたわね。――松田重工の社名の由来かしら? でも、松田重工ってサンブレイズ広島の母体よね。広島の企業が、どうして関係あんのよ?」
「――化野光雄は、元々松田重工のCEOだったんだ」
「ってことは――松島電器には『出向』ってカタチで来たわけ?」
「出向というか、経営の建て直しだろう。ここで問題だ。松田重工の車に搭載されているカーナビのメーカーは知っているか?」
「えっ、富士山通信工業じゃないの?」
「残念。富士山通信工業のカーナビが搭載されているのは愛知にあるヤマト自動車だ。ちなみに、ヤマト自動車は――名古屋グランバルの母体企業だ」
「グランバルって、今年の天皇杯優勝チームよね?」
「流石沙織ちゃん。サッカーにはとことん詳しいな」
「えへへ。――まあ、その時の対戦相手がアントリオンだったってのもあるけど。試合結果は2対0でグランバルの勝ちだったわね。こっちとしては悔しかったわよ」
「コホン。それはともかく、松田重工の車に搭載されているのは松島電器のカーナビだ。――言いたいことは分かるな?」
「もしかして、松島電器のオートモーティブ事業部って――松田重工のグループ企業だったの?」
「正解だ」
「じゃあ、もしかして化野CEOは松島電器を乗っ取るために松田重工から――」
「もう、そこから先の説明はいらないだろう」
 化野光雄は、松島電器が所持していた技術を盗もうと思って松田重工から出向してきた。僕はそう考えた。――彼が盗もうと思っていた技術は、単にオートモーティブ事業部の技術だけじゃなさそうだ。
「それと、もう一つ質問がある」
「何よ?」
「化野家は、ある家系の子孫だと言われている。それは何か分かるか?」
「急にそんな事言われても――分かんないわよ」
「まあ、そういうリアクションになるのは想定済みだったけどな。――ここで沙織ちゃんにヒントだ。中国におけるゾロアスター教は、化学を応用してある職業に発展していった。これで分かるだろう」
「もしかして、錬金術師?」
「ああ、ほぼ正解にしておこう。ゾロアスター教が東アジア諸国に伝承した結果、中国における錬金術――つまり、仙術に発展していったんだ。ちなみに、ゾロアスター教が欧州諸国へとした結果生まれたのが占星術師に錬金術師だ。ほら、錬金術を指す『Alchemy』という単語を思い浮かべてみろ。ここで言う『Al~』とは、『アラビアの~』という意味を持つ。ついでに言えば、『Alcohol』もそうだ」
「ああ、『アルコール』は知ってたわよ。――確か、社会科の宮本温先生が教えてくれたんだっけ」
「2年4組の宮本先生か。――懐かしいな」
「そうね。あの頃に戻れたらいいのに……」
「そんなこと、どこかのヤンキーみたいにタイムリープ能力を持っていなければ無理だろ」
「――ウッキー、意外とそういう漫画読むのね」
「読んでて何が悪い。とはいえ、『Alchemy』とはアラビア語で『Al-kimīa』と書く。そして、ここで言う『kimīa』とは、ギリシャ語で『khumeíā』――つまり、『合金を作る技術』から来ているんだ。もっとも、そういうモノは『Chemistry』の発展に伴って廃れてしまったのだけれど」
「『Chemistry』って、要するに『科学』ね。――あっ、もしかして、化野家ってそういう錬金術の家系だったの?」
「正解だ! 僕、沙織ちゃんから事件の解決を依頼された時にあることに気付いたんだ」
「あること?」
「化野とは『ばけの』ではなく『あだしの』と読む。元々の由来は『儚い』とか『無常』とかそういう意味を持つ『化』に、墓を表す『野』という文字がくっついて『無常の墓』――というか、そこから転じて『墓地』とか『火葬場』とかそういう意味を持つようになった」
「あれ、ちょっと待って? ゾロアスター教って『拝火教』って名前が付いているぐらいだから火葬はタブーよね?」
「そうだ。――沙織ちゃん、『火車』という妖怪はもちろん知っているよな?」
「知ってて当然よ。私を何だと思ってんの?」
「――京極夏彦の大ファン」
「それはどうでもいいからさ、化野家の正体について引っ張らずに直球ストレートで言ってよ」
「仕方ないな。化野家は、ゾロアスター教とは正反対にある――カバラの家系だ」
「カ、カバラ!? カバラって、ユダヤ教におけるオカルティズムの核心よね?」
「そうだ。――僕が覚えた違和感の正体は、この絨毯の模様にある」
 そう言って、僕は絨毯の床を指さした。そこにあったのは、ヘブライ語で書かれたカバラの紋様――すなわち、「生命の樹」だった。
「じゃあ、さっきから錬金術がどうのこうの言っていたのって――」
「そうだ。化野家は――日本における錬金術師の生き残りだよ」
「え? 錬金術師って科学の発展と共に廃れたはずじゃ――」
「どうやら、廃れてなかったみたいだ」
 僕は、高鳴る心臓の鼓動を抑えつつ――デスクの引き出しを開けた。
 そこに入っていたのは、小さな瓶詰めの胎児――即ち、ホムンクルスのような「何か」だった。
 瓶詰めの人造人間を手に取った瞬間、後ろの方で女性の声が聞こえた。
「――この家の秘密を見たわね」
 僕は、その女性に対して声をかけた。
「残念だけど、見させてもらった。――いい加減、白状したらどうだ?」
 当然だけど、女性は抵抗する。――彼女の手には、件のハンディミキサーが握られている。
「しないわよ。――白状するぐらいなら、あなたたちを殺すわ」
「そうか。残念だな。でも――刑事さんならこの社屋の中にいるから、あなたを殺人の罪で逮捕しようと思ったらいつでも出来る。それでもいいのか? ――化野薫さん」
 化野薫を前にして、沙織ちゃんは意外な言葉を発した。
「えっ、この女性が化野薫さんなの?」
「沙織ちゃん、そうだ」
 日本人形のように切り揃えられた黒い前髪。まるで病人のような白い肌。僕たちを嘲笑う魔性の顔。そして――腕に付いた自傷行為による無数の傷痕。それこそが、この事件におけるアンリ・マユ――即ち、化野薫という女性の正体だった。
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