第1話

エピソード文字数 2,370文字

しょうらいのゆめ  一年一組 丸屋恵那
 
 わたしのしょうらいのゆめはお母さんになることです。

「将来の夢」をお題に作文を書かされると、決まってそう書く子供だった。母の影響だと思う。
 父は私がお腹にいた頃に仕事中の事故で亡くなっていて、母は一人で私を育ててくれた。
 多分、溺愛されていた。仕事が忙しかったろうに誕生日や学校行事の時はなるだけ一緒にいてくれたし、私がいじめられていたのを知った時には相手の家に乗り込んで怒ってくれた。
 私は母にべったりで、いつしか「お母さんみたいなお母さん」になることを夢見るようになっていた。学校の先生とか婦警さんとかパティシエとか「就きたい職業」は割ところころ変わっても、一番の夢は「お母さん」。
 いわゆる恋バナというのを周囲がしだす頃、友達に「どういう男子が好き?」と聞かれたら迷わず「赤ちゃんの好きな人」と答えた。小六で「お付き合いするなら結婚を視野に入れて」「子供は三人くらい欲しい」なんて語る私に他の子は引いていたかも知れない。

 そんな夢を、私は一度諦めている。中学一年の冬、病に罹ったのだ。
 急性骨髄性白血病。
 映画やドラマで使われるせいか、「不治の病」のイメージがあった。告知を受けた時は絶望感でいっぱいになったけど、幸いすぐに骨髄移植のドナーが見つかった。
 ただ、移植手術の前段階で行う放射線治療や抗がん剤投与には多くの副作用があり、代表的なものとして高確率で不妊になってしまう。その上、手術を受けても五年生存率は五十パーセント以下。告知を受けた日には「死にたくない」と泣いた私が、今度は「もう死んじゃいたい」と泣きわめいた。
 そんな私を励ましてくれたのはやっぱり母だった。

「子供ができなくたって仲良しの夫婦なんて世の中たくさんいるのよ」
「退院したらね、どこでも連れてってあげる。ディズニーランドでもシーでも、あと新しい映画やるでしょ、ほらあの、ゲームのやつ。見に行こう。海外旅行でもいいわよ。お母さんも長いお休み取るから」
「生きてればいいことは絶対あるの。えっちゃんは絶対幸せになれるから。だから死んじゃダメ。死んだら損、ね」

 その言葉を受けて私は手術を受け、成功と言える結果が出たのだった。
 やはり月経は止まってしまったし、寛解を迎えた後も数年間再発や合併症に怯える日々を送ることになったけれど、母が一番近くで支えてくれた。
 児童福祉に携わる仕事に就こうと決めたのは高校生の時だ。自分が子供を持てなくても、他の子たちが成長する手助けはしたかったから。それで今は大学で幼児教育を専攻、夢に向かって人並みくらいにはがんばっている、と思う。
 だけどまさか。

「妊娠、なさってますね」

 川越先生に告げられ、数秒言葉を失う。
 私が寝ている診察ベッドのすぐ隣に設置された超音波診断装置、その液晶画面には私の子宮内の画像がリアルタイムで映し出されている。画面左下の、膜に包まれた楕円状の黒い影をペンで指すと、先生は優しい声で私に説明した。

「こっちが胎嚢ね。まだ小さくてわからないけど、中ではもう赤ちゃんが育ち始めてるんですよ」妊娠八週前後でしょう、と。
「あり得ないですっ」

 反射的に起き上がり、否定する。ほとんど叫びに近く、声は引きつっていた。
 川越先生からなだめるような調子で隣に行きましょうと言われ、私たちは隣の診察室で問診に移る。
 全体に柔らかい雰囲気の空間だ。デスク脇の棚にはベビー服姿のティディベアと小鉢のサボテン。患者用のスツールにはクッションも敷いてあった。デスクには小さなバスケットが置かれていて、色とりどりのキャンディが詰まっている。

「お一つ、どう?」
「いらない、です」

 どれも患者をリラックスさせるための配慮なんだろう。今の私には、自分の焦りを茶化されているようで不愉快だった。

「私骨髄移植受けてて、生理も何年もなくて、だから無理なんです赤ちゃん」
「機能不全になった卵巣が後で回復するってケースは珍しくないわ。性行為をなさっていれば、丸屋さんが自然妊娠なさる可能性は十分――」
「したことありません」

 男性と付き合ったことも、そういう状況になったこともない。少なくとも自覚する限りでは。妊娠する可能性がもともとない。ないはずなのだ。

「それが本当なら、たしかに考えられないことだけれど……」
「本当、本当ですっ……信じてください」
「ええ、信じる、信じます」

 絶対に信じてない、懇願しながら私は思っていた。『この子は妊娠を認められなくて無茶な嘘をついている』――私だって自分のことじゃなきゃそう思うに決まってる。でも本当。本当だ。
 そして本当だから、身に覚えがないから、一体なぜ妊娠したのかという話になる。

「私……じゃあ、あの、あの子……」

 実は思い当たることがないではない。全く現実的な話じゃないけど、因果関係を見出だせることがたった一つ。それこそを恐れていた。妊娠なんかしていないと言って欲しかった。
 精度九十九パーセント以上の妊娠検査薬で陽性反応が出ても受け入れられず、間違いだと証明してもらうために産婦人科(ここ)へ来たのだ。そうしたらこれだ。じゃあ、認めざるを得ないのか、私にはあれが――。

「はぁーーっ、はぁーーっ……」

 知らず知らず、過呼吸のようになっていた。さっきまで以上に動機が激しい。全身が悪寒に包まれ、ガタガタと震える。

「丸屋さん、楽にしなさいな。息をゆっくり吐いて」

 落ち着けるわけがない。今すぐ嘔吐や失神でもしそうな心地で、けれどそうはならず、私の脳裏にはあの日から今日までのことが蘇ってきていた。
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登場人物紹介

丸屋恵那(まるや えな)


大学で幼児教育を専攻する女子大生。

子供を持つことに強い憧れがあるが、過去の白血病治療で自然妊娠は難しい体。

しかし、処女のまま突如として妊娠するところから物語は始まる。

相川愛(あいかわ まな)


恵那のバイト先の児童養護施設へボランティアに訪れる女性。

生まれつきの霊感のために親から虐待を受けた過去があり、基本的に親を嫌っている一方で里親の二人には愛情を抱いており、施設の子供たちにも優しい。

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