第一話 空も快晴
文字数 11,050文字
2012年の今日、晴れて高校二年生になった。空も快晴。
こんな日は、やはり胸が高鳴る。「何か新しいことが起きるのでは!?」とか「生まれ変わったかのように、立派な自分になれるのでは!?」といった希望が湧いてくるものだ。そんな日だった。しかし、そんな夢は夢で終わった。始業式はもちろん、文理によるクラス分けも、とくに目新しいことは無かった。文系選択者の知っている奴と、知らない奴が同じクラスにいる。ただ、それだけのことだった。
俺は座席表で指定された窓際の席に座り、下ろし立ての二年生用の教科書を読むフリをして、空を眺めて時間を過ごした。平地の続く先、遠くにそびえ立つ低山・東部岳(とうぶだけ)は春の日差しと陽気を遮ってはおらず、雪の断片が微かに見える頂のバックには扁平雲が広がっている。春の訪れの遅い東北にも春を感じさせる、心地良い日差しと陽気が空を創っている日和だ。
我ながら影が薄いほうなので、会話という会話は少なく、一年のときに同じクラスだった奴らから話かけられることもあったが、あるところまで話が弾んでからはとくに会話は続かず、また空を眺めた。
そうやって、新年度一日目の学園生活が終わった。
放課後のチャイムとともに、「部活だー!」という声が響きあう。「部活めんどくせー!」。そう言っている奴も、嬉しそうな表情を浮かべている。
ここには青春は無い。
それを再確認しながら、愛用のショルダーバッグを担ぐ。ちょうどそのとき、自分(五十嵐和将)を呼ぶ声に気がついた。
「がっちゃーん!」
廊下から、文芸部部長の海北芳太朗(ヨッシー)と軽音学部部長の波多野理樹(リッキー)がこちらに声をかけている。
「おっ、一年部長コンビが来たぞ。ってか、もう二年部長コンビか」という声が、クラスのどこからか聞こえた。ヨッシーもリッキーも、事情により一年生のときから部長を務めている希有な境遇のため、ちょっとした有名人だ。
「写真部部長は、部長会に呼ばれてる?」
そのヨッシーの悪ふざけには答えず、俺は二人に歩み寄りながら逆に質問を投げかけた。
「お前らはこれから部長会だよね?」
「ああ、行きたくないけど、年度始めの決まりだからな」
苦笑いしながらも、持ち前の嫌味の無い表情でリッキーが答える。
「俺ら以外は三年生しかいないから、気まずいんだよなあ。とにかく、ってことだから、今日は部室に集まれないから」
ヨッシーは不貞腐れてそう言いながら、メガネを掛け直した。
「わかった、先に帰るわ。二人ともお疲れさん、また明日」
「明日は部室な~」
二人に手を振りながら生徒用玄関へ向かって歩み始めたタイミングで、ヨッシーとリッキーが声を揃えた。たったこれだけのやりとりだったが、今日初めてまともな会話をしたような気分になり、その感覚を自分でもおかしく感じつつも、なんだかホッとした。
俺たち三人の言う「部室」とは、軽音学部の部室のことで、吹奏楽部棟の二階の片隅にある、窓際に置かれた長机と電子ピアノとパイプ椅子以外に目ぼしいものの無い、物置部屋のことでもある。言わずもがな、そんな部屋で部がまともに機能しているはずがない。
もともと、軽音学部は機材を豊富に揃えた立派な部室を所有していたのだが、所属上級生数人によるそこでの飲酒騒ぎのせいで、学校側に活動場所を剥奪されてしまった。活動場所とは、彼らの聖域だった部室だけでなく、晴れ舞台である文化祭のステージも含んでおり、無期限の謹慎処分を言い渡されたも同義である。おかげで、前述の謹慎部屋と呼ぶに相応しい部室を与えられ廃部こそ免れたものの、イメージの悪さも相まってその人気はダダ下がり。「ピアノが弾ければそれで良い」という変わり者のリッキーしか部員がいなくなり、彼が部長を務めるほかなくなった。
ちなみに、機材は全て吹奏楽部に引き渡されることになったのだが、その際にリッキーが「自分が弾きたいから」という魂胆の聞こえを良くして、「せめてこれが無いと、軽音学部として機能しない!」と電子ピアノだけを死守したという経緯がある。それだけあったところで、お世辞にも軽音学部とは呼べないのだが……
そんな部室は、居心地の良さもあって、今や俺ら三人のたまり場と化している。高校生が「校内のたまり場」なんて言うと、いかにも「秘密の隠れ家」らしい心躍る響きだが、実態はそんなサンクチュアリからは程遠く、傍から見れば何をしているのかわからない、陰湿な集まりに見えていることだろう。
さて、そんな隠れ家に今日はお邪魔できないわけだし、帰宅部の俺は大人しく帰るほかあるまい。部活動に沸く同胞たちを横目に、その熱気に負けじといそいそと駐輪場に歩みを進めた。部室に行けないのは残念だが、春休みにヨッシーたちとゲーセンに行った際に、「部長会があって、その日は部室に行けないかもしれない」という話は聞いていたので、想定内の立ち振る舞いだ。
自分の愛車であるボロボロのシティサイクルを見つけて、鍵を挿し、スタンドを蹴り上げてシートに座る。シートが日差しで温められているのがわかった。
校門を抜けると、バスケ部の面々が駅(我らが学び舎・県立常勝丘高等学校の前にある無人駅「高校前駅」を指す)への道を占領していた。今日は部長会の都合で活動が無かったのかもしれない、この時間に帰り道で見かけたのは初めてだ。しかし、おかげでチャリを止めて思いとどまる羽目になってしまった。これは想定外……
顔ぶれには知り合いも何人かいるため、その中を割って帰るのは気まずいし、何より我が校のバスケ部のあのバイタリティーありきのノリにはどうも馴染めない。しかし、市街のほうにある我が家に帰るには、この駅方面への道を通り、国道に出なければいけないのも事実。途方に暮れて、立ち往生している自分。自転車に跨っているのに、ただそこに突っ立っているのはなんとも滑稽だ。その自覚があるからこそ、とにかくチャリを走らせたかった。
そのとき、授業中に空とともに飽きるほど眺めていた東部岳が思い浮かんだ。
「あっちから帰ってみるか……」
心の中で独り言を呟きながら、校庭のほうに向きなおり、搬入車両用の古びた裏門を思い出す。あの裏門を通って、線路を越えた東部岳方面に行ければ、国道を通らずに我が家にゴールできるかもしれない。大木の木陰になっていて、その存在すら知る者も少ない小さな裏門だが、複数クラス合同の美術の授業でそこを描いたため、馴染みはあった。
その写生会の日は、東北のとくにこの一帯の夏にしか味わえない、身体の芯から火照るような蒸し暑さで、校庭から写生対象を選ぶという課題の足取りは重かった。そういった経緯でフラフラとしていたところ、その大木を見つけた。
何の木かはわからないが、とても存在感があった。それは、その大きさや、立派な立ち姿ではなく、空間そのものだった。常勝丘高校の敷地内はどこも日当たりがよく、日の傾きによって校舎の裏側が少し陰になるくらいだが、ここは違う。木陰のおかげで全体的に薄暗く、まるで別世界だ。そして、なぜか心が安らぐ場所でもある。
日陰で涼しいという魅力が絶大なため、それに気づいた様子の四、五人が既にそこを拠点としており、自分もその算段に漏れずに大木を描くことにした。ちなみに、大木を描いた作品が美術室で乾かされているのを後日見たが、自分の作品を含め、全作品とも心地良い暗さの青(藍とも言える)を基調とした涼しげな作品に仕上がっていた。
とにかく進みたい焦りから、そんな記憶を甦らせつつ、チャリの足取りは既にその裏門を抜けようとしていた。裏門を抜けた先は、何の記憶も無い、未知の領域だ。そもそも、こちらを通って東部岳方面に行けるのかすらわからない。ただ、新学期初日から未開の道の開拓に乗り出したこの高揚感のおかげで、迷いは無い。
裏門を抜けた先には、家ほどの大きさの小さな倉庫や工場が線路沿いに並んでいた。遠目からはコインランドリーと思った一軒は、それと同規模のクリーニング工場らしく、開け放しのドアから風に乗って流れてくるのは、おばちゃんたちの談笑と、塩素系の匂いだ。
そんな、いかにも田舎らしい細道を進んでいくと、幅が三十メートルほどの小川にあたった。道はT字路になっており、線路だけが鉄道橋によって続いている。正面にポツンと佇むバス停の右を見ると、川沿いの舗装された一本道が、カンカンと音を鳴らす踏切とクロスしていた。
「よしっ!」
自分の目論見が成功しそうだという安心感から、思わずガッツポーズ混じりの言葉がこぼれた。恥ずかしくなって慌てて周囲を見渡すも、自分以外には誰もいないし、踏切の音、そして高校方面から迫ってきた電車の音で独り言はかき消されただろう。その轟音が、爽やかな風とともに目の前を通り過ぎる。さっきのバスケ部の集団が後ろの車両に乗っているのが見え、「もし自分がチャリ通学ではなく、電車通学だったら……」という思いとともに、つくづくチャリ通で良かったと感じた。
電車が遠くなり、風が止んで踏切が開く。線路の向こう側には、そびえ立つ東部岳をバックに、広大な田園風景が広がっている。一本道は、川沿いを続く緑道と、先の集落に向かって伸びる二車線がやっとの車道に枝分かれしていた。
ふと後ろを振り返ると、川は河口と呼ぶに相応しく、すぐ先には鮮やかな光と潮の香りを漂わせる海が広がっている。その手前を横切っているのは、海沿いに伸びる国道、つまり辿ればいつもの帰り道に直結だ。しかしもちろん、心は完全に新たな帰り道の開拓に踊っていた。
前を向き、アスファルトを軽快に蹴って、留守だったほうのペダルに足を掛ける。空は相変わらず快晴。この空気を感じて帰れば、気持ちまで晴れそうな日和だ。
「さあ、冒険の始まりだ!」
そう心で呟き、前進を始めた。
Y字路を左に曲がり、川沿いの並木道を進む。こちらに針路をとったのは、右のほうの道路は広がる田んぼを突っ切っており、絶景に違いないが、景色の変化が乏しいのも考えように思えたからだ。そのうちに、チャリが木陰に入る。
並木道の入り口に「東部川緑道」と書かれた看板が立っていたので、左を流れるこの川は、東部川という名前で間違いなさそうだ。東部岳しかり、こちら一帯は東部と呼ばれているのかもしれない。そんなことを頭の片隅で思案し進みながらも、目は周囲の広葉樹(ナナカマドだろうか?)に奪われる。ときおり吹くそよ風に葉が揺れて、木漏れ日がキラキラと顔を出す。そのときだけ、木陰が明るさを得る。
さっきの踏切でのひと時とのコントラストもあってか、まったく静かだ。川のせせらぎ、葉の擦れる音、鳥の鳴き声、チャリの音、自分の息遣い…… 全てが鮮明に聞こえる。電車は上り下りとも一時間に一本のため、踏切の音もそのペースということは、ここの大半の時間はこの静けさに包まれているということになる。ついさっきの放課後の部活に沸く喧騒の記憶すら、いつの間にか遠くに消えていることに気がついた。
誰ともすれ違うこと無く、道を進む。土か石畳かよくわからない煤けた道が続いていて、時折、左右のどちらかに、手入れこそしてありそうだがくたびれたベンチがある。そのうちに、道が下り坂になり、木々の無い土手下の開けた道に出た。川と道を遮るものが無くなったため、川の煌めきが目に飛び込んでくる。十人十色の雲が織りなす空も、再び姿を現した。
休憩がてら、路肩でチャリのスタンドを立てて、川に歩み寄ってみる。水辺の低い七段のブロックを降り、深いところでも腰までしかなさそうな水中を覗いた。穏やかな流れのなかで、派手ではないが色鮮やかな細長い魚たちが、 思い思いに泳いでいる。ハヤと呼ぶのが適当かもしれない(本当は、「雑草」という言い方と同じで、己の知識不足により一括りにした言葉選びは不本意だが、川魚には明るくないので致し方ないとここは通すことにした)。
ふと、柄でもなく水中に手を入れてみたくなり、指先で波紋を描く。春とはいえ雪解け水で冷たいが、この陽気と自転車を漕いで少し汗ばんだ身体に、さらさらとした水流が心地良い。
そのとき、水面を辿って見ていた川上に、誰かがいるのに気がついた。この風光明媚な光景に溶け込む、遠目からでも艶がわかる長い黒髪の女子が、スケッチブックのようなものを手にブロックに座っている。制服からして、うちの高校の生徒だ。いや、待てよ? 見覚えが…… そうか、写生会で!
他のクラスで名前は知らないが、そのロングヘアしかり、スラっとした端麗な容姿が印象的だったため、覚えている。彼女は写生会で、自分よりも先に裏門の大木を描いていた一人だ。まさに、この川辺の空間の趣のような、飾らない、心落ち着く気品を纏っている。風流とでも言い表せそうだ。手際良く、それでいて大らかに手を動かしている。写生会での記憶とその素振りが重なるため、恐らく絵を描いているのだろう。
どんな絵を描いているのか気になったが、すぐに我に返った。向こうはこちらに気づいていないが、それにしたって絵を描いているところをまじまじと見られるのは、気分の良いものじゃない。そもそも向こうからすれば、見つめられていたら気味が悪いはずだ。慌ててチャリに飛び乗り、右を見た。土手を上がる道は無いが、上がれないこともない。焦りを胸に、一度乗ったチャリから降りて、手で押して土手を越えた。
今、二つの感情が入り混じっている。一つは、女子を遠くから見続けていた気恥ずかしさ。もう一つは、自分が開拓したつもりでいた帰り道に先駆者がいたという、何とも言えない悔しさだ。この悔しさを上手く言葉にするのは至難だが、誰しもがこの立場になれば湧き起こる感情に違いないと、自信をもって言い切れる気がした。
目前には田んぼが広がっており、踏切を越えて二手に分かれていたうちの、もう一方の道が少し先を横切っている。視界に佇むものといえば、その道の向こう側にある一本の木に、こぢんまりとした鳥居、そしてその奥の、古いのか新しいのかよくわからない何かの建物だけだ。太いあぜ道を見つけ、そこから車道に入る。正面の東部岳が、自然と目に入った。
決して大きな山ではないが、田に囲まれたここから見る景色ではその存在感は見過ごせず、「あの向こう、先の世界にもずっと山々が続いているんじゃないか?」という気にさえなる。と、同時に、四方田んぼの中心にポツンといる自分のスケールと比較してしまい、我が身が取るに足らない存在に思えた。そんな内省を他所に、東部岳は当たり前だが何も語らず、晴れ空によりその山肌をくっきりと見せながら、麓の集落を静謐に見守っている。この光景からは、誰だって東部岳が世界の大半に思えるに違いない。
気がつけば、右手の鳥居と建物は既に後ろで、見えていた集落が近づいてくる。点在する民家がその一帯を形作っており、田舎を体現したような風景だ。
辺りを見回すと、左手に東部川からの道がある。恐らく、さっきの川沿いの道を進んでいれば、ここにたどり着いたのだろう。黒髪の女子のことがよぎったが、目線はすぐに、正面の一軒家に釘付けになり、チャリを止めた。
「絵の具を塗りたくった」という表現が至極しっくりとくる、太陽のようなものを描いた大きなキャンバスが二枚、玄関前に立てかけてある。その衝撃的な光景に、思わず息を飲んでしまう。どうやら、描きたての絵の具を乾かしているようだ。端々に、光を反射する艶が見てとれる。
何の絵なんだ? どちらの絵も、光の波紋のようなものが幾十にも重ねられている。そもそも、何も描いていない? 抽象画ってやつか? その玄関前の光景は、不自然ではあるが空間と一体に感じられ、違和感は無い。
思わず見入っていたところで、川辺のときと同じ感覚が訪れた。人の家の前で足を止めて、ジロジロとそこを覗くなんて、側から見れば不審者極まりない。理性を取り戻すや否や、慌ててチャリのペダルを踏み込んだ。
針路を我が家の方角にとる。そのうちに、美味そうな焼き立てのパンの香りが周囲を包み始めた。大きな道に入る曲がり角の手前に、「ボンジュール」という看板を掲げたパン屋がある。こぢんまりとした、それこそ焼き上がったばかりのパンのような暖色を帯びた佇まいで、年季で少しくすんだ窓から、美味そうなパンが色とりどりに並んでいるのが見てとれる。
「旅の戦利品の一つにしよう」
そう心に決め、店の前の段差に沿ってチャリを停めた。入り口の扉を開けると、カロンコロンという音とともに、「いらっしゃいませー」というおばちゃん店員の声が店内に響いた。「そういえば、この集落に入って初めて人を見たんじゃないか?」と気づく。
外観とはうって変わって、中はすっきりとした明るさがあり、その清潔感によりパンが一段と美味そうに見える。とりわけ、「チーズクリームパン」というプレートの列に並べられたパンに食欲をそそられたため、トングで掴んでトレイに乗せた。代金とともにおばちゃんに差し出すと、オーバーではないが、口角がわかりやすく上がった笑顔で「はーい」と言われ、袋に詰めてもらえた。
満足気にカランコロンと店を後にし、集落の外れを伸びる大きな道路までチャリを進ませる。これまでの道のりと違って車の往来があり、決して多い台数ではないが、少し騒がしく感じられる。道路が貫く田んぼの先には、自由が丘住宅群が見える。自由が丘住宅群は新興のベッドタウンで、俺とヨッシーの母校である常中(市立常勝丘中学校)がある。そして、その向こうにある常勝丘川を越えて少しのところが、我が家だ。
またまだ距離はあるが、冒険の終わりが見えてきたため、少し寂しい気持ちになった。ふと、これまで来た道のほうを振り返る。少し日が暮れてきたが、東部岳は相変わらず鮮明で壮大だ。まるで誰かに操られているかのように、そしておもむろにカバンからカメラを取り出す。カメラと言っても大層なものではなく、五千円ほどのコンパクトデジカメだ。しかし、風景写真好きな自分にとっては愛用品に変わりない。シャッターを切って、東部岳と暮れる空を同時に切り抜いた。それとともに、先ほどのチーズクリームパンを頬張る。
川にいた女子といい、画廊のような家といい、黙って見ることを世間は許してくれない。その点、自然は良いなと改めて感じた。いくら傍観しても咎められず、時間を忘れて眺めていられる。そして、誰のものでもないからこそ、「自分だけに特別なメッセージを与えてくれているんじゃないか?」という感覚にさせてくれる。強いて気になるのは、そういう自分に対する世間体だけかもしれない。まあ、かく言うも、俺は風景写真を撮っているところを不審に思われたら、常勝丘高校にありもしない写真部を名乗り言い訳するつもりなのだが…… ちなみに、ヨッシーとリッキーにそのことを話してから「写真部部長」と揶揄されるようになったのは、自業自得と言える。
そんな考え事のうちに、最後の一かけらも咀嚼。チーズクリームパンは、遮るもののない平地を吹く東部岳からの温かな春風を受け、何かかけがえのない味に感じられた。
パンの包装を捨てたいので、ゴミ箱を求めて、コンビニかスーパーを探しつつ歩道を進む。正面に見えていたそこそこの大きさの建物が近づいてきたので、上部の看板を見ると、「浅草書店」と書かれている。どうやら、ロードサイドの中規模書店らしい。長閑な郊外とあって、ただでさえ広い駐車場は数台しか埋まっていない。入り口脇の自販機の横に、燃えるゴミ用のゴミ箱が見えたので、チャリの針路をそこに向けた。
ゴミをゴミ箱に入れ、窓越しにそれとなく店内を見る。新たな帰り道に心躍っていたこともあって、どうしようもない冒険心を掻き立てられていることに気がついた。とくに探している本も無いが、ゴミを捨てに訪れたのも良い機会(という表現が正しいかわからないが)かもしれない。自販機近くの駐輪スペースに愛車を停める。夕日が店の窓に反射して、少し目を細めた。
自動ドアをくぐると、白を基調とした店内には低い棚が並んでおり、正面には文庫本と漫画本の新刊が積み重なっている。左に向かって伸びる長方形の店内は、新刊コーナーの奥がビジネス書の棚で、雑誌、文芸書、漫画、児童書と左に棚が続く。壁沿いは全て専門書の棚のようだ。店内に流れている控えめなイージーリスニングが、なんともこの清楚な空気感にマッチしている。
本屋を訪れたときのルーチンに徹し、まずは雑誌コーナーからカメラ雑誌を探す。すぐに『風景写真』の美しい表紙が目に留まり、パラパラとめくった。どのページも記憶にある。どうやら、以前どこかの本屋で立ち読みをしてから、まだ新刊が出ていないらしい。次に、文芸書の棚に移動し、平積みに目を運ぶ。知らない作家の作品がずいぶんとプッシュされている。鮮やかな油絵の表紙も気になり、思わずその一冊を手に取った。たまたま開いたページの書き出しが「ペンギンショーの最中によ、主役のペンギン二匹が交尾を始めちゃってさ」で、思わず顔がニヤける。
「これ、どういう話なんだ?」
そう思い裏表紙を見ようとしたが、その瞬間、違う欲求に支配され、即座に本を元の位置に戻した。なぜ、本屋で立ち読みをしていると、いつも大きいのがしたくなるのだろうか? 謎の便意の方程式に、俺は翻弄される運命にあるのかもしれない。そんなことを考えながら辺りを見回していると、レジにいる店員のお兄さんと、本棚越しに目が合った。向こうは不思議そうな顔をしている。俺はというと、その気まずさと便意から、思わず「トイレの場所は……」と口を動かしてしまった。もちろん声は発していないが、不穏な空気に変わりない。しかし、店員さんは平静を乱しておらず、スッと児童書コーナーの横を指差した。向くと、奥まったところに、青と赤の人型がある。
「店員さんありがとう!」
そう心で声をあげ会釈をしながらも、体は既に青の人型へと向かっていた。入ると、小便器と大便器がそれぞれ二つずつあり、奥の個室へと早足で駆け込む。「カウントダウンにはまだ早い」、それくらいの余裕をもって、便座に腰を下ろすことができた。他に誰もいない、イージーリスニングだけがほのかに聞こえるトイレで、神聖なひとときが流れる。誰に聞かれることも無いとわかったので、はばからずに深呼吸をした。目の前のドアの取手を見つめる。
店自体は新しくなさそうだが、トイレは言うこと無しに綺麗だ。まるで、造り立ての風格さえある。清潔な輝きを放つ洋式便器は、便座の温め機能こそ無いが、ウォシュレットが付いており、学校のトイレと比べればこの上ない。
「このトイレの快適さの味をしめたら、誰だって学校のトイレは使えまい」
そう思った。そんなことを考えていたら、冷たかった便座が、いつの間にか自分の体温で温まっている。ウォシュレットのスイッチを入れ、生の喜び的な刺激を感じながら、また深呼吸をした。ふとケータイを見ると、メールが届いている。
「部長会終わったけど、まだ学校の近くにいたりする?」
ヨッシーからだ。「離れた本屋のトイレにいる」とだけ書いて、返信する。
洗った手をハンカチで拭きながらトイレを出ると、また店員のお兄さんと目が合った。すかさず会釈をする。店員さんは「俺は何も見てなかったぜ?」と言わんばかりの素振りで、ビジネスライクに会釈を返してきた。ヒョロっとした人当たりの良さそうな外見とは裏腹に、クールな人だ。生理現象でスッキリとした快感、そして店員さんの対応に感慨にふけった満足感で、店を後にした。
日が沈み、そこまで眩くないはずの自由が丘住宅郡の明かりが映えてくる。気づけば、チャリのオートライトが点灯していた。田んぼ一色だった道の両端に、だんだんと建物が並んでくる。東部岳方面から自由が丘住宅群に入るのは初めてで、見慣れた土地に知らない道から入るのは、新鮮さ、そして無いはずの慣れが混在していた。
「ここの道に繋がるのか!」
思わず、そう感嘆の声をあげたくなった。中学時代に寄り道をしていたコンビニを通り過ぎる。すれ違う歩行者がちらほら現れるようになった。学校帰りの中学生も散見される。もう少し左に行けば、母校だ。馴染みのホームグラウンドのため、チャリは迷い無く進む。
常勝丘川が見えてきた。架かる橋を渡ってすぐの住宅街の一角に、我が家がある。三時間ほどの今日の放課後の旅が、もうすぐ終わる。橋への信号待ちで、後ろを振り返った。東部岳はもう闇に影を浮かべるだけだが、月はハッキリと輝いている。橋を渡って角を曲がり、通りから一本入ったところにある、明かりの灯った二階建ての一軒家の前にチャリを停める。我が家だ。
そこからは、いつもどおり夕飯を食べ、家族と会話を交わしながらバラエティ番組を観て、風呂に入り、宿題を済ませた。
真夜中とまではいかないが、明かりが点々としか灯っていない静かな夜に、常勝丘川を望めるルーフバルコニーでリラックスするのが、春から秋にかけての楽しみだ。愛用の一人掛けのガーデンチェアの表面をさっと手で払ってから、身体を預ける。木製のチェアは冷たいが、今日という日の心地良さが勝っている。空を見た。さっきの三日月が高くに佇み、遠くに黒くそびえる東部岳の輪郭を際立たせている。
今日を振り返り、長くも短くもない、不思議な一日だったと感じた。授業の記憶は、もちろん何を勉強したかは覚えているが、それ以外は残っていない。放課後の記憶だけが鮮明だ。
ヨッシーとリッキーは部長会を上手くやっただろうか? もしかしたら、部長会が終わってから二人で部室に行ったかもな。もしバスケ部軍団の中をチャリで割っていたらどうなっていただろう? 川沿いの道をずっと進んだらどんな景色だったんだろう? あの女子は何であんなところにいたんだ? そういえば田んぼの中にあった建物は何なのか。東部岳に向かう道は風が気持ち良かったな、爽やかな匂いがした。あの家の前に飾ってあった絵には何が描かれていたんだ? あのパン屋のパン、全種類制覇したいな。本屋は何から何まで快適だった。こんどから帰り道でトイレがしたくなったらあそこに行こう。そういえばペンギンの交尾の本はなんてタイトルだっけ? こんどあそこで買うか。あの女子って、いま思い出すと結構可愛かったな。ますますあそこにいた理由が気になる。
様々な光景がさっきのことのように、目の前に甦る。いつもの帰り道がつまらないわけではない。一人で帰るときは、カメラを出しては国道沿いの海を切り取るし、部室帰りにヨッシーとリッキーと行くいつものハンバーガーショップやショッピングセンターも楽しい。しかし、今日は何もかもが違った。新しい世界を目に、そしてカメラに収めることができた。
さすがに寒くなってきたので、部屋に入り布団に潜った。ふと、カバンに入れっぱなしだったカメラを思い出す。布団から出てカメラを取り出し起動すると、そこには、さっき思い返したままの東部岳と春の空が写っている。あのチーズクリームパンの香りがした気がした。
「今日は帰り道のことを夢に見そうだ」
もうすぐ終わる今日という日、そして帰り道を恋しく思いながら、カメラをカバンにしまい、布団に入り目覚ましを七時にセットした。
こんな日は、やはり胸が高鳴る。「何か新しいことが起きるのでは!?」とか「生まれ変わったかのように、立派な自分になれるのでは!?」といった希望が湧いてくるものだ。そんな日だった。しかし、そんな夢は夢で終わった。始業式はもちろん、文理によるクラス分けも、とくに目新しいことは無かった。文系選択者の知っている奴と、知らない奴が同じクラスにいる。ただ、それだけのことだった。
俺は座席表で指定された窓際の席に座り、下ろし立ての二年生用の教科書を読むフリをして、空を眺めて時間を過ごした。平地の続く先、遠くにそびえ立つ低山・東部岳(とうぶだけ)は春の日差しと陽気を遮ってはおらず、雪の断片が微かに見える頂のバックには扁平雲が広がっている。春の訪れの遅い東北にも春を感じさせる、心地良い日差しと陽気が空を創っている日和だ。
我ながら影が薄いほうなので、会話という会話は少なく、一年のときに同じクラスだった奴らから話かけられることもあったが、あるところまで話が弾んでからはとくに会話は続かず、また空を眺めた。
そうやって、新年度一日目の学園生活が終わった。
放課後のチャイムとともに、「部活だー!」という声が響きあう。「部活めんどくせー!」。そう言っている奴も、嬉しそうな表情を浮かべている。
ここには青春は無い。
それを再確認しながら、愛用のショルダーバッグを担ぐ。ちょうどそのとき、自分(五十嵐和将)を呼ぶ声に気がついた。
「がっちゃーん!」
廊下から、文芸部部長の海北芳太朗(ヨッシー)と軽音学部部長の波多野理樹(リッキー)がこちらに声をかけている。
「おっ、一年部長コンビが来たぞ。ってか、もう二年部長コンビか」という声が、クラスのどこからか聞こえた。ヨッシーもリッキーも、事情により一年生のときから部長を務めている希有な境遇のため、ちょっとした有名人だ。
「写真部部長は、部長会に呼ばれてる?」
そのヨッシーの悪ふざけには答えず、俺は二人に歩み寄りながら逆に質問を投げかけた。
「お前らはこれから部長会だよね?」
「ああ、行きたくないけど、年度始めの決まりだからな」
苦笑いしながらも、持ち前の嫌味の無い表情でリッキーが答える。
「俺ら以外は三年生しかいないから、気まずいんだよなあ。とにかく、ってことだから、今日は部室に集まれないから」
ヨッシーは不貞腐れてそう言いながら、メガネを掛け直した。
「わかった、先に帰るわ。二人ともお疲れさん、また明日」
「明日は部室な~」
二人に手を振りながら生徒用玄関へ向かって歩み始めたタイミングで、ヨッシーとリッキーが声を揃えた。たったこれだけのやりとりだったが、今日初めてまともな会話をしたような気分になり、その感覚を自分でもおかしく感じつつも、なんだかホッとした。
俺たち三人の言う「部室」とは、軽音学部の部室のことで、吹奏楽部棟の二階の片隅にある、窓際に置かれた長机と電子ピアノとパイプ椅子以外に目ぼしいものの無い、物置部屋のことでもある。言わずもがな、そんな部屋で部がまともに機能しているはずがない。
もともと、軽音学部は機材を豊富に揃えた立派な部室を所有していたのだが、所属上級生数人によるそこでの飲酒騒ぎのせいで、学校側に活動場所を剥奪されてしまった。活動場所とは、彼らの聖域だった部室だけでなく、晴れ舞台である文化祭のステージも含んでおり、無期限の謹慎処分を言い渡されたも同義である。おかげで、前述の謹慎部屋と呼ぶに相応しい部室を与えられ廃部こそ免れたものの、イメージの悪さも相まってその人気はダダ下がり。「ピアノが弾ければそれで良い」という変わり者のリッキーしか部員がいなくなり、彼が部長を務めるほかなくなった。
ちなみに、機材は全て吹奏楽部に引き渡されることになったのだが、その際にリッキーが「自分が弾きたいから」という魂胆の聞こえを良くして、「せめてこれが無いと、軽音学部として機能しない!」と電子ピアノだけを死守したという経緯がある。それだけあったところで、お世辞にも軽音学部とは呼べないのだが……
そんな部室は、居心地の良さもあって、今や俺ら三人のたまり場と化している。高校生が「校内のたまり場」なんて言うと、いかにも「秘密の隠れ家」らしい心躍る響きだが、実態はそんなサンクチュアリからは程遠く、傍から見れば何をしているのかわからない、陰湿な集まりに見えていることだろう。
さて、そんな隠れ家に今日はお邪魔できないわけだし、帰宅部の俺は大人しく帰るほかあるまい。部活動に沸く同胞たちを横目に、その熱気に負けじといそいそと駐輪場に歩みを進めた。部室に行けないのは残念だが、春休みにヨッシーたちとゲーセンに行った際に、「部長会があって、その日は部室に行けないかもしれない」という話は聞いていたので、想定内の立ち振る舞いだ。
自分の愛車であるボロボロのシティサイクルを見つけて、鍵を挿し、スタンドを蹴り上げてシートに座る。シートが日差しで温められているのがわかった。
校門を抜けると、バスケ部の面々が駅(我らが学び舎・県立常勝丘高等学校の前にある無人駅「高校前駅」を指す)への道を占領していた。今日は部長会の都合で活動が無かったのかもしれない、この時間に帰り道で見かけたのは初めてだ。しかし、おかげでチャリを止めて思いとどまる羽目になってしまった。これは想定外……
顔ぶれには知り合いも何人かいるため、その中を割って帰るのは気まずいし、何より我が校のバスケ部のあのバイタリティーありきのノリにはどうも馴染めない。しかし、市街のほうにある我が家に帰るには、この駅方面への道を通り、国道に出なければいけないのも事実。途方に暮れて、立ち往生している自分。自転車に跨っているのに、ただそこに突っ立っているのはなんとも滑稽だ。その自覚があるからこそ、とにかくチャリを走らせたかった。
そのとき、授業中に空とともに飽きるほど眺めていた東部岳が思い浮かんだ。
「あっちから帰ってみるか……」
心の中で独り言を呟きながら、校庭のほうに向きなおり、搬入車両用の古びた裏門を思い出す。あの裏門を通って、線路を越えた東部岳方面に行ければ、国道を通らずに我が家にゴールできるかもしれない。大木の木陰になっていて、その存在すら知る者も少ない小さな裏門だが、複数クラス合同の美術の授業でそこを描いたため、馴染みはあった。
その写生会の日は、東北のとくにこの一帯の夏にしか味わえない、身体の芯から火照るような蒸し暑さで、校庭から写生対象を選ぶという課題の足取りは重かった。そういった経緯でフラフラとしていたところ、その大木を見つけた。
何の木かはわからないが、とても存在感があった。それは、その大きさや、立派な立ち姿ではなく、空間そのものだった。常勝丘高校の敷地内はどこも日当たりがよく、日の傾きによって校舎の裏側が少し陰になるくらいだが、ここは違う。木陰のおかげで全体的に薄暗く、まるで別世界だ。そして、なぜか心が安らぐ場所でもある。
日陰で涼しいという魅力が絶大なため、それに気づいた様子の四、五人が既にそこを拠点としており、自分もその算段に漏れずに大木を描くことにした。ちなみに、大木を描いた作品が美術室で乾かされているのを後日見たが、自分の作品を含め、全作品とも心地良い暗さの青(藍とも言える)を基調とした涼しげな作品に仕上がっていた。
とにかく進みたい焦りから、そんな記憶を甦らせつつ、チャリの足取りは既にその裏門を抜けようとしていた。裏門を抜けた先は、何の記憶も無い、未知の領域だ。そもそも、こちらを通って東部岳方面に行けるのかすらわからない。ただ、新学期初日から未開の道の開拓に乗り出したこの高揚感のおかげで、迷いは無い。
裏門を抜けた先には、家ほどの大きさの小さな倉庫や工場が線路沿いに並んでいた。遠目からはコインランドリーと思った一軒は、それと同規模のクリーニング工場らしく、開け放しのドアから風に乗って流れてくるのは、おばちゃんたちの談笑と、塩素系の匂いだ。
そんな、いかにも田舎らしい細道を進んでいくと、幅が三十メートルほどの小川にあたった。道はT字路になっており、線路だけが鉄道橋によって続いている。正面にポツンと佇むバス停の右を見ると、川沿いの舗装された一本道が、カンカンと音を鳴らす踏切とクロスしていた。
「よしっ!」
自分の目論見が成功しそうだという安心感から、思わずガッツポーズ混じりの言葉がこぼれた。恥ずかしくなって慌てて周囲を見渡すも、自分以外には誰もいないし、踏切の音、そして高校方面から迫ってきた電車の音で独り言はかき消されただろう。その轟音が、爽やかな風とともに目の前を通り過ぎる。さっきのバスケ部の集団が後ろの車両に乗っているのが見え、「もし自分がチャリ通学ではなく、電車通学だったら……」という思いとともに、つくづくチャリ通で良かったと感じた。
電車が遠くなり、風が止んで踏切が開く。線路の向こう側には、そびえ立つ東部岳をバックに、広大な田園風景が広がっている。一本道は、川沿いを続く緑道と、先の集落に向かって伸びる二車線がやっとの車道に枝分かれしていた。
ふと後ろを振り返ると、川は河口と呼ぶに相応しく、すぐ先には鮮やかな光と潮の香りを漂わせる海が広がっている。その手前を横切っているのは、海沿いに伸びる国道、つまり辿ればいつもの帰り道に直結だ。しかしもちろん、心は完全に新たな帰り道の開拓に踊っていた。
前を向き、アスファルトを軽快に蹴って、留守だったほうのペダルに足を掛ける。空は相変わらず快晴。この空気を感じて帰れば、気持ちまで晴れそうな日和だ。
「さあ、冒険の始まりだ!」
そう心で呟き、前進を始めた。
Y字路を左に曲がり、川沿いの並木道を進む。こちらに針路をとったのは、右のほうの道路は広がる田んぼを突っ切っており、絶景に違いないが、景色の変化が乏しいのも考えように思えたからだ。そのうちに、チャリが木陰に入る。
並木道の入り口に「東部川緑道」と書かれた看板が立っていたので、左を流れるこの川は、東部川という名前で間違いなさそうだ。東部岳しかり、こちら一帯は東部と呼ばれているのかもしれない。そんなことを頭の片隅で思案し進みながらも、目は周囲の広葉樹(ナナカマドだろうか?)に奪われる。ときおり吹くそよ風に葉が揺れて、木漏れ日がキラキラと顔を出す。そのときだけ、木陰が明るさを得る。
さっきの踏切でのひと時とのコントラストもあってか、まったく静かだ。川のせせらぎ、葉の擦れる音、鳥の鳴き声、チャリの音、自分の息遣い…… 全てが鮮明に聞こえる。電車は上り下りとも一時間に一本のため、踏切の音もそのペースということは、ここの大半の時間はこの静けさに包まれているということになる。ついさっきの放課後の部活に沸く喧騒の記憶すら、いつの間にか遠くに消えていることに気がついた。
誰ともすれ違うこと無く、道を進む。土か石畳かよくわからない煤けた道が続いていて、時折、左右のどちらかに、手入れこそしてありそうだがくたびれたベンチがある。そのうちに、道が下り坂になり、木々の無い土手下の開けた道に出た。川と道を遮るものが無くなったため、川の煌めきが目に飛び込んでくる。十人十色の雲が織りなす空も、再び姿を現した。
休憩がてら、路肩でチャリのスタンドを立てて、川に歩み寄ってみる。水辺の低い七段のブロックを降り、深いところでも腰までしかなさそうな水中を覗いた。穏やかな流れのなかで、派手ではないが色鮮やかな細長い魚たちが、 思い思いに泳いでいる。ハヤと呼ぶのが適当かもしれない(本当は、「雑草」という言い方と同じで、己の知識不足により一括りにした言葉選びは不本意だが、川魚には明るくないので致し方ないとここは通すことにした)。
ふと、柄でもなく水中に手を入れてみたくなり、指先で波紋を描く。春とはいえ雪解け水で冷たいが、この陽気と自転車を漕いで少し汗ばんだ身体に、さらさらとした水流が心地良い。
そのとき、水面を辿って見ていた川上に、誰かがいるのに気がついた。この風光明媚な光景に溶け込む、遠目からでも艶がわかる長い黒髪の女子が、スケッチブックのようなものを手にブロックに座っている。制服からして、うちの高校の生徒だ。いや、待てよ? 見覚えが…… そうか、写生会で!
他のクラスで名前は知らないが、そのロングヘアしかり、スラっとした端麗な容姿が印象的だったため、覚えている。彼女は写生会で、自分よりも先に裏門の大木を描いていた一人だ。まさに、この川辺の空間の趣のような、飾らない、心落ち着く気品を纏っている。風流とでも言い表せそうだ。手際良く、それでいて大らかに手を動かしている。写生会での記憶とその素振りが重なるため、恐らく絵を描いているのだろう。
どんな絵を描いているのか気になったが、すぐに我に返った。向こうはこちらに気づいていないが、それにしたって絵を描いているところをまじまじと見られるのは、気分の良いものじゃない。そもそも向こうからすれば、見つめられていたら気味が悪いはずだ。慌ててチャリに飛び乗り、右を見た。土手を上がる道は無いが、上がれないこともない。焦りを胸に、一度乗ったチャリから降りて、手で押して土手を越えた。
今、二つの感情が入り混じっている。一つは、女子を遠くから見続けていた気恥ずかしさ。もう一つは、自分が開拓したつもりでいた帰り道に先駆者がいたという、何とも言えない悔しさだ。この悔しさを上手く言葉にするのは至難だが、誰しもがこの立場になれば湧き起こる感情に違いないと、自信をもって言い切れる気がした。
目前には田んぼが広がっており、踏切を越えて二手に分かれていたうちの、もう一方の道が少し先を横切っている。視界に佇むものといえば、その道の向こう側にある一本の木に、こぢんまりとした鳥居、そしてその奥の、古いのか新しいのかよくわからない何かの建物だけだ。太いあぜ道を見つけ、そこから車道に入る。正面の東部岳が、自然と目に入った。
決して大きな山ではないが、田に囲まれたここから見る景色ではその存在感は見過ごせず、「あの向こう、先の世界にもずっと山々が続いているんじゃないか?」という気にさえなる。と、同時に、四方田んぼの中心にポツンといる自分のスケールと比較してしまい、我が身が取るに足らない存在に思えた。そんな内省を他所に、東部岳は当たり前だが何も語らず、晴れ空によりその山肌をくっきりと見せながら、麓の集落を静謐に見守っている。この光景からは、誰だって東部岳が世界の大半に思えるに違いない。
気がつけば、右手の鳥居と建物は既に後ろで、見えていた集落が近づいてくる。点在する民家がその一帯を形作っており、田舎を体現したような風景だ。
辺りを見回すと、左手に東部川からの道がある。恐らく、さっきの川沿いの道を進んでいれば、ここにたどり着いたのだろう。黒髪の女子のことがよぎったが、目線はすぐに、正面の一軒家に釘付けになり、チャリを止めた。
「絵の具を塗りたくった」という表現が至極しっくりとくる、太陽のようなものを描いた大きなキャンバスが二枚、玄関前に立てかけてある。その衝撃的な光景に、思わず息を飲んでしまう。どうやら、描きたての絵の具を乾かしているようだ。端々に、光を反射する艶が見てとれる。
何の絵なんだ? どちらの絵も、光の波紋のようなものが幾十にも重ねられている。そもそも、何も描いていない? 抽象画ってやつか? その玄関前の光景は、不自然ではあるが空間と一体に感じられ、違和感は無い。
思わず見入っていたところで、川辺のときと同じ感覚が訪れた。人の家の前で足を止めて、ジロジロとそこを覗くなんて、側から見れば不審者極まりない。理性を取り戻すや否や、慌ててチャリのペダルを踏み込んだ。
針路を我が家の方角にとる。そのうちに、美味そうな焼き立てのパンの香りが周囲を包み始めた。大きな道に入る曲がり角の手前に、「ボンジュール」という看板を掲げたパン屋がある。こぢんまりとした、それこそ焼き上がったばかりのパンのような暖色を帯びた佇まいで、年季で少しくすんだ窓から、美味そうなパンが色とりどりに並んでいるのが見てとれる。
「旅の戦利品の一つにしよう」
そう心に決め、店の前の段差に沿ってチャリを停めた。入り口の扉を開けると、カロンコロンという音とともに、「いらっしゃいませー」というおばちゃん店員の声が店内に響いた。「そういえば、この集落に入って初めて人を見たんじゃないか?」と気づく。
外観とはうって変わって、中はすっきりとした明るさがあり、その清潔感によりパンが一段と美味そうに見える。とりわけ、「チーズクリームパン」というプレートの列に並べられたパンに食欲をそそられたため、トングで掴んでトレイに乗せた。代金とともにおばちゃんに差し出すと、オーバーではないが、口角がわかりやすく上がった笑顔で「はーい」と言われ、袋に詰めてもらえた。
満足気にカランコロンと店を後にし、集落の外れを伸びる大きな道路までチャリを進ませる。これまでの道のりと違って車の往来があり、決して多い台数ではないが、少し騒がしく感じられる。道路が貫く田んぼの先には、自由が丘住宅群が見える。自由が丘住宅群は新興のベッドタウンで、俺とヨッシーの母校である常中(市立常勝丘中学校)がある。そして、その向こうにある常勝丘川を越えて少しのところが、我が家だ。
またまだ距離はあるが、冒険の終わりが見えてきたため、少し寂しい気持ちになった。ふと、これまで来た道のほうを振り返る。少し日が暮れてきたが、東部岳は相変わらず鮮明で壮大だ。まるで誰かに操られているかのように、そしておもむろにカバンからカメラを取り出す。カメラと言っても大層なものではなく、五千円ほどのコンパクトデジカメだ。しかし、風景写真好きな自分にとっては愛用品に変わりない。シャッターを切って、東部岳と暮れる空を同時に切り抜いた。それとともに、先ほどのチーズクリームパンを頬張る。
川にいた女子といい、画廊のような家といい、黙って見ることを世間は許してくれない。その点、自然は良いなと改めて感じた。いくら傍観しても咎められず、時間を忘れて眺めていられる。そして、誰のものでもないからこそ、「自分だけに特別なメッセージを与えてくれているんじゃないか?」という感覚にさせてくれる。強いて気になるのは、そういう自分に対する世間体だけかもしれない。まあ、かく言うも、俺は風景写真を撮っているところを不審に思われたら、常勝丘高校にありもしない写真部を名乗り言い訳するつもりなのだが…… ちなみに、ヨッシーとリッキーにそのことを話してから「写真部部長」と揶揄されるようになったのは、自業自得と言える。
そんな考え事のうちに、最後の一かけらも咀嚼。チーズクリームパンは、遮るもののない平地を吹く東部岳からの温かな春風を受け、何かかけがえのない味に感じられた。
パンの包装を捨てたいので、ゴミ箱を求めて、コンビニかスーパーを探しつつ歩道を進む。正面に見えていたそこそこの大きさの建物が近づいてきたので、上部の看板を見ると、「浅草書店」と書かれている。どうやら、ロードサイドの中規模書店らしい。長閑な郊外とあって、ただでさえ広い駐車場は数台しか埋まっていない。入り口脇の自販機の横に、燃えるゴミ用のゴミ箱が見えたので、チャリの針路をそこに向けた。
ゴミをゴミ箱に入れ、窓越しにそれとなく店内を見る。新たな帰り道に心躍っていたこともあって、どうしようもない冒険心を掻き立てられていることに気がついた。とくに探している本も無いが、ゴミを捨てに訪れたのも良い機会(という表現が正しいかわからないが)かもしれない。自販機近くの駐輪スペースに愛車を停める。夕日が店の窓に反射して、少し目を細めた。
自動ドアをくぐると、白を基調とした店内には低い棚が並んでおり、正面には文庫本と漫画本の新刊が積み重なっている。左に向かって伸びる長方形の店内は、新刊コーナーの奥がビジネス書の棚で、雑誌、文芸書、漫画、児童書と左に棚が続く。壁沿いは全て専門書の棚のようだ。店内に流れている控えめなイージーリスニングが、なんともこの清楚な空気感にマッチしている。
本屋を訪れたときのルーチンに徹し、まずは雑誌コーナーからカメラ雑誌を探す。すぐに『風景写真』の美しい表紙が目に留まり、パラパラとめくった。どのページも記憶にある。どうやら、以前どこかの本屋で立ち読みをしてから、まだ新刊が出ていないらしい。次に、文芸書の棚に移動し、平積みに目を運ぶ。知らない作家の作品がずいぶんとプッシュされている。鮮やかな油絵の表紙も気になり、思わずその一冊を手に取った。たまたま開いたページの書き出しが「ペンギンショーの最中によ、主役のペンギン二匹が交尾を始めちゃってさ」で、思わず顔がニヤける。
「これ、どういう話なんだ?」
そう思い裏表紙を見ようとしたが、その瞬間、違う欲求に支配され、即座に本を元の位置に戻した。なぜ、本屋で立ち読みをしていると、いつも大きいのがしたくなるのだろうか? 謎の便意の方程式に、俺は翻弄される運命にあるのかもしれない。そんなことを考えながら辺りを見回していると、レジにいる店員のお兄さんと、本棚越しに目が合った。向こうは不思議そうな顔をしている。俺はというと、その気まずさと便意から、思わず「トイレの場所は……」と口を動かしてしまった。もちろん声は発していないが、不穏な空気に変わりない。しかし、店員さんは平静を乱しておらず、スッと児童書コーナーの横を指差した。向くと、奥まったところに、青と赤の人型がある。
「店員さんありがとう!」
そう心で声をあげ会釈をしながらも、体は既に青の人型へと向かっていた。入ると、小便器と大便器がそれぞれ二つずつあり、奥の個室へと早足で駆け込む。「カウントダウンにはまだ早い」、それくらいの余裕をもって、便座に腰を下ろすことができた。他に誰もいない、イージーリスニングだけがほのかに聞こえるトイレで、神聖なひとときが流れる。誰に聞かれることも無いとわかったので、はばからずに深呼吸をした。目の前のドアの取手を見つめる。
店自体は新しくなさそうだが、トイレは言うこと無しに綺麗だ。まるで、造り立ての風格さえある。清潔な輝きを放つ洋式便器は、便座の温め機能こそ無いが、ウォシュレットが付いており、学校のトイレと比べればこの上ない。
「このトイレの快適さの味をしめたら、誰だって学校のトイレは使えまい」
そう思った。そんなことを考えていたら、冷たかった便座が、いつの間にか自分の体温で温まっている。ウォシュレットのスイッチを入れ、生の喜び的な刺激を感じながら、また深呼吸をした。ふとケータイを見ると、メールが届いている。
「部長会終わったけど、まだ学校の近くにいたりする?」
ヨッシーからだ。「離れた本屋のトイレにいる」とだけ書いて、返信する。
洗った手をハンカチで拭きながらトイレを出ると、また店員のお兄さんと目が合った。すかさず会釈をする。店員さんは「俺は何も見てなかったぜ?」と言わんばかりの素振りで、ビジネスライクに会釈を返してきた。ヒョロっとした人当たりの良さそうな外見とは裏腹に、クールな人だ。生理現象でスッキリとした快感、そして店員さんの対応に感慨にふけった満足感で、店を後にした。
日が沈み、そこまで眩くないはずの自由が丘住宅郡の明かりが映えてくる。気づけば、チャリのオートライトが点灯していた。田んぼ一色だった道の両端に、だんだんと建物が並んでくる。東部岳方面から自由が丘住宅群に入るのは初めてで、見慣れた土地に知らない道から入るのは、新鮮さ、そして無いはずの慣れが混在していた。
「ここの道に繋がるのか!」
思わず、そう感嘆の声をあげたくなった。中学時代に寄り道をしていたコンビニを通り過ぎる。すれ違う歩行者がちらほら現れるようになった。学校帰りの中学生も散見される。もう少し左に行けば、母校だ。馴染みのホームグラウンドのため、チャリは迷い無く進む。
常勝丘川が見えてきた。架かる橋を渡ってすぐの住宅街の一角に、我が家がある。三時間ほどの今日の放課後の旅が、もうすぐ終わる。橋への信号待ちで、後ろを振り返った。東部岳はもう闇に影を浮かべるだけだが、月はハッキリと輝いている。橋を渡って角を曲がり、通りから一本入ったところにある、明かりの灯った二階建ての一軒家の前にチャリを停める。我が家だ。
そこからは、いつもどおり夕飯を食べ、家族と会話を交わしながらバラエティ番組を観て、風呂に入り、宿題を済ませた。
真夜中とまではいかないが、明かりが点々としか灯っていない静かな夜に、常勝丘川を望めるルーフバルコニーでリラックスするのが、春から秋にかけての楽しみだ。愛用の一人掛けのガーデンチェアの表面をさっと手で払ってから、身体を預ける。木製のチェアは冷たいが、今日という日の心地良さが勝っている。空を見た。さっきの三日月が高くに佇み、遠くに黒くそびえる東部岳の輪郭を際立たせている。
今日を振り返り、長くも短くもない、不思議な一日だったと感じた。授業の記憶は、もちろん何を勉強したかは覚えているが、それ以外は残っていない。放課後の記憶だけが鮮明だ。
ヨッシーとリッキーは部長会を上手くやっただろうか? もしかしたら、部長会が終わってから二人で部室に行ったかもな。もしバスケ部軍団の中をチャリで割っていたらどうなっていただろう? 川沿いの道をずっと進んだらどんな景色だったんだろう? あの女子は何であんなところにいたんだ? そういえば田んぼの中にあった建物は何なのか。東部岳に向かう道は風が気持ち良かったな、爽やかな匂いがした。あの家の前に飾ってあった絵には何が描かれていたんだ? あのパン屋のパン、全種類制覇したいな。本屋は何から何まで快適だった。こんどから帰り道でトイレがしたくなったらあそこに行こう。そういえばペンギンの交尾の本はなんてタイトルだっけ? こんどあそこで買うか。あの女子って、いま思い出すと結構可愛かったな。ますますあそこにいた理由が気になる。
様々な光景がさっきのことのように、目の前に甦る。いつもの帰り道がつまらないわけではない。一人で帰るときは、カメラを出しては国道沿いの海を切り取るし、部室帰りにヨッシーとリッキーと行くいつものハンバーガーショップやショッピングセンターも楽しい。しかし、今日は何もかもが違った。新しい世界を目に、そしてカメラに収めることができた。
さすがに寒くなってきたので、部屋に入り布団に潜った。ふと、カバンに入れっぱなしだったカメラを思い出す。布団から出てカメラを取り出し起動すると、そこには、さっき思い返したままの東部岳と春の空が写っている。あのチーズクリームパンの香りがした気がした。
「今日は帰り道のことを夢に見そうだ」
もうすぐ終わる今日という日、そして帰り道を恋しく思いながら、カメラをカバンにしまい、布団に入り目覚ましを七時にセットした。