第1話 ロリババア病の少女たち

文字数 2,740文字

「若い執事さん、朝ご飯まだなんですか?」

「えっ?」

 僕に訊かれても。相手は知り合って二時間ほどの女の子。おまけに、朝十時すぎ。
 どうしたものか。返しに困っていたら。

「執事さん、朝ご飯のアップルパイおいしかったです。私もう食べられません」

 なんと……。
 僕、伊藤結人(ゆうと)は絶句する。
 彼女、神凪(かんなぎ)小夜(さよ)さんの発言があまりにも飛びすぎていて。

「あははは」

 笑って誤魔化すしかなく。

「んくぅぅっ」

 小夜さんは呻き声を発し、天井を仰ぎ見る。
 腰まで伸びた黒髪がパサリと揺れた。彼女は乱れた髪に、手で櫛を入れる。洗練された大和撫子だった。

 ああ、綺麗だな。
 僕は彼女の仕草に見とれてしまう。

 神凪小夜。僕と一緒に高校に入学したばかりの女の子。

 さらさらの黒髪は丹念に手入れされていて、フローラルな芳香が漂っている。
 やや白い肌の色。細い眉。つぶらな澄んだ濡羽色(ぬればいろ)の瞳。鼻は控えめな高さ。
 口は物を食べられることが信じられないくらい小さい。なのに、桜色の唇はぷっくらしている。

 歴史に名を残した絵師さんが、モデルに使いたくなるほどの和風美人だった。
 殺風景な教室にいても、彼女がいれば華やかになる。

「私、とうに朝ご飯もいただきましたし、そろそろ学校に行きますね。お車の手配をお願いします」

 小夜さんは椅子から立ち上がる。
 三人しかいないこともあり、広々とした教室。パイプ椅子がギィと、虚しい音を鳴らした。

 制服のブラウスが上下に揺れ、つい目で追ってしまう。
 制服を押し上げる双丘。ふんわりとしたプリンのよう。
 微笑を浮かべる薄幸の少女は、天使のように純粋だった。

 こんな子がロリババア病の患者だなんて。
 彼女の奇想天外な発言は意味不明な病気のせいらしい。といっても、さっき説明を受けたばかり。僕もよく知らない。

 ただ、論理性を欠いた言動を笑い飛ばすことはできなくて。
 亡くなったおばあちゃんの面影を彼女に重ねてしまい、むしろ苦しくなる。

「ぬしよ、見とれるのはいいが、止めなくていいのかえ?」

 小夜さんの隣にいた金髪少女に話しかけられた。
 小夜さんは教室を出ようと、ドアの前にいたのだ。

「小夜さん。僕と一緒に学校へ行こうね」

「健一さん。なにをおっしゃってるのですか。ここは学校ですよ」

 慌てて彼女の前に行った僕に、小夜さんは何食わぬ顔で言う。

 学校に行こうとしてた子は誰だっけ? それに僕、健一じゃなくて、結人だよ。
 病気のせいだと知りつつも、思わず心の中で突っ込んでしまった。反省する。

 金髪少女、天道(てんどう)美紅(みく)ちゃんは、腹を抱えて笑う。

 ツインテールの髪がピョコピョコ揺れた。
 小柄な少女は机の上に乗り、仰々しく腰に手を当てる。

 ほどよく日焼けした肌は健康そのもの。くるくる表情が変わり、太めの眉も上がったり、下がったり。
 ぱっちりしたイエロートパーズの瞳からは意志の強さが漂っている。百戦錬磨の大人のようだった。

 Tシャツ、短パンで肌も露出している。
 が、大人の色香は感じられない。引き締まった身体はスポーツ少女の肉体美にあふれているからだ。

「我が眷属よ。妾の身体に触れることを許そうぞ。妾を机から下ろすのじゃ」

 わざとらしい口調で、「のじゃ」言っている美紅ちゃんもロリババア病を発症していた。
 まるで、数百年生きてきた妖怪みたいである。
 しかし。彼女は中三なので、中二病から卒業できなかった子にしか見えないんだよね。

 軽く説明を聞いただけの僕にとってロリババア病の意味不明さは理解不能。
 出会ったばかりの子だし、ギャグで言ってるのか、本気なのか。

「汝よ、さっさと動かんか」

 謎の上から目線で振り回してくるし。

「わかったから」

 僕は素直に従うことに。
 けっして服従しているわけではない。
 これが僕の仕事だから。

 介護。
 福祉が学びたくて、福祉科がある高校に進学した僕。
 まさか、入学式の日に美少女を介護するハメになるとは思わなかった。

 僕は美紅ちゃんのもとに行き、手のひらを上にして言う。

「ほら、ここに足を乗っけて。僕の首に手を回してね」

 言われたとおりに美紅ちゃんが動いた。
 首筋に生温かい吐息が当たる。イチゴの香りがした。

 ドキドキしたまま僕は彼女を抱きかかえ、椅子に座らせたのだけれど――。
 床が濡れていた。

 ん? 雨漏り? いや、今日は晴れている。

 美紅ちゃんの隣の席から雫が垂れていて。
 小夜さんがすっきりした顔をしている。

「あら、執事さん。お手洗いを手伝ってくださるのですか……。私、もう子どもではありませんよ」

「えっ?」

「おしっこぐらい自分でできますので」

 液体の正体はもしや……。

「ぬしよ。妾のかわりに小夜ちんが褒美を与えたようじゃのう。貴重な聖水じゃ。漆黒の堕天使との戦いに用いるがええ」

 美紅ちゃんは素知らぬ顔である。

 どうすんの、これ?
 おばあちゃんの介護をしていた時とは違いすぎるよ。

 掃除するのは仕事で割り切れるけど……。
 スカートと下着はびしょ濡れだし。
 同世代女子の下着を用意して着替えさせるってこと?

 初対面の女子高生にするなんて難易度高すぎる。

 困惑していたら、教室のドアが開く。
 十代前半の少女だった。ただし、彼女の実年齢は……。

九十九(つくも)先生、良いところに」

 僕たちの担任なので、二十歳は超えているはず。
 つまり、真性のロリババアである。

 ともかく、緊急事態である。僕は先生に事情を説明する。

「なあ、むっつり君。誰がロリババアだって」

「えっ?」

 この人、僕の心を読んだ?

「助けてやろうと思ったが、気が変わったぜ」

「はい、これ」

 紙袋を渡される。開けてみる。目を見開いた。

「こ、これは?」

「見てわかんないの? むっつりなくせに。スカートとパンツじゃん」

「そうじゃなくって。なぜ女子の下着を僕に」

「そりゃ、粗相しちゃったんだ。着替えさせないと不潔だし、風邪も引くぞ」

「そ、そうですが」

 まさか、僕がやれって?

「他に誰がいる?」

「先生が……」

「貴様。これも介護実習である。生徒が経験値を積まんでどうするよ」

 そこまで言われたら、うなずくしかなく。
 僕は仕事として割り切ることにした。

 どうして、こうなったし。
 僕は今朝のことに思いを馳せていた。
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登場人物紹介

伊藤 結人(いとう ゆうと)

中学生時代に祖母の介護をした。

福祉の勉強をすべく、福祉科があるヴァージニア記念高校に入学する。

が、どうやら特殊な能力があるようで、ロリババア病の少女たちの介護をすることに。

神凪 小夜(かんなぎ さよ)

家がお金持ちのお嬢様。

才色兼備な優等生だったのだが。

ロリババア病を発症し、ボケている。

結人と同じクラスで、彼に介護される。

ご飯を食べたことを忘れたり、家にいるのに外出したつもりだったり。

天道 美紅(てんどう みく)

元テニス選手。中学生ながら、プロに勝ったこともある。

ロリババア病を発症し、のじゃロリになる。

結人と同じクラスで、彼に介護されるのだが、傲岸不遜で結人を眷属扱いしている。

中二病を患う中学三年生。

青木 穂乃花(あおき ほのか)

幼なじみ。優しくて、尽くしてくれる子。爆乳。

結人の傍にいたくて、ヴァージニア記念高校の普通科に進学する。

小夜と美紅に振り回される結人を助けるも、小夜たちには複雑な感情を抱く。

敗北する幼なじみと思いきや。

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