天使の詩
文字数 1,904文字
「何とか部屋は取れた。明日の予定について話すとしよう」
「それはそうと、凄い部屋だな」
ザウバーは彼女の提案に応えず、驚嘆の声を漏らした。彼の言う通り、部屋は大きなベッドを悠然と並べられる程に広い。また、壁やベッドの天蓋には、目が眩む程に豪華な装飾がなされていた。
青年の話を聞いたダームは、荷物を置いてからゆっくり部屋を見回した。そのうち、少年は木製の額に入れられた詩を見つけ、驚いた様子で口を開く。
「この部屋にも詩が有るよ」
ダームは、言いながらその額に近付き、そこに書かれている詩を読み始めた。
――
光の天使
人間界へ舞い降りん
されど人間の悪しき心によりて
片羽を奪わるる
怒れる神は裁きを下し
嘆く神は天使が天界を離るる事を禁忌とす
されど片羽の天使
天界に戻る事叶わず
やがて体は朽ち
魂のみが穢れた地に
縛られた
――
詩を読み終えると、ダームは体を小刻みに震わせ、悲しそうな表情を浮かべた。
「なんだか、怖い詩だね」
「だな。裁きを受けた奴は自業自得として、天使は羽根を奪われた揚げ句に死んじまうなんてな」
ダームの様子を見た為か、ザウバーはいつになく真剣な口調で声を漏らした。
「ああ」
二人の会話を聞いたベネットは、そう言うと柔らかな椅子に座り込んだ。その動きに気付いたダームは、直ぐにベネットが居る方を振り返る。
そして、ベネットの顔色が蒼白している事に気付くと、少年は途端に心配そうな表情を浮かべた。
「ベネットさん、顔色が悪いみたいだけど大丈夫?」
「心配ない。旅の疲れが溜まっていただけだ。少し休めば回復する」
か細い声で返すと、べネットはダームに対して微笑んでみせた。
「だけどよ、横になった方がいいんじゃねえのか? 森で倒れてから、まともに休んでないんだ」
「だが、街や学園について、色々と説明しなければならない事も有るだろう」
心配される事に慣れていないのか、べネットは困惑した様子で話し出す。
「分かったよ。じゃあ、ベネットが休むと言うまで、説明とやらには一切耳を貸さねえぞ」
青年は、そう言うとダームの肩を強く掴み、そのまま部屋の隅に移動する。そして、ザウバーはベネットの声が聞こえない様に、少年の耳をしっかりと塞いだ。
「それに抗う理由も術もない。だが、直ぐには横にならん。汚れた体のまま、綺麗な寝具に触れるのは気がひけるからな」
ベネットは溜め息混じりに呟くと、音もなく二人の前から姿を消した。
「今のベネットさんの言葉って、どういう意味?」
ダームは、少しでも離れたら聞こえない程の小さな声で、ザウバーへ耳打ちをする。
「汚れたままじゃ、落ち着いて休め無いって意味じゃねえの」
一方、ザウバーはその疑問へ応える様に、少年へ静かに耳打ちをした。
「それ、もしかして、休む気が無いって事?」
青年の返答を聞いたダームは、困惑した様子で呟く。
「ま、ベネットが客室から出てねえのは確かなんだから、悪い方にはいかないだろうよ」
そう言うと、ザウバーは少年の背中を軽く叩いた。
「先程から、何を相談しているのかと思えば……私が湯を溜めに行っていた短い間に、随分と話が盛り上がっていた様だな」
そう言うと、ベネットはまるで何事も無かったかの様に二人を見た。彼女の顔色は決して良くなかったが、発した声はしっかりとしていた。
「湯を溜めにって、この客室には風呂まで付いてんのか」
彼女の話を聞いたザウバーは、驚いた様子で声を発した。
「ああ。何せ寝室だけで、これ程に広い客室だ。浴室が備え付けられていたとしても、不思議ではない」
青年の驚声を聞いたベネットと言えば、それがさも当然であるかの様に説明を加えた。
「そう言っちゃ、そうかも知れねえけど」
「マルンを発ってからというもの、湯に浸かる機会は無かった。今日一日位、ゆっくり浴室で休んだとしても罰は当たるまい」
そう言うと、ベネットは客室に備え付けられていたバスローブや厚手のタオルを集めていく。
「そう言えば、マルンって温泉が有名な町なんだよね」
すると、ベネットの話を聞いたダームが、かつて訪れた街を懐かしむ様に頷いた。
「そうだな。マルンには温泉施設や宿が幾つもあり、民家でも湯を引く程だった」
そう返すと、ベネットもマルンを懐かしむ様に目を閉じる。
「そろそろ湯が溜まっただろう。折角の機会だ、湯に浸かったら直ぐに出る気は出ない。申し訳無いが、その間は二人共ゆっくり休むなり食事をするなりしていて欲しい」
そう告げると、ベネットは二人の返事を待つことなく浴室へ向かっていった。