第15話

文字数 2,006文字

 お父さんの説法が始まろうとしていた。お父さんによれば、これも私へのプレゼントらしい。今回は、見学していなさいと言われた私は、お父さんが、どんな説法を行うのか内心楽しみにしていた。

「今回みなさまには、お釈迦様の説かれた、長者火宅(ちょうじゃかたく)(たとえ)を説明しようかと思います。どうぞ、宜しくお願い致します」

 信者の方たちからの拍手が起こる。流石、お父さんだ。随分と慕われているんだなあ。

 やがて場が静まった後、宗泉寺住職の説法が始まった。

「みなさまはお釈迦様が説かれた、喩話というものをご存じでしょうか。これをお釈迦様は方便(ほうべん)と名付けました。喩えのことを方便と言います。かつてお釈迦様は、神である梵天(ぼんてん)にこの世に仏法を説いて欲しいと請われました。お釈迦様は、三回その話を断ったそうです」

「お釈迦様が悟ったこの内容はとても難信難儀で、一般の人々が理解することはとても難しいと考えたからです。ですが三度の勧請(かんじょう)の末、お釈迦様は世の中には煩悩の汚れも少ない者もいるだろうから、そういった者たちについては理解もできるだろうとして開教を決意しました」

「お釈迦様は喩えによって衆生を救われようとなされたのです。これを方便力と言います。三界で苦しんでいる衆生……欲界(よくかい)色界(しきかい)無色界(むしきかい)のことです。この三界は、あらゆる苦で覆われており、あちこちで見えない火事が起こっているとされています」

「まず、長者火宅の喩をお話をします。ある家が火事で包まれておりました。家の中で子供たちは、あらゆる玩具遊びに夢中になっていて、火事が燃え広がっていることに全く気がつきません。このままでは、家が火事で燃え尽きてしまいます。そこで父親は家の外にはたくさんの高級な車が用意してあるから、大急ぎで外に出るよう大声で説明しました。すると、子供は車を見ようと大急ぎで外に出てきました」

「これは、我々が住む三界のことです。この世間は見えない災いで覆われており、そこに居ると大変危険だよ……と、お釈迦様は外に避難誘導なされようとしているのです。実にこの世は、煩悩……つまり、欲望の風が吹き荒れていて大変な危険がたくさんある世界です」

解脱(げだつ)とは、煩悩から完全に離れたという意味があります。ですが、お釈迦様は竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)という場所にもこだわりを持っていました。煩悩によって誘惑に陥いることのない、僧たちが堕落しない場所を確保していたのです」

「お釈迦様はきっと、この世界は大変、誘惑が多く危険な場所だということが分かっておられたのでしょう。外に出すべきではない。だからこそ、竹林精舎という場所にみんなを避難させていたのです」

「私が言いたいことは、つまり今私たちは、無闇に外に出るべきではないと言うことです。今、世界は燃えています。煩悩という欲望の強風が吹いています。外に出ればどんな危険な災いがこの身に降ってくるか分かりません」

「賢い人は理解できたと思いますが、我々には仕事がありますから、ずっと家に居ることは不可能だと思います。ですから仕事以外の時間は、自宅という竹林精舎に避難していた方が良いという訳です」

 お父さんらしい説法だった。欲望が集まる場所には行ってはいけない。そこで、どんな災いに遭うか分からない。この世間は既に見えない火事で燃え広がっていると言うのだ。自宅を竹林精舎に喩えたのは、ある意味正しいと思う。自宅が一番安全なのだ。確かに外には悪い人がたくさん居て、下手をすれば災いを被る。お父さんはそれを解決しようとしているのだろう。

 解脱とは、煩悩を完全に無くした境地とされている。内面の煩悩が無くなれば、災いが一切起こらないと提議されたお釈迦様の教えを、目に見える外の世界にも表した訳だ。お釈迦様は、徹底して内外にこだわった。内には自己の欲望からの解脱。外には竹林精舎に避難させるという解脱……。難しい喩えだったが、もしかしたら分かってくれる人もいるかも知れない。

「お父さん、お疲れ様です」

「ありがとう……。今日の法話は音夢にはちょっと難しかったかな?」

「そんなことないのです。長者火宅と竹林精舎を掛け合わせたのはとても良いアイディアでしたよ。確かに、この世は危険で一杯な世界だから、竹林精舎という場所にお父さんも、みんなを避難させたかったのですね」

「ああ、そういうことだね。それほどこの世は本当に欲望に塗れた世界だと言うことだよ。音夢には、外の世界を気にするより、お寺で頑張って欲しいなぁ……」

「お父さんは心配性なのです」

 それほど音夢が可愛いんだよ……。そんな観音様の声が聞こえた。私も本当の解脱が出来るように、煩悩を無くさないといけない。そうしないと悟ることは出来ないのだから。

 私は今日、お父さんが説法してくれた内容を、ノートに書き記した。これをまとめて、いつか本に出来たらいいな。これからもお父さんの説法は聞くようにしよう。無駄なことなどこの世には一つも無いのだから。
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