第15話

文字数 1,412文字

昨日は法人挙げての体育祭の日、舞洲の体育館を借りて、正職の方々が準備に準備を重ねてきたのに、寝坊してしまい、間に合わず、欠勤してしまった。

そのうえ今日も遅刻するという始末で、さすがにお小言を食らいました。

社会人として、遅刻は厳しくとがめられる。そこをある程度容認してもらっていたのだが、それに甘えて、大事なスポーツ大会の日にまで寝坊してしまったので、『いったいどういう考えなんだ?』と問い詰められたのだ。

真相は、昨日がその日だという認識がすっぽり抜けていたからで、そのことを言い、謝ったのだけれども、とにかく、いまの会社に入ってから、目立って遅刻するようになってしまった。仕事がきつい、というのもあるのだが、きつい中やりがいのある仕事で、面白みも感じているし、この仕事で食べていこうとまで考えているほどなので、モチベーションはある。

しかし朝になると、心にもやがかかったようになり、もう一度寝てしまおうという誘惑が出てきたり、あるいは寝たままで起きれなかったりするのだ。

25歳で統合失調症を発症し、30歳からぼちぼち働き始め、色んな仕事を経験し、合う仕事、合わない仕事、辛い職場に良い職場と色々あったけれど、今の職場は気に入っている方で、何より、今の仕事できちんと続けられたら、週四でたまに土曜日入れるという条件、有給もフルに使ってちゃんと休みながら充実した仕事が出来るという、『ここでがんばらなきゃ』ってところなのに、ついつい甘えが出てしまう。

性格に弱いところがあって、人に迷惑をかけ、真実の道を歩めるとわかっているときでも全力が出せないのだ。それどころか、かなりぬるぬるとした道を這いずりまわるような生き方しか、ぼくは本当はできないのかもしれない。

それを病気のせいにはできないが。

統合失調症とは言え、疲れやすいことを除けば、特に激しい症状がぼくの場合出るわけではない。良い仕事をして、残りの人生も充実させたいと願っているのだから、もう少し甘えを捨てて勤務に励めたらと思う。がんばろう。ぼくは仕事が好きだ。倉庫を任せてもらう仕事も好きだったけれど、今は、障害者と寄り添うようにして生きていくこの生き方が好きだ。ぼく自身が障害者であり、そして障害というものは何か真実に結びついているようにも思えるのだ。

真実という言葉を、意味も良く分からずに使っているけれども。

でも、感覚的なことだ。朝、しんどくても、利用者さんと接しているうちに、元気になっていることが良くある。愉快な気分にさせられていることが良くある。それは真実の持つ力だと思うのだ。そういうことが生活と結びついていくのである。

生きるという事は、ぼくの場合、なんとか生活を成り立たせるってことで終始するのかもしれない。生活するってことは、大変なことなのだ。その大変な生活を(大変と言いつつも、ぬけみちもたくさんあり、適度にさぼることもできる)続けていくうち、人生の年月が経ち、やがて歳を重ね、時が来てあの世に旅立つことが出来る。

仕事は大事なものだ。仕事がなければ、この人生の充実をどうやってかなえたらよかったのか、わからなかったろう。そして人生の充実がなければ、人生という容器を、何で満たせばよかったか、分からなかったかもしれない。生活、というものがあるが、これもまた仕事抜きには成り立ちがたいものである。

そういうわけで、来週からも、多少疲れつつも、頑張っていきたいと想う。
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